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楽園おんがく Vol.34: Civilian Skunk インタビュー

楽園おんがく Vol.34

 旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、沖縄でいちばん勢いに乗りまくっているバンド、Civilian Skunkのインタビューをお届け!


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 今、沖縄でいちばん勢いに乗りまくっているバンドといえば、シベスカことCivilian Skunkの名前を上げる人は多いだろう。チカラ(ヴォーカル)、ジュンタ(ギター)、マーサー(ベース)、ユウイチ(ドラムス)というシンプルな編成のロック・バンドだ。中学校の同級生同士で結成されたため活動歴は長いが、まだ20代前半という若さも武器だといえる。

 2012年にメジャー・デビューを果たすが、レコード会社や事務所の事情による契約終了に伴い、2014年に自身のマネージメント・オフィスとレーベルを発足。勢いのある作品をコンスタントに発表しつつ、精力的にライヴ活動を続けている。先日リリースされたニュー・シングル「ReSTART」も、そんな彼らの勢いを感じさせる痛快なロックンロールに仕上がっており、彼らの充実ぶりが伝わるだろう。

 2016年の8月には、地元の豊見城市立中央公民館で大規模なワンマン・ライヴを控えているなど、常に話題に事欠かない。荒波に揉まれながらも前進するシベスカは、これまでどういう思いで活動してきたのか、そしてどこへ向かっていくのか。ヴォーカルのチカラとギターのジュンタに話を聞いた。

国民的なバンドになりたいという意味のシベリアンと、
初めて見る人にスカンクのオナラのような強烈なインパクトを残したいという意味です

−−バンドの結成は中学生なんですよね。

チカラ:バンド自体はそうなんですけど、僕以外のメンバーは幼稚園からの幼馴染なんですよ。

ジュンタ:団地に住んでいたのでその近所だったり、保育園も一緒だったり。だから、小学生の頃も集まったりする仲間だったんです。小学校6年の時に親戚のおじさんからアコースティック・ギターをもらって、それで初めて楽器を触るんですけど、卒業の出し物で僕がギターを弾いてベースのマーサーに歌ってもらったのがバンドのルーツです。しかも、その時オリジナル曲を作ったんですよ。コードもロクに知らない時期だったから、今聴くとかなりメチャクチャだと思うんですけど(笑)。

−−ユウイチさんはどのタイミングで関わっているんですか。

ジュンタ:よく放課後に僕がギターを弾いていて、そこでマーサーが歌っていたんですけど、そういう時によくユウイチもいました。

−−中学に入ってからはどうなったんですか。

チカラ:僕とマーサーが同じクラスになって仲良くなったんです。そしたら「俺、バンドやってるんだけど入らない?」っていわれて、「やりたい!」って。それで、会ったのがジュンタだったんです。ジュンタはその頃から見た目が大人っぽくて、今と変わらない。中学1年でおじさんだったから(笑)

ジュンタ:身長も変わってないからね(笑)

チカラ:よくギターを持って目立ってて。俺はそういう奴がいるとからかいたくなるんだけど、「お前、何持ってんの」っていったら、ジュンタも「テニスのラケットだけど」なんて感じで返す嫌な奴だった(笑)。それで、いつもカッコつけてるこいつがリーダーかって思って面接したんだけど、ジュンタもマーサーが連れてきた奴だから無下にできないじゃないですか。「やりたいんならやれば」っていわれて、「何やったらいいの?」って聞いたら、パーカッションっていわれたんですよ。しかも「カスタネットを叩け」って(笑)。普通バンドだから、ギターやヴォーカルと思うじゃないですか。びっくりしましたよ。

ジュンタ:完全に脇に押しやっていたんだよね。

チカラ:それでしょうがないから「やるよ」っていったら、やっぱり「ベースやって」って(笑)

−−めちゃくちゃですね(笑)

ジュンタ:ベースをやる奴がいなかったんですよ。

チカラ:見た目はギターと一緒だし、これは楽しそうだなと思ったんだけど、弾いてみたらボーンみたいな(笑)。「ベースつまんねえ!」って思った。でも、頑張ってMONGOL800やアジカンやHYなどのコピーから始めました。でも、俺はハンドボール部だったんですけど、ベースを始めて1週間くらいの時に、部活で指を骨折したんです。それでベースを引退(笑)

