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<インタビュー>「苦しみを乗り越える」――笑い飯・哲夫の新作小説『頭を木魚に』が問いかけるヒントとは【WITH BOOKS】

Interview & Text: 森朋之
Photo: SHUN ITABA
Hair & Makeup:鎌田亜利紗(アートメイク・トキ)
Stylist:黒田匡彦
衣装協力:PsychoBunny
The DUFFER of St.GEORGE
書籍や文筆と縁深いアーティスト、また音楽と縁深い作家へ、自身の書籍や音楽とのかかわりについて訊くインタビュー企画【WITH BOOKS】に、新作小説『頭を木魚に』(主婦の友社)を上梓した笑い飯・哲夫が登場。
お笑い界きっての知性派として知られ、仏教にも造詣が深い、笑い飯・哲夫。本作『頭を木魚に』は、独自の哲学とユーモアを注ぎ込みながら、自ら命を絶ちたいほどの苦しみを、生に踏みとどまるための長編小説だ。
主人公は、雑誌社をとある事情で退職し、タクシードライバーに転職した中年男性。そこでもいろいろな理不尽に見舞われる。一方、男性の息子は父親のルーツを探り始める。
登場自分たちのそこはかとない可笑しみも本作の魅力。「生きづらさを乗り越えるために」というシリアスなテーマを掲げた『頭を木魚に』について、哲夫に聞いた。
苦しみを乗り越えるために
――『頭を木魚に』というタイトルにまずは引き込まれました。本作を執筆した経緯を教えていただけますか?
哲夫:出版社さんから「苦しみを乗り越える」というテーマをいただきまして。僕は仏教の本も何冊か出させてもらっているんですけど、「苦しみを乗り越える」というのは仏教のテーマとも重なっていて。そのあたりを盛り込んで書かせてもらいました。
――主人公は、職場で理不尽な立場に追い込まれる中年男性と、その息子。親子の物語にしたのはどうしてですか?
哲夫:自分自身も子供が3人いてるんですけど、2人目の子どもに恵まれてから書く小説は今回が初めてなんですよ。世の中を見まわしてみても、仕事先でしんどい思いをしてはるお父さんもいるのかなと考えることがあって。とても不幸なことですけど、自ら身を投げてしまう方もいらっしゃるじゃないですか。残されたお子さんはもちろんつらいでしょうし……みたいなことを考えていたのかな。
――なるほど。主人公の男性がタクシー会社の忘れ物センターに配属されるシーンも印象的でした。
哲夫:僕も忘れ物センターに何回か行ったことがあるんですが、忘れ物に出会えるときと出会えないことがありまして。出会えなかったときは「人と人の別れに似てるな」と思うし、出会えたときは「別れてしまったと思ったのはただの夢で、実際はそばにいてくれたんやな」と。ちょっと死生観にも似てる場所が忘れ物センターやと思うんですよ。忘れ物と出会えたときの気持ちを、亡くなったご先祖さまと出会えたような思いにスライドさせてるところもありますね。
――忘れ物が見つかったときはすごくホッとするし、届けてくれた人への感謝を含めて、温かい気持ちになりますよね。
哲夫:そうですよね。僕もこの前、新品の靴を忘れてしまったんですよ。「絶対、あそこにあるはず」と疑ってる場所があるんですけど、それは煩悩だと思うんです。人間には執着心があって、それが苦しみに変ってしまうことがある。それが集まっている場所が忘れ物センターなんだろうなと。忘れ物が届いてなかったら、「絶対、誰かが盗んだやろ」みたいなことも思ってしまうし、煩悩をさらに濃くするのか、それとも浄化されるのか。そういう分かれ道でもあると思いますね。
――“諸行無常”“お墓参り”も、この小説の大事なテーマになっています。
哲夫:諸行無常は僕が好きな言葉で、仏教の根幹を表しているんですよね。この言葉の本当の意味を知ることで苦しみを乗り越えられるんじゃないかと思っているんです。イヤなことはたくさんありますけど、それは一瞬のひらめきみたいなもの。そう思えば、イヤな気持ちや怒りは薄まっていくはずなんですよね。墓参りは子供の頃から好きなんですよ。田舎の風習というか、そういうことをちゃんとやる家だったんですけど、小学校高学年の頃に、母親から「あんた、ホンマに墓参りが好きやな」と言われて、「バレてる! やべえ!」と。好きなものがバレるって、ちょっと恥ずかしいじゃないですか。
――そうですね(笑)。どうしてそんなに墓参りが好きだったんですか?
哲夫:不思議なものがいっぱいあったんですよね。墓石の形もいろいろあるし、石を重ねて作ってる五輪塔みたいなものもあって。うちは裕福な家ではなかったんですけど、「そうか、お金持ちのお墓はこんな感じか」と思ったり。お坊さんのお墓にはすりこぎ棒が捧げられてるんですけど、そういうのも全部興味深くて。あと、公式に火遊びもできますからね、お線香で。もちろん家族の結束を確かめられるし、「自分という存在は、ご先祖さんとのつながりでここにあるんやな」と実感できる場所もあって。
――確かに。哲夫さんにとって漫才と小説の共通点、そして、小説にしか出来ないこととは何でしょうか?
哲夫:「ネタを作り出す」というのは共通してますよね。何もなかったところに言葉を生み出して、何かを伝えるというのは漫才も小説も同じなので。普通だったらやっちゃいけないことをやりたくなるのが漫才なんですけど、そこも小説と似てるかもしれないですね。今回の「頭を木魚に」でも、「実際にこんなことやったらあかんな」ということも書いてるつもりなので。小説にしか出来ないことは、「ここで泣いてもらおう」とか「感動させたろ」という魂胆を入れられることですかね。あとは(知識、教養の)ひけらかし。漫才でそれをやるとどうしても嫌味な感じになるんですよ。小説やったらある程度は大丈夫だし、知識欲のある読者さんだったら「なるほどな」と納得しながら読んでいただけるんじゃないかなと。今回も小説でも、ややひけらかしてます。
――日常にある理不尽と仏教の考えを自然に結びつけた、哲夫さんにしか生み出せない小説だと思います。『頭を木魚に』を手に取る方に、何かメッセージをいただけますか?
哲夫:『頭を木魚に』は僕にとって10冊目の本になるんですけど、物価高のあおりを受けまして、今までのいちばん本体価格が高いんですよ。「貴重なお金を使っていただいてありがとうございます」ということと、決して無駄にはさせませんので、ご無理のないところでご購入していただければと思います。
定期的にYMOブームが到来

――普段、どんな音楽を聴いていますか?
哲夫:自分のなかで定期的にYMOブームが来るんですよ。今も絶賛YMOブーム中でして、この前、アナログレコードを買いました。生まれ育った家は貧乏だったんですけど、父親の唯一の趣味がレコードで。クラシックからジャズまでいろんなジャンルの曲を聴いてたんですよね。僕も機械いじりみたいな感じで、プレイヤーを触ってレコードを聴いていてました。
――お墓参りとレコードが好きなお子さんだったんですね! 執筆活動において、音楽からインスピレーションを得ることはありますか?
哲夫:歌詞のある歌モノだけではなくて、インストゥルメンタルの音楽も好きで。一時期、スウィングジャズにハマったことがあったんです。スウィングジャズにもいろんな曲がありますけど、ちょっと黄色っぽい、薄暗い照明が思い浮かぶような曲もあって。その雰囲気は、『頭を木魚に』の喫茶店の場面にも盛り込んでいますね。
























