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FMfanのアーカイヴであの時代にタイムスリップ!タイムマシーン特集

ポップスからクラシックまで幅広いジャンルを網羅した音楽情報とオーディオ関連の記事で人気を誇ったFM情報誌「FM fan」のアーカイヴを一挙公開。伝説のライヴリポートや秘蔵インタビューなど、ここでしか見ることのできない貴重なコンテンツ満載!

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ジョニー・ラング インタビュー

「ブルースは入口にも過ぎないよ」と語る天才ブルース少年 
No.6

ジョニー・ラング インタビュー
Photo: Redferns

 弱冠16才の天才少年ブルース・マン現る!と昨年、華々しくデビューしたジョニー・ラング。アルバム『ライ・トゥ・ミー』でのギターと歌は、なるほどそのたたき文句を裏切らない、ブルース色が強く熱いものだ。

 ジョニーは1981年1月29日生まれ。ノースダコタ州ファーゴに、両親と2人の姉、妹一人と共に暮らしている。幼いころから音楽が好きだった彼は12才の時、父親の親友テッドがギターを弾くブルース・バンドのコンサートへ行き、そこでブルースに興味を持ち、彼にギターを教わることになる。

「もちろんグランジとかも好きだったし、カート・コバーンには今でも影響を感じている。でもテッドからギターを教わり始め、これなら僕の気持ちを込めることが出来ると感じ、徐々にブルースが僕の中で広がっていったんだ。元々ソウル・ミュージックが好きでリズム感のある音楽に引かれやすいところもあったしね。でも僕は自分をブルース・ミュージシャンだとは思っていない。ブルースは入口に過ぎないよ。表現する上で、ジャンルなんて関係ないだろう?世間の期待とは合致していないだろうけど、僕は自分の書いている曲をブルースだとも思わないんだ」

 あれだけブルース色の強い音楽性ながら、本人が「違う」と言うのは面白い。でもこれは大歓迎。まだ16才の彼なのだから、これからどういう方向に進んでいくかとても楽しみになった。とはいっても彼自身、「16才」という年齢を全く意識していない。

「音楽は普遍的で巨大なエネルギーだから、年齢はそれを表現する上で関係ない」と言いきる。では目標は? と聞くと「僕のライブに来てくれた人を励ませたり、幸せな気持ちになって返ってくれることが目標。そしてそれがずっと続けられたら素晴らしいことだよね」と、キラキラした無防備な微笑みを見せながら語ってくれ、私はすっかり骨抜きにされた。

(インタビュー・文/和田静香)

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10代に気をつけろ!実力派ティーン・アーティストが続々登場

10代アーティスト大活躍の現状
No.6

 日本の音楽業界ではSPEEDが快調に飛ばしているが、ここのところ海外でも10代のアーティストの活躍が目立っている。ハンソン、リアン・ライムスは言うに及ばず、キンバリー・スコットなど今後も期待できそうなアーティストがどんどん出てきそうだ。そして最近のティーンエイジャーたちの特徴は、アイドル性というよりもアーティストとしての実力でアピールしているということ。“リアン・ライムス現象”とでも呼びたくなるような10代アーティストの活躍は要注目だ。というわけで、「うーん、これで10代?」と我々をうならせる、10代のアーティストにスポットをあててみたい。

