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<インタビュー>角田光代が自身で見出した希望の光――『明日、あたらしい歌をうたう』で描く音楽が持つ力と救い【WITH BOOKS】

Interview & Text: 岡本 貴之
Photo: 板場 俊
Billboard JAPANが展開するインタビュー企画【WITH BOOKS】に、小説家の角田光代が登場。
長編小説『タラント』、『方舟を燃やす』を経て刊行された新作『明日、あたらしい歌をうたう』は、音楽との出会いを通して希望を見出していく一組の親子、新とくすかそれぞれの体験と心情が瑞々しく描かれた物語だ。決して明るくはない日常が新しい世界へと広がっていく心象風景の描写は、まさに角田光代の真骨頂といえる。物語の軸となるのが2人をつなぐ写真の人物。名前は出てこないものの、随所に散りばめられた歌詞やフレーズから存在が浮かび上がってくるのは、忌野清志郎だ。なぜ今、清志郎をモチーフとしたストーリーを紡いだのだろうか。そして、音楽への思いや関わり方を語ってもらった。
年齢を重ねて、「防御」しているのかもしれない
――まず、音楽についてお伺いしたいと思います。角田さんが最近よく聴いている音楽や、気になっているアーティストがいたら教えてください。
角田光代:最近は、新しい音楽はほぼ聴かずに、フラカン(フラワーカンパニーズ)と小山田壮平バンドしか聴いてないですね。
――気がついたらその2組をよく聴いてるなっていう感じなんですか?
角田:そうですね、ずっと。やっぱり歳を取るって恐ろしいんですけど(笑)、新しいものを吸収しにくいというか、どんどん閉じていきますよね。馴染んだものしか認められなくなってくる部分ってあるじゃないですか? 音楽は如実にそれが出てくる気がするんです。まだ、小説とか映画とかはどんどん新しいものを見たいとか、新しい世代の人を知りたいとかあるんですけど、音楽は、周りの友人たちを見ていても、もう決まったものしか聴けなくなってきている人も多いと思います。
――確かに、自分もそうですし周りの同世代を見てもそう思います。やっぱり、音楽ってユースカルチャーというか、若いときに一番吸収するものなんでしょうかね。
角田:そうかもしれないですね。あと、音楽って結構影響を受けたり、考えが変わったり、ダイレクトに入ってくるから、加齢していくと「防御」するのかもしれないですね。
――防御ですか?
角田:はい、無自覚に。あんまりこう、ワーッと来られても困るじゃないですか(笑)。
――パンクロッカーに「立ち上がれ!」みたいに煽られても。
角田:そうそう(笑)。
――映画や小説でも、割とそういう刺激的なものはあるんじゃないかと思うんですけど。
角田:私の非常に個人的な感覚ですけど、この小説の中で、例えば主人公(豆田新)と同年代の子が音楽を聴いて、「うわぁ!」って感電したみたいになるというのは、やっぱり映画でも小説でもないと思うんですよね。映画や小説はもうちょっとじわじわ入ってくると思うんですけど、音楽はやっぱりちょっと直接的すぎて。(甲本)ヒロトさんが中学生のときに初めてパンクロックを聴いて、何が起きたのかわからないくらい興奮して、畳をウワーって泣きながら引っかいたみたいな、それこそもう人生に関わってくるような感じっていうのが、たぶん音楽の持つ独特な力だと思うんです。それを40歳になっても50歳になっても真っ向から受け取っていたら、おかしくなっちゃうと思うんですよ(笑)。
――そんな初期衝動みたいなことばかりずっと受け止めていたら、そうなっちゃいますね。
角田:だから、そうならないように人間はちょっと防御していくのかなって。今話していて、そんな気がしました。
――逆に言うと、10代、20代の頃の角田さんはそういったダイレクトに自分を突き動かすような音楽をどんどん聴いていったということでしょうか。
角田:そうですね。やっぱり、好きな感じが今と違いますよね。もっと必死で好きだったっていうか。ライブにも行って、もうすがるように観て、聴いて、という感じでした。
――ちなみに最近はライブのお誘いを受けたら観に行かれるんですか。
角田:それも、フラカンと小山田壮平バンドだけは行ってます。フラカンの2回目の武道館ライブも行きました。
