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楽園おんがく Vol.38:ヤギフミトモ インタビュー

楽園おんがく Vol.34

 旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、初のソロ・アルバム『Beyond』をリリースし、9月22日にワンマン・ライヴを控える沖縄のシンガー・ソングライター、ヤギフミトモのインタビューをお届け!


 ソウル、フォーク、ジャズ、カントリー、レゲエ、そして民謡。個性的なシンガー・ソングライターであるヤギフミトモの歌には、こういったどこか懐かしいオールドタイミーな雰囲気がある。もともと大阪でレゲエ・バンドをやっていた彼が、沖縄に戻って数年を経て、ようやく初のソロ・アルバム『Beyond』を昨年発表。今年になってからは全国流通もされ、徐々にその名も浸透してきた。大人の音楽ファンが楽しめる良質な沖縄ポップスを奏でるヤギフミトモは、どのようにして音楽と向き合ってきたのか。9月22日にワンマン・ライヴを控えた今、そのキャリアをじっくりと語ってもらった。

三線を始めて2ヶ月くらいでギターも始めて、
それですぐにオリジナルもすぐに作り始めました

――出身は沖縄ですか。

ヤギフミトモ:那覇市です。1984年生まれです。

――最初の音楽体験を覚えていますか。

ヤギフミトモ:実家で祖母と父が野村流の古典音楽の教室をやっていたんです。そこで流れている音楽が最初ですね。あとは童謡とかですね。

――自発的に聴こうと思ったのはいつごろですか。

ヤギフミトモ:実は音楽にはほとんど興味がなくて、いわゆるテレビで流れているヒット曲くらい。CDを買ったり借りたりしようと思ったこともなかった。でも、中学生の頃小林克也さんが出演していたテレビの音楽番組『ベストヒットUSA』を毎週見るようになって、洋楽には興味を持ちましたね。

――その頃はどういう音楽を聴き始めていたんですか。

ヤギフミトモ:R&Bとかヒップホップの要素が入った音楽ですかね。Rケリーとか。TLCとか。リズムとか新鮮で、でもわりと同じコード進行が続くので親しみやすかったのかもしれない。でも、自分で歌おうと思ったことはないですね。

――楽器をやろうとも思わなかった。

ヤギフミトモ:古典音楽の発表会は観に行っていたので、三線は少し興味がありました。あと、周りにバンドをやっている友達がいて、ちょっといいなあって思ったけれど、自分でやろうとは思わなかったですね。でもちょっと嫉妬していたかもしれない(笑)。

――大学は県外に行くんですよね。

ヤギフミトモ:そうです。京都の精華大学の文化表現学科というところに通いました。とりあえず沖縄を出たかったんですよ。でも、この大学がかなり変わった学校だったんです。学園祭に喜納昌吉さんとかソウルフラワーモノノケサミット、DMBQなんかが来てかなり衝撃的だったんです。今まで聴いたことのない音楽ばかりだったので。で、ソウルフラワーって三線弾いたりするじゃないですか。それを見て悔しいなあって思って。身近にあったのになんで今までやらなかったんだろうって思ったんです。それで初めて三線を手にするんです。

――それはいくつの時ですか。

ヤギフミトモ:20歳くらいですかね。たしか大学3年くらい。学校で南島文化論っていう琉球弧の文化を学ぶ授業があったんですよ。

――京都でそれを学ぶっていうのも面白いですよね。

ヤギフミトモ:それまで興味がなかったんだけど、離れて急に気になるようになったんですよ。その授業に毎回沖縄の音楽を聴くコーナーがあったんです。それで、先生から、「お前三線やってるんだったら一回弾いてみるか」って言われて、頑張って練習して「安里屋ユンタ」を弾いてみたんです。そしたらとても反応が良くて。人前でやるのっていいなって思って、それ以来授業では毎週三線を弾いていました。

