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<インタビュー>「日記」を手放すことはない――古賀及子『5秒日記』による、新たなエッセイの楽しみ方【WITH BOOKS】

Interview & Text: 黒田隆憲
Photo: 辰巳隆二
書籍や文筆と縁深いアーティスト、また音楽と縁深い作家に、自身の書籍や音楽とのかかわりについて訊くインタビュー企画【WITH BOOKS】に、『5秒日記』を刊行した古賀及子が登場。
『5秒日記』とは、日常のなかでふと起きた、ほんの5秒ほどの出来事をすくい上げ、言葉として定着させていく試みだ。家族との何気ないやりとり、見過ごしてしまいそうな景色、あとから思えばたしかに心が動いていたはずの瞬間。そこにある小さな違和感や可笑しみ、名づけきれない感情の手触りが、古賀の文章によってゆっくりと立ち上がってくる。
一見するとやわらかく、親しみやすい佇まいを持ちながら、その奥には既成の物語や定型的な言葉への静かな抵抗がある。感想を急がず、意味を回収しすぎず、使い古された慣用句やオノマトペを疑う。その姿勢は、日常をただ愛らしく描くこととは少し異なる、鋭さと強さを宿している。
そんな古賀に、『5秒日記』の成り立ちから、観察とメモの方法、家族を書くこと、好きな作家や音楽まで、じっくり話を聞いた。
「感想」ではなく、見たこと、聞いたことを書く
――まずは、古賀さんが『5秒日記』を書こうと思った経緯を聞かせてもらえますか?
古賀及子:もともと私はブログに日記を書いていて、それを同人誌として頒布していました。その同人誌が2023年と2024年に一冊ずつ書籍化されたのですが、それをご覧になった『北欧、暮らしの道具店』の編集者の方から、「うちでエッセイの連載をやりませんか」とお声がけいただいたのがきっかけです。
ちょうどその頃、私がXに「日記は5秒のことを200字で書くと書きやすい」と投稿したことがあって、それがかなり広く読まれたんですよ。たしか23万いいねくらい付いて、編集者の方もそれをご覧になっていて。「“5秒のことを200字で書く”というコンセプトで、あらためて日記を連載にするのはどうでしょう」と提案してくださって、その流れで始まりました。
――デイリーポータルZでライターをされていたことが、日常の細かなところを見る視点につながったとも伺いました。
古賀:記事を書くために、常に身の回りを注意深く見ていたんですよね。 「ネタがない、ネタがない」と思いながら、何か面白いものはないかをずっと探している。その目が、日記を書くときにも生きているのかなと思います。
――普段から、やはりメモはたくさん取られるのですか?
古賀:ライター時代からメモはしていましたし、今は日記を書くためにかなりメモを取ります。
メモを取らなくても覚えていられることには、あまり興味がないんですよ。むしろ、忘れてしまうことのほうに興味がある。だからメモはとても大事ですし、メモしていないと書けない内容なんです。
――とても興味深いです。メモしなくても覚えていることこそ、自分にとって大事なことだと考える人のほうが多い気がするので。
古賀:ちょっと「逆張り精神」みたいなものはあるかもしれないですね。みんなが覚えていることに注目しているあいだ、私は覚えていないことに注目して、その隙をついて一旗揚げよう、みたいな(笑)。もちろん冗談ですけど、実際に手を動かしながら書いていると、忘れてしまうことのほうが面白いな、と思ったんです。

――いつもどうやってメモを取っているのですか?
古賀:使えるものなら何でも使いますが、音声メモは少し苦手なので、基本的にはテキストで残します。「あっ」と思ったら、その場で隅っこに移動してスマホに打ち込んだり 、家の中で何かあったらチラシやレシートの裏に書いたりもします。
日記のワークショップもときどきやっているのですが、日記を書きたいと思っている方と話していると、「子どもと一緒にいるときにメモを取るのは、なんだかさもしい気がする」と言われることもあって(笑)。たしかにそうだよな、と思いつつ、やっぱり貧乏性なんでしょうね。「もったいないから書いておこう」という感じです。やむを得ないんです。
――メモしたものを文章として書き上げるとき、特に気をつけていることはありますか?
古賀:「感想を書かない」ということです。感想を書こうとすると、そこで筆が止まってしまうんですよ。迷ったり悩んだりして時間がかかるし、書けなくなる。だからまずは、見たこと、聞いたことだけを書くようにしています。
――感想というか、何かオチをつけようとしてしまうところはあるかもしれないですね。
古賀:そうそう、わかります(笑)。感想もつい書きたくなるんですよ。でも、そこで「あ、違うな」と思って消したりしながら、見たこと・聞いたことだけを書く。あと、主語を「私」にしない、というのも意識しているかもしれません。たとえばお茶について何か気づいたとき、「私はお茶を見て面白いと思った」ではなく、「お茶が面白い」と書く。私が面白いのではなく、お茶が面白い、というふうにすると、私の場合はだいぶ書きやすくなります。
――ネガティブなことを、あえて書かないようにしている部分もありますか?
古賀:最初から「これは書かない」と意識しているわけではないのですが、結果的にネガティブなことや自分の悩みは書いていないんですよね。たぶん、自分があまりそこに興味を持っていないんだと思います。

