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<インタビュー>Tele、「風見鶏」が示した迷いを抱えたままの前進

Interview & Text:小川智宏
Photo:Yuma Totsuka
8月19日にリリースされたTeleの最新曲「風見鶏」は、ふたつの意味で画期的な楽曲だ。ひとつは、最近のTeleの楽曲のなかでも、ひときわポップで快楽指数の高い「ダンスミュージック」になっていること。もうひとつはそこで歌われる歌詞が、生きていく上で逃れられない迷いや悩みや厭世を受け入れながら、その上で迷いながら進んでいく日々を全力で肯定していること。相変わらずこの世界は違和感だらけだし、誰かが掲げる「正しさ」には馴染めないし、あなたと私は決定的に違うが、それでも一緒に踊って楽しんで、ともに迷いながら未来に進んでいくことはできるよね。この曲は、たとえばそういうメッセージを訴えているように響く。そんなふうにTeleが他者と肩を組み、足並みを揃え、ともに駆け出していくような曲はきっと初めてだ。なぜこんな曲が今生まれたのか。ターニングポイントとなったツアー【蟲】からこの曲に至る物語を語ってもらった。
最初にTeleを始めたときの気持ちに戻っていった
――今年3月にツアー【蟲】が終わってから、早くも半年が経ちますね。
谷口:そうなんですよ。すごい速度で時間が経っていくから、1、2年前を思い返したときに、5、6年前みたいな気持ちになるんです。けどまあ、いいことだなと思ってます(笑)。
――それだけ濃密ということですからね。【蟲】はいろいろな意味でいいツアーになったんじゃないですか?
谷口:そうですね。僕自身も、全国を回ってライブハウスでお客さんたちとの距離の近さを感じながら演奏したことによってすごく腑に落ちた感じがありました。バカっぽい言い方だけど、一皮剥けたというか。なんか、2025年になってからずっと「腑に落ちないな」と思いながら活動していた気がするんです。それは世の中で起きていることに対してもだし、自分自身に対してもだし、自分の作っているものをどう見せていくのかとか、そういう部分に対してもなんですけど、納得していろいろな覚悟を持って始めたつもりなのに、その覚悟の置きどころがない感覚に振り回されていたんです。そういう、自分の揺れている部分が直ったわけじゃないけど、なんか重心がぐっと下がったような感覚がありましたね。

――観ていても、最初の幕張メッセとファイナルの大阪では全然違うライブをやっていましたよね。
谷口:そう、全然違う。幕張の映像をチェックしたときに、「君は何をそんなに憎んでるんだ」と思ったんですよ(笑)。でも、千葉って、僕が生まれた土地でもあるし、47個も都道府県があるなら1つぐらい憎んでいる土地があったっていいだろうって。でも、それはやっぱり愛憎だし、愛情でもあるんですけどね。そういう場所柄もあったのかもしれないんですけど、僕、幕張のワンマンが終わった2日後に失踪してるんです。
――大阪で言っていましたよね、「気がついたら新幹線に飛び乗ってた」って(笑)。
谷口:そう。なんか、ダメになっちゃって。幕張メッセが終わった2日後に年末のフェスのリハーサルがあったんですけど、通しでやっていたら2曲目ぐらいで本当に完全に停止したんですよ。もう歌えなくて。「もうダメだ」と思って、「ちょっと外に行きます」と言って。そのときの記憶も曖昧というか、溺れてるみたいな状態だったんですよね。それで水面へ、水面へって思っていたら、新大阪行きの新幹線に乗っちゃってた。そこから大阪で2日間ぐらい、漫喫で寝泊まりして。そしたら左の頬を全部ダニに刺されたから、漫喫はダメだと思って飛び込みでホテルに入ったんですけど、飛び込みで泊まりに来る客ってほとんどいないから信じられないくらい不審がられて(笑)。
――大阪で2日間、何してたんですか?
