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<インタビュー>三宅香帆、言葉を伝えることと残すことへの想い/ 「出版」と「音楽」の新たな交流から見出す在り方とは【WITH BOOKS】

インタビューバナー

Interview:柴 那典
Photo:板場 俊


 Billboard JAPANが発表した総合書籍チャート“Billboard JAPAN Book Charts”ローンチに伴う連載企画【WITH BOOKS】に、文芸評論家・三宅香帆が登場。


 “Billboard JAPAN Book Charts”「Hot Culture Books」にて『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が最高1位、『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』が最高3位を記録。2025年11月刊行の『考察する若者たち』も大きな反響を集めている。昨年末にはNHK紅白歌合戦にゲスト審査員として出演するなど活躍の場を広げる三宅香帆に、批評と音楽について語ってもらった。

“ハレ”の場で実感した芸能の力と、心動くアイドルの歌詞

――NHK紅白歌合戦のゲスト審査員、体験してみてどうでしたか?

三宅香帆:やっぱり、歌とか芸能って“ハレ”のものだなとすごく思いました。間近で見ると、あの場に立ち続けている人たちの力って、本当にすごいんですよ。誤解を恐れず言うと、ある意味、変な魔力みたいなものを持ってる人たちの集合だな、と。私は大学院で万葉集を研究していたんですが、当時は「歌を詠む人」とは神や天について伝える存在でもあった。ある意味で現代の芸能にもそういうところがあるのかもと思いながら見ていました。それに、現場にはありえないくらいの数のスタッフさんがいらっしゃって。紙吹雪だってそのたびにモップで片付けてるんですよね。祭りのでかさみたいなものに感銘を受けましたし、それくらいの人数が必要なんだなというのをしみじみ感じました。そうすることでみんなが「年越しモード」になる。そういう文化をNHKがずっと作ってきた。そういう意味でのハレの場としての音楽を感じましたね。私は昨年「推しとハレ」という連載をずっとやっていたんですけれど、推し活って、四季の感覚も伝統行事も減ってきた現代にハレの場を作るものなんじゃないかと考えていたので。紅白はその最大の祭だと感じました。


――まさに推しという文化が直近の三宅さんの興味や考える対象になっている、と。

三宅:かなり考えていますね。推し活論として一旦まとめたものを今年出す予定です。


――なので、今回のインタビューでは推しと批評ということをテーマに、音楽と絡めながら聞いていこうと思います。まず、振り返って、三宅さんが思春期に好きだった音楽はどんな感じでしたか?

三宅:中高時代は合唱部だったので、音楽好きな子が周りに多くて。スピッツとか、JUDY AND MARY、Mr.Children、aiko、赤い公園、チャットモンチー、いきものがかりとか、あとEvery Little Thingとか、いわゆるJ-POPですね。田舎だったのもあって、中高時代はずっとそのあたりを友達とCD貸し借りしながら聴いてました。


――その中で特に思い出深いアーティストを挙げるならば?

三宅:やっぱりスピッツとMr.Childrenは世代的にもすごく大きい存在でしたね。たとえば学校の音楽の授業でギターを弾いてバンドをやることがあって、そこでaikoやスピッツの曲をやったり、みんなで共有できるものって感じでした。私は本が好きだったんですけど、本ってあまり人と共有するものじゃなかったんですよ。でも音楽はカラオケに行ったり、CDを貸し借りしたり、人と交流できる趣味という感じがあった。それもあってJ-POPを聴いていた感覚がありますね。


――アイドルにハマったきっかけはAKB48だったそうですが、それはどういう感じだったんですか?

三宅:中高時代はそんなにAKB48にはハマってなくて、大学生の時に松井玲奈ちゃんにハマったのがきっかけだったんですよね。でも玲奈ちゃんはすぐ卒業しちゃって。そこから乃木坂46、日向坂46が好きになって、今は櫻坂46や≠MEを見ている感じです。


――アイドルにのめり込むようになって、音楽の聴き方は変わりました?