●10代アーティスト大活躍の現状
 まず、いったいどんな10代のアーティストがどんな活躍をしているのか、その現状をみてみることにしよう。
同世代の子供たちだけでなく本格的な演奏と歌で大人も魅了する3アーティスト
常に新しく、刺激的な音楽を生み続けているアメリカで、いま何がおもしろいかと言えば、筆頭にあげられるのは、10代の大活躍だろう。今年に入って、11歳のキンバリー・スコットをはじめ、ティーンより若い年齢を含む10代の新人が続々デビューしている。一種ブームと言えるほどだが、その口火を切ったのは、やはり昨年『キラメキ☆mmmbop』を大ヒットさせたハンソンだろう。17歳の長男を頭にした兄弟3人組みの彼らは、現在までにデビュー・アルバムを全米で400万枚以上を売り、アルバム・チャートでは最高2位をマーク。12月には早くも新人にしてクリスマス・アルバム『ポップ&スノー』をリリース。こちらもトップ10入りの大ヒットで、97年のホリデー・シーズンで最も売れたクリスマス・アルバムとなった。
 でも、なぜこれほどまでに、彼らは大成功したのだろうか。従来、アメリカの音楽市場は、大人志向で、若年層のアーティストには手厳しいはずだ。それなのになぜ? おそらく考えるに、その糸口になったのは、10代ではないが、スパイス・ガールズの全米制覇だろう。彼女たちの爆発的ヒットで、アイドル的雰囲気のあるポップ・ソングを疎外してきたラジオ局が、方向転換せざるを得ない状況になったという背景がある。そして、直接的な要因として、アルバムのプロデューサーに、何かおもしろいことを仕掛けているだろうと期待させる、ダスト・ブラザーズを起用したことがある。アメリカのあるレコード会社のエグゼクティブA&Rも、「ラジオ局のDJには10代というだけで、なんだ子供の音楽かと、聴きもしない人が多かった。それをダスト・ブラザーズの名前でまず興味を引かせた、レコード会社のA&Rのアイディアの勝利だろう」と語っていた。
 このハンソンとほぼ同時期にアルバム「ライ・トゥー・ミー」でデビューし、10代らしからぬ渋いブルース・ギターと歌で、実力を示したのが、ジョニー・ラングだ。美しい金髪が印象的な、マスクも甘い16歳は、同世代には人気雑誌のセブンティーンの表紙を飾るなどして、彼自身をアピール。一方、ブルース・ファンに向けては、B・B・キングやバディ・ガイといったブルース界の大御所と共演を重ねることで、本物だという信頼を得た。ブルースというジャンルの性質上、ハンソンのようなミリオン・セラーにはなっていないが、多角的な宣伝戦略で、ジョニー・ラングは知名度を高めた。
 日本ではカントリーというジャンルの壁に阻まれ、まだそれほど一般には知られていないが、リアン・ライムスという天才少女がいる。昨年のグラミー賞では最優秀新人賞を受賞し、史上最年少の記録を更新した15歳だ。最新作『ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ』も全米チャートで初登場1位。この作品ではアルバム・タイトル曲をはじめ、多くがカバーで、天性の歌のうまさをいかんなく発揮している。あまり深い表現力の歌に、私は鳥肌がたつほどだった。彼女の全米での人気のすごさは、97年のCDセールスと興行利益を合計した年間売上ランキングで、ローリング・ストーンズに続く第2位となったことでも明らかだ。昨年から活躍するこの3人組みに共通していることは、10代と言っても同世代の子供たちだけをターゲットにしたアイドルではなく、本格的な演奏と歌で、大人を魅了している点だ。ハンソンとジョニー・ラングに関して言えば、自分たちでソングライティングもする。ステージも子供っぽさで媚びることなく、真剣勝負の質の高いパフォーマンスで、感動さえ呼んでいる。この3組が築いた実績と信頼が、アメリカの音楽市場に10代でもデビューしやすい環境を作り上げたのではないか。結果、どのように売り出せばいいか、レコード会社が戦略方法を探しあぐね、温存してきた才能が今年いっせいにデビューしてきているのだ。

●10代アーティストの活躍は21世紀を迎えるための準備
 ヨーロッパでも、日本でも、現在10代が活躍しているが、その多くがアイドルに分類されるタイプだ。振り返れば、アメリカにもジャクソン・ファイブ、デビー・ギブソン、ティファニー、シャニースといった10代がいた。一世も風靡した。だが、彼らと比べ、現在アメリカで活躍する10代が大きく違うのは、大人の視点で作られたアイドルではないぶん、ロック、ブルース、ポップス、R&B、オルタナティブ、ヒップホップとジャンルが多岐に渡ること。年齢も、性別も、音楽の趣味も超えて、幅広く人々にアピールできる、実力と個性と才能を備えているということだ。個性では多くの音楽要素を融合し、歌もラップもバイオリンもやるイマーニ・コッポラあたりが代表格だろう。
 そんな彼らを見ていて、一番強く感じるのは、だれもが自分のすきなことに、真正面から取り組んでいる喜びと自信に満ち、その輝いた姿は、同世代の手本となるばかりではなく。大人に元気という刺激をあたえているということだ。彼らは決して華やかなショウビズ会に憧れて音楽を演(や)っているのではない。音楽に対するこだわりもポリシーも一流だ。そこも従来の10代とは違う点だろう。
 先日のCNNをみていたら、ビリー・ジョエルがポピュラー・ミュージック界から引退するといううわさに対してやんわり否定しつつも、「確かに自分の3分の1しか満たない年齢のハンソンと、チャート争いしなくてはいけない事実には疲れる」と語っていた。
この発言も、アメリカ音楽界の世代交代を感じさせるものだ。
 90年に入ってから、イーグルス、フリードウッド・マックなど往年の名バンドの再結成が続き、70年代、80年代の音楽がリバイバル・ブームとなっている。それが去り行く20世紀に別れを惜しむ卒業式のようなものであれば、昨年から10代のデビューは、21世紀を迎えるための準備のように映る。彼らは新しい時代を創る才能であり、可能性なのだ。98年は、ますます10代から目が離せない。
(文/服部のり子)

