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<インタビュー>平野綾が語る6冊の座右の書――文学に見る"演じたい女性像"と役者としての矜持【WITH BOOKS】

Interview & Text: 成松哲
書籍や文筆と縁深いアーティスト、また音楽と縁深い作家に自身の書籍や音楽とのかかわりについて訊くインタビュー企画【WITH BOOKS】。今回登場するのは、俳優でアーティストの平野綾。
出版関係者、マスコミ関係者が多い家庭に育ち、物心ついたときには友だちと外で遊ぶのもそっちのけで、自室に入り浸って本に囲まれていたと語る平野。そんな彼女の読書スタイルとは? そしてその人生に多大なる影響を与えた作品とは? はたまた読書と演技、読書と音楽の意外な関係とは? 幅広い話を聞いた。
幼少期から、本と歩んできた人生
――過去のあるインタビューで平野さんは放課後は外で遊ぶよりも本を読んでいるのが好きな子どもだった、とおっしゃっていました。
平野綾:もともと平野家は活字と縁があったというか、出版関係者が身内に多かったこともあり、家族の名前に作家さんの名前の漢字を当てていて……例えば父は谷崎潤一郎から一字もらって「潤」って名前だし、その父の弟の「靖」は井上靖さんの「靖」だし、私の「綾」も三浦綾子さんと曽野綾子さんからもらっていたりするんです。そういうこともあって私の両親も読書家だし、小さい頃から本に囲まれた生活が当たり前のことだったんです。
――となると、絵本や児童書のような子どもらしい作品と同時に大人の読むような本も読んでいた?
平野:そうですね。ちょっと記憶が曖昧なんですけど、確か最初に引っ張り出してきた本は『いいことから始めよう スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント』(著:エイブラハム・J.ツワルスキー、訳: 小関康之 / 新潮社 / 1998年)ですから。スヌーピーとかチャーリー・ブラウンとか『ピーナッツ』のキャラクターが表紙に描いてあって「なんだろう?」と思って開いてみたら、めちゃくちゃ難しい心理学の本で(笑)。絵はかわいいのに書いてあることがすごく深い、そのギャップに興味を持って読んだ記憶があります。あと父の影響で、父が子供の頃に読んでいたツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターの伝記を譲り受けたり、ドストエフスキー『罪と罰』をなんとなく気になって手に取ってみたり。最初は両親の読んでいた本を読みたくて探していたのを覚えています。
――どれも小学生が読むには……。
平野:もちろん難しかったんですけど、なぜかページをめくる手が止まらなくて。当時は朝読み出して、気づいたら夜になっていたなんてこともしょっちゅうありましたし。ちょうどその小学校の頃に『ハリー・ポッター』シリーズ(著:J・K・ローリング、訳:松岡佑子/静山社)が発売されたタイミングだったんですけど、あのシリーズって4作目の『(ハリー・ポッターと)炎のゴブレット』(2002年)以降、上下巻になるんですよね。なのに、私は出版されたその日に上下巻とも全部読んじゃって……。クラスの子たちはじっくり楽しんでるのに、私だけすぐに楽しみがなくなるという(笑)。読書が苦手な子どもって少なくないと思うんですけど、活字を読むことが大変だと思ったことは一度もないですね。
――当時、読書にハマった理由って分析できたりします?
平野:単純に活字を追うのが楽しかったのと、これは今もそうなんですけど、自分の知らないことを知れるということがすごく好きで。当たり前なんですけど、本を読めば私が全然触れたことのない世界に触れることができるじゃないですか。
――それこそ20世紀初頭の考古学者・ハワード・カーターの歩みを知ることもできれば、魔法学校なんてファンタジックな世界の様子を覗き見することもできる。
平野:それに友だちと外で遊ぶタイプじゃなかったこともあって、子どもなりの人間関係についても本で学んだみたいな部分が少しあるんですよ。そういう体験が面白かったから、図書委員に積極的に立候補していたし、委員会活動のある日だけじゃなくて、毎日休み時間のたびにいち早く図書室に行っていたし、もし行けないなら教室で本を読む。そういう小学校・中学校時代を送っていた上に、名前に「綾」って付いているから、当時のあだ名は綾波レイでした(笑)。
――今の読書スタイルについてもうかがわせてください。紙の書籍で読みます? それとも電子書籍?
平野:断然紙ですね。
――平野さんみたいなタイプって、ミュージカルの地方公演やライブツアーのときにも絶対に本を持っていきますよね?