――ここからは、新作『明日、あたらしい歌をうたう』についてお伺いします。どのように生まれた作品なのか紹介していただけますか。
角田:今までは連載を中心にやってたんですけど、やり方を変えようと思って、2年ぐらい前に連載小説を引き受けるのを全部やめようって決めたときがあったんです。そのときに、誰に見てもらうとか、どこの出版社に持って行くとかまったく考えずに、書きたいものを良い意味で遊びみたいな感じでワーッと書いたのがこの小説の土台なんです。それで、「あ、楽しく書けたな」と思って。連載で1年かけてじっとやるっていうよりも、こういう風に楽しく書いてもいいのかなって思ってたんですけど、そのまま誰にも見せずに2年ぐらい置いちゃっていたんです。それを、「こういう原稿があるんです」って水鈴社の方に読んでもらったら、「これは小説にして出版しましょうよ」っていう話になったので、小説として体裁を整えて書き直して、出版の運びになりました。
――連載を引き受けるのをやめた、というのは何故そういう考えに至ったのでしょうか。
角田:連載って6、 7年ぐらい前から依頼されるんですよ。私の場合、もう2026、27年ぐらいまで連載が順番に詰まっていたんです。今まではそれでやってきていたんですけど、たぶん1つは加齢の問題で、毎月毎月締め切り通りに書いていくっていうのが体力的に苦しくなったっていうのと、もう1つは、私は2015年から 2020年まで『源氏物語』の現代語訳を 5年間やっていたことで、自分の中の小説観が大きく変わってしまって。まだ何の準備もできていないのに、資料を読みながらでもとにかく締め切りを守って書いていくっていうやり方が嫌になったんです。小説ってもうちょっと、登場人物たちの声が聞こえてから、準備もこれ以上もうないんじゃないかぐらいまでやってから書いてもいいんじゃないかっていう風に考えが変わったんです。まあ、キチキチしたくないっていうのが大きかったんですよね。
――例えば前作の『方舟を燃やす』は、主人公たちの人生を時代と共に描いていましたが、時代考証などもしながら書いていくっていう大変さがあるっていうことですかね。
角田:連載は大体いつもプロットを作って厳密に作っていくんですけど、プロット通りにいかないときに、それでもやっぱり締め切りがあるから書いてるっていうのが、すごく苦しかったんです。
- 「うわぁ」っていう思いをしちゃった人たちを書きたかった
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「うわぁ」っていう思いをしちゃった人たちを書きたかった

――連載小説を書くのが苦しくなったときに清志郎さんをモチーフに書こうと思ったのは、角田さんの中で一番身を寄せられるというか、安堵できるような存在だったというでしょうか。
角田:そうですね。たぶん、生きてるミュージシャンの方とかよりも、やっぱり亡くなっているというのも大きいです。清志郎を書きたいっていうよりも、何か圧倒的なものに出会って「うわぁ」っていう思いをしちゃった人たちを書きたくて。そういうときにやっぱりパッと思いつくのは忌野清志郎っていう存在ではありますね。
――「うわぁ」ってなっちゃった人たちというのは、具体的にはどういうことですか?
角田:自分もそうですし、年に何回か集まって、おもに清志郎の話をしながら飲むという、「清志郎の会」(清志郎について語る会)の人たちとかも、「うわぁ」の体験者だと思うんです。この小説がちょうど刷り上がった日に、その会があったんですけど、誰かが宗像和男さん(元キティレコードのプロモーター)に「もし、清志郎に出会ってなかったらどういう人生だったと思いますか?」って訊いたんですよ。そうしたら宗像さんが、「ゾッとする人生だったと思う」って言ったんです。それを聞いて、「That's right!」と思って。そういう、「清志郎(的な存在)に出会えなかったらゾッとする人生を送ってた人たち」を書きたかったんだなって思いました。宗像さんは仕事として清志郎と出会ってますけど、私もたぶん、その音楽を聴いたか聴かなかったかで、ゾッとする人生を歩んでいたかもしれないので。
――それは多くのファンが共感することかもしれませんね。角田さんは、過去にも清志郎さんのことに文章で触れてきたとは思いますが、モチーフにした小説を書こうと思ったことはなかったんですか?
