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楽園おんがく Vol.10:RYUKYUDISKO インタビュー

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旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。第10回はRYUKYUDISKOに直撃インタビュー。

 4つ打ちのテクノ・ビートに乗せた、三線の音色やエイサーのかけ声。最新サウンドに沖縄の伝統音楽のエッセンスを加え、一大センセーションを巻き起こしたRYUKYUDISKOが、昨年デビュー10周年を迎えた。

RYUKYUDISKO
▲RYUKYUDISKO

 RYUKYUDISKOは、兄のTetsushi HiroyamaとYAPANという双子の兄弟で結成されたテクノ・ユニット。1978年生まれの彼らは、90年代末に活動を開始。電気グルーヴの石野卓球に認められ、2004年に彼のレーベルよりアルバム『LEQUIO DISK』でデビューを果たした。日本最大のテクノ・イベント「WIRE04」に出演し大きな話題を呼び、2007年にはキューン・レコードからメジャー・デビュー。様々なコラボレーションを行うなど、その活動の幅を広げていく。同時にソロ活動も精力的に行い、沖縄音楽とテクノの融合を推し進めた。

 昨年は新たにレーベル「@DISKO」を立ち上げ、10周年を記念して発表したオリジナル・アルバム『TEN TO TEN』を発表。年末には初期音源をまとめたベスト・アルバム『LEQUIO BEST -Platik Playlist-』もリリースした。自らオーガナイズするパーティーから大型フェスの出演まで、勢いをとどまることを知らないRYUKYUDISKO。彼らに、この10年を振り返ってもらいつつ、今後の展望を語ってもらった。

僕らにしかできないこと=テクノと沖縄の融合

――お二人はどういう音楽を聴いて育ったんですか?

YAPAN:出身がコザ(注:現在の沖縄市)なんですけれど、民謡やエイサーの文化がとても盛んなんですよ。プロではなく趣味で三線弾きながら歌っている人もたくさんいて、例えば夕食後なんかにそういう姿が自然に目に入ってくる土地柄だったから、沖縄民謡は自然に刷り込まれていったと思います。

Tetsushi Hiroyama(以下TH):あと、米軍の基地が近いから、アメリカの文化が自然に混じっているというのはありますね。中学生になると、洋楽を聴いている友達も多かったです。

――テクノを好きになったきっかけは?

YAPAN:電気グルーヴですね。そこから他のアーティストや海外のレーベルを調べて深く入りこんでいきました。

――DJを始めたのはいつ頃から?

YAPAN:本格的にやり始めたのは、ちょうど20歳くらいから。それまでは趣味レベルで音楽を漁ったり、ちょっとした機材を買ったりはしていたんですけれど、20歳を過ぎた頃から本格的にやり始めたという感じですね。

TH:僕らはバンド経験がないんですよ。単純に打ち込み音楽が好きだったからシンセや機材を買っただけで、バンド好きがギターを買うのと同じですね。

――DJってレコードを回す選曲のイメージがありますが、なぜいきなり音楽を作り始めたんですか?

TH:僕らは作りたい欲求が先にあったんです。自分でこういう音楽を表現したいと思って。DJって基本的には他の人の曲をかけると思うんですが、僕らは沖縄生まれだし、沖縄ならではのサウンドを取り入れたオリジナルをやっていきたいと思っていました。

――周りにそういうことをやっている人はいたんですか?

YAPAN:いや、全然いなかったですね。今でこそ交友関係も増えてきて、同じ価値観のミュージシャンも増えてきましたけれど、始めたばかりの時はいませんでした。

TH:高校生の頃はバンドじゃないから学園祭でDJやるっていうことは難しかった。だから学校の机とか黒板に海外のレーベルのマークを落書きして、ひっそりとアピールしていました(笑)。たぶん家で聴いたりDJやってる人はいたと思うんですけど、表立って活動している人はいなかったと思う。クラブ・シーンに関していえば、那覇だと「火の玉ホール」とかいろいろ盛んだったんですけれど、僕らはコザのことしかわからなかった。だから他のエリアの人に比べたら、クラブ体験は遅いかもしれない。あと、コザはヒップホップとかレゲエの方が強くて、僕らのようなテクノは少数派だと思う。

――初めてのパーティーを開いた時は、どういう経緯だったんですか?

