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<来日インタビュー>ショパンで育ち、ラップで生きる——Sofiane Pamart(ソフィアン・パマール)が鳴らすクラシックの未来

クラシック・ピアノを学び、ショパンやラヴェルを血肉にする一方で、ラップから人生を学んだというフランス人ピアニスト=ソフィアン・パマール(Sofiane Pamart)。2025年には、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエに叙された彼が、4枚目のソロ・アルバム『MOVIE』を完成させた。ワイクリフ・ジョン、FKJ、シーアら多彩なゲストとオーケストラを迎え、世界各地で録り上げた野心作だ。そして来年には、ソロのピアニストとして史上初めて、スタッド・ド・フランスの舞台に立つ。そんな彼が、2026年6月に来日。音楽と旅、アイデンティティ、そして文化を傷つけずに開くことについて、真摯に語ってくれた。(Interview: Mariko O. I Photo: Liesel Fritsch)
クラシックとラップ、二つの人生

――あなたの音楽に初めて触れる日本のリスナーに、ご自分をどう紹介しますか。“クラシック・ピアニスト”という枠には収まらない方だと思います。
ソフィアン・パマール:私が教育として受けたのは、クラシック・ピアノです。ショパン、ドビュッシー、ラヴェル、モーツァルト、バッハ。彼らの作品によって、私はアーティストとして育ちました。でも、私が生きてきた人生はむしろラッパーのものなんです。だから私の音楽は、クラシック音楽家ではない人生と、クラシック音楽家としての訓練とが混ざり合ったものだと言えます。
子供から思春期にかけて、聴いていたのはラップだけでした。クラシックは勉強のための音楽であって、人生の音楽ではなかった。やがて成長する中でいろんなスタイルに触れ、あることに気づいたんです。音楽にはそれぞれ、特定の感情を語る固有の力がある。ある音楽は、ほかのどんな音楽よりもうまく人生のある一瞬を語れる、と。
――おじいさまはモロッコからフランスへ移住されたそうですね。
ソフィアン:はい、だからモロッコの伝統音楽も大好きです。家に流れていたのは、まさにそれでした。外に出ればラップ、父からはフランスの音楽、母からはモロッコの伝統音楽。その全部が混ざり合った環境で育ちました。いまの私は、祖父譲りのノマド(遊牧民)的な感覚に強くつながっていると感じます。ある場所から別の場所へと移っていくことや、自然との関わり方に。
――そんな中で、自分のホームはどこだと思いますか。
ソフィアン:突き詰めれば、唯一の家は自分の体だと思います。そして、それ以上に大切なのが魂。内側にしっかり根を張れば張るほど、どんな環境も、馴染みの場所に変えていける。それでも、特定の場所が人より強く震えるのもまた事実です。音楽でいう周波数のように。グラスと同じ周波数で歌うとグラスが割れる。あの現象と同じで、世界には私の魂を強く震わせる場所がある。いま、私の魂は日本ととても強く共鳴しているんです。それが永遠に続くかは分かりません。でも、まわりがもう以前ほど震えないと感じたら、また旅に出て、別の場所へ新しい何かを探しに行けばいい。
卓越した文化の扉を、傷つけずに開く

――リール地方音楽院では金メダルを取りながら、クラシック王道ではない道を選びました。従来のクラシックの世界が自分には向かない、と感じたのでしょうか。
ソフィアン:人間にとって何より大切なのは、「自分の独自性はどこにあるのか」を見つけることだと思います。そのための材料のひとつがクラシック音楽で、それは私の専門性そのものになりました。ただ、ソフィアンというひとりの人間にとって、クラシック音楽家であるだけでは、魂が語りたいことを語りきれなかった。問いはいつも「自分の規律を裏切らずに、どうすれば自分が何者かを語れるのか」でした。
