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<インタビュー>阪田知樹が紐解く“理想の音楽家”リストの素顔 デビュー15周年に集大成完成

インタビューバナー

Text & Interview:黒田隆憲
Photos: Yuma Totsuka

 2016年、ハンガリー・ブダペストで開催された【フランツ・リスト国際ピアノコンクール】で第1位に輝いた阪田知樹。優勝から10年、デビュー15周年を迎えた2026年、初めて全曲をリスト作品で構成したアルバム『ラ・カンパネッラ~リスト・ピアノ作品集』を発表する。

 代表作「ピアノ・ソナタ ロ短調」を核に、二つの版の「ラ・カンパネッラ」をはじめ、「愛の夢」「鬼火」「夢の中で」などを収録。華麗なヴィルトゥオーゾとしての顔から、晩年の実験性と深い精神性まで、変貌を重ねたリストの生涯が一枚に凝縮されている。阪田に、選曲と録音に込めた思い、10年を経て変化した「ピアノ・ソナタ ロ短調」、そして秋のリサイタルについて聞いた。

──全曲をリスト作品で構成したアルバムは、今回が初めてですね。

阪田知樹:はい。【リスト国際ピアノコンクール】で優勝してから10年、デビューから15周年という節目を迎え、今年はライフワークとして取り組んできたリストに、原点回帰するような気持ちで集中的に向き合っています。春にリサイタル・ツアーを行い、10月から11月には秋のツアーも予定しています。そうした特別な一年の、一つの集大成としてリリースするのが今回のアルバムです。

──膨大な作品の中から、どのような基準で9曲を選びましたか?

阪田:「ラ・カンパネッラ」「愛の夢」、そしてリストが残した唯一のピアノ・ソナタである「ロ短調ソナタ」は外せないと考えました。それと同時に大切にしたのが、リストの生涯を一枚で俯瞰できることです。

リストは1811年に生まれ、1886年に亡くなるまでの約75年間に、作風を大きく変化させました。その各時代の音楽を、一枚のアルバムで楽しんでいただきたいと考えました。リストをよく知る方にも「この曲は初めて聴く」と興味を持っていただきたいし、あまりなじみのない方にも「リストはおもしろい。ほかの作品も聴いてみたい」と思っていただきたい。その両方を成立させる曲目を考えました。ある意味ではベスト盤であり、入門盤でもあります。

──アルバムの冒頭と最後には、異なる版の「ラ・カンパネッラ」が置かれています。

阪田:「ラ・カンパネッラ」は、説明の必要がないほど有名な作品ですが、演奏者によって色合いや聞こえ方はまったく違います。僕の演奏を通して、新鮮な気持ちで聴いていただけたらと思いました。

リストは「ラ・カンパネッラ」を繰り返し改稿していて、現在広く演奏されているのは1851年版です。今回はそれをアルバムの冒頭に置き、最終曲には、それ以前に書かれた1838年版を収録しました。1851年版も難曲として知られていますが、それ以前には、さらに演奏困難な版が存在していた。その二つを一枚のアルバムで聴き比べられる機会は、なかなかありません。「ラ・カンパネッラ」で始まり、少し違う「ラ・カンパネッラ」で終わる。一種のリプライズのような、物語性のある構成も楽しんでいただけると思います。

──二つの版を比べると、リストのどのような変化が見えてきますか?

阪田:冒頭に収めた1851年版は、音楽的に非常に洗練されていて、繊細さを備えています。パガニーニが奏でたヴァイオリンの響きを、ピアノで精緻に模倣するような作品です。

それに対して、最後に収めた1838年版は、リストがパガニーニの演奏を聴いて受けた衝撃を、その熱量のままピアノに移したような音楽です。ピアノという楽器の限界へ挑むような、非常に直接的で激しいエネルギーがあります。洗練された最終形と、そこへ至る前の生々しい衝撃。その違いを体感していただけたらおもしろいですね。

──演奏上の難しさも異なりますか?

阪田:1851年版は、難しい技巧の中にもデリケートさが求められます。一方、1838年版は、速いパッセージや同音連打など、タッチや演奏技術の限界へ挑んでいく感覚が強い。リストは演奏会で何台ものピアノを壊したと伝えられていますが、当時の楽器でこの曲を弾いたら、本当に壊れることもあっただろうと想像させるような作品です。

以前、ヨーロッパで僕の演奏会を聴いたロック・ギタリストが、終演後、興奮気味に「リストの曲は、ロックと同じようなコードを使っているんだね」と話してくれたことがあります。僕自身はロックに詳しいわけではなく、クラシックとジャズを聴くことが多いのですが、リストの音楽が持つ直接的なエネルギーは、ジャンルを越えて伝わるのだと思います。

──ジャズを聴く経験が、クラシックの演奏に還元されることもあるのでしょうか。

阪田:曲によってはあります。ジャズの音楽的な感性には、クラシックから派生した部分も多く、両者の根はつながっています。クラシックを演奏するジャズ・ピアニストも少なくありませんし、ビル・エヴァンスも音楽大学ではブラームスなどを弾いていました。ジャンルを分けて考えるよりも、作品によっては、その中に共通する感覚を見いだすことがあります。

──ご自身も作曲する立場として、複数の版が残されていることをどう見ていますか?