平野:持っていきますね。
――すごくバカみたいなことを聞いちゃいますけど、重くないですか?
平野:いくら重くても持っていきます! 1ページ1ページ読み進めていくうちにだんだん残りページが減っていく、あの達成感に比べたら、便利だとか不便だとか、そういうことはもうどうでもいいんです(笑)。それに首都圏のお仕事であれば自分で運転するので、重たいっていうこともないですし。今まさに舞台の本番中(インタビュー時)なんですけど、今日みたいな休演日はもちろん、昼公演と夜公演のあいだなんかにも家から持ってきた本をずっと読んでますね。
――やっぱり書店派ですか?
平野:絶版本なんかはネットでも自分の足でも探すし、書店さんに立ち寄る時間がないときもネット通販を使うけど、時間が許すなら絶対に書店さんに行きたいですね。で、すごい量を買っては店員さんに「送りますか?」って言われるんだけど車で来てるし、「すぐ読みたいので持って帰ります」って両手に手提げ袋をぶら下げて帰ってきています(笑)。
――ネット通販を使わないのはすぐ読めないから(笑)。
平野:そういう面や検索では出合えなかった1冊に出合えるっていうメリットもあるし、書店さんごとに傾向ってあるじゃないですか。この書店さんはこのジャンルに強いとか、あの書店さんはポップがいいとか、オフィス街の書店と住宅街の書店では品揃えが違っていたりとか……。そういう違いを観察するのも楽しいんですよね。
――そしてそういう読書生活を送っている平野さんに座右の“一冊”をうかがうつもりだったんですけど、この企画にご登場いただくほかのみなさん同様、たくさんの本をご紹介くださるという(笑)。
平野:……すみません(笑)。
- 「自分とは何者か――『氷点』と実存への目覚め」
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自分とは何者か――『氷点』と実存への目覚め
――ただ、今までの話を聞けば納得ながらも、パブリックイメージとしての平野綾と照らし合わせると実は意外かもしれない、面白い6冊を選んでいただきました。まずは三浦綾子『氷点』(1965年 / 朝日新聞社)。先ほどのお話によると、ある意味平野さんの“ルーツ”でもある作家の代表作で何度も映画化、テレビドラマ化もされています。
平野:中学校に入ったばかりの頃「読んでおいたほうがいいよ」と母に勧められて、手にしたのが出合いですね。名前を一字もらっている話も聞いていました。
――出生の秘密を抱えたヒロインあり、不倫あり、継母によるイジメあり、ヒロインに道ならぬ恋をしてしまう義兄あり。一見、昼メロっぽいお話なんだけど「自分とは何者なのか?」という疑問や、人が生まれながらに抱えている罪の話に着地しています。
平野:ちょうど中学時代、いろんな哲学書を読むようになるんですけど、一番ハマったのがサルトルの実存主義で、とても分厚い本を何冊も読んでいたんですけど、『氷点』はその当時読んでいた本と地続きだった。今ここにいる自分ってどういう存在なんだろう? 他人と対峙することで見えてきた自分はどういう存在で、どう生きるべきなんだろう? そういう実存とか存在意義について深く考えるきっかけを与えてくれた1冊なんです。
――そうやって己の実存を虚心に見つめようとする平野さんの目には、自分の実存や生まれながらに抱えている罪=原罪を知ったヒロインの辻口陽子の最後の行動ってどう映りました?
平野:理解できる部分も多いです。彼女は実はウソだったものの、自分は抱えていると信じていた原罪に加えて、もうひとつ、社会で他人と対峙していく中で新たになにかを背負うことになってしまった。その両方に苛まれたなら、ああいう考え方や行動に流れていくのもわかるなという気がしますね。
――そして2冊目は谷崎潤一郎『刺青』です。
平野:今のこの時代、こういう表現ってあんまりないじゃないですか。
――成人指定を受けたり、ゾーニングの対象になるかもしれない。
平野:それかもうちょっとオブラートに包んで表現する作品が多いと思うんです。今ですらそうなのに、明治時代に日本でSMや性的倒錯を直接的な言葉を使わずに表現しているところ……エロティックな物語をいかに日常の言葉や道具で描けるか、ということに成功しているところがすごく美しいな、と思っています。それと、この作品には共感もしていて……。
――へっ!? 女郎蜘蛛の刺青を彫られて、魔性の女として覚醒したい?
