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ヘイミッシュ・スチュアートが選ぶ“最も思い出深い楽曲”プレイリスト



インタビュー

 ネッド・ドヒニーの名盤『HARD CANDY』に収録された「A Lovw Of Your Own」やチャカ・カーンがカバーした「What Cha’ Gonna Do for Me」、ベン・E・キングを迎えたアヴェレージ・ホワイト・バンドの「A Star In The Ghetto」など、数々のヒット曲を手掛けてきたヘイミッシュ・スチュアート。所属していたバンドのアヴェレージ・ホワイト・バンド(AWB)の解散後、ジョージ・ベンソンやアレサ・フランクリン、ポール・マッカートニーなど、著名アーティストのツアーや作品に参加し、2000年代は同じくビートルズのメンバーであるリンゴ・スターのヒズ・オール・スター・バンドのメンバーとして世界各地を飛び回った。今回、長年の音楽パートナーであるネッド・ドヒニーとともにステージ共演をするヘイミッシュにインタビューし、彼が手掛けた楽曲の中で、特に思い出深い楽曲をピックアップしてもらった。楽曲の裏話も必読だ。

 ネッドが語るヘイミッシュとの楽曲制作の裏側の一部は、こちらのオープン・レター・プロジェクトでもチェックできるので合わせてご覧いただきたい。

ヘイミッシュ・スチュアートが選ぶ“自身が手掛けた最も思い出深いコラボレーションソング”

01. David Sanborn - Love & Happiness

 デヴィッドのファースト・アルバム『Taking Off』がリリースされた時期に、彼とザ・ブレッカー・ブラザーズ・バンドのプレイを聴いて以来、私はずっと彼のファンでね。2~3年した後に、ちょうどマイアミにあるクライテリア・スタジオで彼のバンドとアヴェレージ・ホワイト・バンドがレコーディングをしていて、そこで誕生した彼のアルバム『Promise Me The Moon』のタイトルトラックを含む数曲に私も参加したんだ。ちょっとしたオフの時間に話したりして、楽しかったよ。

 そのまた2年後くらいに、偶然ニューヨークでばったり会って、また彼の作品に参加することになったんだ。ラニ・グローヴスやディーヴァ・グレイ、ゴードン・グロディー、そしてポール・サイモンらと一緒に、『夢魔(VOYEUR)』の「All I Need Is You」をコーラス参加する機会に恵まれたんだよ。

 1980年代半ばは、私がロサンゼルスを拠点にしていたため、彼とはあまり連絡を取っていなかったんだが、ニューヨーク西部にあるSIRスタジオで、後に『Straight To The Heart』としてリリースされるアルバムを完成させるために、デヴィッドから、いくつかショーに参加してくれないかと誘いが来た時は、二つ返事で引き受けたね。

 そのショーでは、ジュニア・ウォーカーの「(I’m A) Road Runner」もプレイしたんだが、この曲がとても良くて、アルバムに入れることにした。デヴィッドや彼の素晴らしいバンドメンバー達との音楽制作は本当に楽しい思い出で、当時のメンバーには、故ドン・グロルニックや故ハイラム・ブロックが所属していて、ドラマーにはバディー・ウィリアムス、このアルバムもプロデュースしたマーカス・ミラーも参加していたんだ。

02. Hiroshima - Unspoken Love

 1970年代後期にハワイでヒロシマの一部のメンバーと会ったことがあって、その後、旧知の仲で今は亡きデヴィッド・ウィリアムスが彼らのアルバムをプロデュースした頃に、メンバー全員と知り合いになったんだ。それからまた数年後、(シャーデーのプロデュースで知られる)ロビン・ミラーから、クインシー・ジョーンズのQwestレーベルから発売されるヒロシマの『Urban World Music』に参加しないか声がかかって、2曲コーラス参加したんだよ。そのうちの一曲がこのデュエット「Unspoken Love」なんだ。ロビンが作詞し、メンバーである琴プレーヤーのジューン・クラモトが作曲を手掛けた美しい曲だ。

 日本とアメリカのハーフから成るこのバンドとの音楽作りはとても楽しくて、尺八や琴といった伝統的な日本楽器をソウル/R&B/ジャズのリズムと見事にマッチングさせる技には惚れ惚れするよ。