阪田:最終形が洗練されているというだけでなく、そこへ至るまでに、どのように推敲を重ねたのかが見えるのは、とても勉強になります。「ここをこう変えたことで、この形に行き着いたのか」と、具体的に知ることができる。リストは自作を繰り返し改稿し、その過程が出版譜として残っている例も多い作曲家です。

今回のような、ある種の「リスト・ベスト盤」に、あえて有名曲の異稿を二つ収めることで、リストが推敲の歴史を形に残した作曲家でもあることに、注目していただけたらと思っています。

──「ピアノ・ソナタ ロ短調」は約30分に及ぶ大作です。それを2曲目に置いた理由を教えてください。

阪田:10年前の【リスト国際ピアノコンクール】の決勝で演奏した作品の一つで、僕にとっては代名詞ともいえる存在です。だからこそ、アルバムの早い段階で聴いていただきたいと思いました。

細部まで緻密に書き込まれた、非常に奥深い作品ですが、あまり難しく考えなくても、幅広いダイナミックレンジと、物語性に富んだドラマチックな音楽を楽しんでいただけると思います。そして、アルバム全体が約70分で、そのうちの30分近くを占める、文字どおり作品集の核となる曲です。それならば、あえて前半に置こうと考えました。

──10年前と現在では、作品との向き合い方も変わりましたか?

阪田:世界各地で数え切れないほど演奏してきて、今では体の一部のように感じる作品です。実際には約30分かかりますが、弾いているときの体感は30秒くらい。それほど凝縮されたものとして、自分の中に入っているのだと思います。

今の僕にとっては、頭で考えるというより、まず感じる、そして聴き手にも感じてほしい作品です。多楽章形式の要素を一つの楽章に組み込んだ構造など、理論的にはさまざまな説明ができます。しかし、それ以上に、この曲にはリストという人を形づくる、ありとあらゆる要素が詰め込まれています。

──具体的には、どのような要素が詰め込まれているのでしょうか。

阪田:華やかな演奏技巧で聴衆を魅了したヴィルトゥオーゾとしての顔がある一方で、敬虔なカトリック信者として宗教作品も数多く残した方です。また、ハンガリー語を話せなくても、自らをハンガリー人とする強い自負を持っていました。そうした自身のルーツや、大切にしていたもののすべてを、リストはこの曲に注ぎ込んでいます。

そのスケールは、単にダイナミックレンジが広いというだけではなく、天国から地獄までを行き来するような大きさです。約30分という巨大なキャンバスに、リストのあらゆる側面が描かれている。理論だけで捉えるのではなく、体全体で感じる作品だと思います。

昔の自分の演奏を聴くと、「今ならこうは弾かない」と感じるところがあります。人生経験を重ね、作品への共感が深まるにつれて、表現の厚みも変わってきました。10年前と今とでは、演奏も自然に変化していると思います。

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人間臭さこそが、多くの人から愛される理由ではないでしょうか

──「ペトラルカのソネット第104番」「夢の中で」「忘れられたワルツ第1番」「愛の夢」など、詩的な題名を持つ作品も並びます。

阪田:題名を見ただけで、「どのような曲なんだろう、どのような響きがするのだろう」と、聴き手の想像を促すものがありますよね。

──なかでも「夢の中で」と「忘れられたワルツ第1番」は、リスト晩年の作品です。

阪田:どちらもリストが亡くなる数年前に書かれた作品で、響きに対する感覚が非常に鋭敏になっています。それでいて、どこへ向かうのかわからないような、独特の浮遊感がある。「ラ・カンパネッラ」や「愛の夢」の作曲家として広く知られるリストとは、まったく異なる顔が見えてきます。

「夢の中で」には「夜想曲」という副題があり、「愛の夢」も「3つの夜想曲」として書かれた作品です。1850年頃の「愛の夢」と、1880年代の「夢の中で」。約30年を隔てると、同じ夜想曲でもこれほど印象が違う。その変化も楽しんでいただきたいですね。リストは決して「超絶技巧の作曲家」という言葉だけには収まりません。


──軽井沢大賀ホールで行われた3日間のレコーディングでは、「ピアノ・ソナタ ロ短調」を最初に録音したそうですね。

阪田:最もフレッシュな状態で録る必要があると思い、最初に取り組みました。30分間、休みなく弾く作品ですから、後回しにして、疲れが出た状態で録るのは大変です。周囲からは「いきなり録るのですか」と驚かれましたが、最初に録らせてほしいとお願いしました。

この曲は、最初の一音が鳴ってから最後の響きが消えるまでの30分間が一筆書きのように存在してほしいと思っていました。細かく区切るのではなく、全曲を通して弾くことを繰り返しました。おそらく3、4回は通したと思います。体力は使いますが、僕はその録り方が好きです。

──ホールの響きは、演奏や録音にどのような影響を与えましたか?