平野:いや、役者として、ですね(笑)。色香の漂う女優になりたいと思っている私にとって「こういう女性を演じられる人間になりたいな」という一種のモデル、指標なんです。
――あの娘ってもともと美人に女郎蜘蛛の刺青を彫ることに執着している清吉に怯えていたじゃないですか。なのになんで彫られたとたんに魔性の女に変身したんでしょうね?
平野:お化粧みたいなものなんじゃないかなって解釈してます。メイクをすることで対外的な自分が完成するみたいな部分ってあるじゃないですか。それと似ていて刺青が入ったことであの娘のキャラクターができあがったというか。もともと男性をハンドリングしたい、みたいな欲望や資質はあったんだけど、それは無意識下のもので、刺青を彫られたことでついに覚醒した。「あっ、このヤバいキャラクターを出してもいいんだな」ってなったんじゃないかな、と思っています。だから、実はあの娘は「清楚な少女」と「魔性の女」、その両方を演じていたんじゃないかという気がするし、私はそういう女性を演じてみたいんですよね。
――そういえば、そもそも『刺青』と出合ったのはいつ頃なんですか?
平野:10代の終わりくらいだったと思います。もともと教科書にも載っている作家だから谷崎のことはもちろん知っていて「春琴抄」や「細雪」は読んでいて、ある時『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』という短編集に出合って。「なんだかよくわからないけどスゴいぞ!」となって、さらに読み漁っているうちに『刺青』も知ったという感じですね。教科書で知った谷崎とは明らかに違うことがまず面白かった上に、見ちゃいけないものを見ているような感覚にさせてくれるのがすごく素敵だなと思ったんです。そういう意味では、江戸川乱歩なんかもやっぱりそうで。学校の図書室にある『少年探偵団」シリーズ(ポプラ社)で乱歩のことをするんですけど、追いかけているうちに「『パノラマ島奇談』みたいな作品のほうがヤバいぞ!」って気づいて、より乱歩にハマることになってみたり。しかも実は私、乱歩ファンの上に『二十面相の娘』(2008年)というアニメに主演していたご縁で乱歩の『サーカスの怪人』(『江戸川乱歩・少年探偵シリーズ(6)サーカスの怪人』 / 2008年 / ポプラ社)のあとがきを書かせていただいてるんですよ。
――おーっ! “乱歩公式”の人でしたか。
平野:でもポプラ社版の少年探偵シリーズってきっと小学校の図書室にも置かれるから、エロティックで耽美的な乱歩のほうがもっと好きな私は封印。少年探偵シリーズの魅力だけを存分に解説させていただきました(笑)。あと耽美的な作品という意味では、谷崎や乱歩にハマったのと同じ頃……中学時代に『陰陽師』シリーズ(文藝春秋)がブームになっていたこともあって、夢枕獏さんのことを知りまして。当時図書委員だったのをいいことに夢枕作品をガンガンリクエストして司書の先生にキレられたことがあるんです(笑)。
――エログロバイオレンス小説の名手ですもんね(笑)。
平野:「誰がこんなに仕入れたの!」「すみません」という事件を起こしたことがありました……(笑)。
「読む人ごとに想像の余地を与えてくれる」
――『うたかたの日々』の魅力
――そんな平野さんですが、3冊目に選んでいただいた作品はチョーリリカル。ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』です。
平野:もともと岡崎京子さんが好きで。のちに私のバイブルになるんですけど、まず『ヘルタースケルター』(2003年 / 祥伝社)でハマって、その次に読んだ『リバーズ・エッジ』(1994年 / 宝島社)も素晴らしかったので、岡崎作品は全部買うことにしたんです。
――そして岡崎京子がコミカライズした『うたかたの日々』(2003年 / 宝島社)に出合った。
平野:ボリス・ヴィアンの存在も知ってはいたけど、実際に読むきっかけになったのは岡崎版に出合ったからですね。すごく素敵なマンガだったんだけど「たぶんこれはかなり岡崎節が入ってるな」という予感がしたので原作を読むことにして。当時、日本語版は2冊出ていて、それぞれ訳者が違うどころか、タイトルすら『うたかたの日々』(『ボリス・ヴィアン全集〈3〉 うたかたの日々』 / 訳:伊東守男 / 2002年 / 早川書房)と『日々の泡』(訳:曽根元吉 / 1998年 / 新潮社)と違っていたので両方とも読んで、さらに映画(1968年公開のフランス映画)も観ました。
――『うたかたの日々』……特に小説版の本作のなにがそんなに平野さんを惹きつけるんでしょう?
