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R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー



R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』インタビュー

「スーパースターになって日本に帰りたいんですよ!」

 アメリカでスーパースターになる。そんな発言をするドリーマーも、その為に本気で行動を起こすチャレンジャーも、日本の音楽シーンではなかなかお目にかかれなくなっていた。コロナ禍で本国での活動もままならなくなった現在はなおさらそんなぶっ飛んだミュージシャンには出逢えない。しかし、そんな状況下だからこそビッグチャンスを掴むべくエンターテインメントの本場であるニューヨークの第一線で戦っている男たちがいる。

 1年のうち365日すべてNYのライブハウスに飛び入りし、冷遇を受けながらもオープンマイクで戦い続けて自らの未来を切り開いた日本人ラッパー・R-naby。35歳で渡米という背水の陣を組み、日本人アーティストでありながらNYの音楽シーンに受け入れられるまで諦めなかったDJ/プロデューサー・DJ Kaz Sakuma。日本を離れてから約10年間にわたって異国の地でサバイバルし続け、ブルックリンのレジェンド・Mainoを迎えたコラボレーション曲『Take A Chance feat. Maino』をリリースするまでに至った2人にインタビューを敢行した。

 自ら逆境に飛び込み、文字通り命懸けでアメリカンドリームを掴んでいく彼らのリアルストーリー。コロナ禍で塞ぎ込みがちな今だからこそ、ふたりの生き様に大いに鼓舞されてほしい。

厳しいNY生活~互いに励まし合った日々「頑張りましょうよ! 俺らは絶対にNYに残りましょう!」

--今回の対談インタビューでは、ラッパー・R-nabyさんとDJ/プロデューサーのDJ Kaz Sakumaさんがそれぞれニューヨークに音楽活動の場を移し、どのようなストーリーを歩んで活躍できるようになったのか。多くの日本人アーティストがコロナ禍で活動を制限されている今だからこそ、そのバイタリティ溢れる音楽ストーリーについて語って頂きたいのですが、まずおふたりの出逢いからお話を伺わせてもらえますか?

R-naby:僕はニューヨークで暮らすようになってから8年ちょっと経つんですけど、23歳の頃に渡米しまして。当時は英語が話せなかったので、ナイトクラブみたいなところで本当に安い給料で働くというか、その店のお手伝いみたいなところからニューヨークでのキャリアをスタートさせたんですね。その同じビルディングの3階にKazさんが偶然居たんですよ。僕はいわゆるお店のキャッチをやっていたんですけど、Kazさんも別のお店のキャッチをしていたんです(笑)。

DJ Kaz Sakuma:最初はキャッチ仲間だった(笑)。

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
R-naby

R-naby:当時、そこはアーティストが集まっていたビルディングで。レゲエのDJだったり、ダンサーだったり、ヒップホップのラッパーだったり、本当にいろんなアーティストが手早く集まる場所。何故かと言うと、僕らは正式には音楽で働いたらいけなかったんで、そこでお手伝いをすることでキャッシュをもらえていたんですよ。だからUSAの外の国から来た連中はそこに集まっちゃうんですよね。その代わり給料はめっちゃくちゃ安いんですけど。そこでKazさんと初めて会って「何してるの?」「ラッパーしてます。あなたのお名前は?」「Kazです。僕はDJやってます」みたいな。で、Kazさんはその時点でニューヨークに来て3年ぐらいだったんで、僕からしたら大先輩に見えたんですよ。しかも英語の本を普通に読んでいたので、英語が喋れない自分は「うわ、すげぇな!」ってなるわけですよ。現地の人間とも英語で会話しているし。それが第一印象です。

--逆にKazさんはR-nabyさんにどんな第一印象を抱かれていたんですか?