−−早っ!(笑)

チカラ:いきなりヴォーカルに転向しました。それも、マーサーの気持ちも考えずに、ジュンタが独断で決めた(笑)。でも、ちょうどマーサーが変声期だったっていうタイミングもあったんですけどね。

−−最初はジュンタさんのワンマン・バンドだったんですね。

チカラ:ユウイチも気が付けばドラムやらされていましたからね(笑)。本人曰くいつの間にか、ですから。

−−そこで4人は固まったわけですね。

ジュンタ:そうですね。自然とそうなりました。

−−この編成になったのは、中学1年生ということですか。

チカラ:音楽室で集まって、このメンバーで遊んでいたのは中1からなんですけど、Civilian Skunkとして始めてライヴをやったのは中3です。それが、合唱コンクールの審査時間の空き時間で、地元豊見城市の中央公民館というところが初ライヴの会場。

−−始まりが小学校6年だとすると、ずいぶん時間がかかりましたね。

チカラ:下積み時代が長い(笑)

−−バンド名の由来はなんですか。

チカラ:地元のお祭に出ることになったんですけど、バンド名が必要になったんですよ。それでかっこいい名前といえば英語でしょ、って思って英語の辞書を調べていたら、「Civilian」が“国民的な”っていう意味でかっこいいじゃんって思ったんです。本当はシビリアンなんですけど、シベリアンって読み違えて(笑)。それで、シベリアンなんとかがいいなって思って相談したら、ジュンタがひとこと「シベリアン・スカンク」っていって、みんなキョトンとしていたんですが、それでいこうということになりました。もし変えたくなったら、後から変ればいいやって感じで。でもライヴをやったら、すぐに周りがシベスカって略して呼ぶようになって、翌日にはシベスカになっていました(笑)

−−定着するのが早いですね。

チカラ:シベスカっていうとなんかいい感じだから、もうこれでいいねってことになりました。だんだん愛着も湧いてきたし。でも、意味もちゃんと欲しいなってことで、ジュンタが後付で意味も考えました。

ジュンタ:国民的なバンドになりたいという意味のシベリアンと、初めて見る人にスカンクのオナラのような強烈なインパクトを残したいという意味です。めっちゃ後付けですけど(笑)

−−でもいい意味ですね。初ライヴの頃にはオリジナルはやっていたんですか。

チカラ:その時はグリーン・デイとかMONGOL800とかのカヴァーですね。Kiroroもやったしね(笑)

ジュンタ:中学を卒業する頃には、オリジナルをやっていましたけど。やりたい曲と演奏できるレベルが追いつかないんですよ。まだヘタなので、カヴァーができない。だったら、自分たちで弾ける曲を作ろうということで、オリジナルを始めました。

チカラ:中3でオリジナルやるのは珍しいから、そういうことで先輩たちから面白がられたりとかね。

−−たしかに中学生だとあまりいないですよね。その頃はバンド仲間もたくさんいたんですか。

チカラ:完全に先輩ばかりですね。いつも最年少。だからかわいがっていただきました。

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    そういう人たちの入り口になりたいなって思って
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バンドに対して苦手意識を持っている人って多いんですよね
そういう人たちの入り口になりたいなって思って

−−当時はどういうバンドにしようという構想はあったんですか。

ジュンタ:中3になると高校受験があるじゃないですか。その時に、みんなでバンドをやるために同じ高校に進学しようという話をしました。あと、バンドを続けるからにはメジャー・デビューもしたいと。それが大きな目標だったんです。逆に、それくらいしか目標ってわからなかったんです。高校野球でいうと甲子園とかそんなイメージ。そこを目指してやっていこうというのは最初からありました。

−−音楽性はどうだったんですか。

チカラ:みんなバラバラなんですよ。俺は宇多田ヒカルやKREVAが好きで、マーサーはレゲエやお兄ちゃんの影響でブルーハーツを聴いていたり。ユウイチは倖田來未とかmihimaruGTとかのエイベックス系。ジュンタはひとりだけボン・ジョヴィとかミスチルとかアジカンとか。みんなが共通して好きだったのはリンキン・パークでしたね。それもジュンタの影響ですけど。かっこいいバンドになりたいっていう気持ちはあったんですが、音楽性とかはよくわかっていなかった。基本はジュンタが持ってくる曲を演奏していました。