 それに、ロビンとは、Sunset Sound(米ロサンゼルスにあるレコーディングスタジオ)に所蔵されたマイクの中から、どれが一番かを決める時間がものすごく楽しかったんだ。かれこれ10年以上、この曲をライブで演奏してきたけれど、何年経っても飽きない。実に素晴らしい一曲だ。

03. Paul McCartney - Ain't No Sunshine (Live On MTV Unplugged)

04. Hamish Stuart - I Don't Wanna Be a Rock

 AWBがまだ若手バンドだった頃に、何度かギャラガー&ライルと一緒になったことがあって、私はそれ以来、彼らの音楽を聴いてきたし、尊敬してきた。グラハム・ライルが手掛けた「愛の魔力(What’s Love Got To Do With It)」なんかも好きでね。ポール・マッカートニーと6年一緒に活動した後に、自分のファースト・ソロ・アルバム(『Sooner Or Later』用に選曲していたところで、一緒に作品を作らないかグラハムにコンタクトを取ってみたんだ。そしてその結果がこれだよ。

 プレイリストに入っているヴァージョンはチャリティ団体『Prostate Cancer UK』のコンピレーション・アルバム用に私がプロデュースした曲で、私の友人である素晴らしいミュージシャン達がバックに参加しているんだ。ドラムにイアン・トーマス、パーカッションにダニー・カミングス、ベースにはピノ・パラディーノ、ピアノはジム・ワトソン、ギターはロビー・マッキントッシュとジム・マレンの2人で、マット・アーヴィングがオルガン参加している。セッションはまるで同窓会みたいでとても楽しかったんだが、悲しいことに、これがマットとの最後の作品になってしまってね。彼も前立腺がんで6年闘病していたんだが、セッションから2~3週間後に亡くなった。彼が大好きだったメンバーと最後に一緒にプレイしたことで、彼を見送る最高の贈り物になったと思うよ!

05. Average White Band - A Star In The Ghetto

 アトランティック・レコーズの代表だったジェリー・L・グリーンバーグが、この曲をベン・E・キングとレコーディングしてシングルリリースする希望があったんだ。バンドのオリジナルメンバーであるドラマーのロビー・マッキントッシュが1960年代にベンのヨーロッパ・ツアーに帯同していたことや、私達みんながベンのファンだってこともあって、とてもグレイトなアイデアだと思ったね。真のソウル・レジェンドとコラボレーションする最高の経験になった。セッションも最高で、彼の1960年代の楽曲「What Is Soul」を当然ながら『Benny And Us』のB面に収録させてもらったよ。

 意気投合してそのままアルバムを作ってしまおうという話になってね! ジェリーから提案されたミック・ジョーンズの「Fool For You Anyway」も完璧にキマって、私からはダニー・ハサウェイの名曲「いつか自由に(Someday We'll All Be Free)」をプレイしないか提案したんだ。誰もがアイデアを持ち寄って、この作品は3週間ほどで完成させたんだ。

 その後、NWAのファースト・アルバムを聴いていた時、なんだかどこかで聞いたことのあるサウンドだなって思っていたら、それがスティーヴ・フェローンのドラムと私のギターサウンドだって気づいてね。NWAはこの曲のイントロ部分をループ使用したんだが、全く新しい音楽を作り上げ、その後ヒップホップでAWBのサンプルを使用した楽曲が続々と誕生したというわけさ。

 1977年の夏に私達AWBはヨーロッパ・ツアーを実施して、そのツアーにベンもたくさん参加してくれた。彼は誰からも愛される、非常に物腰が柔らかい人間で、映画『スタンド・バイ・ミー』がヒットした時は、タイトル・ナンバーのプロモーションでロサンゼルスに滞在していたベンが、私に電話をくれたんだ。とても嬉しそうで、1960年代に発表したヒット曲が時を越えてまたビッグ・ヒットになっていることに心から喜んでいたよ!

06. George Benson - Never To Far To Fall

 この曲はネッドと私がコラボレーションした3作目の曲で、この曲が完成した後、すぐにアリフ・マーディンから、自分がプロデュースするジョージ・ベンソンのアルバムの曲を探していると連絡があった。私はこの曲がいいんじゃないかと思ったね。アリフからバックコーラスを録るためにスタジオに来るよう頼まれた時から、早く参加したくて仕方なかった。