●CLOSE UP 予備知識がなければ、絶対に10代とは思えぬ豊かな声量と歌唱力
 世の中には変わった本がいろいろあるが、デズモンド・モリスが書いた「年齢の本」(平凡社)もその人に入ると思う。これはタイトル通り、徹底して年齢にこだわった内容で、0歳から118歳までで各年齢ごとに偉業を達成した人や事件に巻き込まれた人などが記されている。参考までに“14歳”の項を引いて芸能関係の人物を探すと、ポップス・ファンにもおなじみのヘイリー・ミルズが映画「ポリアンナ」(60年)でアカデミー賞ノミネートとある。もしデズモンド・モリスが近い将来にこの本の改訂版を出すとしたら、そこにリアン・ライムスの名前を付け加えなければならない。なにしろ彼女は若干14歳、史上最年少でグラミー賞の最優秀新人と最優秀女性カントリー歌手部門を受賞。カントリー・ア―ティストが最優秀新人に輝いたのも39年の歴史の中で初めての事である。
 もちろんポップス界でティーンエイジャーが活躍すること自体は決して珍しくないが、時としてその中に恐るべき少年少女がいてセンセーショナルな話題になる。ロック時代に突入した55年以降ではフランキー・ライモン、ポール・アンカ、ブレンダ・リー、スティーヴィー・ウィンウッド、マイケル・ジャクソンあたりがその代表例で、新たにそこにリアン・ライムスが加わったわけである。
 1982年8月28日、ミシシッピー州ジャクソンの生まれというから現在15歳。当然のことながら、その歩は早熟ぶりを物語るものばかりで、例えば5歳で地元でのタレント・コンテストに優勝、7歳で移転先であるテキサス州ダラスでミュージカル「クリスマス・キャロル」に出演、8歳で人気のテレビ・オーディション番組「スター・サーチ」で優勝、さには「ジョニー・ハイズ・カントリー・ミュージックレビュー」にレギュラー出演するといった具合だ。また、94年に『オール・ザット』でローカル・デビューをはたすが、そこには9歳の時に初めて書いた自作曲「シェア・マイ・ラブ」が収録されている。
 そんなリアン・ライムスが全米中の注目を集めるようになったのは、96年に13歳で発表した『ブルー』による。最高位第3位、現在までに500万枚を売り上げただ大ヒット作だ。特に本来は30歳で他界したカントリー・クイーン。パッツィ・クラインによって歌われるはずだったタイトル曲が30余年の歳月を経て日の目をみたという話題性があったが、なによりも予備知識がなければ、絶対に13歳とは思えぬ出来映えこそが多くのファンの心をつかんだのだ。豊かな声量と安定した歌唱力。「ハート・ミー」では艶のある節回しを聴かせ、「ワン・ウェイ・チケット」ではロサンゼルスの歌姫、リンダ・ロンシュタット全盛期に通じるスケールの大きさを感じさせる。個人的に気に入っているのはカントリー界の大御所エディ・アーノルドの代表曲「キャトル・コール」(55年)を親子どころかソフト孫ほどの年齢差(多分65歳)がある本人とデュエットしているところで、そこでのヨーデルが実にチャ-ミングだ。
 結局、この『ブルー』における実力が認められて97年2月末にグラミーを手にするのだが、直後には先の『オール・ザット』をベースにした『アンチェインド・メロディ~アーリー・イヤーズ』、同年9月には15歳になって発表した『ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ』がいずれも全米No.1をマーク。特に後者に収録されている「ハウ・ドゥ・アイ・リブ」は競作となったオリジナル歌手のトリーシャ・イヤウッドをはるかに上回る大ヒットになり、作者のダイアン・ウォーレンまでも彼女の歌のうまさに舌を巻いている。蛇足ながら、前者では女性歌手の最年少記録を更新し、後者では史上初となるポップス、カントリー、コンテンポラリー・クリスチャンの3チャートを制覇。冒頭で紹介した「年齢の本」にはまだまだ彼女に関する記述がふえそうだ。

