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<わたしたちと音楽 Vol.18>渡辺志保 私の世界を広げてくれた、ヒップホップと女性たち

インタビューバナー

 米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。

 今回登場してくれたのは、洋楽アーティストの楽曲の対訳なども行いながら、ヒップホップの領域を中心に活躍するライターの渡辺志保。地方都市の女子校で学生時代を過ごした彼女は、ヒップホップとの出会いで大きく人生が転換した。経済的に自立したアーティストの女性たちが力強く声を発している姿にエンパワーメントされ、それらを広く伝えるために邁進する中で見つめている景色とは。(Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING] / Photo: Miu Kurashima )

生誕50周年を迎え、少しずつ変化するヒップホップの世界

――渡辺さんのように、音楽業界、さらに言えばヒップホップの業界でお仕事をしている女性はあまり多くないイメージですが、実際のところはどうなのでしょうか。

渡辺志保:音楽プロデューサーやイベントを作る側、ライブハウスやクラブなどの現場スタッフも圧倒的に男性が多いです。私自身は「音楽ライター」と言えどもヒップホップ畑のことしかわからないのですが、ヒップホップの業界に限ったことで言えば、女性の書き手はまだ少ないといえます。ただロックやポップス、アイドルのジャンルでは多く活躍していらっしゃると思いますし、Billboard JAPANの編集長である高嶋さんを始め、メディアの上層部には女性も増えてきました。ヒップホップに関しても、アメリカではユニバーサルミュージックの中のレーベル・Motown RecordsやXXLという人気ヒップホップ・メディアのトップも現在は女性が務めています。1973年8月11日にDJのクール・ハークが開いたパーティが“ヒップホップの誕生日”とされていて、今年はヒップホップは生誕50周年と言われているんですよ。日本でも、先人が切り拓いてきたことで少しずつ女性のヒップホップ・アーティストたちの存在感が高まり、素晴らしいアーティストが多数活躍しています。それでも、Awichさんの「Shook Shook」という楽曲のリリックにもあるように、「まさか女がくるとは」(*1)と言われることがあるのも事実でしょう。このリリックは、彼女自身がとあるライブのヘッドライナーを務めた際のオーディエンスの反響を受けて生まれたと語っています。


――他の音楽ジャンルよりも、ヒップホップは特にホモソーシャルのムードが残っているようにも感じてしまうのですが、何か理由があるのでしょうか。

渡辺志保:ヒップホップの美学の特徴的なもののひとつに、マスキュリニティ(男性性)があると思います。今は変化してきていますが、かつては筋肉隆々に鍛えた体をタンクトップでアピールして、富の象徴であるジュエリーを身につけ、「強い男が女を守る」という側面が強かった。そこには奴隷として働かされていた黒人男性が、白人の雇い主から自分の家族を守らねばならなかったという歴史的背景や、アフリカン・アメリカンの男性たちが抱えている問題も関係しているでしょう。過度なマスキュリニティやホモソーシャルを前提として発展したカルチャーであることが今も尾を引いている部分はあると思います。ただそれも、先ほど申し上げた通り、少しずつ変化していこうとしています。そもそも、ヒップホップが誕生した時代から、そこにはずっと女性のアーティストたちも存在していましたし、アメリカではチャートでも女性のラッパーが1位を獲ることも普通になってきました。現在では、クィアのヒップホップ・アーティストも増えています。日本においても女性のアーティストが強いメッセージを発信することに対して、リスナー側も共感したりエンパワーメントされる土壌ができてきているのではと感じています。


――確かに、経済面でも精神面でも強い女性が描かれている様子は、ヒップホップのアーティストの楽曲が一番イメージしやすいですね。女性のラッパーたちがその“女性像”の領域をどんどん広げていってくれている印象はあります。

渡辺志保:Billboard JAPAN主催のトークセッション【Women In Music Sessions】で司会を務めさせていただいたのですが、そのときに「日本では強いメッセージを発信する女性アーティストがあまり歓迎されない」という話があって衝撃的でした。ヒップホップの世界では、強いメッセージがあってナンボだし、そうした自分の意志を発信する女性のラッパーたちが熱い支持を集めている。今はまさに過渡期ですね。