角田:ないですね。例えば出版社から依頼されて書いていたとしたら、やっぱり躊躇があって、「忌野清志郎を出すのはちょっと問題あるんじゃないかな」とか、ご遺族も近しいご友人もいらっしゃるし、とか考えると思うんです。あとは清志郎の歌自体に特殊性があるので、それを使うことでズルになるんじゃないかなとか、そういうストッパーがあったんですけど、「もういいや、好きに書こう」みたいな感じで書き始めたので、わりと躊躇なく、「清志郎のことをお父さんって思ってる子がいたら面白いな」みたいな感じで気楽に始められたというのもあります。
――敢えて名前を出さないようにしているのはどうしてですか。
角田:元々は歌詞をもっと多く入れていたんですけど、あんまり特定しちゃうとイメージも限定されちゃうし、たぶん若い世代は清志郎のことを知らない人もいるので。それと、多くの人にとって、人生のあらゆる局面で、「この人たちに会えなかったら」、あるいは「この小説に、この映画に会えなかったら、自分の人生はゾっとしていたな」っていうものがあるはずで、そこにフックを作りたい場合に、やっぱり清志郎の名前を出さない方がいいなと思ったんです。なので、むしろ清志郎色が出ないように気をつけました。
――角田さんはデビュー当時、清志郎さんの著作『忌野旅日記』(新潮文庫)で解説を依頼されたときに、ものすごく清志郎ファンを前面に出した文章でボツになってしまった経験があるんですよね。清志郎さんが亡くなって17年が経ちますが、距離感みたいなものが以前と変わったから、こういう風に書けたのでしょうか。
角田:そうですね。あのときは、初めての解説が忌野清志郎の本っていうすごい状況だったので、もうガチガチではあったんですけど、今なやっぱりちょっと違うというか、「落ち着け」っていう感じにはなりましたよね(笑)。
――ようやく落ち着けるように(笑)。でもやはり文章からは、思い入れを感じることができます。歌詞や曲を匂わせるようなフレーズっていうのは、書いていくうちに自然に出てきたのか、それともこの曲をモチーフに出来事を展開させたいなとか、そういうところもあったんですか?
角田:自然に出てきたのが半分ぐらいなんですけど、私は聴いていない時期が多いんです。Little Screaming Revue(1997年~98年頃に清志郎が率いたバンド)以降の曲とかはほぼ聴いていなくて、『夢助』(2006年のラストオリジナルアルバム)からまた聴くようになったので、結構抜けている時期があるんですよね。ただCDを持ってはいるので、パッと歌詞が出てこない、あるいは聴いた覚えのないCDの歌詞を全部コピーして歌詞帳を作ったんです。
――清志郎さんが出している曲の歌詞を網羅したようなものを作ったということですか。
角田:そうです。それを読んで、「この状況に合う歌詞はないか」って探して、「聴いたことがない曲だけど、この一節はいいな」っていうのがあって。それで改めてYouTubeとかで聴いてみるということもありました。
――そうした歌詞を織り交ぜた文章から、主人公の新や母・くすかの心情を読み取っていくと、その行動やセリフの中に清志郎さんの音楽と出会った頃の角田さんの気持ちが投影されているように思えます。
角田:清志郎の歌を思春期に聴き過ぎたおかげで、例えば「ガードレール」だったり、「市営球場」だったりという言葉が非常に美しく、自分で見たかのように残っていて。たぶん、くすかもその歌をずっと聴くことによって、かなり悲惨である過去だったりとか、うまくいかなかったことっていうのが、あの美しい世界に塗り替えられていってると思うんですよね。その歌で見えた光景にオーバーラップさせることによって救われるっていうのは、自分の経験とも似てるかなとは思います。
――登場人物が「救われる」こと、希望の光が見えるというのは、今作だけじゃなくて、角田さんの過去作からも感じられます。例えば『八日目の蝉』(中公文庫)の終盤でこみ上げてくる感覚、暗い過去の経験から世界が広がっていくような文章のエネルギーって、角田さんの作品が持つ大きな魅力だと思うんですよ。そういう部分は、角田さん自身のどんな体験から生まれてくるのかとても興味深いです。
角田:たぶんそれは自分自身の経験っていうよりも、デビューした雑誌(『海燕』)を作ったおじいちゃん編集者から、私の書くものが「すごく厭世的すぎて良くない。最後に希望を見せないと小説は残らない」ってずっと言われてたからなんですよね。そのときは全然意味がわからなかったんですけど、『対岸の彼女』(文春文庫)を書く直前ぐらいに言われてる意味がやっとわかったときがあって。私はどちらかというと暗い人間なので、現実というものは暗いものであって、だから小説を書くときも現実を再構築するんだから暗くて当然じゃないかって思いがあったんですけど、その編集者の「小説はみんな、どんな形であれ最後に希望がなきゃいけない」という言葉が、何を言ってるか分かったときがあって。そのとき以来、最後は閉ざすんじゃなくて、やっぱり開くっていうことをわりと意識してることによるのかなとは思います。
――それはなぜ、わかるようになったんですか?
