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<Unbound Japan vol.1>Ryota Takaji 日々の積み重ねから見つけた自分らしい道

Interview & Text:Sakika Kumagai
エンタメ業界で海外を拠点に活躍する人たちへのインタビューを展開していく連載企画『Unbound Japan』。第一回目となる今回は、米ロサンゼルスをベースにプロのダンサーとして活躍するRyota Takajiが登場。幼少期からダンスを続け、2月に開催された【スーパーボウル】のハーフタイム・ショーでは、バッド・バニーのバッグダンサーとしても出演した彼に、アメリカに渡った経緯やダンサーとして活動し続けていくために大事にしていることなど、話を聞いた。
海外へのあこがれと、アメリカでの生活
――ダンスはいつ頃から、どんなきっかけで始めたのでしょうか。
Ryota Takaji:小さい時のことなので自分でははっきり覚えていないのですが、5歳くらいの頃、テレビでアイドルが踊っているのをよく真似していたみたいです。ちょうど母親の知り合いの娘さんがダンスを習っていて、その発表会に誘ってもらって見に行ったときに、自分もやりたいと思ってダンスを始めました。当時はSMAPやモー娘。など、テレビに出演されている人気のアーティストさんに憧れていましたね。
――日本のアーティストから海外のダンサーへ興味を持ち始めたのはいつ頃でしたか。
Ryota:小学生の頃からすごく慕っていた先生がいたのですが、その先生がアメリカに行ったときにお世話になった方や刺激を受けていたという海外のダンサーの方がいて。その方が、僕の出身の大阪でワークショップを開催されたときにレッスンを受けてみたのが、海外の方と最初に関わった経験だったと思います。あとは、僕が中学生のころくらいからレッスン風景の動画をYouTubeにあげる人が増えてきて、それを見て、「かっこいいな、やっぱり本場の人たちってすごいな」と興味を持ち始めました。高校生の頃には、海外のダンサーさんが日本にレッスンをしに来ると、東京まで一人で夜行バスに乗って、月に1~2回は受けに行っていて。そこで出会った海外のダンサーさんにすごく刺激を受けていました。
――早い段階から、インターネットを見て海外からの情報を得ていたんですね。
Ryota:ちょうど時代的にも、海外で名前を広めている日本人の方が少しずつ出てきた頃だったのかなと思います。s**t kingzさんや菅原小春さんなど、海外で活躍している方を見て憧れていました。そこから、レッスンの動画に映っている海外のダンサーさんも気になって調べ始めて。高校生の頃からは海外に一直線というか、そっちにスイッチが入っていたと思います。

――幼少期からダンスを続けられたとのことですが、どのぐらいからダンス一本でやっていこうという決意をされたのでしょうか。
Ryota:あまり自分のなかで、ダンスをやっていこうと決めた記憶はないんです。小さい頃はアイドルに憧れていたので、小学校3,4年生ぐらいまでは子役の事務所にも入っていて、CMや映画などに出演したり、歌も習ったりしていたのですが、それと並行してダンスのコンテストにも出始めました。そこで勝ちたいと思ったり、いろいろな人とチームを組んだりしてやっているうちに、ダンスがしたいという気持ちが強くなって、自然とダンスの方に集中していきました。その頃からずっとダンスをしているので、それ以外にやることがわからなかったんです。高校の時の進路相談でも、学校の先生には大学や専門学校への進学を勧められたのですが、「いや、アメリカに行きます」「学校に行っている暇ないんで」って言ってましたね。いつからかはわからないのですが、ずっとダンスをやってきて、それ以外にすることがわからなくて、ずっとやっている感じです。
――ダンスは生活の延長線上というか、日常の当たり前のものだったんですね。
Ryota:そうですね。地元のスタジオでダンスを始めたのですが、当時は男の子でダンスをやっている子って本当にいなかったんですよ。スタジオにも一人で、コンテストでも一人の時も全然ありました。すごく珍しかったのですが、それもあってスタジオで可愛がってもらっていて。それにリズム感などを褒めてもらえるのも嬉しくて、これは自分に向いているんだ、という感じでずっとやってきているというのもあったかなと思います。
――そこから続けていったというのは一つ大きなことだと思います。アメリカに行こうと思ったのはいつぐらいでしょうか。
Ryota:高校を卒業したら、とりあえず一回アメリカに行かなきゃとずっと思っていたんです。なので初めて渡米したのは高校卒業後すぐ。その時は2か月ほどの短期で、憧れていた人のレッスンを受けたりダンスだけの留学をしたのですが、2か月では吸収しきれないとすごく感じて。次は年単位で行きたいと思い、そこから貯金をしたり渡米の準備をして、20歳ごろに今度は語学学校に通いながらダンスもするという形で、2年くらい留学をしました。
ただ学生だと働くことができないので、ダンサーとしてアメリカで仕事をするためにもビザが必要だなと思いました。ビザを取るための一般的な方法が、アメリカ以外の国でキャリアを積んで、そのキャリアを証拠として提出するルート。そのため、一旦日本に戻って、しっかりキャリアを積むためにも東京に引っ越したのですが、コロナの緊急事態宣言のタイミングと重なってしまったんです。ライブパフォーマンスができなくなり、制限のある中でお仕事をさせてもらって、いろいろと考える時間も多くなりました。そうして、やっぱりアメリカでチャレンジしたいなと思い、ビザを取得して、2022年の末くらいにアメリカに戻ってきました。