(文/東ひさゆき)

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マーヤ インタビュー

無垢な歌をきかせるエストニアから出てきたシャイな少女
No.6

 澄んだ清らかなボーカル。やわらかな生楽器の演奏をバックに歌うが、そのあまりに素直な歌唱が新鮮に響く。マーヤ、17歳。旧ソ連のエルトニア出身だ。この無垢(むく)な歌は、華やいだ欧米のショウビズ界とは、無縁の環境で育ったからこそのものではないだろうか。

 マーヤは、3歳から児童合唱団で歌い、その後ソロ歌手に転向した。すでにエストニアでは国民的な人気を得ている。「小さなころは合唱団の一員として、TVに出演したりしていた。ソロになったのは12歳。地元のクラブで歌ったり、夏には全国ツアーをやったり。うれしいことに、アルバムはチャートで1位になった。でも、エストニアの音楽市場は凄く小さい。アルバム千枚売れれば、成功と言われるくらい。だから、14歳の時にはやれることはすべてやってしまっていた」

 そんな事情からか、96年にユーロビジョン・コンテストに出場。そのステージがスウェーデンのレコード会社に認められ、ワールドワイドの契約を結ぶことになる。その第一弾が英語で歌った新作『風をだきしめて』だ。

「自分のやりたいことをやる、って決めていたから、デモを全部聴いて、私自身が選曲したの。結果、あらゆるスタイルの音楽がつまった作品ができたと思うけど、収録曲のうち4曲はエストニア人の作品。スウェーデンで録音したけど、私がエストニア人であることを示したかったから、そこにはこだわったの」

 自分が納得できる作品を作るために、何回もエストニアとスウェーデンを往復し、1年かけてレコーディングした。素顔は、シャイで、時にはほほを赤く染める少女だが、こだわりと芯の強さはプロ。思慮深さもだ。自分の契約に役立てたいからと、大学では法律を学びたいと語り、すでにロシア語、ドイツ語、そして英語の5カ国語を話せる。音楽だけでなく、いくつもの可能性を持つマーヤ。今後世界を知り、どのように成長していくのが、楽しみだ。

(インタビュー・文/服部のり子)

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10代アーティストの魅力と可能性

彼らの魅力を分析、人気の背景やその可能性を探ってみよう
No.6

シェリル・クロウPhoto: Getty Images

●アメリカの伝統が育てあげた音楽
 身も心も引きずりこまれるように聴いてしまう歌との出合いは、そうあるものではない。シェリル・クロウのデビュー作「チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ」は、オープニングの「ラン・ベイビー・ラン」をはじめ、久々にそんな思いで聴いた作品だった。アメリカの音楽界に登場した大きな才能——。彼女の歌を聴いた人ならだれもがそう予感したはずだが、93年11月の発売当初はさほどの話題にならず、内心やきもきしていたのは私だけではなかったと思う。しかし約1年後、「オール・アイ・ウォナ・ドゥ」が大ヒットし、グラミー賞の3部門で受賞という栄誉に輝いた。デビュー以前はソングライターやバックコーラスなどでキャリアを積み、走り続けてきた彼女は、ようやくひとつめのゴールに到着したようである。
 「アルバムが出たときは正直言ってそんなに売れなかった。1年間ツアーを行って、ライブ・バンドとしての実力が認められつつあるときに、<オール・アイ・ウォナ・ドゥ>がヒットしたので、2回も評価されているような気分。それがうれしいわ。」
 彼女の音楽にはロック、R& B、カントリーなどアメリカが長いあいだ培ってきた音楽のエッセンスがブレンドされている。その歌からは、広いアメリカの土の香りが漂ってくるかのようだ。さらにその音楽を素晴らしくしているのは、南部経由を思わせるリズムのノリだ。初期のボニー・レイット、またはかつてボビー・ジェントリーがその歌で匂わせた、泥臭いリズムのグルーブが彼女の歌にはある。
 「私が生まれたのは、アメリカのど真ん中、ミズーリ州の農場です。メンフィスのR&Bが大好きで、子供のころはバンドで、モータウンやスタックス・レーベルの歌をレパートリーにしていたわ。その当時から今でも好きなのがヴァン・モリソン、ローリング・ストーンズ、デレク&ドミノス。子供のころはカントリーは嫌いだったけど、いまにして思うと私に大きな影響を与えているわね」