角田:『空中庭園』(文春文庫)という小説を書いたときに、直木賞の候補になって落ちたんですけど、落ちたときの選評で、絶望させて終わるとか、家族の秘密を暴くだけ暴いて、「さあどうだ」と言って終わることに対する疑問みたいなものを選考委員が書いていたんです。それと、今は亡き久世光彦さんが書評で取り上げてくださっていたんですけど、結末について「家族仲が良い風に見せていたけど、じつはそうでもなかったんですよって見せて、じゃあどうなるの?」みたいな書評を読んだときに、いつもだったら、「へー、わかってないな」とか思っていたんですけど、その編集者にずっと言われていたことが、その選評とか書評によってガチって繋がったんですよね。「家族がこんな秘密を抱えてるよって暴いて終わってどうするんだ」って、「確かにそうだな」と思って。もう一つ先に行かないとダメなんだなっていうことが、体感としてわかったんですよね。
――そこから『対岸の彼女』で第132回直木三十五賞を受賞したことで、確信というか、答えが見つかったというか。
角田:そうです。『対岸の彼女』もそんなに明るくなくて、たぶん20ワットぐらいだと思うんですけど(笑)。でも前の暗闇よりは20ワットぐらい明るくできたかなっていうので、まあ運良く賞もいただけたので、これは間違ってないなと。だからワット数をもっとあげていかなければっていうのは、そのときからきっと考えてると思います。
――作品によって、そのワット数というのは違いますよね。それでいうと、今回の作品に込めた希望というのはどんなものですか。
角田:これはもう本当に私の中で、「楽しく書こう」みたいなことがあったので、終わりが一番明るいというか、120ワットぐらい明るくしました(笑)。
――120ワット(笑)。でも最後も本当に明るいですもんね。
角田:はい、大団円というか。
歳を取って好きなことを追求する中で、
仲間が増えていく
――この物語はフィクションですけど、忌野清志郎さんが生きていた部分はノンフィクションですよね。その辺はどう重ねようと考えましたか。
角田:結構助かったのが、それこそ今の若い人たちがもう聴いていないことが多いっていうことでした。以前、岡本(筆者)さんが清志郎の本(『I LIKE YOU 忌野清志郎』/ 河出書房新社)をお作りになったときに、「若い世代が清志郎をもう知らないから伝えたい」っておっしゃっていたじゃないですか? あれからさらに若くなった人たち、今の10代の子とかはもっと知らないわけで。だからたぶん、新とかバンドを作る子どもたちにとって、清志郎の音楽っていうのはもうフィクションなんですよね。それがむしろ書きやすかった。リアルタイムで知っていると、もうちょっと意味が強くなったり生々しくなっちゃうと思うんですけど、主人公世代の子たちは本当に見たことも聴いたこともない。YouTubeで見られるぐらいっていうのが本当にフィクションとして、「こういうのあったんだね」みたいになるっていうのがむしろ書きやすかったです。くすかも1980年生まれという設定なので、たぶんリアルタイムで聴いていないんですね。だからクラスでわかり合える人が本当にいない。そこのズレも非常に助かりました。
――角田さんには、忌野清志郎さんの音楽をわかり合える人って、最初からいたんですか。
角田:いや、じつは私が若いときは周りにいなくて。ライブも友だちがたまたまチケットが余ったからって、ファンでもなんでもないんですけど連れていってもらったんです。それで私だけが夢中になってファンクラブに入ったりしたから、「どうしたの!?」みたいになって(笑)。 そのときはあんまり周りにファンがいなくて、たまたま私が入っていたサークル内でだけ人気で、劇中に曲を使ったりとかしていたんですけど、クラスにはまあいなかったですよね。それこそ色物みたいに思われてたり。でもだんだん大人になって、30歳を過ぎて「清志郎が好きだ」ってずっと言い続けてると、さっきお話した解説の仕事が来たり、宗像さんみたいな人と会えたりっていう風に、割と増えてくるんですよ。それで、学生時代のサークルが最初ですけど、仕事であれ、趣味であれ、何かを自分で選んでいくたびに、価値観の近い人がどんどん集まってくるんだな、という人生システムみたいなことがわかってきたんです。つまり、今の若い人たちも、たぶん周りに「これが好きだけど、好きだってわかってくれる人はいないな」って思っていても、たぶん歳を取って自分の好きなことを追求していけばいくほど、仲間が増えていく感覚っていうのをすごくリアルに体感していくと思うんですよね。それも面白いことですよね。
――くすかと時生も、恋愛をする以前に、そういう仲間が見つかったということの方が大きいということですよね。
角田:そうですね。
――特にくすかにとっては、自分が好きな音楽を共有できる存在ができたことは大きなことだったと思うんですが、時生からの目線だとどう思ってるのかなってちょっと気になりました。
角田:くすかよりは興奮度は低いと思うんですけど、うれしかったんじゃないですかね。やっぱりあの世代で音楽趣味が合う人は非常に少ないと思うので。

――最近は新しい音楽を閉じちゃうっていうことでしたけど、なぜ20代の頃には音楽に救われた感覚があったのでしょうか。音楽ってなぜ人を救うと思いますか?