――読んでいて、思わず笑ってしまったり、クスッとするようなユーモアも『5秒日記』の魅力のひとつだと思います。それも、何か「笑わせよう」としているわけではないんじゃないかなと思いながら読んでいました。
古賀:世の中は、だいたいが興味深いです。たいていのことは、見方によって面白いものなんじゃないかと。 そもそも世界をそういう目で見ているところがありますね。「だって面白いんだからしょうがないじゃない」という感じです(笑)。何か意図的にこうしてやろう、とはあまり思わないですし、思わないほうがいい気もしています。
――「私」を消していく一方で、オノマトペの使い方には、すごく古賀さんらしさが出ている気がします。
古賀:それも本当に意識してやっているわけじゃないんですよ。 そうとしか聞こえないから、そう書いているだけというか。たとえば「もがもが食べる」とか。私には「もぐもぐ」とは思えないんです。全然もぐもぐしていない。もがもがしている。だから「もがもが」と書いているだけです。
オノマトペって定型があるじゃないですか。もぐもぐ、ぱくぱく、ぐうぐう、とか。たぶん、そこを疑いたいんでしょうね。本当に自分に聞こえた通りに書きたい。ただ、オノマトペに対してはアレルギーのある方も多いな、というのは感じています。実際に、独特のオノマトペを使うのがすごく嫌だと言われたこともありますし(笑)。でも、それはもう仕方がないですよね。文章である以上、そう受け取られてしまうことがあるのも仕方がない。それでも、少しずつやっていくしかないなと思っています。わからない人は置いて、遠くまで行くしかない、という感じですね。
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――娘さんと息子さんとの関係性も、『5秒日記』のなかでとても大きな要素になっています。おふたりのことを書くなかで、関係性が変わったり、お子さんたちの見え方が変わったりした部分はありますか?
古賀:書くことによって関係性そのものが変わるとは思っていません。変えてはいけないとも強く思っているので、それには注意しています。
――しかも、娘さんや息子さんの視点も本当に面白いんですよね。そこには『5秒日記』を書かれている古賀さんの感覚が、何かしら影響している部分もあると思いますか?
古賀:おそらくそういうことは無くて、自分ではない誰かの視点というのはそもそも驚きのある、面白いものなんじゃないのかなと思います。私にとっては誰もの視点が全員分面白いです(笑)。もし書かせてもらえるなら、誰のことだって敬意を持って面白く書けると思います。
――古賀さんご自身が、『5秒日記』を書き続けることで変化したことはありますか?
古賀:「今日も書こう」「明日も書こう」と思っているので、やはり貪欲にはなりますね。でも、自分が貪欲であることには意識的にならないように気をつけています。もし仮に、今日も明日も何も書かないとなったら、もっと漫然と生きていたんじゃないかな。そこは大きく違う気がします。
――日々の中から「面白さ」を見つける作業を続けることで、より生きやすくなったとか、毎日が楽しくなったという感覚もありますか?
古賀:楽しい……のかな。どうだろう。ただ、「書かない」という生き方も尊いとは思うんですよ。何もメモしなくていいなら、そのほうがずっと楽だと思いますし、副交感神経優位になれそうですよね。私はかなり交感神経優位なので(笑)。でも、これが自分の生業なんだろうなとは思います。だから、仕事だったらみんなやりますよね!?、ということでもあるんですけど、同時にどうしようもなく好きなんですよね。
――特に心に残ったのが、「すべての年代の自分が、自分の中に入っている」と書かれていた箇所でした。日記を書くことで、自分を見つけ直すような感覚もあるのでしょうか。
古賀:あると思います。日記を書くときって、過去のエピソードも自然と出てくるんですよね。何か珍しいことがあったり、珍しいものを見たりしたときに、「あ、これ前にも見たな」と思って、過去のことと結びつく。そうすると、そのときの自分の目が戻ってくるような感覚を、何度も経験してきました。そのたびに、「ああ、その時々の目で、まだ物を見ることができるんだな」と思えて、それは心強いことでもありました。