三宅:聴き方はそんなに変わってなくて、今も昔も歌詞が好きなんです。結局48グループや坂道グループも、秋元康さんの歌詞がいいと思って聴いてるところがあるんですよね。必ずしも推しメンが歌ってるから好きってわけでもないし。曲が好きということと、そのアイドルが好きということは、意外と重ならないところがある。そこがアイドルの面白さのひとつなのかなと思ったりします。例えば私はYUKIちゃんがすごく好きなんですけど、それは歌詞と曲が好きなことと紐づいている。一方、松井玲奈ちゃんは好きだけれど、SKE48の曲がすべて特別に好きというわけではない。アイドルはキャラクターと物語だと思っているので、必ずしも曲が結びつかないというところがあるのかなと思いますね。でもその一方で、「この曲を聴くとこの子のエピソードを思い出して、卒業コンサートで聴くと泣ける」ということもあったりする。アイドルのエピソードは、曲との結びつき方が面白いんですよ。


――アイドルは基本的にシンガーソングライターと違って、役者に近いですよね。秋元康さんが脚本家として歌詞を書いている、というような。

三宅:そうですね。しかも当て書きですよね。私が語るのもおこがましいですが、秋元康さんの才能のひとつは当て書きだと思います。アイドルオタクとしては天才だと思うような瞬間があるんですよ。ただ、文脈を知らないとわからない。例えばNMB48に「甘噛み姫」という曲があるんですけれど、その曲の歌詞では、冷静になりつつあるカップルの話が書かれていて。ソファに一目惚れして買ったんだけど部屋に置いてみたらチグハグだった、というところから彼女を溺愛できなくなるけどやっぱり好きなんだよなと思ってしまう様子を歌っている。で、この曲はメンバーに渡辺美優紀さんがいる頃の曲なんです。ファンは「美優紀ちゃん、お店で『このソファーがいい』って言ってサイズも測らずに買いそうだわ」とわかるような、彼女のキャラクターへの当て書きがある。しかもファンの感情もそこに乗ることができる。……でもこれはキャラクターを説明しないと伝わらなかったりしますよね。この歌詞の男性像も妙に上から目線のいけすかない男ですし。なので普段は語りづらいのですが、秋元康さんの歌詞は意外とわかりづらいことをやっている、だけどしっかり読み込むとすごいなと思います。


――今三宅さんに語っていただいたように、アイドルの楽曲を聴くということは、ある種、その文脈を"読み込む"わけですよね。そこにある物語やグループの背景を読み込んでいく。そうすることは、三宅さんにとっての楽しみであると同時に、仕事にもなっていると思うんです。アイドルだけでなく、あらゆるカルチャーに対して、そうやって文脈を提示したり読み解いていく。そういう仕事が自分に向いていると気付いたのはいつ頃でしょうか?

三宅:アイドルの歌詞を読み込むというのは、今も昔もほぼ趣味なんです。ちゃんとアイドル語りを仕事にしようと思ったら、もっといろいろなグループを追いかけたりした方がいいんだろうと思うんですけど、趣味の範疇なので心が動いたものしか語れない。というかアイドルだけでなく、本についても、いまだにその感覚がありますね。もちろん、例えば直木賞や芥川賞の候補作を全部読むとかは仕事の勉強としてやっているんですけど、でもそれもほぼ興味から来る趣味みたいなもので。「読みたくないけど仕事としてこれを読まなきゃ」という感覚がいまだにないんです。まだ趣味の読者であって、偶然仕事になったらラッキー、くらいの感じで生きています。


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  1. 「「好き」と思う感情や、それを語る言葉が残ってほしい」
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「好き」と思う感情や、それを語る言葉が残ってほしい

――三宅さんの著書は、世の中的に代表作とされているのは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ですが、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』や『「好き」を言語化する技術:推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』など初期の著作の多くは、アイドルのみならずいろんな対象への「好き」という気持ちがまず真ん中にあり、それをどう表出するかという課題と向き合う中で書いてきたのではないかと思います。それは今おっしゃった「ほぼ趣味としてやっている」というモチベーションが大きかったという感じでしょうか。

三宅:そうですね。すごく大きいです。好きなものに心を動かしたいし、そういうものを語っている人を見たい、というのが同世代の感覚なんじゃないかなとも思うんです。今あげていただいた本は、そういう本ってまだないじゃん、と気づいて企画を出した記憶があります。すでに「正しい文章の書き方」については本がたくさん出ていたんですけど、そうではなく「正しいかどうかよりも好きを伝えたいんだ」という欲望に応える本。自分もそうだし、まだ気づかれていない同世代の人たちの欲望としてそこがあるのではと思って書いたところはありますね。


