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こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー



こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー

「必ず良い日がやってきますから!」

 間々田優×美良政次×中村ピアノによって結成された令和三姉妹。コロナ禍に苦しめられながらも敢行した【中村ピアノ・美良正次・間々田優 全国ツアー2020 令和“歌唄い”3人旅】の中で生み出した「みんなの旅☆みんなの歌」をデビューシングルとしてリリースする運びとなったのだが、なんとこのタイミングで姉妹繋がりの大先輩と奇跡の邂逅! 戦後のドヤ街からスターダムへと駆け上がった双子デュオ・こまどり姉妹との対談が実現した。

 昭和を生き延びる為に歌い続けたこまどり姉妹と、令和を生きる人々の力にならんとする令和三姉妹。ポジティヴなマインドを持つ双方の出逢いによって発信された金言の数々、ぜひともご覧頂きたい。

コロナ禍で「希望や目標になるモノを」と生んだ音楽

--昭和を代表する姉妹と令和を代表していくであろう三姉妹の歴史的対談。こんなにも華やかな席に居合わせることができて光栄です。

間々田優:私たちもこまどり姉妹さんとご一緒することができて光栄です!

--双方の魅力を改めて世に発信していくインタビューにできればと思っているのですが、まずは令和三姉妹がどのような経緯で結成されたユニットなのか。間々田さんからお聞かせ願えますでしょうか。

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
▲令和三姉妹

間々田優:私たちは元々それぞれソロで活動していまして、2020年にこの3人で【中村ピアノ・美良正次・間々田優 全国ツアー2020 令和“歌唄い”3人旅】と題した全国ツアーを開催したんです。ただ、皆さんもご存知の通り、ちょうど1年前の春頃からコロナ禍になってしまったので、30公演を予定していたツアーが延期になったり、中止になったりしてしまって。その中でもツアーを全うしたいし、ライブや音楽を続けていきたいと思ったときに「希望や目標になるモノを作らないか」ということで、まずはツアーのテーマ曲「みんなの旅☆みんなの歌」を作ることにしたんです。そして、その曲をツアーに来てくれる方々だけじゃなくいろんな人に届けたいと思い、この3人で令和三姉妹というユニットを結成しようと。

--ツアーに限らず、大々的に令和三姉妹として活動することになったんですね。

並木葉子:令和三姉妹、面白いわねぇ。

間々田優:ありがとうございます! 私は長女をやらせて頂いています。

中村ピアノ:次女です。

美良政次:末っ子です。一応、男なもので「三女」ではなく「末っ子」とさせて頂いております(笑)。

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
▲左から:美良正次/間々田優/中村ピアノ

間々田優:この3人は同じレーベルということがひとつあるんですけど、私が活動を再開した5年前から中村ピアノさんはツアーに帯同してくれたり、同じイベントに出演したりしていて。美良さんも含めて、それぞれお互いの作品をリスペクトし合っていた仲でもあったんですよね。

中村ピアノ:各々ソロシンガーで、間々田さんはギターの弾き語り、美良政次さんはヴィジュアル系演歌歌手、私はピアノを弾いて歌っている。それぞれに異なるパターンで活動していたんですけど、コロナ禍になって「ユニットとして1曲作ろう」とひとつになって。さらには「お客さんにもツラい気持ちや本当は言いたいけど言えない気持ちを発信してもらおう」と歌詞を一般公募して、本当にたくさんの人を巻き込んで1曲作ったんですけど、それが私にとってはすごく貴重な経験で。普段はひとりで歌詞も曲も作るから孤独な作業が多いんですけど、令和三姉妹として今までにない「みんなで作る」という経験をさせて頂いたので、これは物凄い財産になったなと感じています。

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
▲美良政次

美良政次:この3人で2020年に全国ツアーをまわることになったので、それを進めていく過程ですごく大変な時期を一緒に過ごせたんですよね。「お客さんを入れることができないから配信でライブをやりましょう」とか「お客さんが入れられるようになっても、ソーシャルディスタンスとか声出し禁止とかルールを守ってやりましょう」みたいな制限のある状況下においても、我々3人もスタッフの皆さんも一丸となっていて、その時点で気持ち的にはグループだったのかなって。ただそこに名前が付いた。それが令和三姉妹なのかなって思いますね。

--こまどり姉妹のお二方も気になっていると思うので、美良さんが何ゆえにヴィジュアル系演歌歌手というスタイルで活動することになったのかも伺わせて頂けますでしょうか?

