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<インタビュー>『ソウルフル・ワールド』劇中音楽担当ジョン・バティステ「人生観や世界観までを変え得るジャズに出会って欲しい」



JonBatisteインタビュー

 日常の中で人生のきらめきを見失っている人の魂を揺さぶる、ディズニー&ピクサー史上“最も深い“感動の物語『ソウルフル・ワールド』が遂にディズニープラスで配信スタート。生まれる前の魂<ソウル>たちの世界で、やりたいことが見つけられず何百年も暮らす“こじらせ”ソウル・22番と、この世界に迷い込んだジャズ・ピアニストを夢見る音楽教師ジョーの奇跡の大冒険を描いた本作で劇中音楽を担当したジョン・バティステの最新インタビューをお届けする。

 映画『ソウルフル・ワールド』がディズニープラスで配信された。映画は、地上と、人が生まれる前の魂<ソウル>の世界と、2つの異なる空間が舞台となる。これまでに『カールじいさんの空飛ぶ家』と『インサイド・ヘッド』で<アカデミー賞長編アニメーション賞>を受賞しているピート・ドクター監督が構想から23年の歳月をかけて制作した自信作だ。

 音楽もふたつの空間で大きく異なり、地上のパートは、主人公ジョーがジャズ・ミュージシャンに憧れる音楽教師ということで、今最も注目されているジャズ・ピアニストのジョン・バティステが担当。彼が作曲をし、主宰するバンド、ステイ・ヒューマンらと共に演奏している。また、エンディングで流れるカーティス・メイフィールドの「イッツ・オールライト」のジャズ風カバーでは歌っているが、高音のヴォーカルの優しいこと。彼の人柄がにじみ出ているような歌を聴かせてくれる。


 そのジョンに初めてオンラインでインタビューした。彼が今、全米で注目されている理由のひとつに、人種差別に抗議する運動「ブラック・ライヴズ・マター」を平和的に行っていることがある。CNNやニューヨーク・タイムスなど主要メディアが挙って報道しているが、その抗議運動の中心にあるのが音楽であり、「ウィー・アー」という彼の楽曲がシンボリックな存在として、ニューヨークで行われた「WE ARE Music March」でも参加者と共に演奏された。

 日本での知名度はまだ高くないが、ニューオーリンズの音楽一家で育った彼は、アメリカではすでに知られた存在。ニューヨークの名門校、ジュリアード音楽院でピアノを学び、在学中からステイ・ヒューマンでの活動を始めて、2015年からは彼らとアメリカの人気TV番組『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』でハウスバンドとして演奏を担い、彼自身は音楽監督も務めている。そして、2018年にジョン・バティステ名義のアルバム『ハリウッド・アフリカンズ』でメジャー・デビューしている。また、映画『ソウルフル・ワールド』以外に、現在制作中のミュージカル、27歳で夭折した天才画家バスキアの生涯を描いた作品の音楽も手懸けているという。

 ジョンが音楽を提供した『ソウルフル・ワールド』のサウンドトラックには、地上ではない、もうひとつの生まれる前の世界を担当したトレント・レズナーとアッティカス・ロス、映画『ソーシャル・ネットワーク』で<アカデミー賞作曲賞>を受賞したチームによる、イマジネイティブで、ソウルの世界を旅している気分にしてくれる音楽もたっぷり収録されている。映画と共に音楽もぜひお楽しみいただきたい。

何百人、何千人、いやもっと大勢の人達に
彼らの人生観や世界観までを変え得る
ジャズという音楽に出会って欲しいと思った

――これまでに2012年に全米公開された、スパイク・リー監督の映画『レッド・フック・サマー』の音楽を手懸けられたりしていますが、アニメーション映画の音楽は初めてですよね。今回引き受けられた理由は、どこにありますか?

ジョン・バティステ:まずはピクサーという制作会社が大好きだということ。ピクサーの作品にはいつもソウルと深みがあると思っているんだ。彼らの理念というのがこれまたすごくて、全世代、全文化をひとつにする作品を作るということ。そして、その作品を全人類に向けて発信している点に、僕自身がとても共感している。それが『ソウルフル・ワールド』の音楽を引き受けた理由なんだ。

――監督のピート・ドクターから作曲するにあたり、「ジャズを聴いている人なら誰でも、ファンじゃなくても、初めて聴く人でも、自分が入り込めると思えるような曲を書いて欲しい」と言われた時に、それこそが自分がずっとやりたかったことだと応えられたそうですが、それはどういう理由からですか?