――若いうちからアメリカで生活を経験するというのは大きな決断だと思うのですが、元々チャレンジ精神が旺盛な性格だったのでしょうか。
Ryota:チャレンジしてみるというよりは、これがやりたいと思ったら、もうそれしか見えなくなる、それ以外が考えられなくなるんです。そのこと以外の選択肢が分からなくなるというか。
――例えば「これをやる!」と向かっていっても、それに対して課題も出てくると思いますが、そういうものに対してはどう向き合っていましたか。
Ryota:周りの人たちにもすごく助けられました。ただ…その時ちょうど『ハイスクール・ミュージカル』がすごく流行っていたんですよ。僕もそれを見て、アメリカの生活に憧れていたというのも相まって、楽しいところしか見えてなかったというのもあります(笑)
でも銀行の口座を開設するとか、日常生活での、乗り越えないと生きていけないところでの問題もたくさんありました。それは解決していくしかないというか。アタフタしながらもこなしていくうちに、少しずつ対処の仕方を身につけたと思います。
――これまでは、どういったアーティストのステージを経験されてきたのでしょうか。
Ryota:きゃりーぱみゅぱみゅさんや藤井 風さんのステージ、 パラリンピックの閉会式、Amazon Primeの『ザ・マスクド・シンガー』という番組では専属ダンサーとして出演しました。東京に住んでいた時期はコロナの影響もあり、単発のミュージックビデオやコマーシャルの出演が多かったです。アメリカに来てからは、エリック・ナムさんなどアーティストのミュージックビデオに出演したり、K-POPで多いのですが、スケルトンクルーと言って、アーティストが振付を習得するためのダンス動画でダンスをするという裏方のお仕事もやっています。
日本でのお仕事だと、藤井 風さんとご一緒できたのは嬉しかったですね。ミュージックビデオに出させてもらったのと、スタジアムでのライブにダンサーとして出させてもらったのですが、その少し前から風さんの曲を聴いていたんです。お仕事ができたらすごく嬉しいだろうなと思ってたところで夢が叶ったので、感無量でした。

自分に合った道がそれぞれある
――最近では、2月9日に米カリフォルニア州サンタクララで開催された【スーパーボウル】のハーフタイム・ショーのバッド・バニーのバッグダンサーとして出演されました。
Ryota:このステージはアメリカの中でも大きなショーなので、ダンサーみんなの夢なんです。そこにまさか自分が出られたというのはすごく嬉しかったし、印象に残ってます。
――どのような経緯で出演するに至ったのでしょうか。
Ryota:オーディションです。ただどのお仕事にも言えるのですが、オーディションでは見た目や身長のバランスもすごく大事で。今回のハーフタイム・ショーもダンサーをどういうふうに選んでいたかはわからないんです。オーディションに来た人数もすごく多くて。いろいろなプロセスで絞られていった中で出させてもらえたので、本当に運が良かったなと思います。
――その運を掴み取るのも大変だと思います。
Ryota:チャンスが来るのは人それぞれバラバラ。そのチャンスがいつ来るかを待ちながら、日々のダンスのトレーニングをしていました。【スーパーボウル】のバッド・バニーのパフォーマンスについては、去年の秋に発表されて。彼はプエルトリコ出身なのでラテン系、ヒスパニック系の方たちが輝く舞台になればいいなと思っていました。政治情勢的にも、特に今いろいろな問題があったりもするので、そういう方たちがハッピーになれるようなパフォーマンスになればいいなと思っていたし、そういう方たちがたくさん出れるショーになればいいなって、人ごとみたいに思っていたんです。だから、まさかそこに自分が入れるとは全く思っていませんでした。
オーディションの連絡が来て、最初はオーディションには【スーパーボウル】とは書いていなかったのですが、噂で【スーパーボウル】のものと聞いて、「頑張らなきゃ!」と思って取り組んでいたら一個受かって、また次も呼んでいただいて、みたいな感じで。受かるために、もちろん全力は出しましたが、いつもより何か違うことをしたという記憶はないんです。本当に、運とタイミングが良かったんだろうなと思います。
――この【スーパーボウル】のバッド・バニーのバッグダンサーとしては、唯一の日本人ダンサーとして出演されました。アメリカで生活する中で、アジア人としてダンスで活躍するのが難しいと感じることはありますか。
Ryota:すごくあります。特に男性は身長が高くないとオーディションに行けないことも多いんですよ。身長制限があって、チャンスがもらえないということも多いですし、僕は体格もそんなに大きい方でもないので、アメリカのダンサーと並んで踊るというのはすごく難しい。あとは、日本人って控えめな人種じゃないですか。例に漏れず自分もすごく日本人的な性格なので、グイグイいくような、自分を押し売りしていくことに戸惑いがあります。そういう時に、今前に出れる人がチャンスをつかめるのかなと思いながら、やっぱり勇気が出ずに一歩踏み出せなくて落ち込んだこともあります。
――体格は変えるのが難しい部分かと思いますが、そこは技術など別のところで強みを生かしていく、という感じでしょうか。
Ryota:それもありますね。あとは自分に合った道がそれぞれあると思うので、そこを見つける努力や、そこに導いてくれる人に出会えるように、いろいろなところに顔を出すとか、日々地道にやっていくしかないと思います。いつ誰に見られていて、どこにチャンスが落ちているかはわからないので。

日本のエンタメにもいい影響を与えられたら
――若い方など、世界で活躍したいと思っている方に、もしアドバイスを送るとしたら何と送りますか?