美良政次:僕はヴィジュアル系演歌歌手とは別にロックバンド(MALICE MIZERのリーダーManaが結成したバンド・Moi dix Mois)のボーカルをやっているんですけれども、そのバンドではヨーロッパツアーとかも行っていたのですが、ウチの父親がガンの闘病生活を始めたとき、そのリハビリをウチのバンドのDVDを観ながらやってくれていたんですね。それを母から聞いたときに「親父が好きな演歌を聴かせたり見せたりすることができたら、もっとリハビリが上手くいくんじゃないか。元気になってくれるんじゃないか」と思って、それをプロデューサーに相談したことがきっかけでビジュアル系演歌歌手としての活動もスタートして。なので、こんなに不思議な形になったんです(笑)。

並木栄子:他にこういう人を見たことないもんねぇ。素晴らしいと思いますよ。

美良政次:あと、親父が元々ウチのバンドを応援してくれていたということは、ヴィジュアル系のルックス自体も恥じるものではないので、その姿のまま父の好きな演歌を歌ったら喜んでくれるかなと思ったんですよね。

--父親に元気になってほしくて始めたものだったんですね。そんな美良さん含む令和三姉妹の大先輩となるこまどり姉妹。前身の並木姉妹が1959年デビューになりますから、約60年前の話になると思うのですが、そもそもどういった経緯があってご姉妹で歌手活動を始めることになったのでしょうか?

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▲奥左から:並木栄子/並木葉子

並木葉子:私たちは北海道で暮らしていた頃から流しをやっていたんで。

並木栄子:11才からね。

並木葉子:それから半年経って、帯広から東京まで出てきたのが昭和26年(1951年)。タクシーの人が浅草の山谷というドヤ街に連れて行ってくれて、そこが寝ぐらで。そいで、浅草から吉原のまわりまで当時は呑み屋さんがたくさんあったんで、流しの人も何十組と居たわけなんですけど、私たちは流しをやるにも最初は着物も三味線も持っていなかったので、素で歌っていたのよ。でも、美空ひばりさんの歌をうたうと呼んで聴いてくれる人たちがいて。ひばりさんは私たちの命の恩人でもあるんです。ひばりさんは昭和12年生まれで、私たちは13年の早生まれだから同じ学年になるんですけど、北海道で暮らしていた頃からひばりさんのレコードはよく流れていて、それがきっかけで生きる道が見えてきたわけだから。

間々田優:そうだったんですね。

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左から:並木栄子/並木葉子

並木葉子:それはどういうことかと言うと、ひばりさんが子供ながらに大ブレイクしていたから、夜呑みに来てるお客さんたちがね、私たちがちっちゃい子供ながらに流しで歌っている姿を見てね、ひばりさんの姿とダブらせてくれたのよ。それでお店にたくさんのお客さんを呼べるようになっちゃったもんだから、そこで演歌をやってる流しの人が妬んじゃって、私たちについてまわっていたウチの父さんを路地に呼んで袋叩きにして「北海道へ帰れ!」って言うわけですよ。お店が私たちを呼んじゃうとその人は食いっぱぐれちゃうから。お客さんだって余計なお金があるわけじゃないから、1組呼ぶと次は呼ばないわけでしょ。

--誰もが命懸けで流しをやっていた時代なんですね。

並木葉子:なので、その演歌歌手が来ないようなところをまわっていたんですけど、その演歌歌手界隈の親分さんが「三味線なら許す」と言ったんですよ。でも、三味線というのは、人前で聴かせられるようになるまで3年かかるわけですね。なので、親分さんは「1日2日では商売にできないだろうから、しっぽ丸めて北海道に帰るだろう」と思ってそう言ったんです。で、あの当時、山谷でも素泊まりで500円ですよ。今の5000円か10000円に近いぐらいの値段なんですよ。それを稼ぐにも一生懸命な状態だから、北海道には帰れないんですよね。私たちは片道切符で東京に来ているから。

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壮絶!ドヤ街で11才から生きる為に歌っていた姉妹物語

--意地でも何とかしなきゃいけない状況だったんですね。

並木葉子:だから、元々芸者さんで三味線のお師匠さんになっている人に頼んで、安い三味線を二丁用意してもらって「早々に1曲仕込んでくれ」と言って、私たちも必死だから1週間で端唄の弾き語りを覚えて。で、三味線持って、1曲しか弾けないのに100曲弾けるような顔して、お客さんに「歌って下さい、私たち合わせますから」って今のカラオケの前身みたいなこともしながらやりきったのよ。

間々田優:すげぇー!