――じゃあ、それが人前で初めて音楽を披露したんですね。

ヤギフミトモ:そうです。それでなんだか勘違いしちゃって(笑)。学外の京都のライヴハウスに出るようになって。

――ギターも弾けるようになっていたんですか。

ヤギフミトモ:三線を弾くときは民謡なんですけど、ギターではオリジナルも歌っていました。

――オリジナルをやり始めたのは。

ヤギフミトモ:ギターをやり始めてすぐです。三線を始めて2ヶ月くらいでギターも始めて、それですぐにオリジナルもすぐに作り始めました。詞曲も両方で。ケータイのメモに詞を書いていてそれに曲を付け始めました。

――ライヴハウスにはソロで出演していたんですか。

ヤギフミトモ:はい。ひとりでステージに立っていました。その頃から、当時、漫然とバンドやりたいなあって思っていました。大阪のあるライヴハウスに出た時に、「バンドやりたいんですよね」ってブッキング担当さんに話したら、たまたまあるベーシストがメンバーを探しているって話になって。それが守家巧さん(determinations、カルカヤマコト、RM jazz legacy)だったんです。彼に連絡を取ってスタジオに行って歌ったら、めちゃくちゃだったんですけど、「一緒にやってみない?」って話になって、大学を卒業してから大阪に引っ越したんです。彼がいなかったらレゲエとかブラック・ミュージックにそこまで興味は持たなかったかもしれない。

――バンドではどういう音楽をやっていたんですか。

ヤギフミトモ:最初は、ボブ・マーリーのカヴァーばかりですね。あの人の音楽はトータルで本当にすごくて、歌のタイム感ひとつとっても、歌い手からみたらとても素晴らしいんです。他のレゲエとは違う部分をもたくさんあるし、守家さんからそのあたりはいろいろと教えてもらいましたね。

――その頃はどうやって生計を立てていたんですか。

ヤギフミトモ:コンビニでバイトしていました。就職も考えず音楽でやっていこうと思っていましたね。

――じゃあ、ずっと守家さんと一緒に活動していたんですか。

ヤギフミトモ:そうですね。基本的にはずっと一緒で、少しバンドの形を変えたりしてやっていました。オリジナルもけっこう作っていて、今回のアルバムにも当時の曲がアレンジを変えて入っていたりするんですよ。「New Love」や「Work Song」、「Rockin’ Me」なんかはそうですね。

――じゃあ、大阪時代に自身の音楽性の基盤は完成されたと。

ヤギフミトモ:初めてバンドを組んで音楽をやったという意味ではそうかもしれないですね。音楽に対しての根本的な姿勢を教えてもらったというか。

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もっと人前で自分の音楽を出したいという願望があるんだろうな

――沖縄に戻ったきっかけは。

ヤギフミトモ:自分の中でレゲエは心地いいけど、どこかジレンマもあったんですよ。とくにレゲエは彼らの思想の音楽なので、そこは完全には理解し難いところもあって。バンドをやめてひとりで歌うなら大阪にいなくてもいいし、その時にやはり自分の生まれ育った沖縄に帰りたいと。

――沖縄に戻ってからはどうしたんですか。

ヤギフミトモ:しばらく桜坂劇場で働きながら、宅録でデモを作ったりしていました。大阪にいるときはやったことがなかったんですけど、沖縄に帰ってきて機材を揃えたんですよ。

――バンドをやろうとは思わなかったんですか。

ヤギフミトモ:最初はやろうと思ったんですけど。でも、まずは自分自身がしっかりしないとなって思って。自分の音楽を確立して、その上で力を合わせてくれる人が来たら一緒に出来たらいいですね。

――沖縄に帰ってきてから、このアルバムが出るまで5、6年経っていますが、その間の活動状況はどんな感じだったんですか。

ヤギフミトモ:気ままにライヴをやるという感じで。やりたい気持ちはあるけど腰が重いというか。マイペースですね。

――大阪時代ほど音楽中心ではなかった?