●自分の存在意義を見い出すことが大切
 90年代のロサンゼルスのスナップ・ショットと語る「オール・アイ・ウォナ・ドウ」、クリントンが大統領に当選した時にインスパイアされて書いた「ラン・ベイビー・ラン」、MTVというメディアについて考えたときにできた「ナウ・ソング」など、彼女の歌には現代のアメリカが投影されたものが多い。しかもその姿勢は明るくポジティブなエネルギーに満ち、聴くうちに彼女のパワーを貰った気分になる。
 「だれかを励まそうと思って曲を書いたわけではないけど、女性に対するフェミニスト的なテーマは、アルバムのなかにさまざまな形で盛り込んであると思う。音楽ビジネスにいると、男性社会のなかにいるということをしばしば実感するので、それが歌になっていることはあるわね。ただ、アルバムを通して言えるのは、どの歌の中の人物も自分は何物なのかというアイデンティティを探している。それを探す課程で困難を乗り越え、打ち勝っていく、ということがひとつのテーマとして流れています。」
 自ら本の虫という読書家。マーク・トウェイン、オー・ヘンリー、ジョン・アーヴィング、そして、スタインベックとフォークナーの名を好きな小説家として挙げた。「私が好きな作家は強烈なキャラクターを描いている人です。困難な状況に立ち向かっていく本物の人間を描いている作家が好き。」そんな小説の主人公は様々なキャリアを経てデビューに至ったこれまでの彼女の人生に重なるようだ。「私が育った農業のコミュニティでは、必死で働くことが最良のことだった。自分を失わず、自分自身であり続ける。そういう人たちが私の手本です。成功できたのは運もあるけど、自分のアイデンティティが、音楽を作るところにあったからだと思うわ。」
インタヴューの最後、次に目指すゴールは?と聞いたら「私にはゴールがないの」と笑顔で答えてくれた。「ラン・ベイビー・ラン」——その歌のように彼女は走り続けるのが好きなようだ。

(インタビュー、文/中安亜都子)

