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<コラム>なぜ、宇多田ヒカルの作品はあらゆる“境界”を超越するのか? 初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』から読み解く



コラム

Text:つやちゃん

 1990年代後半からアジアを代表するポップスターであり続けている宇多田ヒカルが、キャリア初となるベストアルバムを発表した。長大なディスコグラフィにおいては、かつて『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1/VOL.2』というコンピレーションも存在したが、それはあくまでシングル・コレクションであり、ベストアルバムではなかった。宇多田ヒカルは、常に自らと時代の間に流動する空気をつかんだうえで、自身を解体し甦らせてきた音楽家である。ゆえに、ベストアルバムも単なる過去曲の寄せ集めではなく、現在の自身を如実に反映する作品群にならざるを得ない。その通り、リリースから時間が経った曲には新たにリミックスや再録が施され、新曲も収録された。そして、タイトルには『SCIENCE FICTION』というミステリアスなワードが冠されたのだ。これは実に宇多田ヒカルらしい、フレッシュで意欲的な“新作”だ。


 けれども、R&Bからはじまり、温かなエレクトロニカまでをも吸収することで魔法のごとく変貌を遂げてきた近年の宇多田ヒカル作品が、アジア圏外においても広く理解されているとはまだまだ言い難い。それでも幸福なことに、アメリカの地においてはその才能が徐々に発見されはじめている。A.G.クックやフローティング・ポインツらとともに緻密な音世界を構築した最新アルバム『BADモード』は、Pitchfork〈The 50 Best Albums of 2022〉で31位に位置づけられた。また、今回のベストアルバムにリミックス版が収録された「Somewhere Near Marseilles ―マルセイユ辺り―」も、Pitchfork〈The 100 Best Songs of 2022〉で10位を飾っている。


 もちろん、【コーチェラ・フェスティバル2022】のメインステージにおけるパフォーマンスもそれを後押ししたに違いない。アジアを代表するヒップホップ/R&B系レーベルである「88rising」の面々とともにパフォーマンスを見せた宇多田ヒカルは、少しずつアメリカのマーケットで受け入れられはじめている。実際、今作『SCIENCE FICTION』に収録されている曲の中でも、「First Love」と「One Last Kiss」「君に夢中」はいずれも米グローバルチャート〈Global 200〉および〈Global Excl. US〉にて好調なリアクションを獲得し(〈Global Excl. US〉での最高位は、順に61位、14位、21位)、スクリレックスとのコラボレーションを果たした「Face My Fears」は米ビルボード〈Hot 100〉にチャートイン。いずれも2019年以降のことで、かつて1stアルバム『First Love』がアルバム歴代最高セールスとなり日本のポップ・ミュージックの歴史を塗り替えた時代から考えると、その音楽性も、置かれている状況も大きく変化してきている。J-POPを代表する音楽家は、いまロンドンを活動の拠点とすることで、グローバルで鳴り響くポップ・ミュージックからレフトフィールド・ミュージックまでの様々な部分と共振しているのだ。だからこそ、今回のベストアルバム『SCIENCE FICTION』は、この音楽家のさらなる魅力の発見を後押しする絶好の機会となるだろう。


 冒頭で述べた通り、“新作”と呼んでもいいくらい鮮やかにパッケージされたこのベストアルバムだけに、多種多様な理解に向けたいくつかの補助線を引いてみることにしよう。まず何よりも触れたくなるのは、『SCIENCE FICTION』という意味深長なアルバム名である。今年開催されるライブツアーのタイトルでもあることから、このベストアルバムの内容だけをもってその謎を解き明かすのは早計な気もするが、しかし“サイエンス・フィクション”にしろ、いわゆる“SF”にしろ、現在に至るまでの宇多田ヒカルの軌跡を振り返ると納得できなくはないコンセプトだと思う。


 デビュー当初はR&B寄りのシンガー・ソングライターとしての印象が強かった宇多田ヒカルは、3rdアルバム『DEEP RIVER』(2002年)以降、徐々にエレクトロニックミュージックの要素を強め、その後はDTMによって立ち上がる/生演奏によって引き立つフィジカリティを楽曲に閉じ込めてきた。『BADモード』では、A.G.クックやフローティング・ポインツとの協働によってその身体をより一層の電子音にさらしていくが、そこではループする平坦なリズムと、ところどころでマニアックに施される異質な音処理が相反しつつも奇妙なバランスを成り立たせている。たとえばそれを、“普遍性”と“違和感”といった言葉で形容してみよう。宇多田作品を構成してきたそのふたつの要素について、以前本人に問いかけてみたところ、「音楽は凄く物理的なもの」としたうえで、次のように語ってくれたのだった。