阪田:軽井沢大賀ホールでは何度も演奏していますが、コンサートでは、客席に人が入ると体や衣服に音が吸収されます。もともと響きの豊かなホールですが、録音時は客席に人がいないため、より潤いのある残響が生まれました。高音域から低音域まで、繊細なニュアンスを受け止めてくれる懐の深さがあり、響きと音の芯がうまくまとまったと感じています。

ただ、自分の耳で聴いている音と、マイクを通して聴く音とでは、印象が異なります。プレイバックを確認しながら、どのような響きを作れば、自分の意図する演奏が録音でも伝わるのかを試していきました。

──複数のテイクから選ぶ際は、何を基準にしていますか?

阪田:録音であっても、演奏会のようなライブ感を残したいと思っています。演奏が生き生きとしていて、一期一会の感覚があるテイクを選びたい。そのうえで、自分の解釈がきちんと伝わっているかを確認します。

予定調和的に整っていることよりも、その瞬間にしか生まれないグルーヴが届くことを優先したい。僕は、それが音楽の本来の姿だと思っています。

──11月10日には、東京オペラシティ コンサートホールで、オール・リスト・プログラムによるリサイタルを行います。どのような公演になりそうですか?

阪田:「ピアノ・ソナタ ロ短調」をはじめ、最初から最後までリストの作曲・編曲作品を演奏します。幅広い時代の作品を通して、リストの生涯を一夜で体感していただくという点では、今回のアルバムと共通しています。CDと生演奏の両方に触れていただくことで、リストの音楽世界を、より厚みをもって体験していただけると思います。

東京オペラシティのコンサートホールには、どこか教会のような雰囲気を感じます。そこで今回は、リストの宗教観や死生観が垣間見える作品を取り上げます。一方で、若き日に超絶技巧のピアニストとして名を馳せたリストが演奏していた、オペラを素材とする華麗な作品も披露します。深い精神性だけでなく、ヴィルトゥオーゾとしての華やかさを、耳でも目でも楽しんでいただけるリサイタルになると思います。

──リストと長く向き合ってきた今、彼をどのような音楽家だと感じていますか?

阪田:一言でいえば、極めて人間的な音楽家です。華やかな技巧で聴き手を魅了し、あえて平たくいえば、やや俗っぽい要素も持っていた。その一方で、敬虔なカトリック信者でもある。一見すると相反するものが、彼の中には同居しているんです。

人は「おいしいものをたくさん食べたい」と言いながら、同時に「ダイエットもしたい」と思いますよね。もちろん次元は違いますが、そうした矛盾した欲求を抱えること自体、とても人間的だと思います。リストは自分の中にある矛盾をそのまま受け入れ、音楽として表出している。その人間臭さこそが、多くの人から愛される理由ではないでしょうか。

──阪田さんは、リストを「理想の音楽家」とも語っています。どのようなところに理想を感じますか?

阪田:現状の自分が受け継いでいるかどうかはわかりませんが、受け継げたらいいと思う部分はあります。リストは凄腕のピアニストとして名を馳せ、作曲家として活動し、自らオーケストラを指揮しました。また、過去や同時代の優れた作品を紹介するだけでなく、若い演奏家や作曲家に助言を与え、そのキャリアも支えています。

演奏、作曲、指揮、教育といった多面的な能力を備えた人を、英語で「コンプリート・ミュージシャン」と呼ぶことがあります。僕にとって、それは極めて理想的な音楽家のあり方です。

バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの時代には、作曲家が自分の作品を演奏し、自らオーケストラを率いることも珍しくありませんでした。現在のように、作曲家は作曲、ピアニストは演奏という形で明確に分業されるようになったのは、長い音楽史から見れば比較的最近のことです。リストのように多面的に音楽と関わることは、むしろ音楽家の本来の姿なのではないかと思っています。

──その理想を踏まえて、阪田さん自身は今後、どのような音楽家を目指していきたいですか?

阪田:ピアノ演奏は、これからも自分にとって大切な軸です。その一方で作曲も続け、オーケストラ作品に限らず、さまざまな楽器のための作品を書き、発表していきたいと思っています。指揮の活動も続けたいですし、将来的には教育にも関わっていけたらと思います。

まだ少しずつではありますが、自分も「コンプリート・ミュージシャン」という理想を、形にしていく方向へ進んでいるのかもしれません。

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