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<対談>バッド・バニーxレジデンテが語る、プエルトリコのアンバサダーとしての使命と自国への深い愛

インタビューバナー

Photographed by Diwang Valdez for Billboard
Bad Bunny photographed on September 3, 2025 at Coliseo de Puerto Rico José Miguel Agrelot in San Juan. Styling by Storm Pablo. Grooming by Gilbert Gonzalez. Production by Sigfredo Bellaflores and Lauri Vega.

Text: Leila Cobo / Billboard.com掲載

 母国プエルトリコに根ざすことで、世界最大級のスーパースターとなったバッド・バニー。【スーパーボウルLX】のハーフタイム・ショーにヘッドライナーとして出演することが発表されたばかりの彼が、同郷のアーティストのレシデンテ(Residente)との対談の中で、プエルトリコは今なお彼の創造性の原動力であると語った。

 プエルトリコの首都サン・フアンで開催された全31公演からなるソールドアウトのレジデンシー最終日の前夜。バッド・バニーは、プエルトリコ ホセ・ミゲル・アグレロット・コロセオのアリーナ中央に、自ら設置させた巨大な“山”の前に立ち、観客に愛のメッセージを届けた。

 「人生と神が与えてくれるすべての瞬間、すべての秒を大切にしてほしい」とたびたび声を震わせながら1万5000人の観客に彼は語った。「ありがとう、ありがとう。そして、プエルトリコを離れ、いつか帰ることを夢見ている人たちへ。そしてまだここにいる人たちへ。俺はここを離れたくない!」

 「No Me Quiero Ir de Aquí」(ここを離れたくない)──バッド・バニーがプエルトリコでのレジデンシーに付けたタイトルは、最新アルバム『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』(もっと写真を撮っておけばよかった)と深く結びついている。このアルバムはプエルトリコとその音楽へのラブレターであり、裏面は“世界中のすべてのプエルトリコ人へ”捧げられている。

 まるで“プエルトリコを中心とする世界へ”と言わんばかりだった。アルバムが2025年1月5日(プエルトリコにとって重要な祝日であるスリー・キングス・デーの前日)にリリースされ、7月11日にレジデンシーが始まって以来、「No Me Quiero Ir de Aquí」はプエルトリコ人だけでなく、多文化的なディアスポラにとっても誇りを象徴する叫びとなった。

 リリースからわずか9か月だが、米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”で通算4週1位を獲得するなど『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』は、驚異的な成功を収めた。プレーナやサルサといった伝統的な音楽スタイルを掘り下げた作品でありながら、バッド・バニーは、ただ自分が愛することをやったという今作について商業的期待は“ゼロ”だったと語っている。それでもアルバムは世界的に現象を引き起こし、文化を結びつけ、ダンスを促し、愛と祝祭を呼びかける存在となった。そのすべては、壮麗な自然と経済的な問題の両面を抱える島であり、彼が “常に戻る場所”と呼ぶプエルトリコに帰結する。ベニート・アントニオ・マルティネス・オカシオとして生まれたバッド・バニーは台頭し、プエルトリコ史上最も情熱にあふれ、影響力のあるアンバサダーとなった。そして来年2月には、米ニューオーリンズで行われる【スーパーボウルLX】ハーフタイム・ショーでヘッドライナーを務め、これまでで最大の舞台に立つことになる。

 プレーナとサルサの違いを理解し、バッド・バニーの映像に登場する老人が90歳のプエルトリコ人俳優ハコボ・モラレスであることを知るようになった数十万人のファンが7月から9月にかけて行われたレジデンシーのためにプエルトリコに集まった。そこでは、コロセオに建てられた巨大な“山”と今では象徴的な“カシータ(小さな家)”をバックに、“パルティ・デ・マルケシーナ(裏庭パーティー)”が再現された。これらの家は典型的なプエルトリコの街並みを模している。レブロン・ジェームズからジョン・ハムまで多くのセレブがこのカシータでパーティーを楽しみ、ヤング・ミコ、アルカンヘル、リッキー・マーティン、ルーベン・ブラデスを含む数十人のアーティストがゲスト出演した。

 その中には、長年の友人で、辛辣な歌詞や社会的発言、地元の政治情勢への情熱で知られるプエルトリコ人ラッパーのレシデンテ(本名:レネ・ペレス・ホグラル)もいた。彼は、バッド・バニーの中に、より穏やかではあるが同じく体制に挑む姿勢を見出した。2017年12月、サン・フアンのレストランで夕食をともにしたのをきっかけに2人は親しくなり、2019年には「Bellacoso」「Afilando los Cuchillos」で音楽的なコラボレーションをした。後者は、ある晩バッド・バニーとレシデンテが、当時の知事リッキー・ロッセロを奇襲訪問した後に発表した政府批判の楽曲だった。

