Billboard JAPAN


Special

ビッグ・カントリー来日記念特集~34年ぶりに来日!スコットランドを代表するバンドの軌跡を辿る

top

 ビッグ・カントリーが34年ぶりの来日公演を行うことが決定した。80~90年代を駆け抜けたスコットランドのロック・バンドは、紆余曲折を経ながらも10年ほど前からライヴ活動をメインに再開。そしてついにビルボードライブ公演が決定した。大ヒット曲「In A Big Country」で知られる彼らのこれまでの足跡を追ってみたい。

 ビッグ・カントリーのスタートは、1981年にまで遡る。スキッズというバンドで活動していたスチュアート・アダムソンが、ギターのブルース・ワトソン、ドラムスのクライヴ・パーカーに加え、ベースのアラン・ウィシャート、キーボードのピート・ウィシャートという兄弟を誘って、スコットランドのファイフで結成した。彼らはアリス・クーパーのオープニング・アクトを務めるなどライヴ活動を行うが、ほどなくメンバー・チェンジ。クライヴ、アラン、ピートが脱退し、ベースのトニー・バトラー、ドラムのマーク・ブレゼジッキーが参加。4人体制で本格的に活動をスタートする。ビッグ・カントリーのスタートは、1981年にまで遡る。スキッズというバンドで活動していたスチュアート・アダムソンが、ギターのブルース・ワトソン、ドラムスのクライヴ・パーカーに加え、ベースのアラン・ウィシャート、キーボードのピート・ウィシャートという兄弟を誘って、スコットランドのファイフで結成した。彼らはアリス・クーパーのオープニング・アクトを務めるなどライヴ活動を行うが、ほどなくメンバー・チェンジ。クライヴ、アラン、ピートが脱退し、ベースのトニー・バトラー、ドラムのマーク・ブレゼジッキーが参加。4人体制で本格的に活動をスタートする。

CD
▲『インナ・ビック
・カントリー』

 1982年にレコーディング契約を取り付けたビッグ・カントリーは、数々の名盤を生み出したクリス・トーマスをプロデューサーに迎え、ファースト・シングル「Harvest Home」を制作。ケルト風のフレーズを取り入れたロックンロールは新鮮だったが、残念なことにチャートインには至らなかった。そのため、翌1983年にはプロデューサーをピーター・ガブリエルやU2を手がけていたスティーヴ・リリーホワイトに変更。よりケルト色の濃厚なセカンド・シングル「Fields Of Fire」を発表。UKのシングル・チャートでベスト10入りするヒットとなった。

 勢いを付けた彼らは、立て続けにサード・シングル「In A Big Country」をリリース。疾走感に満ちたビート、壮大なスケール感のあるアレンジ、そしてバグパイプを思わせるギター・リフなどを駆使し、スチュワートのエネルギッシュなヴォーカルと相まって一気にブレイク。UKでは17位、USビルボードのHot100でも17位にまで上昇。世界中でヒットしたことで、一気に彼らの名前が広まった。そして、その直後にリリースされたファースト・アルバム『The Crossing』も大ヒットを記録。UKでは3位、USでも18位と好成績を残した。



▲ 「Harvest Home」


▲ 「In A Big Country」


 一躍人気バンドとなったビッグ・カントリーは、ツアーをこなしながらセカンド・アルバムの制作を開始。1984年に発売された2作目『Steeltown』は、USでは70位と振るわなかったが、本国UKでは初の1位を獲得。「East Of Eden」や「Just A Shadow」といったヒット曲も生まれた。この年には初の来日公演を行い、年末にはチャリティー・プロジェクトのバンド・エイドにも参加。自身のツアーはもちろん、クイーンなど大御所のオープニング・アクトも務めるなど、英国ではトップ・バンドとしての地位を確立した。

 1986年にはシングル「Look Away」がアイルランドで1位を獲得し、UKでも7位にまで上昇した。その勢いでサード・アルバム『The Seer』をリリース。プロデューサーにロビン・ミラーを迎え、ケイト・ブッシュがコーラスで参加した「The Seer」が話題を呼んだ。1988年にはピーター・ウルフをプロデューサーに起用して4作目のアルバム『Peace In Our Time』を発表。シンセサイザーや女性コーラスを加え、これまでに比べるとソフトな印象を与えることになった。



▲ 「East Of Eden」


▲ 「Look Away」


 90年代に入ると、バンドの人気に陰りが出てきたが、相変わらず精力的に力作を発表し続ける。マークが脱退し、スチュワート、トニー、ブルースの3人編成となった5作目『No Place Like Home』(1991年)、サポート・ドラマーにサイモン・フィリップスを迎えてロック色が強くなった『The Buffalo Skinners』(1993年)、マークが復活して再び4人で制作した『Why The Long Face』(1995年)、キンクスのレイ・デイヴィスとの共作曲を含む『Driving To Damascus』(1999年)と、少しもブレることなくビッグ・カントリー流のロックンロールを追求した。

 しかし、人気が下降してしまったことで心身ともに病んでしまったスチュワートは、バンド活動を継続することが困難になり、ついに2000年に解散。新たにオルタナ・カントリーのバンド、ザ・ラファエルズを結成して再出発するが、翌2001年末にはスチュワートがハワイで自殺するという悲しい事件が起こる。2002年にはスチュワートの追悼コンサートが行われたが、ビッグ・カントリーの20年に及ぶ歴史に終止符が打たれた。

 彼らが再び動き始めたのは、2007年のこと。デビュー25周年を迎え、ブルース、トニー、マークというスチュワートを除く3人のオリジナル・メンバーが結集。ライヴ活動を行い話題を呼ぶ。そして、2011年には黄金期を支えたスティーヴ・リリーホワイトを再びプロデューサーに迎え、ジ・アラームのマイク・ピータースをヴォーカリストに据えて、11年ぶりのシングル「Another Country」を発表。この布陣にシンプル・マインズのデレク・フォーブスやブルースの息子であるジェイミー・ワトソンを加え、翌2013年には待望のアルバム『The Journey』を発表。ケルト風のメロディや空間を感じさせるバンド・サウンドが不変であることをアピールした。



▲ 「In A Broken Promise Land」



 「In A Big Country」のヒットによる一発屋的な扱いや、スチュワートの非業の死など、ビッグ・カントリーの歴史はけっして穏やかとはいい難い。しかし、英国では多くのミュージシャンたちからもリスペクトされる存在であり、現在もスコティッシュならではのアイデンティティを保ちながら、U2にも匹敵する壮大なロックンロールを奏で続けている。34年ぶりの来日公演で、ぜひその健在ぶりを確かめてもらいたい。

 

 

ビッグ・カントリー「ホワイ・ザ・ロング・フェイス」

ホワイ・ザ・ロング・フェイス

2018/07/18 RELEASE
CDSOL-70364 ¥ 5,005(税込)

詳細・購入はこちら

関連キーワード

TAG

関連商品