−−じゃあ、ジュンタさんが音楽的にはリードしていたということなんですよね。

ジュンタ:まあそうですね。でも、あの頃ってジャンルを選ぶとかいうこともわかっていなかったから、出来る曲を選んでいただけだし、出来る曲を作っただけ。だから、コンテストに出るようになって、審査員の方に「メロディと演奏が合ってない」っていわれたこともありました(笑)。

−−じゃあ高校も一緒に行って、バンドを続けたんですね。

チカラ:そうですね。俺はハンドボール部に入ったんですけど、みんなは軽音楽部に入って。でも、スタジオはジュンタの家でやっていたんですよ。

ジュンタ:もともとベランダだったところに、コンクリートブロックを積んで屋根を付けてというのを家族がやってくれたんです。おじいちゃんが大工だったんで。そこで、放課後にみんなで練習していました。

チカラ:そのスタジオの中に、高校生のうちに成し遂げたいことを紙に書いて貼ってたんです。それが、卒業までにメジャー・デビューするというのと、CDを出す、大きいステージでライヴをするなどが書いてあるんですけど、全部叶えられたんですよ。

−−それはすごい!

チカラ:そのスタジオは窓もエアコンもないので夏とかやばいんです。その紙も湿気でシワシワになりました。壁は濡れているし(笑)


−−最初のCD『01』を出した2011年は、まだ高校生ですよね。出すきっかけは。

チカラ:これは事務所に所属してから作ったんですよ。高2の終わり頃に沖縄でコンテストがあって、そこに賞金目当てで出場したんです(笑)。見事、初戦敗退しました。でも、そのコンテストを主催していた音楽事務所の方が声をかけてくださって。

−−敗退したのに、声をかけてもらったんですね。

チカラ:その時、メンバー仲がすごく悪くて。進路を考え始める時期で、俺もバンドやめて県外の専門学校に行こうかなとか考えていたんです。そんな状況でコンテストに出たんですけど、ピリピリした最悪の空気感が、勘違いされたんだと思います(笑)。でも、声かけてもらったのもチャンスだったし、俺もみんなに謝ってちゃんとやろうってことになったんです。正式に事務所に入ったのは、高校3年生の頭です。

−−所属したことで活動は盛んになったんですか。

チカラ:まず生活がガラッと変わりました。学校が終わると、ハイエースが迎えに来ているんですよ(笑)。同級生も「あれ何?」みたいな。ちょっと優越感ですね。それで、学校帰りにレコーディングとかライヴとか、楽曲制作とかリハーサルとか。学校とバンドだけで生活が終わるっていう。そして土日はお祭りとかライヴハウスとかストリートライヴ。

−−ストリートはどこでやっていたんですか。

チカラ:美浜(北谷町)のアメリカンビレッジですね。シベスカの目標として、ライヴハウスになかなか行けない人たちにバンドをもっと楽しんでもらいたいというのがあったんですよ。バンドに対して苦手意識を持っている人って多いんですよね。そういう人たちの入り口になりたいなって思って、ストリートライヴをやっていました。

−−高校生なのに、大人っぽい考え方ですね。

チカラ:周りにもそういうことをいわれましたから。でも、とにかく楽しかったですね。いろんな人に出会えたし。

−−じゃあ、どんどんファンもついてきたと感じましたか。

チカラ:そうですね。『01』を出した時にレコ発ライヴをやったんですけど、那覇のナムラホールという会場で800人集めたんですよ。

−−800人ってすごいですね。

チカラ:その時は入場無料にしたのと、たくさんの人達の力を借りたので実現出来たという感じですね。それがひとつ成し遂げたという瞬間です。


−−その後も、CDを立て続けに出しますよね。『02』が2014年の4月だから、卒業した頃ですね。

ジュンタ:高3の秋くらいに話が来て、卒業してからメジャー・デビューしようという話になっていって。だから、当初掲げていた目標がどんどん形になっていった時期です。

−−メジャー前の時点で、曲数もかなりそろっていたんですか。

チカラ:『01』の時は、昔からある曲をアレンジしていったんですが、『02』からは完全に新曲ですね。というのも、昔作った曲が音楽理論を無視しまくっているので、使えないんですよ(笑)。曲作りはかなりタイトにやってました。