ヤギフミトモ:音楽をジャンル問わず好きなものを聴く、楽しむっていう感覚は沖縄に戻ってから思い出しました。ああ俺は音楽が好きなんだなと。やる側としては、気持ちでは一緒のつもりなんですけど、一人になったからどこか甘えが出るというか。やってるつもりでも、自然とゆるくなってしまって。だからそれじゃやばいと思って、アルバムを作ろうと思ったんです。

――今回のアルバム『Beyond』を作ろうと思ったのはいつ頃ですか。

ヤギフミトモ:発表する2年前くらいですね。それまではデモを作ってCD-Rを手売りするくらいで。ちゃんと発表するのは初めてです。

――アルバムの構想はあったんですか。

ヤギフミトモ:とりあえず今までの楽曲を形にしたいなと思って。ポップスとして。自分なりに自信を持って世に出したいなと。

――じゃあ、それまでの代表曲を集めたというイメージですか。

ヤギフミトモ:あまりにも悲しい曲や暗い曲は省きました。あと、他にも大阪時代の曲やもっとスカっぽい曲もあったんですけど。そういうのも外しました。制作前に歌詞を整理していると、ここではないどこかを見ているというか、そういう場所を探しているような歌詞が多かったんです。その中で“Beyond”という言葉が出てきて。きっと自分は満足していないんだろうなと。もっと人前で自分の音楽を出したいという願望があるんだろうなというのを感じたんです。それでアルバムに『Beyond』と名付けました。



▲ ヤギフミトモ ファースト・アルバム『Beyond』


――そういった歌詞はどうやって出てくるんですか。

ヤギフミトモ:思い付いた言葉を書き留めたりもするんですが、それで曲ができることはあまりないんです。メロディと一緒に出てきたフレーズを膨らませていくというのが多いかな。テーマに寄せていくというか。

――日常の風景を切り取った歌詞が多いように感じます。

ヤギフミトモ:等身大というか、あまり難しい言葉を使わないようにしています。シンプルな言葉の並べ方に気を使いますね。その方が耳に残りますから。

――曲はどのようにして生まれるんですか。

ヤギフミトモ:メロディから作るのが好きですね。その時はあくまでも響きだけで言葉はなくて。だから歌詞は後付け。でも詞が先にできる曲もあります。「Rockin’ Me」なんかはフレーズとして最初に言葉が出てきました。あと、「はいぬみかじ」も歌詞が先。この曲はもともと沖縄の古典音楽を引用しているんですけど、自作部分は先に言葉が出てきたんです。あとの曲はほとんどメロディが先ですね。

――メロディができた時はアレンジも頭にはあるんですか。

ヤギフミトモ:リズムはある程度あるんですけど、そこまでかっちりとは決まってない。ベース・ラインはこんな感じとか、そういうのはあります。

――そのあとの作業はどうするんですか。

ヤギフミトモ:今回に関していえば、「New Love」と「River」だけはデモを作ったんですけど、あとはミュージシャンと一緒に固めていきました。一緒に作っていったという感じです。

――メンバーはライヴでも一緒にやっているんですか。

ヤギフミトモ:毎回ではないけれど、みんな一緒にやったことがある。曲によって、この人にドラムをお願いしようとか、そうやってミュージシャンに力を貸してもらいましたね。

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今までとは違った表現や歌詞の内容も違うメッセージの楽曲を作っていきたい

――個人的に思い入れの強い曲はありますか。

ヤギフミトモ:「River」と「Beyond」ですね。「River」は、曲のアイデア自体は大学の頃からあったんですよ。それが大阪時代に曲として固まったんですけど、人前では歌ってなかったですね。この「River」って、京都の鴨川のことなんですよ。その頃の情景というか。鴨川って人がよく楽器の練習をしていて。だからトランペットのソロもそういうイメージで入れています。

――「Beyond」も昔の曲ですか。

ヤギフミトモ:これも大阪時代ですね。もともとコード進行も全然違っていたんですけど、歌詞のふわっとした感じが気に入っていて、なんとかこのアルバムに入れたいなって。自分で打ち込みをして、カッティングとミュートのギターを入れたりして、元の曲からは随分変わっています。

――「パラソル組合」は奈須重樹さんの曲ですが、これはカヴァーですか。

ヤギフミトモ:そうです。奈須さんとは沖縄に戻ってからの付き合いがあり、アルバムにコーラスで参加させてもらったりしているんです。いろんな人に聴いてもらいたいなって思って、リスペクトを込めて選びました。