TH:クラブのオーナーと話をする機会があって「僕ら、こういうことやってます」っていったら、「じゃあやってみない?」といわれたのがきっかけですね。

YAPAN:その後も、デモテープを作ってクラブに売り込みに行きました。当時はまだクラブとディスコの境目が曖昧だったんです。だからその違いもわからず、ディスコにも営業に行って「イベントで呼んでください」ってお願いしたら、「じゃあ、まず皿洗いから始めて」っていわれたりとか(笑)。

――その頃は、すでにRYUKYUDISKOのサウンドやスタイルは完成していたんですか?

TH:そうですね。テクノと沖縄の融合というのはすでに出来上がっていました。僕らは沖縄出身だから、絶対にそういうミックスをした方がいいと思った。すでにテクノのアーティストはたくさんいたから、同じことやってもしょうがないじゃないですか。絶対に埋もれるし、東京の方がクオリティも高いし。僕らにしかできないことはなんだろうと考えたんです。

YAPAN:ライヴというスタイルもそうですね。デモテープも、ライヴを録ったものを使ったりして。だから、最初はなかなか理解してもらえなかったですよ。今でこそライヴとDJの棲み分けはできているけれど、当時はただのDJだと受け取られることも多かったですね。

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CD
▲初期音源をまとめたベスト盤『LEQUIO BEST -Platik Playlist-』

――活動を始めた段階で、沖縄以外での活動も視野に入れていたんですか?

TH:そうです。最初は「いつかできたらいいな」くらいにしか思ってなかったけれど、意外と自分たちが考える以上にお客さんに受けたんです。初めて東京でライヴをやったことをきっかけに、徐々にそういうオファーも増えていったんです。そこからはとんとん拍子で進みました。

――東京進出のきっかけは、石野卓球さんだったそうですね。

TH:昔、那覇の国際通りに「BUMP」っていうクラブがあったんですよ。そこによく卓球さんがいらしてて、話しかけてデモテープを渡したのがきっかけです。その後、卓球さんのレギュラー・パーティーに呼ばれて渋谷の「WOMB」に出演したんですけれど、沖縄でもそんなたくさんの人の前でやったことがないっていうくらいに人が集まったんですよ。アルバムをリリースしてからは、さらに集客も伸びました。

――最初のアルバムはどのように制作したんですか?

YAPAN:イベントに出ているうちに、卓球さんから「アルバム出そう」って話になって。それまではライヴの音源は作っていたんですけど、曲単位では作ってなかったんですよ。ライヴではパーツを組み合わせてその場で作っていくような感じだったから。でも、テクノってループ音楽だから、ループの素材や組み合わせはいくらでもありました。だから、そこからチョイスして一曲に仕上げてアルバムに入れたという感じです。だから実際に一曲一曲を作ろうと意識したのは次のアルバムからですね。

――大きなトピックとして「WIRE04」に出ましたが、その時の反応や感覚は覚えていますか?

TH:凄く緊張したことは覚えています。日本の方はもちろん、海外のアーティストにも負けないようにとか。僕らには沖縄という武器があったから得をしましたね。ある意味ワールド・ミュージックだから、そのテイストで勝負できた。おかげで好評いただけたし、反応も尋常じゃなかったです。あとは自分たちが追い付かないくらい状況が変わるのも早かった。

――じゃあ、曲作りもずいぶん変わりましたか?

TH:そうですね。人前で演奏するようになったことが大きいですね。例えば、県外でやるときは沖縄テイストを多めに入れて、逆に地元のときはそのテイストを減らしたりとか。そういうバランスを取りながら、作品も作れるようになりました。それと、機材の進化もあって、最初はサンプラーやリズムマシンで作っていたものが、コンピューターになってガラッと変わりました。

――その後メジャーのキューン・レコードからリリースすることになりますが、それで変わったことは?

YAPAN:より客観的に曲作りをしたり、聴いてくれる人を意識するようになりました。それまでは自分たちがやりたい音を作るというのが前提で、いわゆるクラブDJ的な曲作りや演奏をしていたんです。でも、メジャーではプラス・アルファのことが多く、人とコラボレーションする時は、歌い手の気持ちになって作ったり、どうやったら歌詞やメロディが聴いた人に伝わるのかを常に考えていました。クラブでの目線からポップ・フィールドに変わったから、いわゆるJ-POPのシーンも意識するようになったし、視野が広がって勉強になりました。

――当時、東京に腰を落ち着けて活動しようとは思わなかったんですか?