DJ Kaz Sakuma:体も今よりすごく大きかったですし、声もめちゃめちゃデカかったんで、最初の印象は「凄い関西人がニューヨークに来たな」っていう(笑)。めっちゃ目立ってましたよ。一緒に音楽をやるようになったきっかけは、R-nabyがイーストヴィレッジにある1000人キャパぐらいのクラブで15分ぐらいのショーケースをやることになって、そこでR-nabyから「DJをやってもらえませんか?」と頼まれたんですよ。それがはじまり。そこからR-nabyはオープンマイク(ライブハウスで開催される飛び込みで歌えるイベント)に毎日通っていたんですよ。それって体力的にも精神的にも時間的にも結構凄いことで。その流れの中でたまに大きいショーケースがある度に僕が呼ばれるようになっていって、次第に一緒に曲も作るようになっていきました。

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
DJ Kaz Sakuma

--もう長い付き合いになるわけですが、Kazさんから見てR-nabyさんはどんな存在だと感じていますか?

DJ Kaz Sakuma:とにかく有言実行。やると決めたら本気でやるタイプなんで、それは素直に凄いなと7,8年ずっと思っていますね。普通はなかなか出来ないことなんですよ。ニューヨークで生きていく現実って厳しいんで。生活するだけでも結構苦しいし。その中でも自分の方針を曲げないで活動してきて、夢に向かって着実にステップアップしているのは本当に凄いことだと思います。

--では、R-nabyさんから見たKazさんはどんな存在?

R-naby:こんなこと言うのは恥ずかしいんですけど、俺ってUSAで日本人の友達がKazさんしかいなくて。今は一緒に活動していますけど、その前からKazさんは相談できる先輩だったんですよ。英語のこともそうですし、ニューヨークで暮らしていく上での裏技的なこともそうですし、生きる知恵はほとんどKazさんから学んでいたんですよね。それぐらい当時からいちばん近い存在でした。

--ニューヨークで生きていく上でも重要な存在だったんですね。

R-naby:あと、僕もなんですけど、Kazさんも当時はDJのレギュラーが週に1本しかなかったんですよ。それをとにかく3年ぐらい続けて、僕もKazさんも生活がシャレにならないぐらい厳しくて。でもだからこそ「頑張りましょうよ! 俺らは絶対にニューヨークに残りましょう!」って励まし合ってきたし、週イチぐらいで一緒に安い飯を食いに行きながら「いつか良い飯食いましょう!」みたいな感じだったんですよね。ネガティヴな状況を常にポジティヴな話に変えてお互いのモチベーションを高め合ってきた。そんな暮らしの中でKazさんがある日アーティストビザを取得して、そこからエージェンシーにも入って、DJとしての生活が落ち着いてきて。それって本当に凄いことなんですよ。誰もがエージェンシーに入れずお手伝いでキャッシュを稼ぐしかない中で、KazさんはDJとして正式な給料が発生して、そのタックスをニューヨークに納めている。日本でもそうかもしれないですけど、ニューヨークで好きなことで納税するって大変なんですよ。なので、あのときは「Kazさん、すげぇ!」ってなりましたね。

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DJ Kaz Sakuma

--そもそもおふたりが何故にニューヨークに活動の場を移したのか。エピソードゼロ的なお話も伺いたいのですが、R-nabyさんは「英語が話せなかった」と仰っていましたよね。その状態で渡米したら苦労するのは分かっていたと思うんですけど、それでもニューヨークへ行こうと思ったのは何故なんでしょう?

R-naby:これは本当に今だから言えることなんですけど、ずっと京都の地元でいわゆるインディーズ活動をしていて、自分なりに頑張っていたんですよね。でも才能がなかったんですかね。自分の思い描いていた22歳になれなかったんですよ。音楽活動を始めて5年ぐらい経っていたんですけど、鳴かず飛ばずの状態だったから「日本では無理だったか。だったら最後にニューヨークへ行こうか!」と(笑)。本当はもう諦めたけど、まわりには「挑戦」と伝えて「とりあえず2,3年頑張ってみようかな」って。だから完全に勢いですね。当時、正直に「俺には無理だった」と言うことが出来なかったんですよ。ダサい自分を「俺、ダサいわ!」と言えない22歳だったんで。だから「じゃあ、ニューヨーク行こうぜ」っていう。本当にそれだけなんです。

--「自分の思い描いていた22歳になれなかった」と仰っていましたが、自分のヴィジョンとしてはどういうラッパーになっている予定だったんですか?

