2011/12/07 00:00
最初才能が認められずに不遇だったが、何十年も後に再評価された1960年代のソウル・シンガー、ハワード・テイトが、12月初頭に多発性脳髄種と白血病のため亡くなった。72歳だった。詳細はわずかしか発表されていないが、ローリング・ストーン誌はテイトが12/2に亡くなったと報じている。
ジョージア生まれ、フィラデルフィア育ちのテイトは若くしてゴスペル音楽を歌い始めたが、1967年にデビュー・アルバム『ゲット・イット・ホワイル・ユー・キャン』をリリースする頃にはソウルフルなR&Bに傾倒していた。中でも人気の曲は「エイント・ノーバディ・ホーム」、「ルック・アット・グラニー・ラン・ラン」、そしてジャニス・ジョプリンにもカバーされたデビュー作のタイトル曲だった。
この頃ビルボードのR&Bチャートに入った彼の初期の曲はわずかで、それ以降のアルバムはファン受けもしなかった。それには1969年の『リアクション』、1972年の『ハワード・テイト』などが含まれる。後者にはボブ・ディランやザ・バンドのカバーも入っている。
テイトの軽やかな声はなめらかなテナーから響きのいいファルセットまで難なく姿を変えて流れ、しばしばアル・グリーンと比べられた。
1976年の離婚や火災による娘の死などの不幸が続き、テイトは音楽界からドロップアウトし、ドラッグやアルコール浸りになった。
「オレはコカインにのめり込んだ。それはありうる限り最悪のことだった」と2004年のフィラデルフィア・エンクワイアーのインタビューで彼は語っている。「それがオレの意志の力を破壊してしまった。オレはホームレスになり、カムデンのドラッグ街をさまよい歩いてた。実際、路地で死体となって発見されることになるだろうと思っていたよ。まるで、死ぬのを待っているかのようだった」 しかし、1990年代半ば、テイトはリハビリに入ってクリーンになり、フィラデルフィア近郊で説教を始めた。ひとりのジャージー・シティのDJが2001年に元シンガーを見つけ出した。その頃までにテイトは音楽ファンの間でちょっとした謎の伝説的人物になっていたのだ。昔のままの声で、彼はさらに『リデスカバード』(2003年)と『ア・ポートレート・オブ・はワード』(2006年)という2枚のアルバムをレコーディングした。後者にはルー・リードやランディ・ニューマンの歌のカバーが含まれている。
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