並木栄子:父が青森の弘前出身だから、素人ながらに津軽三味線を弾いて聴かせてくれたことがあって。だから、三味線に対する恐れがなかったの。だから1週間で覚えれたのかもしれない。

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▲奥左から:並木栄子/並木葉子

並木葉子:本来は3年かかる三味線を私たちが1週間で弾けるようになっちゃったもんだから、そうなると親分さんはもう「北海道へ帰れ」と言えないわけですよ。人間、命懸けになれば何でも1週間で出来るもんなんですよね。だから、33歳のときに末期ガンになっても生きられたっていうのも、そういう「必死になってやれば助かるんだ」という生き方をね、11才のときから大人の世界で生きてきて知っていたからだと思うの。

並木栄子:浅草ではね、もう何十箇所の呑み屋さんで歌ってきたか分からないぐらいだから。人生勉強は子供の頃からこれでもかというほど積んできたんです。

並木葉子:夕方の5時から夜中の3時4時まで毎日ね。11歳でよ? 小学校3年生で中退して東京に出てきたから、学校にも通わず働き続けていたの。足がこんなにむくんで腫れるぐらい歩き回ってね。「お客さんが嫌がらないような笑顔はどのぐらいの笑顔か」ってふたりで鏡見て研究したりね。

並木栄子:その結果、お客さんがよろこんでよろこんで!

並木葉子:あと、演歌の人はギターでもアコーディオンでも原曲で覚えているでしょ。だからお客さんが音痴だと音を合わせられないわけですよ。原曲で弾いちゃうから。そうするとお客さんは歌いにくいから「おまえたち、下手だね」って演歌の演奏者たちに言うわけです。でも、私たちは三味線だからギュギュギュって音を上げたり下げたりして合わせて弾いてあげるから、お客さんは自分の歌が上手くなったように思うわけですよ。そうやってね、自分たちの歌を聴かせるだけじゃなくてね、そういうテクニックで稼いできたわけ。流しは大体1曲歌ったら返されちゃうんだけど、私たちは民謡も歌謡曲も端唄もあるメニューを作ってきて、それを見せると知っている曲もあるから「これもやってくれ」と言われる。そういうアイデアで生きてきたから人気者になれたのよね。

間々田優:お客さんが求めるモノにその場で合わせていく。勉強になります。

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▲並木葉子

並木葉子:ただ、年頃になると胸も膨らんできたりして、お客さんが手を胸に突っ込んだり、おしりを触ろうとするんですよ。そこで「これ以上、流しをやっちゃダメだ」と。そういうことで流しから余興に切り替えるんですけど、それも大変でしたよ。親子電話を大家さんから引いてね、電話番号が書いてある名刺をいろんなところで渡して「おばあちゃんの法事でもいいし、お子さんのお誕生日でもいいですから呼んでください。1時間500円でやります」と言ったって、半年経っても1本も依頼の電話はかかってこないんですもん。で、親からは「貯蓄だってないし、なんで流しをやめたんだ?」って泣かれるし。

--再び追い詰められてしまったんですね。

並木葉子:そしたら、ある日突然電話がかかってきて、それは浅草税務署の好きなおじさんだったのね。そいで「今日はおまえたちを呼んであげるから、浅草の料亭においで。前は100円しかあげられなかったけど、今日は3000円ぐらいあげられるんだ」と言われて、「うわぁー」って喜んで行ったお部屋に明治座の新田会長がいらっしゃって。力道山を育てた方ね。で、故郷が会津だったのね。私たちは会津の「白虎隊」も得意としていたから、それを聴かせる為に呼ばれたんですけど、新田会長は大人が来ると思っていたら14,5歳の私たちが現れたから「おまえたちみたいな子供を呼んだ覚えはない」と。それで追い出されてしまったから女将さんに状況を説明したら「会長、この子たちなんですよ」と。で、その場で「明治一代女」と「白虎隊」を歌ったらとても喜んで下さって。そしたら「毎日、7ヶ所ぐらいの料亭に呼ばれているんだけど、僕がその場に君たちを派遣するから」と言ってくれたんです。

--再びの起死回生ですね。

並木葉子:この出逢いが本当に大きくて、会長さんに派遣された先で力道山にも出逢ってね、どんどん伝手が広がっていて、ある料亭にはコロムビアの社長さんがいらっしゃって、そこで「「芸者ワルツ」の神楽坂はん子の二代目を作りたい」と私に白羽の矢を立ててくれて。ただ、私はその頃、東芝がレコード部を作るっていうことで、あるプロダクションの方が私を推薦してくれて、レコーディングする段階ぐらいまで話が進んでいたんですよ。私もレコード1枚作れば売れる売れないは別にして、親孝行になると思っていて。で、コロムビアの社長には呼ばれたけど、その前にコロムビアに3回ぐらいテストで落とされていたから行かなかったの。そしたら秘書の人に「社長がどうしても来てほしいと言っている」と言われたので、行くことにしたんですけど、とある占い師に「あなたの名前は良くないから行ってもダメだ。でも双子のお姉さんは芸能界にすごく縁があって、お金にも縁がある。だからお姉さんを連れて行きなさい」と言われたの。

