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<インタビュー>Jay Parkの18年目の挑戦――日本語曲「Whenever」誕生の裏側と日本のファンへの想い

Text & Interview: Mariko Ikitake
Photos: MORE VISION
韓国を代表するトップアーティスト/ラッパーのJay Parkが、音楽キャリア18年にして初の日本語シングルを発表した。その名も「Whenever」――「必要なときはいつでも君のそばに駆けつける」というR&Bナンバーだ。IUと共演した「GADANARA」やミュージック・ビデオ1.8億回再生を誇る自身最大ヒット曲「MOMMAE」などで知られる彼は、抜群のステージパフォーマンスで、韓国の夏フェス【WATERBOMB】の看板アーティストとしても活躍。韓国のフェスカルチャーやヒップホップの地位を牽引してきた存在でもある。
所属レーベル「MORE VISION」の代表を務め、焼酎ブランド「WON SOJU」のプロデュースも手がけるなど、多彩な顔を持つオールラウンダーは、7月末に6年ぶりとなる単独来日公演【2025 Jay Park World Tour [Serenades & Body Rolls] In Japan】を開催。ソウルと東京を繋いで行われた本取材では、日本語シングル制作の背景や日本のファンへの思いが、飾らない言葉で語られた。公演前にもかかわらずファンの反応を“的中”させるという、ファンの理解度が高いJay Parkの揺るぎないプロフェッショナリズムも垣間見えた。
──「Whenever」で日本デビュー、おめでとうございます。日本デビューは、Jay Parkさんの目標のひとつだったのでしょうか?
Jay Park:目標のひとつでもあったのですが、日本の方々に僕の音楽が受け入れられているのかどうかかよくわからず、ずっと悩みでもだったんです。(2023年に日本で開催された)【WATERBOMB】でヘッドライナーとして出演したときに日本の方たちがすごく盛り上がってくれて、僕の歌を一緒に歌ってくれる姿にすごく感動して、日本デビューしようと決心しました。
──日本でも知られる存在だったと思うので、不安があったとは、ちょっと驚きです。
Jay Park:K-POPアイドルの人気がすごく高いのは知っていましたが、僕のスタイルはR&Bやヒップホップなので、そういうジャンルやスタイルが好まれるのか、そういう不安が少しあったのは確かです。

──「Whenever」はJay ParkさんらしいR&Bで、日本語曲ですがご自分のスタイルを貫いたんですね。
Jay Park:日本語で歌ったとしても、僕の音楽として違和感のない曲にしたいと思っていたので、今おっしゃっていただいたことは、まさに僕が求めていたものです。
──日本語バージョンで聴くと優しく寄り添う歌詞がスッと入ってきて、歌声ともマッチしていると思います。日本語は英語を話すときよりも声が高くなることが多いですし、必然的にJay Parkさんのボーカルとも合って相乗効果が生まれたようにも思います。
Jay Park:日本語で歌うと、より愛情深く歌えるような気がします。日本語って呼吸をするように話すように感じていて、心臓のあたりから呼吸を出すような感じで歌うので、もしかしたらそういうことが関係して、愛情深く歌えるのかな。韓国語では「カナダラマバサ」(日本語であたる“あいうえお”)がはっきりしていて、たとえば「アニョハセヨ パクジェボム イムニダ」と音をはっきりと言います。日本語は「これから~」とスムーズに発音しますよね。英語になると「Hey, wassup? How u doin’?」と言葉を繋げて話します。どの言語にも違った特徴があるので、違う言語でR&Bを歌うのは本当に大変なんです。だからこそ、今回、日本のR&B歌手と一緒にやりたかったんです。違和感のない日本語のR&Bにしたかったので。日本のプロデューサーのNAKKIDさんとFOFUさん、R&BシンガーのLOARさんたちと一緒に歌詞からメロディーまで全部一緒に作りました。
──日本公式デビューという点が、この曲のサウンドや歌詞に影響を与えた部分はありますか?