谷口:携帯も置いてきちゃってたんで、誰とも連絡つかなくて。タワーレコードでCDとCDプレーヤーを買って、あれを聴いてました。andymoriの「teen's」。歌い出しの〈何もかもが満たされた夜ほど眠れなくなる〉っていう歌詞がずっと頭の中で鳴っていて。それで、YouTubeにあがってるライブ映像をホテルのテレビで観たんですよ。そしたら最後、小山田さんがカメラ目線で〈何もかもが満たされた夜ほど眠れなくなる〉って歌い叫んでて、なんか、「ごめん!」って思って。こんな場合じゃないと思って、慌てて東京に帰ったんです。それぐらい精神的にも肉体的にも結構きつくなっていたんですよね。何が理由とかじゃないと思うんですけど、たぶん一生付き合っていくしんどさみたいなものが、そのときにちょっと腫れきってたみたいな。その腫れが、ツアーを通して収まっていった気がします。愛を思い出しながら全国を回っていって、大阪のときに、本当に「みんな好き!」って思いました。だから今、ツアー終えてからアルバム作りたいってずっと思ってるんです。
――次のモードに突入したってことですよね、それは。
谷口:うん。そんな中で今回の「風見鶏」もできていったんです。
――「風見鶏」はまさに今お話しいただいたような、開けていく気分と自分の内面との、Teleなりの現実との折り合いの付け方みたいなのがすごく出ている曲だなと思いました。
谷口:うん。まずサウンド的に「踊りたいな」っていうのがあったんです。踊るっていうことを自分の中でどう解釈していこうみたいなことがテーマとしてあった。それで、ボタニカ(自然の音やアコースティックサウンドを取り入れたエレクトロニカやアンビエントミュージック)というジャンルをどうJ-POPに入れていくかっていう引用の仕方をして。僕、ボタニカの好きなところが、あれってめちゃくちゃドーパミンミュージックなんですよ。ほぼ音階なんてないような瞬間もあって、ASMR的な気持ちのいい音が続く、みたいな。だけど、あれがナチュラルな存在ということになっているじゃないですか。そのギャップがすごく現代的だし、僕らの世代的だなと思っていて。自分が思うナチュラルな気持ちいい瞬間を集めたら、結果論としてすごく快感中心の音楽になってるって、逆に素直じゃないですか。そこにすごく共感を覚えてて、だから自分の曲にも使いたいなって思ったんです。で、歌詞も……「風見鶏」って、結構今だと悪い意味で使われがちなんですけど、そもそも風見鶏って風上のほうを向く鳥なんです。めっちゃ向かい風なんですよ、ずっと。そこは今のたとえとしての風見鶏と乖離があるなと思っていて。

――確かに、今「風見鶏」というと、日和見主義的な意味合いを感じますよね。
谷口:でも、迷うことっていうのは常に向かい風のほうを向くことだし、そうやって向かい風のほうを向きながら回っているというのは、じつはいちばんの「抵抗手段」だったんじゃないかって思ったんです。自分が中途半端だなと思うときとか、ツアーとかでだんだん変わっていってしまってるとかって、迷いや弱さだと思っていたんですけど、その弱さそのものが、僕たちが持てるいちばんの世界に対する対抗手段なんじゃないかなって。
――対抗手段というのは?
谷口:たとえば、僕が思想的に違うなって思ってる人たちを応援したり支持したりしている人の根拠を聞くと「なんか」なんですよ。なんかいいじゃん、なんか素敵だから、って。それがポピュリズムであって、今世界に蔓延しているポピュリズムに対する根拠っていうのは「なんか楽しい」「なんか素敵」なんです。で、それに対して今の世の中がどう対応しているかというと、知性主義に戻ろうとか、人間の理性をより強めようという堅苦しい方向に行こうとしていると思うんですよね。でも「なんか楽しい」と戦えるのは別の「なんか楽しい」でしかないんじゃない?と思うんです。だから世界の「なんか楽しい」を僕たちは見つけて提案していくべきなんだ、それがアーティストにできることなんだって思うんです。ポップスを書いている人間がポピュリズムをくさすのも変な話だけど、だからこそ〈白線の先へ〉へ歩み出して、フィルターバブルを超えた先に自分の「なんか楽しい」をぶつけていくことをしていきたいと思った。
――いきなり政治の話が出てきたから読者も面食らっているかもしれないけど、今話してくれているのは、世界の見方というか、世界の捉え方っていうことですよね。ポピュリズム的に扇動されてひとつのイデオロギーに集約されていってしまっても、別の「なんか楽しい」を知って世界の捉え方を変えれば、違う道が開けてくるんじゃないかっていう。