 ロッセロはその年に辞任したが、2人のミュージシャンの友情は続いた。バッド・バニーによるレジデンシーのステージに立ち、観客として2度の参加を経て、今回レシデンテは米ビルボードのために友人をインタビューした。【スーパーボウル】出演発表の数週間前となるレジデンシー最終日の前日に行われた対談は、ノスタルジー、音楽、映画、そしてプエルトリコへの誇りについて多岐にわたるものとなった。

レシデンテ:今こうして君にインタビューできてすごく興奮している。まず、このコンサートのコンセプトのクリエイティブ面──山や小さな家、フランボヤンの木、クアトリスタが演奏する空間──そういった発想はどこから来たのか聞きたい。

バッド・バニー:自分のやり方はややとっ散らかっているけど、自分には合っている。ひとつのアイデアから始めて、進めるうちにいろんな要素が浮かんできて、最終的に全部つながるんだ。今回のショーで最初に思い描いたのは“山”だった。チョリ(コロセオ)の中央に本物の山を置くこと、まるで誰かが島の一部を切り取って持ってきたようにしたいと思ったんだ。

 コンサートには普通スクリーンが必要だから、山にビルボードを設置することを考えた。それによって自然が壊されるアイロニーを表現したんだ。山を制作してくれたチームがフランボヤンの木やバナナの木を提案してくれて、想像以上のものになった。自分が思いつかなかったアイデアで人に驚かされるのが大好きなんだ。

 カシータはその後に加わった。普通VIPエリアってセレブが居たりして、ちょっと居心地が悪いだろ? それを逆手にとって、楽しくてインタラクティブでクールな空間にしたかった。だからVIPエリアをステージBにして、アルバムの家、ハコボの家を再現した。キッチンやソファもあって、本当にパルティ・デ・マルケシーナみたいだった。みんなが集まってショーの一部になり、自分もみんなと直接触れ合うことができた。

レシデンテ:そのカシータでの夢のパルティ・デ・マルケシーナに、実際には来られなかったけど来てほしかった人は?

バッド・バニー:自分は裏庭のパーティーに親しみながら育った。クリスマス、誕生日、家族の集まり。(ステージ上の)家の雰囲気はまさにそうだった。(元ボクサーのフェリックス・)ティト(・トリニダード)が来た時のエネルギーは最高だった。彼は父親や子ども、兄弟まで仲間全員を連れてきて、本当に家族の集まりみたいだった。

 来てほしかった人?間違いなく(ラッパーの)テゴ・カルデロン。別にパフォーマンスしなくてもいい、そこにいてバイブスを感じてほしかった。あとはドレイクかな。実現したらクレイジーだったと思う。実のところ、家に誰が来るのかは常に把握していたわけじゃなかった。足を運んでみて、たまに驚くこともあった。でもみんな、これがコンサートだということを忘れて、その瞬間を楽しんでくれてよかったね。


ERL suit, belt and bag, Marni shoes.
Photo: Diwang Valdez for Billboard


レシデンテ:(アルバム『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』に収録されている)「Lo Que Pasó en Hawaii」を歌い終わった後、スクリーンに“No me quiero ir de aquí” (ここを離れたくない)という言葉が表示されるけど、プエルトリコは人々をここに留めるために、出ていくのを止めるためにどうすべきだと思う?

バッド・バニー:アルバムの長いタイトルにはいつも意味がある。“No me quiero ir de aquí”にはプエルトリコを離れたくない、ステージを離れたくない、家を離れたくない、という想いが込められている。世界中から人々がこのレジデンシーに来てくれた。アメリカに住むラティーノや、自分の国を離れなければならなかった人たち、または両親が国を離れざるを得なかった人たち。自分の国を離れなければならなかった人、あるいは絶対に離れたくない人たちすべてに響くものなんだ。

レシデンテ:離れることに加えて、戻ることのコンセプトも関わってくるんだね。ただ出ていくだけじゃなくて、成長や探求のために旅をして、再び戻ってきて影響を与えるということ。

バッド・バニー:まさにその通り。成長や探求のために離れるのと、選択の余地がなくて離れるのとは違うんだ。

レシデンテ:「Boricua en la Luna」(月の上のボリクア)のコンセプトにもつながる(フアン・アントニオ・コレッチェルによるプエルトリコへのノスタルジーを描いた詩で、後にロイ・ブラウンによって楽曲化されたもの)。物理的に離れていても、まだここにいる──アロス・コン・アビチュエラス(豆ご飯)を食べ、どこにいてもプエルトリコの伝統を守り続けている。

バッド・バニー:その通り。ショーの最初のビジュアルでハコボが言うんだ。「どこにいても、ここが家だ。どこに行っても、自分は常にプエルトリコ人だ」と。そこから“No me quiero ir de aquí”の深い意味をはじめて理解できるんだ。

レシデンテ:このレジデンシーがプエルトリコ経済に貢献したと言われているけれど、金銭的な価値を超えて、文化的や無形の価値も計り知れないと思う。プエルトリコのアイデンティティに与えた影響についてはどう思っている?