Jay Park:僕は、日本の音楽番組に出たりプロモーション活動をいっぱいしたりして初めて日本公式デビューしたと言えると思っています。今回はどちらかといえば、ファンサービスの部分が多いです。日本に近づくための最初の一歩にあたるのかなと。
──ここ最近は、XG「WOKE UP REMIXX」やAwichの「ASIAN STATE OF MIND」に参加されていて、今日に至るまでに、日本の音楽シーンに少しずつ、着実に歩みを進めていた印象があります。
Jay Park:確かに、過去にはJP THE WAVYやMIYACHIなど日本のアーティストとコラボもしてきましたが、今までと明らかに違う点は、日本のファンのために曲を出そうと決心をして、日本の方たちと一緒に曲を作ったことです。僕にとってそれは初めてのことでもありましたし、それもあってはじめの一歩になったと思っています。
──日本のファンに捧げる曲とのことですが、その思いをサウンドや歌詞にどう反映させましたか?
Jay Park:日本のプロデューサーと一緒に作ることで、僕はまず日本の音楽スタイルを学べました。何かを伝えたいというよりも、日本について学ぶことで日本によりアプローチできるとも思ったし、そういう姿勢で日本に行って作って完成したのが「Whenever」です。ファンへの思いが日本で曲を作るきっかけを僕に与えたのは事実ですが、日本のフィーリングやエネルギーを感じながら、僕が日本で作ることに意味があったと思っています。
──日本の制作スタイルについてどう感じましたか?
Jay Park:僕と好みが似ている方たちと一緒にやれたと思ってます。言葉が通じなくても、好みが似ているので本当にスムーズに制作できましたし、制作作業も本当によかったです。NAKKIDさんのトラックを聞いていいなと思ったら、そのままブースに入ってレコーディングするスタイル。LOARさんとFOFUさんがその場で歌詞を書いてくれて、LOARさんが日本語の仮歌を入れてくれたり、発音のディレクションをしてくれたり。そうやっていくうちに、たくさん日本語の曲ができました。リスペクトしあいながら制作する作業環境が本当によかったですね。僕みたいに現地に行って、現地の方と一緒に音楽を作るのは、韓国の歌手でもめったにいないと思いますし、この過程がとても大事だと実感しました。
──曲作りのために日本に滞在していたんですね。それはいつ頃のことですか?
Jay Park:一昨年の【WATERBOMB】で日本のファンたちを見て歌をつくろうと思って、日本のアルバム制作のために、去年の4月に日本に来て、ソングキャンプを実施しました。
──なるほど。さきほど何曲も曲ができたとおっしゃっていましたが、ということは「Whenever」以外にも聞ける機会はありそうでしょうか?
Jay Park:はい。僕だけが聞くには本当にもったいないですし(笑)、いい歌がたくさんできたのでいつか絶対に聞かせたいです。僕のことを好きでリスペクトもしてくれる方に本当にたくさん会いしました。日本ですごく有名な方までもが、僕のことをすごくリスペクトして接してくれて、一緒に曲作りまでしてくれて……僕は本当に感動と衝撃を受けました。今までもヒップホップやR&Bの曲でご一緒する機会はありましたが、こういった機会はこれからもたくさんあると嬉しいです。
──昨年の【WATERBOMB】では、「All I Wanna Do」の日本語バージョンをフルで歌っていましたよね。
Jay Park:「All I Wanna Do」を日本語で歌ったのは、当時まだ日本語の歌を出せていなかったので、皆さんに特別な何かをしてあげたいと思ったからなんです。「Whenever」は一昨年の【WATERBOMB】で久々に日本のファンの方々に会って感化されて作った曲で、去年また日本に行く機会ができたので、サプライズをしたいと思って。それぞれ別々のタイミングですが、日本のファンのために何かをしたいと思ったところは共通しています。
──それほどまでにJay Parkさんの気持ちを動かすファンは、Jay Parkさんにとって、どんな存在なんですか?