ジュンタ:レコーディングのやり方とか曲作りがバンドとして固まったのが、『02』の頃ですね。リハの仕方も教えてもらいましたし。それでようやくバンドとしてスタートしたという感じです。

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デビューした当時は「何もしなくても大丈夫なんだ」って勘違いしていました

−−メジャー・デビュー・シングル「DRAGON BOY」が、2014年の8月リリースですね。

チカラ:ポニー・キャニオンのレーベルから出させてもらったんですが、その時のプロデューサーが三宅彰さんという宇多田ヒカルさんをプロデュースされた方だったんですよ。「俺も宇多田になるのかっ!」て思った(笑)。でも、とにかく運が良すぎるくらいなにもかも上手くいって、どんどん夢が叶っていきました。だから、デビューした当時は「何もしなくても大丈夫なんだ」って勘違いしていましたね。まかせていれば売れるって。

−−大きなアニメのタイアップも付いて、デビューとしては申し分ないですよね。

チカラ:華々しい感じはありましたね。その時、新人が集まるライヴに出させてもらったんですが、その時のメンツが家入レオさんとかシシド・カフカさんなんですよ。だから、「そのまま行っちゃうね!」って思っていました。

−−プロモーションや交友などいろんなものが広がりますよね。

ジュンタ:それまでは飛行機に乗ることもなかったんですが、メジャーになってからは月一で東京に行っていましたね。


−−2枚目のシングル「ひまわり」がその半年後ですが、この頃はどういう心境ですか。

チカラ:デビューしたことで環境は変わったんですが、バンドとしては思ったほどは変わらなかったんですよ。実力が無かったのに自分を磨くことを怠っていたんですよね。でも、2回目のチャンスをもらったから勝負だよって。沖縄の基地問題を題材にした『ひまわり』という映画の主題歌だったから、自分たちが沖縄のバンドなんだっていうことをあらためて自覚しましたね。実は沖縄のことを知らないんだなってことも。実際、「歌っていいのかな」って悩みましたね。

−−沖縄テイストが入った曲は、それまでにもあったんですか。

ジュンタ:ありました。レコーディングはしていなくてもライヴでは少しやったりとか。でも、沖縄テイストはわからないように入れています。デビュー曲も普通にロックなんですけど、さりげなく方言を入れたりとか。

−−じゃあ、沖縄のバンドであるということは意識していたんですか。

ジュンタ:そうですね。そこは自然に出てくるものだし、他のロック・バンドとは違うところなのかなと思っていたので。

−−MONGOL800やHYといった先輩バンドは結構沖縄色を取り入れていますが、シベスカは参考にしたところはありますか。

チカラ:変なプライドがあって、沖縄色を全面には出したくもなかったんです。MCなどで出るのはいいんですけど、曲を沖縄に寄せてしまうとちょっと違う。そこが好きな音楽のポイントではないし、かっこいいロック・バンドのイメージが洋楽のイメージだったから、がっつりと三線入れたりしたのは「ひまわり」が初めてです。

−−実際に沖縄テイストを取り入れてみて変わったことはありましたか。

ジュンタ:地元でやると聴いた人が喜んでくれますよね。世代を問わず反応が返ってくるようになったのが、この曲が初めてだと思います。お祭りとかでやって、「三線のあの曲良かったよ」なんて声をかけてくださったり。MCで沖縄のことをちょっと話したりするんですが、「あんたたち若いのが頑張ってよ」とかいわれると、こういうのもいいんだなって。やってみて初めてわかったというか、チャレンジしてみてよかったと思うことですね。

−−常にライヴを行っていたと思うのですが、ライヴの動員で変化はありましたか。

チカラ:初めて東京でワンマン・ライヴをやらせてもらったのが、「ひまわり」が出た頃なんですよ。渋谷のO-Crestというライヴハウスをソールドアウトできたので手応えはありました。

ジュンタ:デビューしてツアーに回れるようになって、ツアーごとに会える人ができたのがすごく新鮮でした。行く場所ごとに知っている顔があったり、新しい人が増えていたり。