R-naby:横浜でDS455とOZROSAURUSが立ち上げたHOOD SOUND RECORDSというレーベルがあって、そこに入ることが夢だったんですよ。で、そのレーベルの人をいっぱい呼んで京都でイベントとかもやっていたんですけど、「あれ? 俺は入れないんだ」と気付いたんですよね。当時はAK-69とか般若とかも凄かったんで「俺もあれぐらいの存在になる。Zeppツアーとかやるんだ!」と思っていたんですけど、全然無理だったんですよ(笑)。頑張っても地元のワンマンで集客200人ぐらいだったんで、これはもう厳しいなと。でもその現実を受け止めるには若すぎたんで「だったらニューヨークへ行けばみんな驚くだろ」と思って渡米したんです。所持金30万円で。

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R-naby

--え、準備不足すぎませんか(笑)?

R-naby:あっと言う間になくなりますよね(笑)。家賃も払わなきゃいけないんで。だからニューヨークに行く前から例のナイトクラブに「初日から働かせてください」とお願いしておいたんです。で、俺はアメリカどころか外国に行くこと自体がそのとき始めてだったんですけど、タイムズスクエアから歩いてナイトクラブまで行って面接して、そのままスーツケースからスーツ取り出して働きました。その時点で家にはまだ行ってないんで、帰りも大変で。ニュージャージーの家に住むことにしたんですけど、ニューヨークからだといわゆるリンカーントンネルを渡らなきゃいけないんですね。英語も喋れない、アメリカに初めて来た日本人がそんなの無理なんですよ! 乗り方も分かんないし、その駅で下車すればいいかも分かんないし。だから初日はタクシーで100ドルかけて帰りました。バスで2ドルで行けるところを(笑)。

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NY音楽シーンでの戦い「死ぬ気でやっている奴なのか、保険かけてやっている奴なのか、簡単に見抜かれてしまう」

--Kazさんはニューヨークに至るまでどんな音楽人生を歩んでいたんでしょう?

DJ Kaz Sakuma:高校を卒業してワーキングホリデーでオーストラリアのシドニーに行ったんですけど、自分のやりたいことを見つけたくて1年間暮らしていたんです。そこの語学学校のクラスメイトにアダムというタンザニア人がいて、そいつの兄貴がレコード屋とバーテンダーをやっていて、あるときにそのバーで初めてレコードをまわしているDJの姿に遭遇したんです。それを見て「格好良い! これやりたい! これを俺の職業にしたい!」と思って、その場でアダムの兄貴に「あの人を紹介してくれ」とお願いしたら、DJルークという人だったんですけど、「繋ぎ方を教えてやるから、俺んちに明日来い」と。そこから僕のDJとしての長い旅が始まりました。

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DJ Kaz Sakuma

--Kazさんの場合は、始まりも海外だったんですね。

DJ Kaz Sakuma:ただ、オーストラリアでDJ活動をするのは金銭的に無理だったんですよ。でも「本気でDJをやりたい」と思ったんで、1年後に日本に帰って、僕は地元が宮城県なんですけど、仙台のナイトクラブみたいなところで出逢ったふたりと夜光虫というヒップホップ・ユニットを結成したんです。DMCというスクラッチのスキルなどを競うDJのコンテストがあるんですけど、ラップ部門があった年にメンバーのひとりが勝手に応募しちゃって。そこで「俺はラップできないから、DJやるよ」と言って参加したのがきっかけですね。それから地元でずっと活動していたんですけど、あるとき「このままじゃ埒が明かないな」と思って。そういう文化ってやっぱり都会に行かないと番狂わせできないじゃないですか。で、当時の僕の師匠、HARLEMのレギュラーパーティー【RED ZONE】を盛り上げていたDJ KOYAさんにいろいろ相談していたら「じゃあ、東京来ちゃったら?」と。それがきっかけで上京するんですけど、やっぱり東京に行ったら行ったでやっぱり厳しいんですよ。

--どんなところに厳しさを感じたんでしょう?