Jay Park:ずっとありがたい存在ですし、なんで僕はもっと早くこういう活動を日本でしなかったんだろうって、後悔まではいかないですが、自分自身にすごく疑問を抱きました。僕は日本の文化を愛していて、日本の食べものも本当に大好きです。日本のファンの皆さんは、僕が日本であまり活動をしてなくても好きでいてくれて、僕はなんだか申し訳なく思っていました。なんで日本でもっと早く活動しなかったんだろうって、最近はそんなことを考えています。
──それを取り返すように日本で活動が増えていくことに期待しています。「Whenever」は「何かあったらいつでも駆けつけるよ」ということを歌っていますが、Jay Parkさんが助けを必要としているとき、ファンが力になれることはありますか?
Jay Park:僕はファンの方々や家族、周りのスタッフなどから、本当にサポートを受けています。その代わりになるものを与えられるなら、僕は最善を尽くしたいと思っています。必要なら、僕はいつでも助けに行けるような人でありたいと思ってますし、その逆も然りです。
──会社の代表を務めたりと、弱い部分を簡単には見せられない立場にいらっしゃるようにも思うのですが、助けが必要なときは素直に言えるタイプですか?
Jay Park:きちんと言えますけど、切実に助けを求めるような状況を作らないように努力しています。自分ひとりではできないことが多いので、そういう部分では助けを求めますし、そういう状況にも耐えられる人になろうとも思っています。そして、助けてもらった分、僕もほかの人を助けたい。それに、会社の代表でもあるので倒れたりできないですし(笑)、簡単に何かを諦めることはしないようにもしています。
──今後、アイドルグループを2つもプロデュースするというお話も出ていますよね。ご自身の経験を活かして、これからエンタメの世界に出ていく若い子たちをどう先導していきたいと考えていますか?
Jay Park:僕はほかのプロデューサーとは違う経歴というか、異なる部分が多いので、今までの経験を活かして、これからの子たちにはカッコいいマインドを育んで、音楽を通して勇気を与えられるような人になってほしいですし、そういう子たちを作っていきたいと考えています。

──ソウルで始まった【2025 Jay Park World Tour [Serenades & Body Rolls]】には、今のところどんな手応えを感じていますか?
Jay Park:いろんな選択肢がある中で、僕を選んでくれているファンの方々が本当にありがたいです。ひさしぶりに行く国も多いのですが、長い間会えていなかった僕に皆さんがリスペクトを示してくれて。それはファンだけでなく、関係者とか仕事で関わっている方もそうです。すごくいい影響をもらっています。そこまで大きくない、小さめのライブ会場にもかかわらず、僕の音楽を聞きに来てくれるファンの皆さんを見ると、本当に嬉しいです。その国で流行っている食べものやトレンドをファンとコミュニケーションを取りながら教えてもらっていて、それも僕にとっていい刺激になっています。
──ライブで一番盛り上がる曲はどの都市も一緒だと思うんですけど、明らかに違う反応はありますか?
Jay Park:やっぱり「MOMMAE」はどこでも本当に盛り上がる曲ですね。ただ、好みや反応は場所によってそれぞれ違います。スマホで一斉に撮り始める瞬間が見えるので、ステージにいるとよく違いがわかりますし、ずっと踊ってる国もあれば、ずっと僕を撮っている国もあって、そういう意味でも雰囲気は国によって異なります。
──下着が投げこまれる名物シーンがありますが……日本でも起こると予想していますか?
Jay Park:僕のファンなら、やりかねないです(笑)。絶対やると思います。
──ちなみに、その集まった下着はどうしているんですか(笑)?
Jay Park:それは秘密です(笑)!
7月28日、KT Zepp Yokohama公演より
当日はAwichと「Osaka Ojo Gang」UWAも登場
──もちろん、日本では「Whenever」を披露してくださるんでしょうか?