これは結局、「自分は誰なのか」というもっと深い、アイデンティティの問題でもあります。モロッコもフランスも、すでにお話ししました。でも、これだけ旅をしていると、もはや出自だけでは自分を語りきれない。世界じゅうのさまざまな文化を巡り、たくさんの影響を取り込んできたからです。この一週間も、日本で大好きなものを次々に吸収していると感じています。そのたびに、自分に「これを自分の中に取り込んでいい権利が、私にはあるのか」と問うんです。糧とするものから成長しながら、それでも自分が何者であるかは裏切らない。そのバランスが大事だと思っています。
――クラシックの文化を守りつつも、あなたの音楽からは何か新しいものを感じます。
ソフィアン:すでに築き上げられてきた卓越した文化、どこか神聖ささえ持つ文化を、傷つけずに扉を開くのは、本当に繊細な作業です。それでも私は、クラシック音楽は誰にでも開かれているわけではないという考えを、はっきり拒みます。私自身、家にクラシック音楽などまるでない家庭の出身です。両親も音楽家ではない。それでも幸運にもその世界に入ることができ、それが人間としての自分を大きく育ててくれた。
だから私がやりたいのは、この素晴らしい音楽に入っていく可能性を、ほかの人にも手渡すこと。ただし、相手を裁かず、もっと歓迎するやり方で。楽しみながらでも、卓越にはたどり着けると思うんです。もちろん最初はたくさん努力しなければならない。でも、ある文化に興味を持った人の肩に、過剰なプレッシャーを乗せる必要はないんです。
――日本は特に伝統を重んじる文化です。クラシックに限らず、演歌や伝統工芸でも、跡継ぎがいないまま途絶えてしまうことが、いま問題になっています。
ソフィアン:その文化を守る唯一の解決策こそ、開くことだと私は確信しています。開けば人が興味を持ち、資源が生まれ、お金が動き、結果としてそれを守れるようになる。この繊細さを理解してくれない人もいて、私のやり方を批判する人もいます。でも、批判する人はたいてい怖がっている人なんです。彼らを揺さぶってしまうのは胸が痛い。それでも、この音楽のために必要なことだと分かっているんです。
――ここまでの道のりは、決して平坦ではなかったと思います。前例のない挑戦にはリスクが伴い、アーティストである以上、多くの人に認めてもらう必要もある。その難しいバランスを、どう取ってきたのでしょう?
ソフィアン:まず、「聴衆と出会わなければならない」と、早い段階で理解しました。ピアノに向かう努力だけでなく、私のピアノを聴きたくても機会がなかった人たちの方へも、足を運ばなければならない、と。
幸運だったのは、のちにマネージャーとなるギヨーム・エリティエに出会えたことです。最初、私は彼が生活もスケジュールも、音楽以外のビジネスもすべて引き受けてくれるものと思い込んで、大喜びしていました。ところが彼はこう言ったんです。「いや、それは違う。それは君が十分に有名になって、はじめて手にできる特権だ」と。これはまだ道の入り口にすぎない、自分の芸術で食べていくには、芸術の外側でも努力しなければならない。そう教えてくれた。自分を理解してくれるチームがそばにいることは、本当に大切なことです。
- 一本の映画として、最新アルバム『MOVIE』とこれから
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ヒップホップが教えてくれたこと、芸術が立ち現れる瞬間

――幼い頃ラップを聴いて育ち、いまはラッパーともコラボされています。ヒップホップから学んだこと、音楽院では習わなかったことはありますか。
ソフィアン:フランスのラップ文化から、例を二つ挙げますね。ひとつは「Tonton du bled」。北アフリカからフランスへ渡った移民が、家族にチャンスを与えるために働き、年に一度はルーツの土地(ブレッド)へ帰って、自分の出自とつながり直す。そんな曲です。歌っているのは、フランスで育ったアルジェリア系のアーティスト。歌詞では、少年が「シテ(団地・地区)に残りたかったのに、父さんは“ダメだ”と言った」「友達をみんなブレッドに連れていきたいと言っても、“ダメだ”」「それで私らはずっと向こうに残るとでも思うのか」と語る。二つの世界が混ざり合うさまを描いた、文化のよい例だと思います。