DJ Kaz Sakuma:活躍している人たちがすでにいるわけじゃないですか。そこに自分が入り込む隙間はないなと3か月ぐらいで気付いて。だったら「もう海外に行くしかないかな」と思ったんです。DJ KOYAさんに付いていた人たちはみんなニューヨークに行く流れもあったので、自分も1年ちょいぐらいKOYAさんの弟子としてサポートさせてもらいながら、その間に本場のDJたちからも「こういうことをやっていけばいいよ」といろんなアドバイスをもらって、それでいざ渡米したのが35歳のときでした。R-nabyの場合は若いうちにニューヨークへ来たんですけど、僕の場合は勢いで来たという訳でなく、年齢的に覚悟が必要だったんですよね。もう引けないじゃないですか。これで失敗したらどのツラ下げて日本に帰るんだ?って感じですし、格好悪すぎるんで。相当、腹は括って来ましたね。

--人生を懸けた一大決心ですよね。そこからエージェンシーに入れる状態になるまでどのようなストーリーを歩まれたんですか?

DJ Kaz Sakuma:僕はラッキーなことに、渡米してすぐにアーティストビザを取っているフォトグラファーと出逢えて「KazくんもニューヨークでDJを職業にしたいんだったらこうしたほうがいい」とアドバイスをもらえたんですよね。それで3年ぐらい経ったときにお金も貯まって、アーティストビザを申請したら合格したんです。それからはアメリカで「職業、DJ」と堂々と言えるようになって、いろんな仕事が出来るようになりました。そこに至るまでは苦しかったですけどね。男としてもう帰れないじゃないですか。何がなんでもDJとして生きていかなきゃいけなかったんで、引くとか諦めるという選択肢はなかったんですよ。その結果、DJとして生きていける切符を掴み取ったんで、それが自信になっていろいろ状況が変わっていきましたね。

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
DJ Kaz Sakuma&R-naby

--R-nabyさんはどうやってラッパーとしてニューヨークで生きていける状態にまで辿り着いたんですか?

R-naby:ニューヨークで活動している日本人DJって当時もいっぱいいたんですよ。なので、Kazさんも先駆者からいろんなアドバイスをもらうことができたと思うんですけど、日本人ラッパーは全然いなかったんです。当時から誰ひとりいなくて、どうやったらニューヨークでラッパーとして活躍できるのか、誰にも教えてもらえない状況だったんですよね。だからどうやったらアーティストとして認められるようになるのか全然分からなくて。でも、とりあえずニューヨークで暮らし始めて1か月経って、最初の家賃を払い終わったぐらいのタイミングから毎日バイトの4時間ぐらい前にライブハウスをリサーチしたんですよ。ブルックリン、ブロンクス、クイーンズあたりでオープンマイクできる場所をバーやラウンジの人間に聞きながら探しまくって。そしたら3か月後ぐらいにやっとオープンマイクできるライブハウスをブルックリンで見つけたんですよ!

--ライブできる場所を探すだけでも3か月要したんですね。

R-naby:そうなんですよ。だから「やっと見つかった!」って感じで、その日はバイトを休んでライブハウスの列に並びました。あの頃はまだ英語が喋れなくて「ライブしたい」っていう英語しか知らなかったんですよ。だからそれだけ伝え続けて、聞き取りはできないんで「バカだな、こいつ」と多分思われていたんですけど、それでライブもぜんぶ日本語で歌うっていう。でも全然恥ずかしくなかったんですよ。英語が出来ないことを逆に売りにしていこうかと思っていたんで。ただ、あるとき「英語、覚えたほうがいいよ」とKazさんに言われまして(笑)。それで、僕が働いていたナイトクラブは日本人だらけだったんで、そこを辞めてアメリカ人がたくさんいるラーメン屋で働くことにしたんです。そうなると自然と英会話しかできないから英語の勉強になったんですよね。そんな中でオープンマイクの為にライブハウスに通い続けていたんですけど、1年って365日あるじゃないですか。

--そうですね。

R-naby:365日行ったんですよ。

--えぇー! すごい! 1日も休まず?