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10代アーティストの魅力と可能性

彼らの魅力を分析、人気の背景やその可能性を探ってみよう
No.6

 特に10代が目立つヒップホップ系、R&B系のアーティストを中心に、彼らの魅力を分析、人気の背景やその可能性を探ってみよう

●「歌に感情を込められるようになったわ」と語る11歳
 恐るべし、10代。
 ハンソンの大成功を筆頭にポップ・シーンでは10代のアーティストの嵐が巻き起こっている今日このごろ。ではブラック・ミュージック・シーンの状況は?これがまた、すごいのである。ひょっとするとポップ・シーンのそれを上回る勢いがあるのではないだろうか。
と言えるほど、実力派のティーンエイジャーが98年のブラック・シーンを賑わせるのは間違いなさそうなのである。
 そう実感させるのに十分な才能が、まずは年の初めから登場した。その人(子?)の名はキンバリー・スコット。写真を見る限りではまだ幼さを残した初々しい表情の彼女だが、2月に発売されたデビュー・アルバム『キンバリー・スコット』を聞いて少しならずショックを受けた人は多いはずだ。もちろん僕もそのひとりで、そのアルバムで聴ける彼女の歌唱に、思わず“スゲェ!”と声をあげてしまったもの。滑らかでソウルフルな彼女のボーカル・ワークには、いわゆるキッズ・シンガー特有の可愛らしさはほとんどなく、代わりに深く豊かな感情表現があふれんばかりに……。
「6歳、8歳、10歳と年を重ねていくうちに、歌い方のスタイルは自然とかわっていったの。歌に感情を込められるようになったわ」と語るキンバリーはなんとまだ11歳なんだから、なんとも末恐ろしいというか。アップテンポのパーティー・ジャム系の楽曲ではティーンエイジャーらしいはつらつとした表情もうかがわせるが、やはり聴きものがバラードであることは間違いなし。そして、その素晴らしい歌唱に唸りながら思い出したのが、やはり若くしてデビューしたブタンディーやモニカのことだった。
 そう、『エイジ・エイント・ナッシン・バット・ア・ナンバー』(年齢なんてただの数字にすぎないわ)という自信満々のタイトルを冠したアルバムでデビューした15歳のアリーヤを皮切りに、94年から95年にかけて10代ブラック・アーティストたちが続々とデビューし、大活躍した時期があったことを思い出していただきたい。アリーヤのデビューからほどなく登場したブタンディーもアルバム『ブタンディー・デビュー!』発売時は15歳。しかし、ヒップホップ・フィーリングあふれるサウンドはソウル/ゴスペルの伝統に裏打ちされた確かな実力が感じられ、恐るべき10代の登場を実感させるものだった。
同じく95年にアルバム『ミス・サング』でデビューしたモニカも15歳だったが、TLCを大ヒットさせたダラス・オースティンの肝入りで、類まれなる実力をその歌で披露してくれたし、堂々とした歌唱が印象的だったデボラ・コックス(彼女はキンバリー・スコットのアルバムでソングライターとしての才能も発揮している)らがデビューしたのも、この95年のことだった。

90年代の10代アーティストには大人に対抗しうる実力を持つ人が
 どうやら、ブラック・ミュージックの世界にはティーンエイジャーが台頭する土壌が昔からあったようである。
 古くはドゥ・ワップの時代にヒットを放ったリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズを皮切りに、62年に12歳でデビューした(リトル・)スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン・ファイブのリード・シンガーとして69年に11歳でデビューしたマイケル・ジャクソンがいたし、時代が飛んで80年代に入るとあのニュー・エディションが登場している。
さらに彼らの対抗馬と目されたフォースMD‘S、ボビー・ブラウン脱退後のニュー・エディションにリード・シンガーとして加入したジョニー・ギル(彼はニュー・エディションと同じ83年に16歳でソロ・デビューしている)、さらにはシャニースなどなど、現在もシーンで活躍している才能が若くしてデビューしているわけだ。
 ただし、80年代までのティーン・アーティストには、いわゆるバブルガム・ソウルという形で若さ、子供らしさを売り物にする傾向があった。対して90年代のティーン・アーティストには、若さとともに、大人に対抗しうる実力が確実に感じられる。ここが90年代のブラック・ティーンエイジャーの最大の魅力ということができるだろう。

これからも続々と登場してくるブラック系の10代のアーティスト
 前出のキンバリー・スコットに続いて、すてに「ノー・ノー・ノー」を全米で大ヒットさせている16歳のコギャル(?)4人組デスティニーズ・チャイルドが3月にアルバム・デビューするし、その後も続々、有望新人の登場が予定されている。ゴスペル・ルーツをもつ11歳のキーシャ、1月のマライア・キャリー来日公演でフィーチャーされた新人7マイルのメンバーがプロデュースに絡んだ10歳のシンガー、アントワン、ニューヨークのキュートなラッパー2人組ナダナフ、昨年18歳でデビューしたUKソウルの新星ショーラ・アーマと同じA&Rマンが手掛ける2人組アキン、ベイビーフェイス夫人のトレイシー・エドモンズが主宰するヤブ・ヤム・レーベルからもテンダローニ、サード・ストーリー、シャーヤという、いずれも才能ある10代アーティストが登場する予定だ。
 さらに、94年に15歳でデビューしたアッシャーも昨年後半に全米No.1ヒットを放ったし、ブタンディーのニュー・アルバムも5月にはリリースされる予定。超売れっ子ショーン・パフィ・コムズの全面バックアップで昨年登場したメイス、ブランディーの弟レイ・Jらも。98年のブラック・シーンはティーンエイジャーに注目!と言いたくなるわけがわかっていただけると思う。
 10代といえども子供らしさを売り物にするのではなく、ソウル/ゴスペルというブラック・ミュージックの伝統を幼いころから吸収し、ヒップホップ・エイジらしい時代感覚をごく自然に身につけた実力派ブラック・ティーンエイジャーたち。 
 彼らの前に開けた前途は洋々である。“年齢なんてただの数字にすぎない”ことをその確かな実力で証明し、僕たちを驚かせ続けてくれることだろう。