間々田優:栄子さんの名前は芸能界向きだったんですね。

並木葉子:ただ、お姉さんはもう歌を辞める人生を歩んでいたのね。洋裁の専門学校に通っていてね、免許も取っていたの。だから歌の世界へ進むのをイヤがっていたんですけど、そこを「お願いだからついてきてほしい」と頼み込んで。それで2人で行ったら、当時は双子デュオのザ・ピーナッツがブレイクしていて、洋楽色の強い彼女たちに対して「和製のザ・ピーナッツを作りたい」とコロムビアの人が閃いて、お姉さんと一緒じゃなきゃダメだと。

並木栄子:私は「イヤだ、イヤだ」と言っていたんですけどね(笑)。

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▲左から:間々田優/中村ピアノ

並木葉子:「1年間だけでいいから」とお願いして。そのときは私も売れると思ってないし、レコード1枚出して故郷の親に送りたかっただけなので。それがデビューのきっかけですね。そしたら、当時はみんな中学生の頃から親の為に出稼ぎしていた時代だったんですけど、そういう人たちがこの姉妹の経歴を見てファンになってくれたのよ。「学歴がなくても一生懸命頑張ればデビューできるんだ」という見本みたいな感じで。北島のサブちゃん(北島三郎)も私たちを見習って東京に出てきてね、流しをやったと言っていましたよ。まぁ売れて偉くなってからはそういう話をしなくなったけど(笑)。

--こまどり姉妹のデビューがなかったら、北島三郎さんもデビューしていなかったかもしれないんですね。

並木葉子:当時はそんなことを言っていましたね。で、私たちはデビューしてから1年ぐらいは並木姉妹という名前で活動していたんですけど、コロムビアさんが「ザ・ピーナッツみたいにふたりでひとつの名前にしたい」って新しい名前を募集して、当時、スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」が大ヒットしていたこともあって、最初は「ザ・さくらんぼ」になる予定だったのね。でも、ひばりさんが鳥の名前だったから私たちも鳥の名前にしてほしくって、応募された3000通以上のハガキの中から「こまどり」を見つけ出したの。それで「こまどりが良い」とお願いしたら「何を生意気なことを言ってるんだ? もうザ・さくらんぼに決まったんだ」って怒られたから、「だったら、私たちはコロムビア辞めます」って言い返したの。

間々田優:強っ! やりあったんですね!

並木葉子:やりあったのよ(笑)。それで「こまどり姉妹」になったの。

--こまどり姉妹になるまでの話を聞いただけで、長編映画にしてほしいレベルのストーリーでしたが、令和三姉妹の皆さんはどんなことを感じましたか?

間々田優:私たちも全国ツアーをまわりながら、沖縄でギターの流しの人に会ったんです。「僕、歌いますけど、どうですか?」ってこまどり姉妹さんのように曲のリストを出してくれて、それで「金曜日のエンジェル」というオリジナル曲をその場で歌って頂いたんです。それが私たちの旅の思い出の曲になって、全国ツアーの中で屋形船でライブする機会もあったんですけど、そこでギターの弾き語りでカバーさせて頂いたりもしていて。

並木葉子:それも縁ですよねぇ。

間々田優:今、こまどり姉妹さんの話を聞いていて、その沖縄の流しの方もいろんな大変なことやツラいことがありながらも、毎夜毎夜お酒の席で歌っているのかなと思ったら、時代を超えて重なる部分があるなぁって。

美良政次:自分も広島から東京に出てきたんですけど、ちょうど北海道から東京までと同じぐらいの距離なんですよね。あの長い距離をこまどり姉妹さんは11才のときに移動してきて、家族の生活の為に働いていたわけじゃないですか……。正直に言って、今の時代にデビューした僕らはなんだかんだ恵まれているじゃないですか。なので、想像できない世界だなと思いましたし、その中で培われた芯の部分の強さを物凄く感じました。

中村ピアノ:私もだいぶ恵まれているんだなと思いましたね。だから「もっと追い込まれたいな」と思っちゃいました。私はぬるい世界で生きていました!