もうひとつは、同じグループの「Prince de la ville(街の王子)」。「お前は、好きな街で、好きなときに、その街の王子になれる」と歌う曲です。シテの若者たちに「夢があるなら、それは叶う」と告げる方法なんですね。私の夢は、偉大なピアニストになることでした。まわりにピアニストなんてひとりもいなかった。でも、彼がそう言うのなら、私だって自分のピアノで街の王子になれる。そう思えたんです。
――ラッパーとクラシック音楽家に、人としての共通点はあると思いますか。
▲「Tonton du bled」 / 113, Rim'K
▲「Prince de la ville」 / 113
ソフィアン:理屈のうえでは、まったくありません。でも、それがまさに私自身なんです。当時はまるで気づいていなかった。外では地区の若者たちと違い、音楽院ではクラシックのピアニストたちと違う。どちらにも完全には収まらない自分に、ずっとあとになって気づいたんです。
――昨年、芸術文化勲章シュヴァリエに叙されました。王道を歩いてきたわけではない中で、どう受け止めましたか。
ソフィアン:信じられない出来事でした。卓越を重んじ、自国の遺産を大切に守るフランスという国が、私を芸術文化勲章のシュヴァリエとして認めてくれた。「君は音楽における我々の騎士だ」と言ってくれたんです。モロッコ系の母は、フランス文化を愛し、学び、ついには文学の教師になった人です。その母にとって、私がこの名誉を持って帰ってきたことは、どんな金銭的な成功よりも価値があるんです。
――少し話を変えます。あなたにとって、芸術は何のためにあるのでしょう。
ソフィアン:私の中には、語りたいことが溢れていて、それを語るための媒体が必要だったんです。何か、とても強く燃えるものがあって、それを伝えたい。どうにかして表現せずにはいられない。だからそれは、言葉でも、ダンスでも、陶芸でも、彫刻でもよかった。自分の魂を、現実の世界に「物質化」できる何かを、私は見つけなければならなかった。だから私にとって芸術とは、魂の見えないメッセージが、見える世界に物質として立ち現れる瞬間のことなんです。
――技術より感情を大切にしている印象を受けます。技術は、どの時点で重要でなくなる、あるいは障害になり得ると思いますか。
ソフィアン:技術の意義は、感情に奉仕することにあります。技術のための技術は、私が進みたい道ではありません。私は何年もかけて、もっと自由になるために技術を磨いてきました。そしてある時点で、忘れなければならない瞬間が訪れる。とことん練習して、そのあとですべてを忘れる。すると、技術が表に見えない形で、すべてが湧き出してくるんです。学びの段階で、感情と技術を切り離すべきなのか、それとも技術を磨くときも常に感情を込めるべきなのか。私は後者だと思います。技術だけを追ってしまうと、あとで「その技術を、感情のために使うこと」を忘れてしまうからです。
――曲を作るとき、自分の中ですでに理解していることを表現しているのですか。それとも、まだ分からない何かを発見しようとしているのですか。
ソフィアン:探して、探して、ある瞬間に「ああ、これだ」と思う。もし見つからなければ、そこにあったはずの感情にたどり着くまで、さらに深く掘り下げます。すると、向こうの方からやってくることもあるんです。
一本の映画として、最新アルバム『MOVIE』とこれから
▲「Cinema」 / Sofiane Pamart ft. FKJ
――あなたの音楽は、とてもシネマティックですよね。作曲するとき、頭の中にイメージのようなものは浮かんでいますか。
ソフィアン:私は根っからの夢想家なんです。まわりの世界に退屈するたびに、自分の夢や物語の中へ逃げ込んでいた。いまでも子供のように、物語に入り込んだまま長居しすぎて、マネージャーに引き戻されるほどです。映画も、制約なしに作り上げて分かち合える物語も、心から愛しています。物語を想像し、それをまるで現実であるかのように生かすこと。想像の産物が現実になっていくことが、私には信じられないほど素晴らしく思えるんです。