バッド・バニー:それは買えるものでもないし、盗めるものでもない。自分が最も満たされることのひとつなんだ。心からやってきたことの自然な結果として文化的影響が生まれる。年齢問わず、ショーに来た人々を見て驚いたよ。子どもから大人、高齢者、80~90歳の人まで。中には若々しく装い、再び若さやプエルトリコ人としての誇りを感じている人もいた。まさにこのレジデンシーが植えた種だ。ここの人でも、海外から来た人でも、それは永遠に残るものになる。

レシデンテ:話題を変えよう。君がアルバム『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』を出した時、様々な瞬間を記録してこなかったことを少し後悔した。

バッド・バニー:そのタイトルは自分にも当てはまる。あまり写真は撮らないんだ。でも意味は100%文字通りじゃなくて、その瞬間を生きることなんだ。だからコンサートでみんなにスマホを置いて、心に写真を撮ろうと伝えてる。それが一番大事な写真だから。

レシデンテ:そうだね、ある瞬間の記憶は、時に写真よりも大きくて魔法のように感じることがあるから。

バッド・バニー:そうなんだ。瞬間を捉えることと、それをただ生きることのバランスがある。この間ファンと交流している時にキスを飛ばしたら、彼女はスマホを掴もうとしてそれを見逃してしまった。その瞬間を失ったんだ!他の誰かが見ていて、後で彼女に伝えてくれたことを願うよ。


Av vattev sweater, vintage Ralph Lauren shorts, Adidas shoes.
Photo: Diwang Valdez for Billboard


レシデンテ:ギルベルト・サンタ・ローザやルーベン・ブラデスと共演しているけど、他にもステージを共にしたいサルサ・アーティストはいる?君にとってのサルサ界のレジェンド5人を挙げるとしたら?

バッド・バニー:そうだな、ビクトル・マヌエルと共演したかった。連絡は取ったけど、スケジュールが詰まっていて難しかったんだ。自分がトラップを始めた頃、最初にコラボしてくれたサルサ・アーティストだ。まだ自分の足場を固めていた頃で、彼が自分を信じてくれたことには大きな意味があった。

 俺のトップ5? 生きている人も亡くなった人も含めると、エクトル・ラボー、フランキー・ルイス、チェオ・フェリシアーノ、イスマエル・リベラ、セリア・クルース、ティト・ロハス。ティト・ロドリゲスも入れる。彼の声が大好きなんだ。

レシデンテ:アルバム(やレジデンシー)で共演した若いミュージシャンたちによるオーケストラとのコラボレーションは、どのように形になったの?

バッド・バニー: 「Baile Inolvidable」のアイデアを実現させるために、正しいチームが必要だった。音楽制作においては秘密主義で、自分に挑戦するのが好きだ。大物アレンジャーに頼むこともできたけど、頭の中にアレンジがあって、それを形にする人が必要だった。そこでボンゴとカンパナを担当するプロデューサー、ビッグ・ジェイ(ジェイ・アンソニー・ヌニェス)に出会った。彼がコンピューター上でアレンジを作る手助けをしてくれた。その後、TikTokでジュリート・ガストンという少年が他の若いミュージシャンのオーケストラを指揮している動画を見つけた。彼はエネルギーが溢れていて、まるで小さなロベルト・ロエナ(プエルトリコ出身の著名サルサ・アーティスト)みたいだった。

 古い動画だったけど、彼を見つけることができたら面白いんじゃないかと思った。ジュリートはスケジュールが空いていて、必要としていたミュージシャンを集めてくれた。面白いのは、ジュリートが提案してくれたミュージシャンたちが、ビッグ・ジェイの提案と一致していたことだ。2人とも俺が求めていた情熱と心を持っていたんだ。

レシデンテ:彼らとフル・アルバムを作ることは考えている?

バッド・バニー:サプライズにしたいけど、もちろん。ここで終わるはずがないのは明らかだと思う。

レシデンテ:セットリストの中で、エモーショナルになって、感情をコントロールする必要がある曲はある?