平野:表現ですね。日本の文学とも英米文学とも違う、フランス人であるボリス・ヴィアンならではの本当に美しい言葉で幻想的な世界が描かれているから好きになりました。ただ、それだけに読んだことのない人に作品の魅力を伝えるのが本当に難しくて……(笑)。
――恋人の肺に蓮の花が咲きましたって言われても……。
平野:「肺っ!?」ってなるだろうし、主人公のコランと意思疎通できる相棒であるハツカネズミの最期なんかは本当に泣けるんだけど、例えば友だちに「こういうシーンがあってね」と紹介しても、あの素晴らしさってまず伝わらないじゃないですか。
――「最愛の人を亡くして絶望するコランを見かねたハツカネズミはネコの口に頭を突っ込んで自殺しました」ですもんね。
平野:でも実際に読んでみると本当に感動的なんですよね。あと、弾く音によっていろんなカクテルを作ってくれるピアノっていうのも素敵だし、それから畑にピストルを埋めたらバラの花が咲く場面……戦争の道具、人殺しの道具から美しい花が生まれるというくだりも印象的です。あと、あの作品って読んだ人が10人いたら10通りの物語ができあがるというか、ひとつの場面に10人それぞれが全然違うことを想像していると思うんです。実際、岡崎さんのマンガと映画では同じ場面をまったく違う描き方をしていたし、その2つとも私が原作を読んだときに頭の中に思い浮かべた映像とも全然違っていた。そうやって読む人ごとに想像の余地を与えてくれる作品っていいな、とも思っています。……あっ、あと、『氷点』の時にお話したとおり、サルトルにハマっていたんですけど、この作品って「サルトルだろうな?」という人が出てくるじゃないですか。
――サルトルグッズをとにかく買い漁る友人も出てきますね。
平野:そこも好きなポイントです(笑)。
――『うたかたの日々』に限らず、訳書が複数刊行されている海外文学の場合、日本語版は全部チェックしておくタイプですか?
平野:訳書は全部読みたいし、英語で書かれた作品なら原書も取り寄せます(笑)。4月に主演させていただいた舞台(『シルヴィア、生きる』)でアメリカの詩人、シルヴィア・プラスを演じていたこともあって、彼女の書いた作品で翻訳されたものは、ほぼ網羅し、原書もかなり読みまして。代表作で唯一の長編小説の『ベル・ジャー』が作品の中でキーポイントになるんですが、あの作品って一昨年出版された新装版(2024年 / 晶文社)や、その前に刊行された版(2004年 / 河出書房新社)なんかのほかに、70年代にも日本語版が出ているのですよね。だからそれもネットの古本屋さんで探しに探して手に入れたんです。『自殺志願』(1974年 / 角川書店)っていう邦題のついたやつを。きっと今の日本ではこのタイトルでの出版は難しいと思うんですよ。
――シルヴィア・プラスが実際に若くして自死を選んでいるだけに余計に二の足を踏まれそうですね。
平野:しかも『自殺志願』は、翻訳も新装版よりもインパクトが強いです。でも、そういう表現でしか描けないことというのは当然あるし、そういう言葉を使うことが70年代当時は正しい解釈だったのかもしれない。もちろんいろんな翻訳者さんの解釈を知りたいし、いろんな解釈でプラスの詩を読みたいから訳書も原書も集めたのは事実なんですけど、もうひとつプラスを演じるにあたって、国内外問わずかつての彼女の見られ方と今の評価のされ方の両方を知っておきたかった。そうしないとプラスという人をちゃんと理解できないんじゃないか、という気がしていたんです。
「私もエレンディラのようになりたい」――強い女性への憧れ
――で、4冊目はノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』(訳:鼓直、高見英一 / 1983年 / サンリオ文庫)。6つの短編と表題作的な中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」からなる作品集です。代表作『百年の孤独』の次に出版された1冊なんですけど、その『百年の孤独』ではなく、なぜこの作品を?
平野:ものすごく前に『百年の孤独』も読んではいたんですけど、新型コロナが流行った頃、感染症を扱った作品ということで『コレラの時代の愛』が注目を集めたじゃないですか。そのときは「おー、マルケスが話題になっている」なんて思っていたんですけど、ちょうど同じ頃に『サプリ Extra』(祥伝社)の原作者である、おかざき真里さんの解説を読んでいたら、モノローグで唐突に動植物が描かれるコマがあって、その表現が映画版の『エレンディラ』(1983年)から着想を得たと書かれていて。その幻想的で想像の余地のありそうな表現はある意味『うたかたの日々』的。だからすごく気になったんです。
――そしてコロナ禍のおうち時間に映画を観てみた?