――文芸にしても映画、ドラマ、音楽にしても、それを最初に受け取った時の感動は言葉にしないと蒸発してしまうという感覚がある。それをもったいないと思う気持ちが根底のモチベーションにある。

三宅:古典が好きなのもあって、残ることが一番いいことだと思っているところがあるんですよね。何事もアーカイブしてほしいし、されてほしい。みんなの「好き」と思う感情とか、好きなものに対しての語りとか、ちゃんと残ってほしい。例えばアイドルオタクの人のブログにはめちゃくちゃ面白いのがいっぱいあるんですけど、サーバーがなくなると消えてしまうじゃないですか。00年代にあんなに面白いブログがあったのに今は全然残っていない。その諸行無常を少しでも減らしたい。インターネット育ちなんで。


――ただ、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』以降は、もうちょっと違うレイヤーで求められるようになったと思います。社会批評的な、「今の世の中はこうなっています」という分析の役割が世の中に求められるようになった。そのことをどう捉えていますか?

三宅:正直、一冊目を出した時から、「好きを語る」ということも、自分の中では批評のつもりでやっていたんですよね。それこそ『女の子の謎を解く』という本を書いたり、よしながふみさんの『大奥』についてnoteで書いたりする時も、自分としては批評と書評ってそんなに変わらないと思ってやっていたんです。でも、見られ方として「もっとちゃんと批評っぽくしないと批評って見られないんだ」ということに、やっていく中で気付いた節がありますね。ちゃんと評論家って名乗らないと評論として見られない、というか。だから『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を出してやっと批評っぽく見られるようになった感じはありますね。自分のやりたいこと自体はずっと変わってないんですけど、見せ方やパッケージングが変わってきたのかな。


――その「やりたいこと」の核として、批評というものをアップデートしたいという思いはあるんじゃないかと思います。

三宅:そうですね。アップデートというか、文体を開きたいという気持ちが一番大きい。文体ってすごく大事なものだと思っていて。日本の文学史を見ても、文体がアップデートされて初めて中身もアップデートされてきた歴史がある。批評が読まれないのも文体がアップデートされてないからでは?と思っているところがあります。批評って、どうしても男性に向いているものだと感じるところが昔の自分にもあったので、ジェンダー関係なく参加できるものにしたいし、いろんな方に面白いと思ってもらえるものにしたいという感覚はすごくあります。私だけではなく、同世代の批評家は各々の立場で同じような感覚があるんじゃないかな。


――読み手としての感想で言うと、三宅香帆さんの文章はまさに批評の文体をアップデートしていると感じます。

三宅:アップデートしないと語れないものがいっぱいあるんじゃないかと思うんですよね。批評の対象に合わせた文体を作りたいという感覚があります。


――そうした問題意識が『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』にも受け継がれていると思います。あの本は『花束みたいな恋をした』の批評として書き始められている。あの作品の主人公の「働き始めると『パズドラ』しかできなくなる」というシーンを批評するために、今の社会における労働とカルチャーの関係についてあれだけの分量で書かないといけないという一冊になっている。

三宅:そうですね。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は社会批評や歴史批評みたいな感じだけど、実は『花束みたいな恋をした』論になっている。『考察する若者たち』も、若者論の体ではありつつ、実は『スキップとローファー』論になっている。最終的には作品の批評になっているといいなと思っていますね。


――『考察する若者たち』は「今の若者たちは正解を求める」ということや「批評よりも考察が求められている」ということが「報われ消費」という切り口と共に読まれていますが、三宅さんが体重を乗せて書いているところは『スキップとローファー』に描かれる関係性への讃美ですよね。

三宅:やっぱりフィクションはちょっとみんなの先を行っているなと思っていて。音楽もそうですけれど、アーティストは感覚が早いことが多いと思います。私は報われ消費が気になったのは最近ですが、実は『スキップとローファー』が連載開始した時点で作者の高松さんには「最近は報われないことがしんどいなと思う若い世代が増えたな」ということが見えていたのではないかと思いますし。そういった、音楽やフィクションにおける、ある種の先見性をキャッチして言葉にするのが批評家の役割かなと思っています。


――『考察する若者たち』が去年出てからだいぶ広く受け止められたわけですが、反響に対して、どんな印象がありましたか。狙い通りだったこと、意外だったことはありましたか?