谷口:俺、どっちも嫌いで。ミュージシャンが政治的なことや世の中の問題に触れても意味ない、逆に人気が落ちるからやめたほうがいい、というのも嫌だし、ミュージシャンは積極的に何かを批判して戦っていかなきゃいけない、というのも違う。戦ってきた人間ならわかるけど、俺はその戦いの文脈で生きてきたわけじゃないし、どちらかというと、ぼーっと楽しく生きてきた人間だから、そいつが急に音楽をやり始めて、みんなの耳目を集めるようになった瞬間に戦いだしても、「いやいや、フォームがなってないぞ」って話になるんです。でも、どっちも否定できない。じゃあどうするかってなったときに、さっき言った通り僕は楽しいなと思うことだけを大事にしてきているから「楽しませればいいんだ」と思って、この曲を書いていって……で、この間、デヴィッド・バーンのライブを観に行ったんですよ。それが、まさに「楽しい」だったんです。
――うん。デヴィッド・バーンのライブはきわめて政治的だけど、でも圧倒的にエンターテインメントですよね。
谷口:うん、単に音楽だけを好きな人なら嫌悪感を抱いてもおかしくないくらいにポリティカルなメッセージを含んでいるんですけど、あのビートが鳴っちゃったら踊るしかないみたいな音楽が流れるんです。で、そのポリティカルなメッセージを含んで活動しているっていうことよりも先に「目の前の人を楽しませたい」という気持ちをすごく感じて、「あ、合ってる」って思ったんですよね。あと、この曲を作っている時に、周りの友達が苦しむ瞬間がいろいろ重なって。じゃあ、戦争と平穏があったとして、友達が泣かない戦争と、友達が泣いている平穏、俺はどっちを選べるんだろうと思ったときに、俺は平穏を選べないかもしれないって思って。でも、遠くのことを思う想像力も止められないし、【蟲】の頃は遠くのことを思う想像力に自分が振り回されてそこがちぐはぐになっていたんですけど、結局近い人のことを俺は切れないじゃんとなったときに、「じゃあ全部を楽しませていこう」って思ったんです。だから「やろう」って。もっと曲を書きたいし、もっとライブしたいし、もっと大きいところに行きたいなって、最初にTeleを始めたときの気持ちに戻っていった。

とっさに「紅白に出よう」と思ったんです
――今いろいろな話が出てきましたけど、全部一貫していますよね。「風見鶏」はどっちかだけじゃないよっていう曲だと思うんです。たとえば享楽性と政治性っていうのは両立するんだよっていうこととか、AかBじゃない、その間もあるよね、みたいなことだったりとか。でも喜多朗くんってどちらかといえば、そのファジーさみたいなところを許せないタイプだったと思うんですよ。
谷口:うん、「やってけよ」って思ってた。でもたぶん、目の前の定規が自分の定規でしかないことに気づいたんだと思います。っていうことはみんな違う定規を持ってるんだって。すごく当たり前なんだけど、それに気づいたときにすごい嬉しかったんです。「うわ、俺は間違ってた!」って感じよりは、「アッツ!」と思って。なんでかっていうと、友達に不幸なことがあったときに、自分の定規の目盛りがどんどん変わっていって、「あれ?」みたいな。俺は結構一貫性みたいなものが自分の美点だと思っていたんだけど、俺って全然一貫性ない!って。それに俺の大好きな友達も別に一貫性はない。じゃあ俺が憎んでる人にも一貫性がないとすれば、この憎しみも一過性のもの?って。だったら、マジで未来は明るいと思って。めっちゃバカな可能性だけど。
――それがまさに、この曲でいっている〈迷いは可能性だ〉ということですよね。
谷口:そうですね。迷う、揺らぐことはもちろんあるし、それが許されない瞬間っていうのはどんどん出てきちゃうのが今だけど、だったらなおのこと、シリアスからいちばん遠いところにいるのがミュージシャンだと思うんで、その享楽性の純度をより高めていく、鋭くしていくほうが合ってるわって。それがたぶん世界には必要とされてるんじゃないかと思います。

――この曲は最後に向かってより享楽性を高めていきますよね。そこで歌われるのが〈右往左往でも/今はいいよ/君の迷いは可能性だ/風上を睨む鳥のように/揺らぎ揺らぎ/まだ苦悩を愛そう。〉というパートなんですけど、ここでいきなり〈君〉という二人称が出てくるじゃないですか。これはどういうイメージだったんですか?