平野:小説はもちろん簡単に見つかったんですけど、映画はなかなか見つからなくて……。日本でも公開されたようなんだけど、日本語字幕のついた映像は販売されていないし、ということでネットを探しに探した結果、ようやくスペイン語版を発見して。それには英語訳がついていたからさっそく観てみたら、確かに主人公がドギツイ目に遭っているシーンになると、なぜかそのうしろで魚が浮遊していたりしたので「これか!」となって。「じゃあ映画監督にこういう映像を作らせる小説ってどんなお話なんだろう」ということで読んでみたら、その表現が素晴らしかったのはもちろん、それ以上に『刺青』を初めて読んだときと一緒。私もエレンディラを演じてみたい……いや、私もエレンディラのようになりたいと思ったんです。女性の解放がこの小説のひとつのテーマだと思うんですけど、物語の中のエレンディラが本当にカッコよくて。
――すみません。浅学にして未読の作品なんですけど、版元のサイトの書誌情報や書評サイトによると、祖母に虐げられに虐げられて、挙げ句の果てには売春宿に売られたエレンディラが自分に思いを寄せている若い男を焚きつけて……というお話。邦題どおり「悲惨な物語」のような気がするんですけど……。
平野:だから「エレンディラになりたい」と言うと「平野、ヤベエ」って怖がられそうではあるんですけど(笑)、それでもある瞬間、すべてをかっさらっていくエレンディラの姿がカッコよすぎて。これは映画のラストシーンなんですけど、青い空の下、地平線の向こうまで続く砂漠を走り抜けるエレンディラは本当に「こう生きたいな」と思わせてくれる。小説は確かにタイトルどおりかもしれない。悲惨でトーンの暗い物語とも読めるんだけど、映画を併せて観るといろんな角度でエレンディラという人を味わえると思います。で、実はこの作品って日本でも蜷川(幸雄)さんの演出で舞台化(2007年)されているんですよね。そのときはまだ『エレンディラ』という小説や映画のことを知らなかったので観られてないんですけど、それが本当に残念なくらい好きな作品です。
――『ソフィーの世界 - 哲学者からの不思議な手紙』(著:ヨースタイン・ゴルデル / 訳:池田香代子 / 1995年 / NHK出版)は当時、日本にちょっとした哲学ブームを巻き起こしたくらいのベストセラーにして、哲学にドハマりした時期がある平野さんならではの選書です。
平野:まさに最初に読んだ哲学にかんする本がこれでした(笑)。私がこの本を知ったのは映画版(2000年)が公開されたからなんです。中学1年生か2年生のある日、母に「綾、絶対にこれ好きだから観たら?」と勧められて観たら、その言葉どおりまんまとハマり……。
――趣味嗜好がご家族にモロバレしてるじゃないですか(笑)。
平野:丸見えだったみたいです(笑)。そして小説を読むことにしたんですけど、『ソフィーの世界』は私の座右の銘というか好きな言葉であるサルトルの「実存するというのは、自分の存在を自分で創造するということだ」や、ゲーテの「三千年を解くすべを持たない者は、闇のなか、未熟なままにその日その日を生きる」のような、いつの間にか丸暗記してしまった言葉が扉に書いてありまして、これから哲学を学ぼうとしている私に、学術的な教科書や入門書よりも詳しく、しかも面白くその哲学というものを教えてくれたんです。それこそ14歳の少女であるソフィーに哲学とはなにかを教えるというストーリーだから、子どもには絶対に読んでほしいし、残念ながら子どもの頃読む機会に恵まれなかった大人にも今からでもいいからぜひ読んでくださいって勧めたいですね。
――それこそ平野さんの言うとおり、お話としても面白いですからね。最後のどんでん返しには「あっ、『ソフィーの世界』ってそういう意味か」って驚かされましたし。
平野:哲学の入門書でありながら、どんでん返しみたいなエンタメができるのが本当にすごいんですよね。
最後の1冊が導く、役者としての矜持
――そして最後の1冊は宮部みゆき『蒲生邸事件』(1996年 / 毎日新聞社)。まさにエンタメ作品です。
平野:最初に読んだ宮部さんの小説がこれだったんですけど、たぶんファースト宮部作品がこれって珍しいですよね?