(文/染野芳輝)

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ニュー・ソウル・ディーバ

美人ぞろいのヤング・ソウル・ディーバたち
No.12

 “ニュー・ソウル・ディーバ”は、なにもデスティニーズ・チャイルドだけに与えられた称号ではない! なんて力んでますが、みずみずしくも力強くソウルを解き放つ女性シンガーたちが続々登場しているのは確か。それがR&Bシーンの現状なのだ。

 そこで若々しいソウル・ディーバとしてまず注目したいのが、デスティニーズに負けず劣らずの話題性、つまり、あのクインシー・ジョーンズがほれ込み全面バック・アップする22歳(になったばかり)のタミアだ。4月に1stアルバム『TAMIA』を発表したばかりの彼女だが、R&Bファンならクインシー御大のアルバム『Q‘s ジューク・ジョイント』からの1stシングル「ムーブ・オン・マイ・ハート」にいきなり抜擢された彼女をご記憶だろう。その後も経験を積み、満を持してデビューしただけに、さすがにそのボーカルはピカイチ。まだみずみずしい若さを残しつつ、スケールの大きさも感じさせる歌唱は、6歳から教会で歌い始めたという底力と、ヒップホップ世代らしい現状感覚を併せ持ったもの。

 「音楽には人を動かす力があるのよね。何百万人もの人たちがラブ・ソングを聞いて共感してくれるんだから、素晴らしいことよ」という彼女は、幅広い層に訴えかけるソウル・ディーバとなる可能性大だ。

 アメリカからは、最近プロデューサーとしても大活躍のローリン・ヒル(フージーズ)が初のソロアルバムを夏ごろに控えていて期待が膨らむところだが、こちらも若き才能が目白押し。既に昨年秋にアルバム『マッチ・ラブ』でR&Bファンをうならせたショーラ・アーマの対抗馬として、セレーシャに注目したい。実は彼女、94年に14歳でデビューを果たしているのだが、本人いわく「あのころはまだ自分が良く分かっていなかったから、結局レコード会社が求めるブタンディーやモニカのUK版にされてしまった」とか。そういう意味では4月に発売さればかりのアルバム『ランナウェイ・スカイズ』こそが、真のセレーシャ像を写し取った作品といえそう。

 「ストレートなR&Bではない」UKソウル特有のスムーズなサウンドに乗った可憐なボーカルには「私は音楽のために生きている」という情熱が静かに息づいている。

 すでに、96年にデビュー・アルバムを発表し実績を残しているエリーシャ・ラヴァーンも要注目。彼女の新作『エリーシャ・ラヴァーン』は、ロンドンで活躍する日本人プロデューサー、T・クラに加え、SWVやブラクストンズらを手掛けるアメリカのトップ・プロデューサーらも参加、実に滑らかかつディープなソウルが堪能できる。

 その他、ゴスペル出身の歌唱力とスウェーデン仕込みのダンス・グルーヴで全米デビューしたルトリシア・マクニールなど、まさに若きソウル・ディーバたちが届けてくれる豊かな実り。それを、その耳とソウルでじっくりと味わっていただきたい。

(文/染野芳輝)

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ローリン・ヒル インタビュー

美とリアリティの調和を常に考えているから私の音楽は正直なの
No.19

 全世界で1千7百万枚のアルバム・セールスを記録したフージーズは、まさにグローバルな規模で音楽界を席巻した。“史上最強のヒップ・ホップ・グループ”の名を欲しいままにして。