 マーヴィン・ゲイから、もっと歌ったほうがいいとアドバイスを受けていたから、それを実践するいい機会だったんだ。自分が複数のパートを歌うマルチトラック録音を実践したんだよ。あれは本当に楽しいひと時だったな。全部のパートを私が担当して、アウトロ部分にアリフが少しエコー・リピートを利かせたおかげで、素晴らしい作品に仕上がった。アリフと作る音楽の時間はいつも楽しくて、彼は私の音楽人生に欠かせない重要な人物の一人だよ。

07. George Benson - Love Will Come Again

08. Gordon Haskell - There Goes My Heart Again

 ゴードン・ハスケルとは、私が彼のアルバム『Harry’s Bar』で数曲演奏に参加することになったのがきっかけで出会った。共通の友人であるロビー・マッキントッシュも参加しているんだ。大ヒットを記録した「How Wonderful You Are」は完成していたんだが、この「There Goes My Heart Again」には少し手を焼いていた様子で、彼はヴォーカルとピアノに、ストリングスを加えようとやってみたところ、コーラスを重ねたほうがいいと考えたようだ。彼は私がヴォーカルのマルチトラッキングの経験があることを知っていたから、私はスタジオで一晩中、その作業とヴォーカル録りを行った。音楽に関することなら、私は何でも楽しめるほうなんだが、この曲は格別、無我夢中になって作った精魂込めた作品だ。このように自分を表現させてくれたゴードンには感謝しているよ。

09. Chaka Khan - What Cha' Gonna Do For Me

 ネッドと私が再び曲を一緒に作るまでに約5年ものブランクが空いたのには特別な理由もないんだが、特に二人とも進んで何かを作ろうとはしていなくて、再びそのチャンスが来たときは本当に自然な流れだったんだ。1980年、ロサンゼルスに戻っていた私は、AWBのアルバム『シャイン』のレコーディングやら作曲に取り組んでいた。

 ネッドの家のリヴィングには、とてもいい音を奏でる古いスタインウェイ・ピアノが置いてあって、ある日そのピアノ椅子の上でチョロチョロっとギターを弾いていたんだ。コードチェンジの時にネッドが何か閃いて、そのまま1番の歌詞がスラスラっと思い浮かんだんだ。私がそのコードを弾き直して、2人とも夢中になって曲作りを続けたのさ。「A Love Of Your Own」ほど早く書き上がった曲ではないけれど、この曲がその後、同曲のように長く記憶に残るような楽曲になったことに心から感謝している。

 この曲ではギターに集中したかったから、最初、私はコーラス参加をしたくなくて、その結果、チャカ・カーンが参加したんだ。AWBのデモヴァージョンにチャカが歌声を追加して、後から私のヴォーカルも追加した。私はAWBヴァージョンが気に入ったことがなくて、なんとなくあの曲は不自然に聴こえるんだ。プロデューサーが楽曲を理解しておらず、サウンドなんかは本末転倒。だから、チャカの3枚目のソロアルバム用にこの曲をシングルカットすると、アリフ・マーディンと彼女のマネージャーのジャック・ネルソンから提案があった時は、心の底から嬉しかった。スティーヴ・フェローンやアンソニー・ジャクソン、ラリー・ウィリアムズ、デヴィッド・ウィリアムス、そして私のリズムセクションが格段に冴えていて、マイケル・ブレッカーの強烈なサックスのソロパート、チャカ独特の歌声、そしてアリフの正しいプロダクションと相まって、遂に不正義は正された。

10. Ned Doheny - A Love Of Your Own

 ネッドとの出会いは1974の終わり頃で、私達はすぐに意気投合した。共通の音楽はもちろんのこと、ユーモアの部分でも共通する部分が多くてね。ロサンゼルスにいるときはAWBと一緒にいることが多かったんだが、仕事も終わりメンバーが東海岸へ戻った後も、私はベネディクト・キャニオン・ドライヴ(ビバリーヒルズ北西に位置する高級住宅エリア)にあるネッドの家に居候させてもらってたんだ。そのおかげで、LAの内部事情に随分詳しくなったよ。

 Dan Tana’sやLucy's El Adobe Caféで夕食を済ませた後は、たいてい、ギターやビール瓶を片手に、キッチンテーブルを囲って、おしゃべりやジャムをして楽しんでいた。ある晩、ネッドがこの曲のメロディーを弾き始めて、それに私が3つほどコード・シーケンスを弾いたんだ。彼が奏でるギターのメロディーに合わせて歌詞を当てはめていって、この曲がスラスラと出来上がっていった。ネッドが一文歌い、私がその次の歌詞を歌ってーそれはまるで次々と変わるファッションの流行と同じくらいの速さでね。30分ほどで曲が出来上がった。幸運なことに、カセットプレーヤーにその模様を録音していて。それを翌朝の朝食時間に聴いてみるまで、どんなすごい曲を作り上げたか2人とも全く自覚がなかった。まさに魔法のようなコラボレーションの誕生さ。