R-naby:1日も休まずどころか、1日8軒ハシゴしたりしていました(笑)。当時はニュージャージに住んでいたので、電車賃がもったいないから時間があるときはオープンマイクのスケジュールを詰め込みまくったんですよ。それでずーっと頑張ったんですよ。フライヤーに名前も載らない、1曲しか歌わせてもらえない状況だったんですけど、そういう風にして現場慣れして、そこで英語も覚えてコネクションを広げようと思ったんです。ヒップホップのオープンマイクの現場って本当にガラが悪くて、日本では想像できないぐらい悪いんですよ!

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
R-naby

--しかも日本人ということで、偏見もあったりしますよね?

R-naby:ありましたね。俺の場合は黒人文化の中に入っていっていたので、余計に当たりが強かったと思うんですけど、オープンマイクをする為にサインをするじゃないですか。それでみんな名前を呼ばれてパフォーマンスするんですけど、俺だけイジワルで呼ばれなかったりするんですよ。アジア人なんで「英語できないし、おまえは別にいいだろ」みたいな扱いを受けるんですよね。めちゃめちゃバカにされて笑われるし。あと、俺が歌ったら客が全員居なくなったり。でも「そんなの関係ねぇ!」って1年、2年、3年と頑張ったらやっとブッキングエージェントのチームから声がかかったんですよね。そこでようやくオープンマイクを卒業できたんです。それが僕のニューヨークにおける活動の原点。なので、日本人でニューヨークに来てラッパーとして生きていきたいと思っている人がいたら、まずはオープンマイクを死ぬ気でやらないと多分活動できないと思います。

--でも、なかなかマネできることじゃないですよね。

R-naby:だからそれが僕の武器だったんですよ。「ラップはヘタクソだけど、この行動力は誰にもマネできないだろ?」という気持ちが自信になったんですよね。バカにされてもいいから「とりあえずひたすらオープンマイクしよう」と決めていたので。そこは割り切っていました。たぶん、ニューヨークってすぐバレるんですよ。死ぬ気でやっている奴なのか、保険かけてやっている奴なのか、簡単に見抜かれてしまう。だから突き抜けた奴がたぶん今もニューヨークに残っているんですよ。

DJ Kaz Sakuma:ナイトクラブのバイトを週5日ぐらい入ればなんとなく生きていけるんですよ。家賃払って、食べたいものも食べられて、スタバでコーヒーも飲めるような生活はできるんですけど、そこに甘えていると何をしにニューヨークまで来たのか忘れちゃうんですよね。そういう連中がまわりにたくさんいて。「おまえさ、何に来たんだっけ?」って聞いたときに「いや、うーん……」ってなっちゃう人が結構多かったんですよね。でも僕はパッと見オラオラ系じゃないですけど、心の中は負けん気が強いんで「絶対にこいつらと同じにはなりたくないな」と思っていて。そんな中でR-nabyには同じ匂いを感じたんですよね。

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ギャングスターとの交渉「人生って1回じゃないですか。そこで尻込みしたら次いつ勝負できるか分からない」