−−その半年後には3枚目のシングル「ハレンチ学&祭」ですが、エスニックでダンサブルで、これはかなりインパクトがありました。やっぱり勝負作だったんですか。

チカラ:まさにその通りですね。それまでにやってきたのとはまったく違うことをやりました。これが最後のチャンスだと思って、この一曲にかけてやっていこうっていうタイミングだったんです。それで上がってきた曲がこれだったんで、かなりびっくりしましたね。

ジュンタ:その頃はプロデューサーさんとやりとりしながら楽曲制作していて、「次は学園祭のイメージですかね」なんて話をしていたら、デモでこれが送られてきて「おおっ!」って感じで(笑)

チカラ:賛否とかっていうんじゃなくてね。1枚目がいわゆるロック、2枚目が沖縄テイストのバラードでしたけれど、この2枚で思ったほどの反応が出なかったから、これくらいやるのもありじゃないかって。パンチ力はあるし、これで勝負をかけるのは、それはそれで面白いなって。その時は、自分がかっこいいと思う限界は感じていたし、自分の頭にはない発想の曲が上がってきた時に、この曲だったらなにか面白いことが起きるんじゃないかなって思って、ちょっとワクワクしました。

−−ただ、この曲はあきらかに、これまでのシベスカのサウンドとは違うじゃないですか。そのことでバンド内で揉めたりすることはなかったんですか。

チカラ:でも、昔からちょっとおかしなテイストの曲はあるんですよ。それの最終形態と思えば、とくに不自然ではないし、その頃は音楽性にとらわれずにやるという気持ちもあったので、こういうサウンドが来たから対応できない、っていうことはなかったです。みんなもこの曲だったらいけるんじゃないかって思ってたし、「やったろうぜ!」って。

−−実際の反応はどうでしたか。

ジュンタ:やっぱり反応はいちばん大きかったですね。YouTubeの再生回数がものすごかったし、TBS系『COUNT DOWN TV』のエンディングにも使ってもらって、人の耳に触れる機会が多く、それでなお反応も返ってくるというのが実感できた曲ですね。ライヴハウスの対バンをやると、絶対に他のバンドとはかぶらないんですよ(笑)。そういう意味でも美味しい曲になりましたね。インパクトも残せるし。

−−最高のキラー・チューンですよね。

チカラ:逆にこの曲がシベスカになったんです。今までの曲をすべて飲み込むくらいインパクトが強くて、対バン相手もみんなこの曲を知っているから、「ああ、アッチャメだよね」なんていわれて、「はい、アッチャメです」って答えたりして(笑)。この曲がシベスカになったし、自分も変態だと思われたし(笑)

−−ミュージックビデオではスカートめくっていますからね(笑)

チカラ:現場では結構ピリピリしながらの撮影だったんですけどね(笑)。でもこの曲が、もたらしてくれたものは大きかったですね。覚悟してやってみた甲斐があるというか。やりきったら反響がくるというか。

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自分たちが変われるような曲が欲しいし、ライヴが変わったり景色が変えられる曲が欲しい

−−とはいいつつも、メジャー契約は終了してしまうんですよね。

チカラ:まず、沖縄のプロダクションが無くなってしまって、すぐにレーベルも消滅してしまったんですよ。

ジュンタ:それでどうしようかと考えていた時に、マネージャーさんと一緒に自分たちの会社を作ったんです。

−−本来なら、メジャーで3枚シングルを出したら、次はアルバムというイメージだし、ファンも心配したんじゃないですか。

チカラ:でも、ファンの方は意外に知らないんですよ。

−−たしかに、東京に出て戻ってきたというわけでもないですからね。

ジュンタ:ずっと軸足が沖縄だったから、変わらずにツアーも行かせてもらっていますし、ぱっと見にはわからないと思いますね。

−−台湾のライヴも積極的に行っていますが、その交流はいつからですか。

チカラ:メジャーになってからですね。言葉は違うんですが、とても温かく迎えてくれるんですよ。最初は緊張したんですが、台湾の人たちのおかげでリラックスしてライヴをやることができました。言葉が通じなくても、なんとなく心が通じあっているような感じです。

ジュンタ:台北の地下街でストリートライヴやったりとか。大きな看板を作ってもらったりとか、すごく歓迎してくれるんですよ。

チカラ:基本的に誰も俺らのことを知らない中でライヴをやるんです。それがメジャーデビューした頃の感覚にも似ているんですけど、それよりもちょっと成長しているからすごく楽しいです。だから、台湾のライヴは好きですね。半年に1回くらいの頻度で行ってますね。

