Billboard JAPAN


Special

<コラム>池内ヨシカツ、個展【Liminal】で、見ることと聴くことのあいだにある「異なる表現間の隔たり」を問う

池内ヨシカツ

Text: 黒田隆憲

 映画音楽やさまざまな歌手との共同制作を手がけてきた池内ヨシカツが、10月13日から京都市京セラ美術館で個展【Liminal 池内ヨシカツ展】を開催する。見ることと聴くこと、そのあいだにある「異なる表現間の隔たり」を問う試みだ。音楽と美術の双方で制作してきた池内の歩みを、以前の取材で聞いた音づくりのエピソードとともにたどる。

「絵を描くことは、幼少期から身近な営みだった」

 池内ヨシカツは、京都市出身の作曲家・美術家である。高校時代からインターネット上で楽曲を発表し、2016年には、坂本龍一が音楽を担当した映画『怒り』の劇中曲を手がけた。映画音楽に加え、歌手との共同制作にも取り組んでおり、オリジナル楽曲を届けるプロジェクト「Music Charge」では、CHEMISTRYの川畑要、Da-iCEの大野雄大、Novelbrightの竹中雄大とコラボレーション。それぞれの歌声を生かした楽曲を制作してきた。

 この「Music Charge」プロジェクトから生まれた「Lonely」について、以前、Billboard JAPANで池内と竹中の対談を取材した。二人が語ってくれたのは、楽曲を仕上げる過程での細かなやり取りだ。声をどの位置に置き、楽器とどう釣り合わせるか。残響やハーモニーの調整を重ね、海外のエンジニアとも言葉の壁に苦心しながら、それぞれが思う理想をすり合わせていったという。

 池内はこの対談で、歌ものの制作でも、音を聴くことで視覚的な情景が浮かぶような表現を意識していると話していた。こうした制作の姿勢を手がかりに見てみたいのが、京都市京セラ美術館「光の広間」で開催される【Liminal 池内ヨシカツ展】だ。本展では、油彩画やドローイング、ミクストメディアの立体作品の展示が予定されている。

 絵を描くことは、池内にとって幼少期から身近な営みだった。画家である祖父が出すお題に沿って、正月に家族で絵を描く習慣があったという。その後も、音楽活動と並行して絵画や立体作品の制作を続けてきた。

 今回、池内が制作の背景として挙げているのは、言葉や映像から受け取ったイメージを音へと置き換えてきた経験だ。例えば、明るく華やかな音楽を求められても、依頼者と作曲家の思い描くものは必ずしも一致しない。音を変えながらその差を埋めていくうちに、最初の言葉には含まれていなかった響きや感覚が生まれることもある。

 表現を移し替える過程で、何が失われ、何が新しく現れるのか。絵画と音楽の双方を制作するなかで、池内は、異なる表現間の「隔たり」、その間で生じる「生まれるもの」と「失われるもの」へと関心を深めていった。音から色を思い浮かべることはできる。しかし、その色は音そのものに備わっていたのか、それとも聴いた人の記憶や感情が結びつけたのか。同じ音を聴いて別の色を思い浮かべる人がいても不思議ではない。池内は、そうした表現のあいだにある置き換えきれなさを「異なる表現間の隔たり」と呼び、制作の中心に据えている。

 この関心は、絵画では輪郭の不整合や歪みとして現れている。描かれた人物は形を保ちながら、身体の一部だけが別の構造へと変わっており、変換の中で新しく現れるものと消えていくものが同時に共存している。鑑賞者はまず、その人物を「子ども」「かわいい」「無垢」といったイメージで捉えることが多い。しかし、輪郭の不整合や歪み、表情が読み取りにくい省略された顔の構造は、最初に抱いた印象では捉えきれない。人物を言葉に置き換えた途端、その言葉によって伝わるものと、そこからこぼれ落ちるものが見えてくる。それは何者かは分かるのに、どのような存在なのかを言い切れない姿として、画面に残り続けている。

 展示では、絵画と音をそれぞれ独立して経験できる構成を考えているという。一枚の絵の感情や意味を音楽で説明するような対応関係は設けず、鑑賞者が見ることと聴くことのあいだを移動できるようにする。音が時間の中で消えていく一方、絵はその場に残る。さらに、会場へ差し込む光は時間とともに移ろい、空間の表情を変えていく。池内は、こうした変化が生まれる条件までを作品として構成しようとしている。

 今回の展示構想に触れると、取材で聞いた声や楽器の細かな調整の話も、作品をどう経験してもらうかという関心の表れとして捉え直せる。音の位置や響きに気を配ってきた池内が、絵画と音、会場の光を通してどのような鑑賞の時間をつくるのか。かつて音づくりについて話を聞いた一人として、作品の細部と、それらが置かれる空間の両方に目を向けてみたい。


関連キーワード

TAG