Jay Park:当然です。観客と一緒にこの曲を歌えたら、本当に感慨深いと思います。おそらく皆さん、僕よりも歌詞を覚えてくるんじゃないかな(笑)。僕が歌詞を忘れたら(オーディエンスに)マイクを向けようと思います。
▶▶KT Zepp Yokohama公演のライブレポートはこちら
──そのシーンも想像できます。韓国での活動にも触れたいと思います。「Whenever」より少し前に新曲「Remedy」がリリースされました。フューチャリスティックな要素があって、ダンスも今までと違うジャンルで、ミュージック・ビデオでは演技もされていて、新しい境地に入った印象を受けました。
Jay Park:これまで発表した楽曲の95%は自分で作詞作曲してきました。今までいろんな歌を出してきて、少し違うことに挑戦したかったんです。皆さんに新しい姿を見せたかったので、今までと違うハードでエッジーな曲になりました。今までと違う衣装で、濃い化粧にも挑戦しました。
──新しい姿を見せ続けていくことは、やっぱりアーティストとしての使命なのでしょうか?
Jay Park:僕は新しい姿をずっと追い求めていて、追い求めなきゃいけない現実に、ちょっと疲れ始めている部分もあります。Jay Parkというアーティストを発展させる必要性も、新しい姿をどんどん見せなきゃいけない責任感も常に感じています。
──昨年リリースされたアルバム『THE ONE YOU WANTED』は、まさにファンの期待に応えるようなサウンドと楽曲が詰まっていました。ジェボムさんが思う“世間が求める自分”とは? そのイメージはご自身が描く理想像と一致していますか?
Jay Park:ファンの中でも僕の好きな姿は違うと思うんですね。「Yesterday」のようなバラードが好きな方もいれば、セクシーなR&Bが好みの方、「Gimme A Minute」のような盛り上がるダンスナンバーが好きな方もいらっしゃいます。でも、今まで自分がやりたかったことは、Jay Parkとして出してきた音楽で、ファンの好みに合わせて曲を出すよりも、僕がやりたいことをすると、ファンの皆さんも自然に付いてきてくれる傾向があると思います。『THE ONE YOU WANTED』は、僕が好きで僕がやりたかった音楽が集まったアルバムになったと思います。
──自分主体で音楽発信されてきたんですね。
Jay Park:そのおかげで僕も楽しく音楽活動できている一方で、そのせいで、自分で自分を悩ましている部分もあります(笑)。
──20代前半に出された楽曲より、少しずつ言葉もマイルドになってきている気もします。
Jay Park:自分を証明して、認めてもらわないといけないっていう考えから、20代前半の頃は、本当に毒のある言葉をたくさん使ってきましたが、今は本当にたくさんの方に愛されていますし、あれからたくさんのことを叶えてきたし、まぁ年も取ったし(笑)、少しずつ言葉もマイルドになってきたような気がします。
──これからもずっと歌い続けると思いますが、将来の自分も念頭に置いて楽曲制作されていますか?
Jay Park:僕は流行りに乗らずに音楽制作してきましたし、自分の今の生活に合うもの、状況に見合った歌を作ろうとしているので、おそらく10年後に歌っても違和感のないものに仕上がると思います。
──甘い歌声に加え、R&Bやラップ、ヒップホップ、B-BOYといった様々なジャンルに精通されている部分も魅力だと思います。自信を持っている部分をひとつ挙げるとしたら、何が浮かびますか?
Jay Park:自信があるのはラップです。でも、僕のラップなんて、もう誰も聞きたくないですよね。へへっ(笑)!
──そんなことないと思いますよ(笑)。これからもずっと喉や舌を鍛え続けなければいけないですね。
Jay Park:僕は空白期間がないぐらい、ずっと活動してきたので、喉を使わなくなったらどうなるか、本当に想像できないんです。休みたいとは、いつも思ってるんですけど(笑)、休めるかはまた違う話で。今後、僕がプロデュースするアイドルグループの子たちは僕の活動から盗める部分があると思うので、僕が休めるのは、もうちょっと先になるのかな。
──今後、日本でももっとジェボムさんの名前を見る機会が増えていくことを願っています。最後に、このインタビューを読んでいる方々にメッセージをお願いします。
Jay Park:ぜひ「Whenever」をたくさん聞いてください。日本での活動をそんなにもしてこなかった僕のことをずっと応援してくれて、本当にありがとうございます。これからもっと活動を頑張っていきますので、応援よろしくお願いします! ありがとうございました。
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