ジュンタ:ワンマンで250人くらい来てくれたりとか、反応がとてもいいんですよ。言葉が関係ないから、音楽で伝わるんだなと思います。

−−メジャー以降はBamboo Shoot Recordsを立ち上げてのリリースになりますが、そのことで変わったことはありますか。

チカラ:楽曲作りは100%自分たちになりました。メジャーの時はプロデューサーさんとの共同作業が多かったですから。中学生で何も知らずに自分たちだけでやっていた時から、ここまでですごく時間が開いているんですよ。音楽理論も身に付いているから、楽しいですよね。あの頃はこんな感じだったんだなと思い出したりもするし。

ジュンタ:あとは、ジャケットなんかも自分たちで考えないといけないし、今までやってなかったことがいろいろと出てくるから、メジャーとはまた違う感覚で学ぶことが多いですね。

−−じゃあ本当に、今は何もかも自分たちで決めているんですね。

チカラ:それを今までいかにやってなかったということを実感します。思ったよりも出来ないし、今はいろんな人の力を借りながらなんとかこなしています。出来るようになったことも多いけど、まだまだ出来ないんだなっていうことを知るタイミングでしたね。


−−去年の頭にミニ・アルバム『That's ON』をリリースしましたが、メジャーのシングルに比べるとバンドっぽさが出ていますね。

チカラ:たしかにバンドらしさを出したかったというのはありますね。「ハレンチ学&祭」は楽しくてかっこいいけど、もっとメッセージ性のあるロックをやりたくなったというか。とにかく、自分たちがやりたかったバンドのサウンドを追求したのと、逆にメジャーで得られたお祭りバンド的な要素を全部詰め込みました。だから、曲ごとにテイストは違うんですよね。シベスカはこんなのができるんだよっていうのを示すための一枚です。

−−一体感が出ている気はします。

ジュンタ:「核を作りたいよね」っていうのは、メンバーと話していましたね。でも「核って何?」って悩みました。ジャンルなのか歌詞なのか、それを模索しながら、でも縛られずに作ったのがこのアルバムです。こういうのも出来るんだという確認ができました。今まではこういうのが出来るかどうかすらわからなかったんですよ。でもそれがしっかり出来たから良かったなと思います。


−−今回の新曲「ReSTART」は、タイトルが意味深ですが、そのまま受けとめていいんですか。

チカラ:そうですね。『That's ON』の時はやりたいことがいっぱいあったんですが、良くいえば器用で、悪くいえば軸がない状態だったんです。アルバム自体は気に入っているんですけど、じゃあ「シベスカの音楽ってどれですか?」って聴かれた時に自分たちが武器として押し出せるのがどれだかわからない。でも、脳内ではカッコいいバンドというイメージがあるから、まずは真っ直ぐな曲を作ろうと思ったんです。そういうのがあってもいいかなと思うし、バンドとしても勝負の年だから、自分たちの中でも変わらないといけない。そのタイミングで、今いちばんシベスカにとって欲しいのは何かと考えたら、ロックな曲が欲しいな、と。また、自分たちが変われるような曲が欲しいし、ライヴが変わったり景色が変えられる曲が欲しい。そう考えた時に出てきた言葉が、「ReSTART」だったんです。「じゃあこのタイトルで曲を作ろう!」ってことで制作を始めました。

−−すぐに出来ましたか。

チカラ:実は、前身の曲があったんですが、一度ボツになっているんですよ。ちょっと違うなって感じだったので、ジュンタと二人で徹夜して作り直しました。

ジュンタ:レコーディングまであと3日くらいの時に出来上がりました。一度作った原曲も悪くはなかったんですけど、自分たちの限界を超えていなかったんですよ。でも、作業をしているうちに、どうやったのかは覚えていないんですが、基準を超える曲になっていたんです。

チカラ:歌詞に関しては、中学校時代に結成して、メジャー・デビューして、独立してっていう俺たちの今までの軌跡が詰まっているんです。自分としては、この曲を歌っていいのは今だからこそ。「ReSTART」という言葉を使うタイミングも、「今だ!」っていう感じですね。必然的でもあるし、偶然でもある。いろんな歯車が噛み合って、この曲が出来たんだなって感じます。