――ガルシア=マルケスの『エレンディラ』とある意味一緒。もちろん面白い作品なんですけど、ほかにも代表作はいっぱいあるじゃん、という気はします。
平野:確かにたいていの場合『龍は眠る』や『火車』や『模倣犯』が先ですよね(笑)。でも、まず私が歴史好きだっていうこともあって、もちろんフィクションではあるんだけど、二・二六事件にまつわる話だということで子どもの頃に興味を持って。しかもこの作品ってタイムスリップものなんですよね。
――主人公は浪人が決定したばかりの高校生です。
平野:歴史小説でありながらタイムスリップものということがわかってからは本当に気になって、いつものとおり一気読みしたんですけど、ラストシーンが本当に好きすぎて。さっき挙げた作品以外にも宮部さんの作品は本当にたくさんあるし、たいてい読んでいるつもりなんですけど、どのラストシーンよりも『蒲生邸事件』の最後……意外などんでん返しではあるんだけど、ド派手に終わるのではないし、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。本人にはハッピーエンドなのかもね、という感じでひっそりと物語が閉じていくあの感じに「わー、こんな表現があるんだ」と感動したんですよね。で、ちょっと話が変わっちゃうんですけど、一昨年、宮部さんがYOASOBIとコラボレーションして執筆した小説の朗読劇(『はじめての』<後編>)に出演していて。そこに宮部さんが湊かなえさんと一緒に遊びにきてくださったことがあったんです。
――たぶんそれって平野さんにとっての二大スター揃い踏み状態ですよね?
平野:まさに! 私にとって神のような人たちが揃い踏みしたことに緊張しすぎて、気づいたら宮部さんを捕まえてずっと私がいかに『蒲生邸事件』が好きか、熱弁を奮っちゃって。本当に「キャー!」って悲鳴を上げるくらいのテンションだったから、宮部さんは笑顔で受け止めてくださっていたんだけど、完全にただのファンでした(笑)。
――この作品にも女性はたくさん登場しますけど、『刺青』の娘やエレンディラのように演じてみたいキャラクターは……。
平野:役者としての観点では読んでなくて、純粋に楽しんじゃってました。一度ドラマ化されていますが、この作品の女性陣を眺めてみるにたぶん私はいただける役はないと思います。それこそ刺青を彫られたあとの娘や映画のエレンディラみたいな、強烈な女性役がきっと私のはまり役だと思うので。『蒲生邸事件』の女性陣はみんな魅力的だし、内面的な強さを持っている女性も出てくるので、そんな役も演じられる日が来たらいいですね。きっと別の役者さんがキャスティングされるんじゃないかなあ。
――醒めてるなあ(笑)。せっかくの好きな作品なんだから妄想を膨らませてもよさそうなのに。
平野:『蒲生邸事件』のファンの心理としては、平野綾じゃないな、という感じがするんですよね(笑)。私、『寄生獣 セイの格率』(2014〜2015年)でミギー役をやっているんですけど、そのオファーがあったときも一度断ってますから。原作の『寄生獣』(著:岩明均 / 講談社)のことが好きすぎて「ミギーは低めの渋い男性の声だと思います」と言い張って(笑)。
――ちょっとした厄介なファンですよ、それ(笑)。
平野:マンガを読んでいるとき、私の中では渋い男性の声が鳴っていたから……(笑)。でもきっともうこんなチャンスはいただけないと思い、「じゃあ挑戦してみよう」となったものの最初は不安しかなかったし、とにかく緻密な演技プランで私のような原作ファンにも納得してもらえるミギーを目指して頑張りました。本当にオタクとして自認しているよくないところというか、作品のことが好きすぎるがゆえに客観的に物事を捉えられなくなることがけっこうあるんですよ(笑)。それこそ劇場アニメ『ベルサイユのばら』のときもそうでしたし。
――なにをやっちゃいました?