谷口:これはすごい感覚の話なんですけど、この歌詞をずっと読んでいたときに、1人で読んでいる気がしなかったんですよ。まあ〈僕たちは〉って言ってるからそうなんですけど。〈僕たちは〉という主語を使って自制することによって、世界がエコーチェンバーの中でぐっと縮こまっていく感じがしたんですよ。だからこれを払わなきゃ、〈僕たちは〉で肩を組んだ奴らに指をささなきゃと思ったんです。
――なるほど。
谷口:それまでずっと主観カメラだったものが、ふっと引いて、僕たちの縮こまっているところを外から映す瞬間がこの曲には必要だなと思って、最後に〈君は〉って入れたんです。やっぱり君に向けて言わないと、これはただの内省の曲になってしまうから。
――〈僕たち〉だけだと分かり合えている人だけのものに閉じてしまうから。
谷口:そうそう、傷を舐め合うつもりはないから。だからこれを作っていく中で、僕もかなり開けていったような感じはあって。たとえばサビ前でBPMが落ちるんですけど、そこで一度自分に沈み込んでいくような構成にしてるんです。それを最後、歌だけがピックされてブレイクしたところから、一気に全部のフィルターバブルを弾けさせていくイメージが、作っていくときにあったので、最後そうなっていきました。

――でも同時に〈僕たち〉って言えたというのも、結構大きいかもしれないですよね。今日も最初に喜多朗くんから「世代」という言葉が出てきましたけど、なんかそういう連帯の意識もあるんだろうなと。
谷口:うん。あんまり「僕たち」って言葉を多用しないようにしているんですけど、「おまえがこれを苦しいと思ってるんだったら俺も苦しいと思うよ」みたいな気持ちになった。そういう、背負い込むっていうよりは「一緒に遠くへ行こうよ」みたいな感覚がすごい素直にあるんです。あの……僕には人間は定住型と遊牧型の2種類に分かれてるっていう自説があって、僕は完全に遊牧型だと思うんですよ。村を作って、そこを発展させていくことには本当に興味がない。だから自分一人でノマドな状態で離れてしまうことが人間関係とかでも多かったんですけど、「この部族でかくしてえな」っていう気持ちになったというか。定住を前提とした世界の中で、ふらふらと遠くに行きたくなってしまう自分みたいなものに不安になりながら生きたりしている人とか、ここじゃないどこかへ行くっていうことを肯定したいっていうか。そのためにはこの部族をでかくするしかない。
――なるほど。
谷口:だからおまえらこのゲルに入れ、馬に乗れ、あの朝日のほうへ行くぞ、って(笑)。それが結局は同じところをぐるぐる回っていたとしても、回っていくうちにどんどん風景は変わっていく。そういう生き方って、風が根を伸ばすみたいだなって思ったんです。風という大きなたゆたう存在が、誰かとつながりたくて、どこかに所属したくて、一緒に生きたくて、根を伸ばしてそこに留まろうとするんですけど、風は流れていくものだし、流れていかなきゃ風じゃないから……そうすると、伸ばした根を自分で引きちぎっていかなきゃいけない。それで流れていって、またかつて自分が根を生やしたところに戻ってきたら他の木々たちが森を作っていたりして、それを見て「あのときの根を伸ばし続けてたら、僕もこうなったんだろうか」って思う。僕はその後悔みたいな部分に侵食されて生きてきた部分が大きかったんですけど、でもこの世界において、いろんなものを引きちぎって進んでいくことを肯定したいなって思ったんです。

――2027年3月のKアリーナから始まる次のツアーが「風の脆さを知る友へ」というタイトルに決まって。「友」って言葉も、「風見鶏」での〈僕たち〉という言葉に通じますね。
谷口:そう。やっぱり「このゲルに入れ」って気持ちがでかくて、「友」っていう気持ちもすごい大きくなっていて。僕はシングルの家庭なんですけど、友達の家もシングルが多くて。みんな普通に幸せなんですけど、どこかで共同体を求めるんですよね。でも馴染めなくて離れていっちゃうというか、共同体での生き方を知らなくて壊れていっちゃうみたいなことがたまにあるんです。それって、俺らはたまたま片親だからそういうことが多いけど、別に生まれとか関係なく全員が対峙する問題だと思うんですよ。それで、僕の高校のときからの親友がいるんですけど、そいつにいろいろあって、2人でお酒を飲んでも酔わないぐらい凹んで、海を見に行って。ぼーっと工場の夜景を見ているときに、とっさに「紅白に出よう」と思ったんです。
――紅白?