−−曲作りはどういう手順なんですか。

ジュンタ:この時はチカラが断片的なメロディを持ってきて、それを元に肉付けして、形にしていくような感じです。Bメロがサビになったりとか、そういうこともあります。基本的に僕の家で一緒に作っていきますね。デモは完全に二人で作ります。

チカラ:そのデモをマーサーとユウイチに渡して、ベースとドラムのアレンジは完全におまかせ。

ジュンタ:だから、みんなでスタジオに入るまで完成形がわからないんです。

−−カップリングの「紡ぎ」は、言葉遊び的な要素もありながら、しっかりメッセージも入っていて面白い曲ですね。

チカラ:これは「ReSTART」を作る前からあった曲です。『That's ON』をリリースした3,4ヶ月後には出来上がっていました。ライヴではやっていたし、ファンの方から反響もあった曲ですね。それでカップリングに入れました。言葉遊びも好きだし、メッセージ性も欲しい。それを最大限に出すには50音で書くと面白いなあと思ったんですよ。そしたらすらっと出来ました。

ジュンタ:これもチカラが作ったメロディが出来上がっていて、まずアカペラでパソコンに取り込むんですよ。そこから、どういう曲にするか考えながら肉付けしてきました。

チカラ:歌詞も一緒に書いてアカペラで歌ってそれをジュンタに送るんです。

−−ってことは、基本的に作詞も作曲もチカラさんですか。

ジュンタ:そうですね。だから僕は作曲になっていますけど、実質はアレンジのようなものですね。

チカラ:でも、作曲というのは俺に似合わないし(笑)、ジュンタに手を加えてもらわないと曲にならないから。

−−面白い役割分担ですね。

ジュンタ:歌詞もアイデアはこっちから出すこともあるんですが、基本はチカラですね。

−−ということは、二人じゃないと出来ないということなんですね。

ジュンタ:お互い出来ないことがあるので、そこを補い合いながら作っているし、今更違うやり方をしようとも思わないんですよ。

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ダサい音楽だったとしても、俺らがやったらかっこよくできちゃう自信があるんです

−−他の曲もそうやって作っているんですか。

チカラ:マーサーもたまに作るんですけど、その他は基本的に俺がアカペラで歌っているのが原型ですね。

−−アレンジに関しては、自然に出来上がっていくんですか。

ジュンタ:曲の雰囲気に関してはよく話はします。「壮大な感じで」とか。

チカラ:俺は口でドラムとかいっちゃいますね。それでやってくれますから。基本的にはジュンタを否定しないんです。俺は音楽的なことはよく知らないから、ジュンタにまかせている。でも、なにが無理なのかも知らないから、俺が無理いったことで出来上がってきた方が、面白いものになっている。ジュンタが作ったものに対して、もっとこうしたいとかっていう無理はいうんですよ。そしたら、そんなの弾けるかなとかいいながらちゃんと形にしてくれるんです。

−−なかなかいいコンビですね。そこまで密に曲作りするバンドも珍しいかも。詞は詞、曲は曲ってしっかり分担するほうが多いと思うんですけど。

ジュンタ:逆にそれができないんですよ(笑)。今のやり方のが絶対面白いものが出来上がってくるから。

−−アカペラで作っている時には、バンドの音は頭の中で鳴っているんですか。

チカラ:鳴ってないですね。完全にジュンタにおまかせです。ただ、「ここは盛り上がる」とか「ここは少し静かに」とかはあります。でも、コードとかはよくわからないし、そこはジュンタのセンスに甘えています。でも、ドラムだけは鳴っているかもしれない。「ここでパーン!」とかはあるかな。

ジュンタ:あと、テンポはデモの段階である程度固まりますね。

チカラ:最近はちょっとだけ、ベースはこんな感じとか考えるようになりましたけど。

−−そうですよ、元ベーシストじゃないですか。忘れそうでしたけど(笑)

チカラ:俺もすっかり忘れていました(笑)。もうマーサーがいるからできないですけど。

−−アレンジの際に、マーサーさんとユウイチさんに対して、これはないな、とかこうした方がいいとかっていうのはありますか。

チカラ:レコーディングの時に初めて知ることが多いですね。でも、それが悪かったことがないんですよ。

ジュンタ:それより、予想以上によくなることのほうが多いんですよ。僕からは出てこないベースやドラムのフレーズが出てくるので、それをやってくれるだろうなあっていうところは、デモでもシンプルにしておいたりとか。