その順風満帆のグループが昨年の夏から活動を休止した理由は、第一にこのローリン・ヒルの妊娠だった。ところが、それは幸運にも(!)、産休などという優雅なものにはならなかった。彼女はギターを練習し、ひとりでひたすら曲を書き貯め、レコーディングに没頭した。シーシー・ワイナンズに歌を提供し、アレサ・フランクリンをプロデュースし、息子ザイオンが生まれる前夜もスタジオで過ごしたという。そして、さらなるインスピレーションを息子から受け、子育ての傍ら音楽作りを続行する。こうして先ごろようやく完成したのが『ミスエデュケーション』。彼女にとって初のソロ・アルバムである。

「『ミスエデュケーション』っていうのは造語で、わたし自身を表すのにぴったりだったの。……生きていく上で人はさまざまなことを学ぶんだけど、そのすべてが正しいわけじゃない。じゃあ誤りに気付いた時にどうする? 当然逆のプロセスを踏むわよね。その誤った教育を自分から排除して、正しいことを改めて学ぶ。そうやって、人それぞれが自分にふさわしい生き方を探すべきだということが分かったの。各々の感情や精神性に従って」
 このような体験をテーマにした作品だけに、アルバムは彼女の自己深求の旅であり、これまでの人生を振り返る、極めて私的な内容だ。ローリンと過去の恋人たち、ローリンと息子、ローリンと神、ローリンと音楽。1曲1曲が彼女の成長・成熟の過程を鮮やかに描きだしている。

「ソングライティングもプロデュースも全部自分でやったわ。フージーズのメンバーも参加していない。グループとは別個のアイデンティティを確立するためには、何もかもひとりでやる必要があったの」

 また、ファンの要望に応えて、ラップだけでなくこれまで断片的にしか聴くことができなかった彼女の類まれなボーカルも存分に披露している。とはいえ、これは間違いなくヒップホップ。どの曲もヘビーなビートの土台に、彼女の中に蓄積された雑多な音楽要素が、ライブなバンド・サウンドで編み込まれているのが分かる。ゴスペルもレゲエもソウルも。

「だってわたしはセリーヌ・ディオンじゃないから(笑)。自分の音に忠実にいたかっただけ。ヒップホップはからだの一部であり、絶対に切り離せないわ。私のサウンド指向って、たとえ天使のような歌声を載せるとしても、べースとドラムスはハードかつヘビーにガツンと響かないと気が済まないの(笑)」

誠実に歌うことへの敬意
 時代はリアル・ミュージックを欲してる、ともローリンは言う。そもそも彼女にラップを選ばせたのは80年代の軟弱なR&Bのありさまだった。そんな彼女に、いわゆるニュー・クラシック・ソウルの盛り上がりは希望を与えたようだ。「確実に状況は良い方向に変わってきたと思うわ。誠実に歌うことによってリスペクトされる時代が帰ってきたのだから。今なら男性がアイ・ラブ・ユーと素直に歌ってもバカにされないでしょ?(笑)」

 実際、彼女もアルバムの中で、ディアンジェロと甘く危険なラブソングをデュエットしたり、メアリー・J・ブライジと失われた恋を克服する女性賛歌を聞かせてくれたりする。かと思えば、鋭い社会批評やメッセージを含んだ、まるで聖書の寓話のような趣の歌も少なくない。そして、われわれが目を背けることができない説得力とリアリティをもって、真理を突きつける。この弱冠23歳の女性は、人間の言葉と声の力を知り尽くしているのだ。「常に、美とリアリティを調和させることを念頭に置いているの。だからわたしの音楽は正直。頭でっかちになって人々の共感を得られなくなったらお終いよ」

 そう言いきる彼女は、スター気取りとも無縁だ。今も地元ニュージャージーで自分が育った家に住み、家族との強い絆を心の支えにしている。だから自分に与えられたチャンスを最大限に活かすのだという。社会に見過ごされている問題を取り上げ、声を持たない人々のために歌うのが、自分の使命なのだ、と。

「全ては神の成せる業であり、私個人とは関係ないわ。例えば詞にしても、書き始めた途端に完成された思想としてそこに存在していたりする…。だから、私は単なる道具にすぎない。世界にメッセージを伝えるための」

(インタビュー・文/新谷洋子)

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