谷口:なんでかっていうと、こうやって音楽を作ったり、東京に暮らしてたりすると、本来の生活みたいなものがぼやけていく感じがあって、そのおかげで僕は共同体のことを考えなくてよくなっていたんです。自由を疑わなくていいみたいな状態になっていた。だけど、その友達は普通に働いて千葉に住んで、やっぱりどうしても共同体っていうものから離れることができない。そういう奴が、まるで自由みたいな僕が高いところを飛んでいくのが嬉しい、みたいなことを言ってくるんです。「じゃあ、やらなきゃ」って。それってすごく自分の中で革命的な考え方なんです。誰かのために、みたいなことって思ったことなくて。共同体を避けるのと同じ理屈で、そうやって友を自分の何かに巻き込むことは避けてきたんですよ。でも、小さい話でいえば自分の友達とか、ライブに来てくれる人たちとか、今後僕の曲と出会ってくれる人たちも含めて、「全然空いてるよ、このゲル」みたいな気持ちになった。みんなを喜ばせたいなって思ったんです。
――かつてないほどに視線が自分と同じような他者に向いているんですね。
谷口:だから「友へ」っていう言葉を使うことが、自分の中で全然違和感がなかったし、むしろいちばん今使わなきゃいけない言葉だと思った。それは、ファンの人たちのライブのときの表情とかを見てても、送ってくれるメッセージや手紙とかを読んでもそうで。彼らのためにも僕は何よりも自由に高いところへ飛ばなきゃいけないなっていう必然性をすごく感じてるんです。これはたぶんしばらく変わらないと思います。僕はいろいろ考えが揺らいでいくけど、この、自分の中で杭が打たれたような感覚は、僕の中に通底していくんだろうなとは思ってます。そういう意味でツアーのタイトルもつけましたし、あと今、考えていることがあって、まだどうなるかわからないけれどコミュニティに近いようなものを作りたい気持ちがあります。みんなが何したいのかを知りたいんですよ。そういうことを考えるくらいには変わってきてます。
Tele | 風見鶏 - Music Video
リリース情報
公演情報
- 2027年3月22日(月・祝)神奈川・Kアリーナ横浜 OPEN:16:00 / START:17:30
2027年4月16日(金)福岡・Zepp Fukuoka OPEN:18:00 / START:19:00
2027年4月17日(土)福岡・Zepp Fukuoka OPEN:17:00 / START:18:00
2027年4月28日(水)香川・festhalle OPEN:18:00 / START:19:00
2027年4月29日(木・祝)香川・festhalle OPEN:16:00 / START:17:00
2027年5月14日(金)大阪・Zepp Osaka Bayside OPEN:18:00 / START:19:00
2027年5月15日(土)大阪・Zepp Osaka Bayside OPEN:16:00 / START:17:00
2027年5月22日(土)北海道・Zepp Sapporo OPEN:17:00 / START:18:00
2027年5月28日(金)新潟・LOTS OPEN:18:00 / START:19:00
2027年5月29日(土)新潟・LOTS OPEN:16:00 / START:17:00
2027年6月12日(土)愛知・COMTEC PORTBASE OPEN:16:00 / START:17:00
2027年6月13日(日)愛知・COMTEC PORTBASE OPEN:16:00 / START:17:00
2027年6月18日(金)熊本・B.9 V1 OPEN:18:15 / START:19:00
2027年6月26日(土)宮城・GIGS OPEN:16:00 / START:17:00
2027年7月10日(土)広島・BLUE LIVE HIROSHIMA OPEN:16:30 / START:17:30
2027年7月11日(日)広島・BLUE LIVE HIROSHIMA OPEN:16:30 / START:17:30
>>公演詳細はこちら >>チケットはこちら(※9月1日12時より先行受付開始)

