(音楽は)波形にできるし、周波数で考えたり質感で考えたり物量感で考えたりもできる。私は凄く球体を目指したがる人なんですけど。あらゆる要素の配分に気をつけていれば、全体的に自然と目指すバランス感のものになっていくと思うんですね。予測できる部分とできない部分、「曲の中で一回だけあってもなんか狙った感じになるしなぁ」とか、どのくらいの頻度とか配分で違和感を混ぜていくかというのを各要素で考えていって、要素同士の関係も配分で考えていくことをしています。

――Billboard JAPAN 2021年6月2日掲載インタビュー記事より


 極めて客観的な視点をもってバランスを指向していることが分かるが、そういった普遍的なものに違和感を導入することで世界観を膨らませていくようなアプローチは、どこかSF的と言えなくもない。機械性と肉体性が、緊張感みなぎる平衡感覚のもとでぎりぎり構築されるさまは、近年のバイリンガルなリリックによるユニークな譜割りも相まって、聴く度にちくちくと私たちの感情を刺激する。


 そして宇多田ヒカル自身は、『SCIENCE FICTION』のリリースが明らかになって以降、量子力学やシミュレーション仮説といった関心がアルバム・タイトルに影響を与えたことをほのめかしている。確かに、本ベストアルバムにも収録されている最新曲「何色でもない花」では、〈ああ 名高い学者によると/僕らは幻らしいけど/今日も/I’m in love with you〉〈だけど/自分を信じられなきゃ/何も信じらんない/存在しないに同義/確かめようのない事実しか/真実とは呼ばない〉といった歌詞が綴られ、人間原理や実在論といったテーマ——名高い学者とはニック・ボストロムを指しているのだろうか——を連想させる。



何色でもない花 / 宇多田ヒカル


 その際注目すべきは、本作にて初公開となった新曲「Electricity」であろう。“電気”や“(強い)興奮”、あるいは“伝播するもの”といった意味を含むタイトルを冠したその曲では、フローティング・ポインツことサム・シェパードによる波打つビートに乗って、ここでもまた斬新な譜割りで「E-E-E-E-le-e-e-e-ctri-i-city」と奇妙な音を発したのちに〈解明できないものを恐れたり/ハマる、陰謀論に/そんな人類みんなに/アインシュタインが娘に宛てた手紙/読んでほしい/愛は光 愛は僕らの真髄〉と、有名なフェイクニュースに言及する。哀しいかな意味の断片が無限に伝播していく現代において、宇多田ヒカルは〈私たちの細部に刻まれた物語/この星から文字が消えても終わんない〉と告げ、ひとつの結論を提示し、サックスの音とともに彼方へと消えていく。そこには、ポップス/オルタナティブ、日本語/英語、普遍性/違和感、さらに現実/フィクションといった二項を巧みに織り交ぜつつも、あらゆる対立軸をすり抜け、自らと時代の間で流動し続けた結果立ち上がる“宇多田ヒカル”がいる。この音楽家はいま、まさしくその存在自体をSFのように揺らめかせることで、次なるフェーズへ向かおうとしている。

宇多田ヒカル「SCIENCE FICTION」

SCIENCE FICTION

2024/04/10 RELEASE
ESCL-5925/7 ¥ 4,950(税込)

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Disc01
  1. 01.Addicted To You (Re-Recording)
  2. 02.First Love (2022 Mix)
  3. 03.花束を君に
  4. 04.One Last Kiss
  5. 05.SAKURAドロップス (2024 Mix)
  6. 06.あなた
  7. 07.Can You Keep A Secret? (2024 Mix)
  8. 08.道
  9. 09.Prisoner Of Love (2024 Mix)
  10. 10.光 (Re-Recording)
  11. 11.Flavor Of Life -Ballad Version- (2024 Mix)
  12. 12.Goodbye Happiness (2024 Mix)

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