ジェンダーについて意識し始めたきっかけはビヨンセ

――男性が多い業界で活躍している女性のラッパーたちは、自身が女性であることやジェンダーの問題に関して意識的な人が多いのでしょうか。

渡辺志保:もちろん人それぞれだとは思いますが、NENEさんにインタビューしたときに、「元々は自分が女だからとか意識していなかったけれど、自分が前に出るときには“女性ラッパー”とか“女性として”という冠がつくから、今は意識するようになりました」とおっしゃっていました。キャリアを重ねる途中で、意識するタイミングがそれぞれであるのかもしれないですね。


――渡辺さん自身は、いつ頃から女性であることの影響について考えるようになったのでしょうか。

渡辺志保:私自身は、20代の頃までは全く考えることがなかったんです。どちらかと言うと、男性社会のなかでうまくやっていくために男性と同化しようとしてきましたし、それが得意だと思っていました。一方で、クイーン・ラティファのようなフェミニズムのメッセージを発信するアーティストの楽曲も聴いていたのですが、それが自分の生活と結びつくことはなかったんです。そんな自分の転機になったのが、ビヨンセの『ビヨンセ』というアルバムの対訳監修を担当したこと。「***Flawless」という楽曲で、ナイジェリアの作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」というスピーチを引用したんです。歌詞を読み込んでいく中で、「女の子は成功してもいいけど、成功しすぎてはダメ。男性を脅かしてしまうから」といったフレーズがすごく具体的に自分と重なって、強く共感しました。「なんとなく、学生の頃からそんなことを言われていたような」と。


女性のラッパーが増えれば、女性の国会議員も増えると信じている

――広島の女子校で中高6年間を過ごされたということですが、その当時は何か違和感はあったのでしょうか。

渡辺志保:その当時は、特に違和感はなかったですし、すごく充実した学生生活でした。いわゆる“良妻賢母”を育てるような意識の先生が多い学校でしたが、オタク的な趣味に没頭する人も多くて、私にとってはそれが音楽であり、ヒップホップでした。英語教室をやっていた母に英語を教わったり、アメリカのヒップホップを教材にして英語を勉強したりしていました。父が新聞記者だったことも影響して、自分はアーティストにはなれないけれどアーティストのことを伝える仕事はできるかもしれないと思ったんですね。「東京で暮らしたい」という一心で上京して、クラブに通って様々な人と出会ったり、ブログを書いてライターとして歩み始められるよう準備をしたりして今に至ります。ライターとして活動を始めてから、母校に呼んでもらって講演をしたことがあったのですが、そのときに今は東京を目指す人が減って地元の大学に進学する人が多いと聞いて驚きました。「女の子は成功しすぎてはダメ」みたいな景色が、今もまだ続いている場所があるのだと気付かされました。


――女性であってもジェンダーにまつわる問題に対して自覚的になるタイミングは人それぞれですが、男性社会の中にいると問題があると思っていない人も多いと思います。そんな中で仕事をしていくうえで、周囲の男性とのコミュニケーションで気をつけていることはありますか。

渡辺志保:男性と話すうえで大切だなと思うのは、特にジェンダーの問題に関しては相手の感度を考えて調整をしながら話をすることですね。ジェンダーに限らず、やはりまだ、性的マイノリティや社会的弱者に対する間違った解釈を持っている人がいることも事実。伝わるように会話をするには、こちらが歩み寄る必要があるのが現状かなと思います。それも今、少しずつ変わろうとしています。私は女性のラッパーが増えれば、国会議員にも女性が増えるんじゃないかと半ば本気で思っているんですよ。女性が思ったことを発言して、それが受け入れられたり共感を産む土壌がもっと広がる、その口火を切ろうとしているのがヒップホップなんじゃないかと思うんです。

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