Ryota:毎日とまでは言わなくても日々コツコツ自分と向き合って、現状に満足しないで、少しずつやること。でも自分に厳しすぎるとそこですごく疲れて離れていってしまう子もたくさんいると思うので、自分を大事にしながら、ちゃんと自分と向き合って少しずつ良くなっていくというのを繰り返していくことが大事だと思います。さっきも話した通り、人によってタイミングやチャンスって全然違うので。いつかそのチャンスが来ることを信じて、本当に積み重ねるしかないかなと思いますね。早くチャンスが来たらそれでいいのかというと、それで満足して努力を忘れることもあり得ると思うので、いつチャンスが来ても、結局ずっとやっていくことは日々の積み重ね。そういうふうに少しずつ成長していくしかないかなと思いますね。
――高司さんご自身も、周りの日本人のダンサーさんがうまくいく中で葛藤を抱えるような時期もあったのでしょうか。
Ryota:もちろん、今でも全然あります。特にSNSの時代なので人が輝いてるところばっかりが目に入って落ち込むこともありますし。でもそれは仕方ないことですよね。僕も最近少しずつ分かってきたことですが、SNSとの向き合い方やダンサーの友達(同業の友達)との付き合い方には、人それぞれ心地いい距離感が違います。自分と向き合って、何が自分にとっていいのかを少しずつ追求していくしかないかなと思いますね。
――海外で生活するのはそれだけで大変なことだと思いますが、どのようにマインドセットをしているのか、気になります。
Ryota:僕はジャーナリングで、自分の今の考えていることをノートに書いたりはしています。あとうちの家族はアメリカのエンタメに全然興味がないんですよ。【スーパーボウル】も「何それ?すごいやん」「出れたならよかったやん」みたいな感じで。でも、逆にそういう同じ業界じゃない人というか、家族や友達にたまに会うと地に足が着く感じがするんです。エンタメ業界にいてダンスをやっていると、それが世界の全てみたいな感じに、視野が狭くなってしまう。そういうときに家族や友達ともしっかりコミュニケーションを取ることで、自分は一人の人間としてちゃんと地に足をつけているという感覚を忘れないように気をつけています。
――それが結果的に、ダンスへのモチベーションにもつながりそうです。
Ryota:それはすごく信じてますし、そうやってダンサーとしても、一人の人間としても成長していきたいと思っています。何か嫌なことがあっても、自分の軸はそういうところで大事にしたいですね。
――これからチャレンジしたいことはありますか。
Ryota:僕はパフォーマンスやショーを作るのも好きなので、自分の経験してきたことや見てきたものを生かして、振り付けやディレクションも少しずつやりたいです。特に日本でそういうことをやっていけたらいいなと思います。アメリカでトレーニングして、キャリアを積んでいく中で得たものを、日本のエンターテインメントに、少しでもいい影響を自分が与えられるなら、すごく幸せだなと思うんです。ダンサーとしての夢と並行して、そういうことにもチャレンジしていきたいなと思います。
――レッスンをするのと自分でダンスを作るのとは感覚は違いますか。
Ryota:全然違いますね。子供の頃からやってきてるので、振り付けをもらって踊ることはもう慣れていて、そのプロセスに関して苦戦することはあまりないのですが、自分が作って教えるのは、苦戦することは多いです。作るときにすごくこだわって先に進めなくなったり、身体の感覚で作った振り付けを言葉で説明するということは日本語でも難しいのに、アメリカで英語で伝えるのはまだまだ。でもこれから自分がやっていきたいことのためには乗り越えていきたいので、それも日々の努力の積み重ねだなと思います。

