--おふたりともめちゃくちゃタフに生き抜いた結果が今なんですね。

R-naby:でも、俺は当時「ユニバーサルGEAR」でレーベルとの関わりが出来ていなかったら音楽を辞めていたんですよ。なんでかって言うと、2017年にニューヨークで超有名なライブハウスで日本人初の主催イベントをやったんです。100万のデポジットを払って、その為にKazさんにお金を借りたんですけど。で、これをやって無理だったらもう辞めようと思っていたんですよ。ただ、そのときに、ニューヨークで以前遭遇したユニバーサルGEARの服部さんという方から「俺に出来ることがあるんだったら手伝うよ」みたいなメールを頂いて。それですぐKazさんに「これで辞めなくて済むかも! 音楽がんばりましょう!」って連絡したんですよね。それからKazさんがトラックを作り始めたんですよ。それがきっかけで今回も新作をリリースできているんで。

--その新作『Take A Chance feat. Maino』についてもお話を伺いたいのですが、ブルックリンのレジェンド・Mainoを迎えたコラボレーションを実現していますよね。このビッグプロジェクトはどのような経緯で立ち上げることになったんでしょうか?

R-naby:ブロンクスのプロモーターと仲が良くて、その人が「R-naby、すごいビッグイベントがあるよ。ゲストにMainoが来るからアピールしたら? そしたら居大きいチャンスを掴めるかもしれないよ」って言ってくれて、俺は調子乗りなんで「やるやる!」みたいな感じでそのイベントに行ったら人がパンパンで! で、KazさんにDJを頼んでライブする手筈を整えていたんですけど、そこにMainoがいなかったんですよ。でもたまたま俺らの出番直前にMainoが遅れてやってきて、もうセキュリティも凄くて「ギャングスターがやってきた!」みたいな。で、ちょうどステージの横がVIPルームだったんですけど、7メートルぐらい先にMainoがいる状態で「おっしゃ! 魅せてやるよ!」ってライブしたんですよね。そしたらMainoがガン見してて! 俺、アメリカ人が言わない「それを日本人が言っちゃう?」みたいなことをよくラップにしているんですけど、その曲を聴いてめっちゃ笑ってくれていたんですよね。で、ライブが終わったあとにマネージャーが来て「おまえ、Mainoと写真撮りたいか?」みたいな。それがきっかけで最初は向こうからオファーが来たんですよ! こっちからしたら日本に居たときからYouTubeで観ていた人なんで(笑)めちゃくちゃ嬉しかったですね。

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
Maino

DJ Kaz Sakuma:なので、その時点でフィーチャリングの話はしていて、ギャラとかも聞いていたんですよ。ただ、その当時の僕らにはハードルの高い金額だったんで「……ちょっと無理だな、今は」みたいな感じでそのときは断念したんですよね。そこからどうやって今回『Take A Chance feat. Maino』でコラボレーションが実現したかと言うと、僕はR-nabyの音楽プロデュースを何年もやらせてもらっていて「ここから次のステップに行く為には何をするべきなんだろうな」とずっと考えていたんですね。そこで、せっかくニューヨークにいるし、ヒップホップを聴いている人だったら誰もが知っているアーティストとのコラボを実現したら、それって格好良いんじゃないかなと漠然と思ったんです。めちゃくちゃ金はかかるんですけど、人生って1回じゃないですか。そこで尻込みしたら次いつ勝負できるか分からないから「今でしょ」と思って企画から交渉からぜんぶ自分でやって。で、こっちのアーティストって話が早いんですよ。コラボの話を持ちかけたら「じゃあ、トラックをくれ。金をくれ」ってなる。

--分かりやすいですね(笑)。

DJ Kaz Sakuma:それが分かっていたので、先に曲を作って、フックもとあるシンガーにお金払って歌ってもらって作ったんですよ。あとはMainoとR-nabyにヴァース、16小節ラップしてもらうだけの状態。で、コンセプトも決めた上でオファーしたら実現したんですよね。それで完成した『Take A Chance feat. Maino』を聴いたときは「ビンゴ!」と思いました。曲も上手く出来たなと思いますし、コロナ禍でみんなそれぞれ苦しんだと思うんですけど、だからこそ「Take A Chance、チャンスを掴もうぜ」っていうメッセージを発信したいと思って、実際にその通りのリリックにもなっているので。せっかくそういう曲を作るなら「今日は酒飲んで盛り上がろうぜ」みたいな軽いパーティーソングにはしたくなかったし、大金かけてキング・オブ・ブルックリンのMainoも招いているわけですから、スルっと終わっちゃう曲にしたくなかったんですよね。なので、そういうコンセプトありきのメッセージソングにしたかった。それが自分たちのこれからの人生のプラスになると直感的に思ったんで。本物のギャングスターとの交渉は大変でしたけどね(笑)。