三宅:これまで出したどの本よりも、世代によって感想が異なる感じがあるなあ、と思って、そこは意外でした。とくに上の世代には「考察」に関するところへの賛否がありましたね。私としてはもう少し「報われ消費」とか「最適化」とか、プラットフォーム社会について書いた内容の方が広がるかなと思ったら、意外と「考察と批評の違い」の方の反響がすごく多かった。インタビューを受けても感想を見ても、考察というものにモヤモヤしている人は意外と多かったんだなと思います。一方で、読んでくれた若い人からは「報われる」ということに対して「めっちゃわかります」という話をすごく聞くので、そこの反響のずれは面白いなと思いました。


――「報われ消費」というテーマについて書こうと思ったきっかけはどんなものだったんでしょうか?

三宅:やっぱり推し活について考えていて一番思ったことが「報われる努力しかしたくない」という感覚、「ゴールが欲しい」という感覚って何なんだろう?というところなんです。最近の推し活界隈の言葉で「安心安全のアイドル」みたいな言い方があるんですよね。それって結局、自分が好きかどうかよりも、スキャンダルがなくて、推しに投下したお金がちゃんと報われてくれるという考え方から来る言葉じゃないですか。推しにおける「安心安全」って何なんだろう?と思うと、やっぱり「報われ消費」的な感覚なのかなと思いました。


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アップデートをすることで、新たな可能性と交流が生まれる

――AKB48から現在に至るまで、推し文化とヒットチャートは密接に結びついてきたと思いますが、三宅さんなりのヒットチャート観にはどういうものがありますか?

三宅:『考察する若者たち』でも書いた通り、今はランキングというものが意味を失っている世界に入ってるとは思うんですよ。アルゴリズムでおすすめされたものを聴くし、自分もランキングから選んで曲を聴くということは少なくなってきた。でもその一方で、紅白を観て初めて知るアーティストがいるということも含めて、ランキングぐらいしか界隈を超えてくれないんじゃないかと思うんですよね。Mrs. GREEN APPLEも、あれだけランキングで1位になって初めて界隈を超えた感がある。私自身、本が売れて初めて「界隈を超えた」と実感した部分がすごくあるので。今はもう、ヒットチャートくらいしか界隈を飛び越える手段がないんじゃないか、とも思ったりします。で、やっぱり界隈を超えていかないと、自分の分野やジャンル、書いているものが広がっていかないなとは常に思いますね。そこをなんとか超えようとしてYouTubeをやったり、ポッドキャストをやったりしています。


――『考察する若者たち』がヒットしたことによって、批評という界隈の新陳代謝が進んで、風通しがよくなったということも思います。あの本に書かれている「今の若者には批評よりも考察が求められている」という時代認識の裏返しとして、批評というものにもちゃんとニーズがあるということが表裏合わせて伝わっている感じはします。

三宅:だといいですよね。新陳代謝はしていきたいし、いろんな世代の人が読めるものであってほしいと思います。批評と考察の違いをとおして、批評という言葉をまず知ってもらえたらとても嬉しいです。


――『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』で「比べる」ということについて書いているのも、とても重要なことだと思いました。比べるというのは、共通点と相違点を示すことだ、と。批評が好まれない理由の一つに、上から目線で優劣をつけるようなことだと思われがちなところがあると思うんです。必ずしもそうではないということって、ちゃんと言われないと伝わらないことだと思っているので、すごく意味があることだと思っています。

三宅:確かにそうかもしれないですね。「変に引き合いに出さなくても」みたいに言われたりもしますし。私はオマージュがすごく好きなんですけど、その概念自体があまり広まっていないのかなと思う時もあるので、そこはやっぱり批評家として言っていきたいですね。