−−そう考えると、理想的なバンドですね。

ジュンタ:もちろんガチガチでやりあうこともありますけど、基本はお互い自由にやってますね。

−−中学時代のジュンタさんのワンマン・バンドから随分変わりましたね。

チカラ:リーダーなのにどんどん権力が無くなっている(笑)

ジュンタ:でも、中学の時は、みんな初心者だったから、みんなそれぞれができることがどんどん増えてきたということですよね。その分、権力も減っていきますけど(笑)

−−とにかく、このシングルの2曲はストレートなロックなので、これが基本的なシベスカのサウンドなんだろうなって思うんですが、逆にこれはNGっていうのはあるんですか。

チカラ:それはないですね。

ジュンタ:いろいろ悩みながらやってきたんだけど、結局なんでも出来るんですよ。

チカラ:ダサい音楽だったとしても、俺らがやったらかっこよくできちゃう自信があるんですよ。もともとはロック・バンドとしてかっこよく見せたいんですけど、すごくポップなものをやってもかっこよく出来てきたから、その感覚が染み付いているんです。だから何をしてもかっこよく見せられる自信はある。そうやって臨機応変に出来るバンドってそうそうないから、うまくバランスは取れていると思います。だから、やりたくないということもない。

−−逆にやってみたいこと、挑戦してみたいことはありますか。

ジュンタ:バンドなのにバンドっぽくない音楽が最近好きなんですよ。そういうこともやってみたいですね。

−−最近気になる音楽ってなんですか。

ジュンタ:フォール・アウト・ボーイとかマルーン5とか。あと、ヒップホップなんかは突拍子もないことがきれいに収まっていたりするじゃないですか。それをバンドでやるにはどうしたらいいのかなんて考えますね。なんでこれやっておかしくならないんだろうとか。

−−そうやってインプットされた音楽が、自分たちの音楽に表れたりすることは意識しますか。

ジュンタ:それはすごくありますね。

−−バンドとしての今後の目標はありますか。

ジュンタ:まずは、僕らが初めて演奏した沖縄の豊見城市中央公民館というホールでワンマンをやるんですけど、そこをしっかり頑張りたいと思います。それが近い目標ですね。自分たちとの勝負でもあるし。

チカラ:まさにそのコンサートがリスタートという感じですね。僕たちが豊見城市の観光大使をやらせてもらっているということもあって、地元を盛り上げるっていう意味合いもあるんですよ。いろんな思いがある場所なので、地元の人がよく知っているところだし、ライヴハウスと違って老若男女誰でも来やすい場所です。ここのキャパが、ナムラホール以来の大きさなんですよ。自分たちの最高記録を塗り替えられれば、どんな景色が見えてくるのかわからないし、楽しみでもあります。だから、まずこのホール・コンサートを成功させれば、今はまだ見えていない目標が出てくると思います。あと、県外だと東京以外でワンマンをやったことがないので、そこもあるし動員を増やしたいというのもありますね。

−−やっぱり、バンドとしてはライヴが主軸ですか。

ジュンタ:ライヴは間違いないですね。

チカラ:いちばん負けたくないところでもありますね。そこは大事にしていきたいです。

−−最後に、二人にとって“楽園おんがく”とは。

チカラ:俺は、音楽がいちばん染みるときは悲しい時なんですよ。だから、音楽の中に入っていくような感じというか、音楽そのものが楽園というイメージなんですよ。そう考えると、自分のルーツになっているKREVAとか宇多田ヒカルかなと思いますね。簡単にいうと、失恋した時に聴いて浸れる音楽こそ、“楽園おんがく”だと思います。

−−音楽そのものが楽園なんですね。

ジュンタ:自分は聴いてなんだこれは?というちょっとした驚きのある音楽が好きで、チカラとはまた違う感覚なんですが、そういう音楽に出会えた瞬間に楽園を感じますね。

−−本当に音楽が好きなんですね。そう思うと、シベスカの音楽も楽園であって欲しいですね。

ジュンタ:そうですね。シベスカの音楽が鳴っているライヴの場は、最高の楽園だと思います。

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