--そもそもギャングスターと交渉することって日本の音楽業界じゃ有り得ないですからね(笑)。

DJ Kaz Sakuma:いやぁー、怖かったですよ。「ギャラはまだ振り込まれないのか? 夕方までにどうにかしろ!」みたいな(笑)。

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』

--R-nabyさんは『Take A Chance feat. Maino』の仕上がりにどんな印象を持たれていますか?

R-naby:こんなこと言うと怒られるかもしれないんですけど、俺はコロナ禍で逆に人生が好転したんですよ。コロナ禍になっていなかったら今の状況は有り得ないし、要するにいろんなチャンスを得たんですよね。ラーメン屋をオープンすることもできましたし、アトランタのプロモーターと契約を結ぶことも出来たんです。だから今回の『Take A Chance feat. Maino』はまさに自分の人生というか、このコロナ禍での経験とリンクしまくっているんですよね。そういう意味では、すごく書きやすかったです。ラーメン屋でお客さんを待っているあいだの10分ぐらいで完成しました(笑)。

--本当にこの曲『Take A Chance feat. Maino』の通りの人生を今歩まれているということですよね。

R-naby:そうですね。こういうところで人生って変わるんだなって。いつ来るか分からないチャンスだったんですけど、それを今回掴むか掴まないかって大きく人生は変わったと思うんですよね。掴んだおかげで今があるし、この先の未来もある。もう次の楽曲についてもKazさんと話しているんですよ。まだ具体的には言えないんですけど、ビッグアーティストへのオファーもそろそろ出すんです。次はもっと有り得ないビッグアーティストなんですけど、本当に今回の一件でいろんなアメリカでの音楽活動における可能性が見えたんで、2022年に向けて僕らのプロジェクトはめっちゃ面白くなっていくと思います!

--今回のインタビューは、日本人アーティストとしてニューヨークで長年戦い続けてきたストーリーもそうですし、ひとつの作品に対して文字通り命懸けで臨む姿勢もそうですし、話を聞いていて震えました。そんなおふたりから最後に読者の皆さんへメッセージをお願いします。

DJ Kaz Sakuma:コロナ禍の余韻はまだまだ続くと思うんですけど、苦しい状況下でも見渡せば絶対にチャンスはあるんで。そこで『Take A Chance feat. Maino』を聴いてもらって、今回語らせて頂いた僕らの捨て身で頑張っている生き様やストーリーとも照らし合わせてもらって「ニューヨークでこんな人生を送っている人がいるんだ」と。それを皆さんの励みやモチベーションにしてもらえたら嬉しいなと思います。

R-naby:俺はこの8年半、1回も日本に帰ってないんですよ。それには理由があって……俺、スーパースターになって日本に帰りたいんですよ! 中途半端に活躍するんじゃなくて、本当にスーパースターになりたいんですよね。それがいちばんの説得力になると思っていて。今回の『Take A Chance feat. Maino』の内容もインタビューの内容もマジでリアルなんで。こんな感じでみんなにも人生をめっちゃ楽しんでほしいッスね! 現状いろいろあると思うんですけど、とりあえず「めっちゃ楽しもうぜ!」って言いたいし、それをこれからも自らの人生で体現していきたいです!

R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』発売記念インタビュー
R-naby×DJ Kaz Sakuma『Take A Chance feat. Maino』

Interviewer:平賀哲雄

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