ジョン:僕としては、きっと聴いたら好きになるだろうという思いから、まだ知らないでいる人達に音楽を紹介することに、ある種の生き甲斐を感じているんだ。多くの人は、普段自分が慣れ親しんでいる音楽を聴くことが多く、きっとロックやポップが好きな人は、ジャズを聴く機会はほとんどないんじゃないかと思う。でも、ジャズって本当に素晴らしい表現が出来る音楽だと僕は信じている。だから、『ソウルフル・ワールド』に関わることで、何百人、何千人、いやもっと大勢の人達に彼らの人生観や世界観までを変え得るジャズという音楽に出会って欲しいと思ったんだよね。

――具体的に作曲を始めるなかで、お父さんとの思い出や、音楽が2人の絆を深めたことなど、父親のマイケルさんとの関係が作曲のインスピレーションになったそうですね。映画としては直接親子の物語を描いているわけではないですよね……。

ジョン:これまでに多くの人達が音楽のメンターとして、僕を導いてくれたけれど、人生最初のメンターになってくれたのが父さんだった。僕の家族は、全員が音楽に関わっていて、親族と結成したグループでツアーをし、世界各地で演奏をする、という環境で僕は育った。ニューヨークのジュリアード音楽院に入学した際に家族とも、そのグループとも離れたわけだけれど、その後はジャズだったら、アビー・リンカーン、カサンドラ・ウィルソン、ロイ・ハーグローヴ、ウィントン・マルサリス、ロックだったら、プリンス、レニー・クラヴィッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとの仕事を通して多くを学んだ。だから、父に限らず、そういった人達からたくさんのインスピレーションをもらってきた自分を振り返りつつ、主人公ジョーのジャズ・ミュージシャンとして成功したいという気持ちからも、インスピレーションをもらって多くの劇中歌を作曲したんだ。

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嬉しさとショックで
口があんぐりとあいてしまった
驚きの連続でもあったよ

――劇中ではジョンが作曲したジャズが流れる一方で、エンディングではカーティス・メイフィールドの「イッツ・オールライト」をジャズのアレンジでカバーしていますよね。この選曲はご自身で?

ジョン:監督のピートと共同監督&脚本家のケンプ・パワーズとのミーティングで、ラストシーンにどんな音楽がぴったりか、ということを話し合った。ちょっとメランコリックでありつつ、希望にも満ちている。そんな主人公ジョーの心情を表現するのにふさわしい音楽はなにか。3人でいろんなアイディアを出し合うなかで、やはりブラック・ミュージックの伝統を継承しているアーティストがいいだろう、ということで、カーティス・メイフィールドの名前が挙がった。彼は、偉大な作詞家、作曲家でもあり、本当にいい楽曲をたくさん書いている。その名曲の宝庫から最終的に「イッツ・オールライト」を選び、ジャズのアレンジで演奏し、僕が歌うことになったんだ。

――映画を観ましたが、主人公ジョーの生き生きとしたピアノの演奏がとてもリアルで、驚きました。

ジョン:僕も初めて観た時、ショックだった。というのは、あのピアノを弾く指の動きは、実際に僕が演奏したパフォーマンスをアニメーション化したものだから。嬉しさとショックで、口があんぐりとあいてしまった。美しい映画にもすごく感動したけれど、驚きの連続でもあったよ。


――さて、抗議運動についても聞かせてください。どういう理由から始めたのでしょうか?

ジョン:2009年から“ソーシャル・ミュージック”と位置づけた、社会を意識した音楽というか、僕らが生きてきた社会や歴史で起きたこと、僕自身が経験してきたことなどを掛け合わせた表現を音楽でしてきた。“ジャズ2.0ヴァージョン”とも言っているんだけれど、その作った音楽を地下鉄とか、街角とか、公共の場、レストランなどでも演奏してきた。その延長というわけでもないけれど、抗議運動のなかで、行進したり、演奏をしたりしているわけだけれど、それこそが“ソーシャル・ミュージック”の原点だと思っている。音楽が商業化される前の音楽のカタチだよね。昔は、日々の出来事を音楽で表現したりしていたわけだから。

――ということは、今年のブラック・ライヴズ・マター運動が起きる前から、あなたは活動を行っていたということですか?

ジョン:10年以上前からニューヨークでも、世界各地でもやっているよ。僕らは、“ラヴ・ライオッツ(愛の暴動)”って呼んでいるけれど、大勢が集う真ん中にバンドがいて音楽を演奏する。その時の人々の熱気というのは想像以上にすごいものなんだ。ニューヨークは特に人種のルツボだから、言葉が通じない人もいたりするけれど、そんな人々が一緒に歌い、拍手をしたり、踊ったりするなかで、僕らは愛を分かち合うことが出来る。そういう場所を作ってきた。ワシントンのナショナル・モールでやったこともあるし、僕らのライブのアンコールとして街に繰り出したこともあるよ。


――その運動のなかで今、象徴的な存在となっているのが「ウィー・アー」という曲ですよね。あなた自身も“WE ARE”とプリントされたTシャツを着ていたりしています。この「ウィー・アー」という曲はいつ、どのように生まれた曲なのでしょうか?

ジョン:曲自体は結構前に書いた曲なんだ。本物のファンクのリズムが核にあるところに、ハーモニーとして中東風のテイストのものが重なり、さらにクワイアの歌を加えることで、とてもグローバルなサウンドの曲が生まれた。その後で、<ウィー・アー~♪>と繰り返す歌詞が出来たんだけれど、でも、まだ物足りない。そんな風に思うなかで、マーチングバンドと聖歌隊の共演というヴィジョンが生まれた。さらに曲が書きあがった段階で、僕の大切な人達に参加してもらいたいと考えて、故郷ニューオーリンズで祖父が率いている教会の聖歌隊と、僕が卒業した高校のマーチングバンドに演奏してもらった。その曲がニューヨークでの抗議運動にピッタリだと思い、演奏したんだ。曲は、配信で聴けるようになっているよ。

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