バッド・バニー:もちろんある。その日や自分の気分によるね。「La Mudanza」を初めてパフォーマンスしたときは心に響いた。両親についてで、母が観客席にいたから。「DtMF」もたまにぐっとくるね、特におじいちゃんとドミノをしている部分。「Lo Que le Pasó a Hawaii」もそうだ、ものすごくエモーショナルな曲だから。

レシデンテ:「Lo Que le Pasó a Hawáii」は本当に特別な曲だよね。じゃあ次に演技の話をしよう。君はまだ始めたばかりで、自分の経験だと、演技に取り組むことによってステージ上でもっと素直になれると感じるんだ。

バッド・バニー: (音楽とは)違うけど、君に以前話したように、演技の世界には慎重に足を踏み入れたいと思っていた。リスペクトをもって取り組み、少しずつ学び経験を積んでいる。常に演技の芸術を尊重し、その技法を自分の作品に活かしてきた。レスリングも同じ。レスリングが大好きで、その要素はキャリアを通して取り入れている。

 これまでの演技経験はどれも楽しかった。特に最近出演した作品はね。コメディは昔から好きで、一番消費しているジャンルでもあって、人を笑わせるのが好きだ。だから『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル2』のようなライトで楽しい作品に出演できたのは夢のようだった。同時に『Caught Stealing』という全く異なる雰囲気の作品にも取り組んでいた。


Amiri jacket, Prada shirt, Balmain pants and Marvin Douglas jewelry.
Photo: Diwang Valdez for Billboard


レシデンテ:現場でプレイバックをチェックする?それともプロセスを信頼している?

バッド・バニー:自分のミュージック・ビデオを制作している時は常にチェックするけど、映画は作品による。『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル2』では、内容を見たり、自分の演技を確認するのをアダム・サンドラーが任せてくれた。約1か月の共同作業の後、安心してチェックできた。ダーレン・アロノフスキー監督の場合は、間違えたら指摘してくれるのを分かっていた。たまにプレイバックを見せてくれて、“素晴らしい”と言ってくれたことで、ものすごく安心できた。映画を俺に台無しにされるわけにはいかないからね。

レシデンテ:レジデンシーのゲスト・ラインナップは予想外だったね。ルイス・フォンシが、ジャンルが異なる「Lo Que le Pasó a Hawaii」を歌うなんて想像ができなかった。

バッド・バニー:それが最初からのビジョンだった。背景や音楽の好み、政治的立場に関係なく、全員がこの(レジデンシーの)一部だと感じてほしかった。これはみんなのためのものだった。みんなが振り返って“自分もその一部だった”って思えるようにしたかったんだよ。全体のコンセプトは、お互いを尊重して、愛し合って、そして自分たちの故郷や文化を大切にすること。誰でも大歓迎だったんだ。

レシデンテ:まるでプエルトリコのクリスマスのお祝いみたいだった。温かさとコミュニティが感じられて。

バッド・バニー:その通り。前にも言ったけど、もう一度言うよ。このレジデンシーは、これまで自分が経験したことのないものだった。頭に浮かぶ言葉は“ハーモニー”だ。30公演を通して、ケンカや口論の映像が一つも拡散されなかった。みんなただ幸せそうに踊って、愛を表現していたんだ。

レシデンテ:それは音楽や、君がアーティストとして成長してきたことと大いに関係していると思う。今の君はまさに絶頂期にいる。クリエイティブ面で、どうやって自分を超えていくつもり?

バッド・バニー:それこそが、この仕事で一番好きなことなんだ。次に何をするかを考えること。より高みを目指すことにはこだわっていない。ただ心から創りたい。そして、それがどうなるかは人生や世界、人々に委ねたいんだ。この前、すべてを手にしたアーティストはスランプに陥るという話をしていた。自分が歌い始めたとき、母さんにこう言ったのを覚えている。彼女に「消えていってしまうのが怖いんだ」って言ったら、「恐れなくていいよ。ただ楽しんだら」と答えてくれた。最初のヒット曲を出したとき、それで終わりだと思った。でも、その後に訪れた成功は自分でも信じられないほどだった。

 そして『Un Verano Sin Ti』をリリースしたとき、それがどれほど大きな作品か分かっていたから、決断したんだ。これを超えようと無理にする必要はないって。記録を破るとか、No.1になるとか、そんなことは気にしなかった。ただプエルトリコのために音楽を作りたかった。このプロジェクトは、自分のビジョンを信じ、心から歌うことの大切さを改めて思い出させてくれた。

レシデンテ:クリエイティブな人にとって──作詞、作曲、演出、パフォーマンス──その火花が消えることはない。君がここで生み出したものは本当に特別だ。それを目にして、俺自身も学び、刺激を受け、プエルトリコ人であることを誇りに思わせてくれたよ。

バッド・バニー:ありがとう。君の口からそう言ってもらえるのは大きな意味がある。(ユニビジョンの司会者)ドン・フランシスコも油断できないな。君はノリに乗ってるよ。

このインタビューは、文量と簡潔明瞭さのため編集されています。

この記事は、米ビルボードの2025年10月4日号に掲載されています。


Elder Statesman blanket, Prada pants.
Photo: Diwang Valdez for Billboard


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