――ちなみに、古賀さんがお好きなライターや作家、エッセイストの方がいたら教えてください。
古賀:ずっと好きなのは長嶋有さんですね。ものすごく影響を受けています。光栄にも一緒にPodcastをやらせてもらっているので、 あまり褒めそやすのも照れくさいんですけど、もともとは本当にファンだったんです。生活を見ること、観察することに関しては、すごく影響を受けていると思います。
それから、中国の作家・閻連科も大好きです。閻連科の作品って、物語としてはものすごくドラマチックなのに、登場人物たちがそのドラマに全然飲まれないんですよね。どの作品を読んでも、全然成長しない。
それって日記の感じにも少し近いというか、私の好きな態度なんです。あまり意味づけされないとか、物語化されないとか、理由や教訓がないとか。ただ生きていて、その時々の景色を見ているだけ、という感じにすごく惹かれます。どれだけ影響を受けているかは自分でもわからないですけど、とにかく好きで読んでいます。
――なるほど。たしかにストーリーテリングって、どうしても主人公の成長に向かいがちですよね。始まりと終わりで「この主人公、何も変わっていないじゃないか」と思われがちですけど、でも人生って、実際はそんなものというか。
古賀:今日一日過ごしたからといって、何かが劇的に変わるわけじゃない。でも、それでも書きたい。成長していない自分にも、ちゃんと書く余地があるというのは、すごくロマンがあることだと思います。
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――ところで、普段はどんな音楽を聴かれていますか?
古賀:最近は、Spotifyで流れてくるものをそのまま聴いていることが多いですね。サブスクの時代になってからは、どうしてもそうなりました。
もともとはEDMがすごく好きで、特に2014年頃のシーンが好きでした。Aviciiがいて、Swedish House Mafiaがいて、一番EDMが元気だった時代ですよね。もう少しさかのぼると、アンダーワールド、ケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリム、90年代終わりから2000年代初めくらいのダンスミュージックは今でも頼りにしてます。
――Spotifyで流れてくる曲も、やはりダンスミュージックが多いんですか?
古賀:最近はそうでもなくて、日本のアーティストもよく流れてきます。たとえばCody・Lee(李)は、歌詞の中に東京のすごくマイナーな地名が出てくるのが面白くて。不動前とか世田谷代田とか、「え、そこが出てくるんだ」と思って聴いています(笑)。
――書いているときに音楽を流すことはありますか。
古賀:それが、作業中は本当に何も聴けないんですよ。音楽を聴くのは移動中だけですね。特に歩いているとき。電車の中だと降りる駅を逃しそうで怖いので、歩いているときだけです。

――ちなみに、音楽からインスピレーションを受けることは?
古賀:それが、あまりないんですよね。よく「あのときあの曲に助けられた」とか、「この音楽があったからここまで生きてこられた」みたいな話に憧れはあるんですけど、私はそういう体験をうまく持たないまま生きてきてしまった感じがあって。だから、音楽から強くインスピレーションを受けた、という感覚はあまりないです。でも、受けたいとは思っています。
――少しこじつけかもしれませんが、EDMって、あまり意味を背負いすぎていない音楽でもありますよね。
古賀:そう!(笑) 意味がないのが好きなんです。ただ明るいだけ、という感じがいい。「最初からこういうものがあったらよかったのに」と思っていたものが、ようやく現れた、と当時喜んだのを思い出しました。
――ビルボードの書籍チャートについても少し伺いたいのですが、ご覧になってみていかがでしたか?
古賀:面白いですね。令和チャートと平成チャートが分かれているのもいいなと思いましたし、時代ごとのチャートがあるのも興味深いです。あと、やっぱり漫画が強いですよね。ランキングを見て、ちゃんと漫画も読まなきゃなと思わされました。『SPY×FAMILY』とか『ONE PIECE』とか、やっぱり大人気作はすごいんだなと、あらためて迫力を感じました。
チャートに入っている書籍だと、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は読みました。映画を見る前に読んだほうがいいと聞いていたので。上下巻、一気読みして満足して、映画はまだ観にいっていません!(笑)。
――今後、こんなチャートがあったら面白い、というものはありますか?
古賀:エッセイチャートをぜひ作ってほしいです。とはいえ、上位に食い込める自信はないかも……(笑)。でも、やっぱりあったら嬉しいですね。

――今後、どんなことを書いていきたいですか?
古賀:いま、いろいろな媒体でエッセイを書かせていただいていますが、やはり身の回りのことや景色のことを書くのが好きなので、これからも書き続けたいですね。
――エッセイって、人によっては自分を切り売りするように書くものだと捉えられがちですよね。壮絶な体験がないと書けない、というようなイメージもありますし。
古賀:そういうエッセイ観――「自分を削るもの」「自分を差し出すもの」「さらけ出すもの」みたいな思い込みは、私はぶっ壊したいと思っていますね。実際、静かな生活も脈々と書き継がれてはいますもんね。 そうじゃなくても面白いものは書けるはずだし、私自身もっと力をつけて、「何もおこらない日々についてだってエッセイは書けるんだ」ということを力強く示していきたいと思っています。
日記ももちろん続けます。意味がなくてもいいところが、日記の面白さなんですよね。つじつまが合っているから書く、意味があるから書く、というのは小説やエッセイにもあると思うのですが、日記はもっと、ぶつ切りの事象や、ただそこにあった景色のようなものも書ける。そこがすごく面白い。だから日記は、ずっと手放さないと思います。
――お話を聞いていると、古賀さんってすごくオルタナティブだし、ロックな魂を感じます。
古賀:実はそうなんですよ。対象が日常なので「ほっこり」と言っていただくこともあってそれは嬉しいです。でも同時に、実はすごく過激なことをしているつもりなんです。『5秒日記』も、私としては発禁書くらいの覚悟で出しています(笑)。

