アルバムには、いつも、聴いてくれる人と特別な体験を分かち合いたいという思いを込めています。1stアルバム『Planète』は、旅への愛を分かち合いたくて、各曲に都市の名を付けました。2ndアルバムは、聴衆へのラブレターを「言葉なし」で表現し、トラックリストのタイトルが、ひとつながりの文章の一部になるようにした。3rd『Noche』は夜を語りたくて、各曲が夜のひとつの要素を担っています。そして今回は、「自分はどんな冒険を差し出そうか」と考えました。一本の映画を語りながら、同時に、聴いてくれる人が私の音楽から自分自身の映画を作り出せるように——そんな思いで作ったんです。
――映画は、ミュージシャンのあなたに、ストーリーテリングについて何を教えてくれましたか。
ソフィアン:ある感情の前で行き詰まることがあります。たとえば、悲しみを描こうとしているとき。あるいは、沈黙の中で表される愛を描こうとしているとき。直感はあって、音楽的には前に進めているのに、それを本当に理解するための人生経験が足りない。そんなとき、私はしばしば映画の中に答えを見つけます。そのテーマを扱った傑作を観ると、足りなかった経験をそこで探し当てられるんです。私の曲には、終わり方にも二種類あります。ひとつは「これで終わり」と言い切る和音。もうひとつは、「ちゃんと伝わりましたか」と問いかけるような和音なんです。
――最新アルバム『MOVIE』では、多くの方とコラボされています。自分ひとりでは発見できなかった、新たな側面を引き出してくれた人はいますか。
ソフィアン:映画に足りない経験を探しに行くのと同じように、人との出会いの中にも、私は経験を探しに行くんです。このアルバムのセッションは、すべてスタジオで録りました。リモートでやったものはひとつもない。私はただ音楽を作りたいのではなく、それを交流の瞬間にしたいからです。
スタジオでは、ふたりとも自分をさらけ出し、誠実であることを受け入れる。それが、美しい曲を作り上げるために必要な契約なんです。出会って間もない相手でも、互いの最も親密な部分に触れ合える。人間どうしの分かち合いが、一気に加速する。ふだん、人と出会ってすぐにすべてをさらけ出せる関係なんて、そう多くはありません。本来なら時間がかかる。でも音楽は、それを可能にしてくれるんです。
――最後に、ライブについて伺います。来年はソロ・ピアニストとして史上初めて、8万人規模のスタッド・ド・フランスの舞台に立ちます。あれほど大きな会場に向けて、どんな準備を進めているのですか?
ソフィアン:技術的な準備が、とにかくたくさん必要です。以前、パリのアコー・アリーナで2万人を前に演奏したとき、空からプラットフォームに乗って降りてくる、という演出をやりました。詩的なアイデアですが、その裏には、ハーネスで体を吊り、しかもピアノをきちんと鳴らすための技術的な解決策が要る。スタッド・ド・フランスでは、何を語り、そのためにどんな手段が必要か。それをいま、構想しているところです。衣装も含め、ショーはすべての要素が大切なんです。
――あれほど大きな会場だと、即興は難しくなりますね。
ソフィアン:だから幸い、私には二つの型があるんです。100人規模で動く大スタジアムでは、全員の連携のために、正確なプランに従う。もうひとつは、完全に自由な型。クラシック・ピアノで舞台に上がり、何を弾くか決めないまま、鍵盤に手を置く。すると、その一曲が、また別の何かを語りたい気持ちにさせてくれる。そのときの自分の内面しだいで、毎回まったく違う演奏になるんです。
――ちなみに、日本で演奏してみたい場所はありますか。
ソフィアン:昨日、ある場所について話しましたよね……名前は何でしたっけ。
――(スタッフ)能楽堂ですね。
ソフィアン:そう、能楽堂でぜひ演奏してみたい。ただ、日本ではまず、大きなショーで披露する前に、ピアノとともにある素の自分を見つけてほしいんです。何の仕掛けもなく、ピアノだけの私を見て、それを好きかどうか判断してほしい。それこそが、私がいちばんに差し出したいものだから。そしてもし、それまで待ちたくないという人がいたら、パリで一週間を過ごして、スタッド・ド・フランスのコンサートを観に来てください。ピアノの歴史で一度も起きたことのない体験を約束します。
▲「Paris YouTube Music Nights」
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