――奄美の民謡「行きゅんにゃ加那」が選ばれているのも意外でした。

ヤギフミトモ:大学時代に初めて奄美の民謡を聴いて、沖縄と全然違うなと感じたんです。たまたまテレビをつけたら朝崎郁恵さんの歌が流れてきて、なんだろうこれはって感じで。そこが入口になって、奄美の民謡に興味を持って聴き出しました。

――じゃあ沖縄の民謡とはまた違う感覚で歌っているんですね。

ヤギフミトモ:言葉は少し似ているけれども、メロディは全然違う。歌詞も当時の人々の日常の様子がそのまま描かれているんですよ。昔の貧しかった頃の情景が浮かんできて、とても新鮮だったんです。そういう状況の中で誰かがこの歌を歌ったんだろうなと考えてしまいました。でも、いい曲なので選んだというのが大きな理由です。

――全体的にルーツ・ミュージックの香りがしますが、それは好みなんですか。

ヤギフミトモ:そうですね。ただ、どんな音楽をやっても結局はルーツに向かうと思うんですよ。自分ではポップ・アルバムと思っているんですけれど。これが今の自分の感じですね。

――たしかにルーツ・ミュージックが好きなミュージシャンって、ゴツゴツしてアクの強いイメージがあるんですけど、ヤギさんの音楽は聴きやすくポップスとして成立していますね。

ヤギフミトモ:レゲエやってもコアにならないのは、僕がラスタじゃないからですね(笑)。今回はこの感じが自分の等身大なんだろうなって思います。

――実際、出来上がったアルバムに対しては、どういう感想ですか。

ヤギフミトモ:一枚目がこれでよかったなとは思います。ここからどう変わっていくのかは、まだわからないんですけど。

――アルバムは区切りだと思うんですけど、実感したことはありますか。

ヤギフミトモ:アルバムを持ってライヴをやるのは、やっぱり違いますね。初めてツアーで東京に行けたし、自分が思っている以上に人に支えられているなあって感じます。

――もう次のことって考えていますか。

ヤギフミトモ:アルバムは曲が揃い次第、すぐにでもレコーディングしたいと思っています。

――大きな目標や野望ってありますか。

ヤギフミトモ:アルバムを出したことによって、自分の中で気付きや環境が変わっているので、今までとは違った表現や歌詞の内容も違うメッセージの楽曲を作っていきたいですね。あとは単純にもっとうまくなりたいし、いろんな人に聴いてもらいたいですね。

――沖縄拠点は変わらないですか。

ヤギフミトモ:変わらないです。沖縄から発信していきたいというところもあります。たしか東京にはいいミュージシャンもいっぱいいるだろうし、出会いも多いかもしれない。いろんな刺激を受けた方がいいのかなと思うこともあるけれど、今はここを選んでいるし、沖縄だからこそ出来ることをやっていればいいと思っています。

――9月22日には那覇の桜坂劇場でライヴが行われますが、どんなライヴになりそうですか。

ヤギフミトモ:さっき次のアルバムの話が出たんですけど、このライヴで新曲を何曲かやります。次のアルバム、次のステップへの出発のライヴになります。そのスタートを是非みなさんに観てもらいたいです。

――最後に“楽園おんがく”っていうと、どんな音楽をイメージしますか。

ヤギフミトモ:実家の近所に市場があって、昼間は人があまりいないんです。学校帰りにその市場の前を通ると、ラジオから民謡が流れていて、その時の日差しがきつい感じなんかが音楽と一緒に思い浮かぶんですけれど、それが楽園の音楽というイメージですね。あとは風呂場でひとりで歌う鼻歌(笑)。歌詞なんかもかなり適当なんですけど、自分にとってあの時間は楽園ですね。

ヤギフミトモ「Beyond」

Beyond

2017/02/19 RELEASE
MFO-5 ¥ 2,200(税込)

詳細・購入はこちら

Disc01
  1. 01.New Love
  2. 02.Candle Night
  3. 03.Work Song
  4. 04.パラソル組合
  5. 05.行きゅんにゃ加那
  6. 06.River
  7. 07.Rockin’ me
  8. 08.はいぬみかじ
  9. 09.Beyond

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