11. 360 Band - Cherry Blossom Time

 この曲は、桜の満開シーズンの東京が少し影響しているんだ。ある日のこと、彼がロンドンに旅行に来ていたのか、そこに住んでいたのか分からないが、ある一人の日本人のファンと話をした時に、彼がホームシックで寂しがっている様子が気にかかったんだ。その後、東京に戻った彼から満開の桜の写真が付いたハガキが届いて、彼がとてもハッピーだったものだから、これを曲にしようとインスピレーションが沸いたんだよ。

 スティーヴとモリーと3人で360 Bandを結成して最初に作った曲のうちの1曲で、アウトロでスティーヴが奏でるリズミカルなフィルインが、この曲を“モノ”にしてくれた。終盤のパートは即興演奏で、その場にいたミュージシャン達が全員、互いを聞き、それに応えていた―このアルバムの忘れられない瞬間の一つを目のあたりにしたよ。

12. 360 Band - Mighty Fall, Pts. 1 & 2

 唯一無二の存在であるモハメド・アリへのトリビュートであるこの曲を、ギタリスト/編曲者のリチャード・ナイルズのアルバム『Santa Rita』のために、彼と一緒に1990年代後期に作り始めた。レコーディングしたあとに、20世紀最高峰のヒーローであろう彼の人生にまつわる何かが抜けているような気がしたんだ。彼の素晴らしい人生を中断してしまった重要な出来事を幾つか追加しなくてはと思ったんだ。よりシンプルにさせるために、いくつかコードを減らして、歌詞を増やした結果、パート2が完成したんだが、それによって彼の素晴らしいストーリーがより深く伝わっているといいな。

 この曲は私にとっても大切な存在で、モリーやスティーヴも同感してくれるはず。だって、昔はよく、みんなで映画館やテレビの前に集まってアリの試合を観ていたし、私達全員がGOAT(Greatest Of All Time、モハメド・アリを指す)の大ファンだったからね。

13. 360 Band - Wordsworth

 1990年初期に、ベン・ワーズワースという男性と知り合ったんだ。彼はロンドンにあるThe Groucho Club(会員制クラブ)や大企業に顔が知られた存在で、詩人ウィリアム・ワーズワース直系の子孫なんだ。私は子供の頃にウィリアムの作品を学んだし、彼の『水仙(The Daffodils)』は今でも記憶の片隅に残っている。それまで考えたこともなかったんだが、ワーズワース(Wordsworth)なんて、詩人にピッタリの名前だよね。理解されない、伝わらない、偽りだらけの言葉とはどんなものか興味が沸いた。真実のない言葉なんて無意味だ。

 この曲は私の最新のコラボレーションソングで、スティーヴ・フェローンとモリー・ダンカンが参加している。いつもギターモチーフから取り掛かるんだが、彼らがそれらをくみ取ってくれると、必ずと言っていいほど上手くいくんだ! モリーは最高にいい仕事をしてくれて、彼の音色はまるで最高級のワインのように熟成していて、ソロとアドリブ演奏なんか実に美味い!

14. 360 Band - Just For A Thrill

15. The Allstars Collective - Remedy (Feat. Hamish Stuart)

 The AllStars Collectiveは英ロンドンを拠点とするセッションプレーヤーやシンガーが集まったグループで、私が初めてアルバムをプロデュースしたグループでもある。このグループはジョセリン・ブラウンといったゲストやミュージシャンを抱える大きなグループで、彼らからこの「Remedy」のリードヴォーカルを任せたいと依頼があった時は、このグループに参加できてなんて光栄なんだって思った。

 アルバム・リリースから約1年後、私の娘のサラがちょうど滞在していた東京から電話をしてきて、デパートで買い物中に私の声を聞いたって話すんだ。話を聞いていると、この曲が店内BGMで流れていたようだ。なんて奇妙で素敵な出来事だろうね! だって彼女が3歳くらいだった頃、ポール・マッカートニーの来日ツアーで彼女を連れて日本に来たことがあったんだが、彼女にとってはそれ以来の来日だったんだからね。

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