角田:やっぱりその“即効性”ですよね。だから裏を返せば、私は暴力に近いとも思うんです。音楽って、一瞬で入ってくるじゃないですか? 一瞬で世界観が変わったり、何が起きたかわからないけど、とんでもないものを知ってしまったみたいな感覚、あの即効性って音楽しかないのかなっていう気はしていて。だから革命とかによく音楽が使われるのも、そういうことが関係してるんじゃないのかなと思うんですけどね。あと、音楽が禁止されたりもするじゃないですか。それぐらい強く、ダイレクトに人の心に作用するものなんだろうなって思います。
――ぶん殴られたような感覚ってよく言いますけど、そういうときは確かにありましたもんね。小説家として、そういう音楽から言葉のリズム感や使い方に影響を受けて、文章を書いているっていう自覚みたいなものはありますか?
角田:ハッキリとはないんですけど、やっぱりあの清志郎の言葉遣いってあるじゃないですか? 日常のものを歌に入れていって、日常語としてはあんまりカッコよくない言葉でも、どんどん使っていくっていうのは、影響を受けてるはずだと思います。
――清志郎さんの、平易な言葉だけど深い意味を持つみたいなところ、それこそ作中に出てくる「河を渡った」という文章は「WATTATA(河を渡った)」という曲から引用されているわけですけど、簡単な言葉で人生の岐路を示唆するようなところは、本当に素晴らしいなと思っていて。きっと角田さんもそういうところは文章を書く上での下地としてきっと入ってるんじゃないかなと思うんですよね。
角田:入ってないはずがないですよね、きっとね。
――この小説を読んで、清志郎さんの音楽を聴いてみる人もいるんじゃないかと思います。角田さん自身は改めて聴いてみてどのように感じましたか?
角田:本当に聴かなくなっちゃって、それこそ脳内再生で終わってたんですけど(笑)。歌詞のスクラップブックを作ったときに、聴いたことがない曲が多すぎて、そういう曲を聴きながら、「清志郎の声って変だよな」と思ったり、「変わってるな~」と思って聴いてましたね。
――この作品を書いたことで今、どのように感じていらっしゃるんでしょう。
角田:これまで本当に連載ばかりだったので、1つ書くのに2、3年必要だったりして、苦しみながら連載を続けていくことが自分にとってすごく普通だったので、「楽しんで書く」ということに非常に罪悪感みたいなものがあるんですけど、それがちょっと払拭されたかなっていう気がしますね。こういうふうに楽しく書いてもいいんじゃないのかなと思えるようになりました。今書いてるものはもう1、2年近く書いてるんですけど、苦しくてそれも全然進まないんですよ。だからそういうものの途中にこういう楽しいことをすれば、自分もやっていけるかなと思えるようになりましたね。
――自分自身で希望の光を見つけたというか、この作品自体が角田さんの明日という感じでしょうか。
角田:上手いことおっしゃいますね(笑)。でも本当そうですね、そうかもしれない。
ブックチャートについて
――ビルボードジャパンでは2025年11月からブックチャートをスタートしました。今回はゴールデンウイーク前の最新版になるのですが、チャートをご覧いただいてご感想をお聞かせいただけますか。
角田:『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウさんすごいな、という感じですね。あと、『コンビニ人間』(村田沙耶香)とかまだ売れ続けててすごい。
――角田さんは作家さんとして、チャートの存在はどのように捉えてらっしゃいますか?
角田:こういう漫画も小説もって一緒になってるチャートがあんまりないので、パーッと見て小説が結構入ってることに、それこそ希望を持ちますね。もっと少ないかなと思ったら、意外に小説が多いのでありがたいと思います。





