平野:池田理代子さんの原作マンガは何度読んだかわからないし、TVアニメ版はもちろん、宝塚歌劇も好きすぎてずっと観てきていたからオーディションで嬉しくなっちゃって。オーディションでは自己PRの時間があったんですが、『ベルばら』への思い入れをしゃべりすぎて、「もう大丈夫です」「気持ちは十分伝わりました」と止められるという、とても恥ずかしいことをしでかしていますし(笑)。
――でも、そういう熱量や愛ってちゃんと伝わるもので、見事マリー・アントワネット役を射止めています。
平野:しかもアフレコ現場は共感しかなくてすごくやりやすかったんですよね。女性スタッフの多い現場だったこともあったからか『ベルばら』に対する思い入れの方向が似ているというか、すぐに「わかるわかる」と女性としてもファンとしても理解し合って、同じ気持ちで作品作りができるなんて…なんて幸せなことなんだと思いました。
――で、9月6日に東京・東京国際フォーラム ホールAでその劇場アニメ『ベルサイユのばら』の楽曲をオーケストラをバックに声優陣が歌う【billboard classics 劇場アニメ『ベルサイユのばら』シンフォニックコンサート2026】が開催されます。
平野:はい。
――平野さんの口ぶりからおそらく読書体験はお芝居にいい影響を与えていると思うんですけど、音楽活動にも影響を与えるものなんですか?
平野:作詞には確実に影響していますね。私の楽曲は曲先。作曲家さんが作ったメロディに歌詞を当てていくという制作スタイルなんですけど、そのメロディやアレンジを聴いていると「この曲にはこういう物語をつけたいな」というイメージが湧いてくるんです。そしてそのストーリーの主人公やほかの登場人物はどういうことを語るだろう? と想像して、その言葉をメロディに当てはめるという作り方をしているんですけど、それができるのは小さい頃から読書の習慣があるからかな、とは思っています。いただいた歌詞を歌う場合も、作詞家さんは果たしてどういう想いでこの言葉を紡いだのか、とか、ミュージカルの物語の中でこの歌の歌詞はどういう役割があるのか、芝居を組み立てながら歌わなければならないですから。文字情報から感情を読み解くことができるのも読書のおかげなのかな、と思ってます。……ただ『ベルばら』のコンサートはちょっと大変で……(笑)。
――それはなぜ?
平野:劇場アニメ『ベルサイユのばら』は音楽劇の作り方に近かったと思うんですが、尺の都合上、1曲の中で何年も経過したり、『ベルばら』の見せ場の一つである首飾り事件も曲中の映像で処理していたり、キャラクターの年齢や変化、起こった出来事がカットされている分、より曲の中ですべてを感じさせる表現をしなくてはならないんです。しかも劇中歌のジャンルが幅広い。ロックもあればEDMポップもあり、今回はそれがすべてフルオーケストラバージョンにアレンジされていて。そういう楽曲をキャラクターとして歌うことで、お客さまに『ベルばら』の世界を堪能してもらうことができるのは、とても素晴らしい機会だと思いますし、課題が山積みで大変ですが、だからこそ本番も楽しみですね。
――先ほどのお話のとおり、平野さんはアニメソングやミュージカルナンバーを歌うだけではない。平野綾名義の楽曲も多数発表しているし、9月15日と29日には東京・COTTON CLUBでワンマンライブ【AYA HIRANO ANNIVERSARY LIVE 2026 〜COTTON CLUB〜】が開催されます。
平野:CDデビューと声優デビューが25周年で、ソロアーティストとしてデビューしてから20周年、さらにミュージカルデビュー15周年という、なんかすごいことになっています(笑)。
――そこが今の音楽家・平野綾の面白いところで。平野綾名義のオリジナルナンバーのファンもいれば、出演したアニメ作品の関連楽曲のファンもいるだろうし、出演したミュージカルの楽曲のファンも当然いる。
平野:でも実はそれぞれのファンの方が一堂に会することってほとんどないんですよね。
――言ってしまえば“現場”が違いますもんね。その3現場を余裕で往復しているから平野さんはスゴいとも言えるんですけど。
平野:ありがとうございます(笑)。各現場のみなさんと会えることは私自身すごく楽しみだし、セットリストを考えるのも楽しいんですよね。普段のワンマンライブだと平野綾名義のライブで、キャラソンも代表曲として歌う。ビルボードなどでのライブでは、ミュージカルナンバーを中心としているので、コットンクラブもその傾向かと思われる方も多いと思うんですが、なんと今年は私を育んだ“平成アニソンメドレー”なんかを初めてやってみようと思います! 今回はアニバーサリーという色合いが強いから、どのジャンルの方にも私の軌跡を知っていただき、それぞれの分野のお客様に感謝をお届けできる、そんなハートフルなアニバーサリーライブにしたいです!
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