TH:それはないです。寒いから(笑)。というのは冗談ですけれど、音楽ってどこでも作れるじゃないですか。沖縄でできなかったら東京でもできない。自分のやる気や野望さえあれば、どこでもできると思うんです。あとは、なによりも沖縄が好きだっていうのはあります。朝起きてベランダに出れば、自分が育った海が見えるじゃないですか。そういうロケーションだと心にも余裕が出来るし、身体に合っている。あまりがつがつやりたくないんです。余裕がないと音楽はできない。

――RYUKYUDISKOの音楽は、沖縄というキーワードだけでなくどこかユーモアもあるから、生活に余裕がないと生まれなさそうですしね。

TH:メジャーを離れて、自分たちでレーベルをやろうと思ったのもそうですね。そのぶん大変なこともあるんですけれど、自由なだけに仕事上のギャンブルがしやすくなりました。自分たちで全部やっているから、急に友達も増えたし。あと、そうすることによって、自分たちがどこへ向かっているのかがよくわかるようになりました。

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東京ヴァージョンと沖縄ヴァージョン、スタンスの違い

――デビュー10周年の区切りにリリースした昨年のアルバム『TEN TO TEN』は、原点回帰というイメージですね。

CD
▲『TEN TO TEN』

TH:これは100%二人だけで作ったんですよ。いずれまた、ヴォーカルをフィーチャリングしたような作品を出したいと考えているんですけれど、『TEN TO TEN』ではその前提の土台を作りたかったんです。新レーベル「@DISKO」の第一弾なので、まずはそのベースになるのが『TEN TO TEN』ですね。

YAPAN:マスタリングで、ロンドンのエクスチェンジ・マスタリング・スタジオに行ってきたんですよ。風邪引いたまま飛行機に乗って弾丸で行ったからヘヴィだったんですけど、責任もあるからスイッチが入ったんです。観光する余裕もなかったのに、まるでヨーロッパ旅行をしているくらいの達成感があって、感動もひとしおでした。

――今はどういうスタンスでイベントを行っているんですか?

YAPAN:東京ヴァージョンと沖縄ヴァージョンがあるんです。東京はしっかり集客することが大事なので、そこを見据えたプロジェクトとしてかなりきっちりと企画しています。沖縄の場合は、コネクションやつながりを前提に、よりパーティー感を出しています。ここにきたら誰かに会えるとか、同じ価値観を持っている人たちがコミュニケーションを取りやすい場にするとか。そういうのを意識しています。もちろん、告知やプロモーションはしっかりしますし、内容に関しても工夫をします。

――今後こういうことをやってみたいというのはありますか。

YAPAN:歌だけじゃなくいろんなミュージシャンとのコラボもやってみたいし、さらには視覚的な演出も考えたい。でもそれだけだと他の人たちと同じだから、もうひとつアクションを組み込んでいきたいんです。音源に固執するのではなく、マルチメディア化している時代ならではのアプリやゲームに絡んでもいいし、演奏する場もコミケやゲームショーでもいいと思う。とはいっても、あまり飛躍し過ぎても実現できないから、妄想だけは膨らましておいて準備しておきたいですね。

TH:去年フジロックに出た時に思ったんですけれど、もっとショー的なステージというか、今までにないライヴが僕らなりのやり方でできたらいいなと思っています。音楽はもちろん大事だけど、見た目も楽しくてその場に来なければ感じられないショーを提供していきたい。お客さんにゴーヤーを配ったりとか(笑)。

――話は変わりますが、お二人にとって「楽園おんがく」とは?

YAPAN:ボブ・マーリーの「ノー・ウーマン、ノー・クライ」かな。ボブ・マーリー全般大好きだし、レゲエもよく聴きますよ。

TH:The BOOMの「風になりたい」ですね。あと、自分でも「RAKUEN RECORDS」というレーベルをやっていたりします。

――沖縄音楽だとどうですか?

YAPAN:民謡自体はどれも身体に染みついているんですけど、人でいえば登川誠仁さんは凄いですね。もう亡くなってしまったけれど。

TH:喜納昌吉さんや、りんけんバンドもいいですよね。歌詞の発想も面白いし。

YAPAN:プロデューサーとしては普久原恒勇さん(注:「芭蕉布」などの名曲を生んだ作曲家)。何十年も昔からジャズやポップスの要素を取り入れて斬新なことをやってましたから。

TH:僕らもそういったプロデュースもやっていきたいと思っています。リミックスやアレンジくらいはあるんですけど、もっとじっくり若いアーティストを育てるようなこともやってみたいですね。

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