――ただ、批評と考察の関係で言うと、音楽、特にポップミュージックの分野では、批評を成立させるのはなかなか難しいと思っているんです。やっぱりアーティストの言葉を引き出すインタビューが「正解」と捉えられてしまう側面がある。僕自身、そういう意味で考察文化に寄与している自覚はあるんです。それでいて同時に批評性も持たせようというバランス感覚をもってやっているつもりではあるんですが。

三宅:私は本当に音楽のあり方が羨ましくて。音楽の世界にはロングインタビューの文化があるじゃないですか。前作から何を更新して、何が反省点で、何を変えたのかということを聞く。少なくともトップアーティストに対してはずっとやる。あれは素晴らしい文化だと思っているんです。出版には本当にそれがなくて。「今作についてどうですか」という新刊記念インタビューはあるんですけど、前作からの比較がないんですよ。そういうロングインタビューを、それこそ文芸誌であるといいのになあと思っているんです。ロングインタビューって、それ自体が批評になっていたりするし、そこで語られていることを踏まえて楽曲批評をしている人もいる。私から見ると音楽の世界には批評の文化が根付いているように見えますね。


――なるほど。言われてみたらこのインタビューもある種、三宅香帆という作家のルーツとディスコグラフィーを追っていくスタイルでやっているわけで。まさにその作法かもしれないですね。

三宅:すごくいいなと思います。本当は小説でもそういうことをやるべきだし、どこかでやれたらいいなと思うんですよね。自分としては『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で「ノイズ」という話を出して、でもそこを掘りきれなかったので、『考察する若者たち』で、なぜ「ノイズが嫌われるのか」という話をした。それは正解を求める、報われることを求めるからだという。自分としては連続して書いている感じはあるんです。『「好き」を言語化する技術』で「いったん人の意見を読まずに自分の感想を作ろう」と書いたのも批評のやり方でもあるし。自分の中で連続性はあるので、読者の方がそれを見つけてくれた時はすごく嬉しい気持ちになりますね。


――先ほどおっしゃっていた「批評の文体をアップデートする」ということを実践するためには、ある種、ポップカルチャーの作法を批評に持ち込むというやり方がある、とも言えるかもしれないですね。

三宅:すごくあると思います。それこそYUKIちゃんを見ていてもバンド時代とソロ時代で歌い方が変わっていたり、いろんな人とコラボしたり、みんなそれぞれアップデートしている。本の文体も、歌い方みたいにアップデートすべきものだと思っています。私自身もアーティストの方のあり方を見て自分のやり方に引っ張ってくることがいっぱいあるので。出版と音楽のあいだにもっと交流があるべきではとよく思っています。それに、たとえばフェスみたいにみんなで集まる場を作るとか、ビジュアルを洗練させるとか、そのあたりの音楽のやり方を出版はちゃんと学ぶべきだなとずっと思っています。


――わかりました。ここからは音楽に関してのライトな質問をいくつかさせてください。まず、普段はどんな音楽を聴いていますか。

三宅:J-POPとクラシックとアイドル曲が、私の中の3大ジャンルという感じですね。具体的には、最近だとJ-POPはちゃんみなさんとか女王蜂さん、米津玄師さんが多いかな。新曲が出たらプレイリストに入れてという感じで聴いています。クラシックはYouTubeで発見してそれを繰り返し聴くみたいな感じです。ヨーヨー・マとか好きなんですよね。アイドルは最近は櫻坂46や≠MEをよく聴いています。


――音楽との出会い方はどんな感じでしょうか?

三宅:YouTube Musicでおすすめされることも多いですし、人から教えてもらうこともあります。やっぱりプラットフォームでおすすめされて聴くことが多くなってきましたね。


――最後に、ビルボードジャパンの書籍チャートをご覧いただいた感想があれば。

三宅:まず驚いたのは、Hot Shot Booksがあるのがすごいなと。そして「カルチャー」のカテゴリーで自分の『「好き」を言語化する技術』と『夜と霧』と写真集が並んでいたのが、今までの書店とは全然違っていて面白かったです。昭和・平成・令和と時代別に分けられているのも新鮮で面白いなと思いました。本のチャートとしてのビルボードって、他とは違う嬉しさがありますよね。「ビルボードチャート1位」という言葉が自分の本につくことがあるんだと、すごく新鮮な嬉しさがありました。


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