一同:(笑)

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「必ず良い日がやってきますから!」昭和と令和を代表する姉妹共演
中村ピアノ:もっといろんなことを突き詰めて、もっと必死に曲を作ったり歌ったりしたいなと思いました。

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▲奥左から:並木栄子/並木葉子

並木葉子:当時の人はみんなそうでしたから。

間々田優:その瞬間その瞬間を命懸けで掴んでいく。もちろん迫られていた状況もあると思うんですけど、パッションや魂が響く音みたいなモノを今のお話からも物凄く感じ取れました。そんな風に音楽と共に生きて来られた……素直に「羨ましいな」とも思います。

並木栄子:そういう意味では、ツラかったけれども、時代が時代だから努力する機会にも恵まれていたし、その結果としてお金もいっぱいもらいましたから。

並木葉子:今でもね、こういう質問をされる席で「こまどり姉妹さんの夢はなんですか?」と聞かれたら、「いやぁー、私たちはお金が欲しいですね。お札を見ると気持ちが燃え上がるんですよ」って答えてますから。

一同:(爆笑)

並木葉子:みんな「えぇー?」って驚きますけどね。でも本当にお金は大事なんですよ。子供の頃からお金でしあわせを買えるんだと身に染みて実感してきたし、お金のないツラさは病気と一緒ですもの。お金があると、ある程度のことは潜り抜けられるんですよ。お金がないっていうのはツラいですよ。潜り抜けられないから。

--こまどり姉妹さんは、戦時中に樺太で暮されていて、戦後もしばらくは極貧生活を送られていた。そこから流しをしながらその日暮らしのお金を稼がれていた時代があって、今があるわけですよね。そんなおふたりが言う「お金は大事」という言葉は重いし、説得力があり過ぎます。

間々田優:命を繋ぐ為ですもんね。

中村ピアノ:本当に「生きていく為に」ってことですもんね。

並木葉子:人間って「棚からぼたもち」じゃないですけど、何十年に1回かね、たなぼたみたいなときもあるんですよね。お金がチャリンチャリン入ってきたり。そのときの喜びようと言ったらね、凄いものですよ! そういう感動や喜びは他で得られるモノとは比較にならない。「あぁ、これで美味しいものが食べられる」「欲しかったあの洋服が買える」ってなると人生がパーッと明るくなるじゃない?

--今の葉子さんのお話を聞いていてパーッと明るくなりました(笑)。こまどり姉妹と令和三姉妹は音楽的にもビジュアル的にも親和性が高いと思うので、この対談を機に何か一緒にやってほしいです。

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
▲左から:並木栄子/並木葉子/美良正次/間々田優/中村ピアノ

間々田優:もしご一緒できたらめちゃめちゃ光栄なことですけど、私はこまどり姉妹さんの曲もすごく聴かせてもらっていて。こまどり姉妹さんって自分の体験とか苦しい想いみたいなモノもちゃんと曲に反映していて、同じ境遇の方々も自分と重ね合わせて聴けるし歌える音楽を発信し続けているんですよね。それは令和三姉妹もやっていきたいことだなと思っていて。で、私はアコースティックギターで、ピアノちゃんはピアノが弾けて、政次さんは演歌に精通している。この3つの融合で世界を広げていって、こまどり姉妹さんとこうして着物を着て何か歌える未来が来たら最高ですし、日本の令和を代表するアーティストとしてこまどり姉妹さんのイズムを継承できたら嬉しいですね。

美良政次:以前、こまどり姉妹さんと同じイベントに出演させて頂いたことがあって、そこでも少しお話させて頂いたんですけど、親の病気がきっかけで演歌の世界に足を踏み入れたときに……イロモノに見られるというか「なんでこんな奴が入ってきたんだろう?」という目で見られると思っていたんです。でも、そのイベントでこまどり姉妹さんに会った瞬間「あら、綺麗ねぇ」「そういうのも良いんじゃない?」と言って頂いたんですよ!

--忌み嫌われると思いながら演歌の世界に踏み込んだら、真っ先にこのふたりが全肯定してくれたんですね。

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
▲美良政次

美良政次:「あんた、テレビに出たほうがいいわよ」って言われて(笑)。そんなに大きく手を広げて受け入れて頂けるとは思っていなかったので、そのときは「なんて居心地が良いんだろう」と思いましたね。楽屋でもステージ上でも話して頂ける言葉のひとつひとつがすごく優しくて温かったので。

間々田優:政次さんの戸惑いや不安を吹き飛ばしてくれたんですね。

美良政次:「味方ができた!」と思いました。こまどり姉妹さんのおかげで「俺、続けていける」って思えたんですよね。

--中村さんは、こまどり姉妹のおふたりとどんなことがしたいですか?

中村ピアノ:こまどり姉妹さんとピアノで共演したいです! あと、こんな言い方をしたら失礼かもしれないんですけど、おふたりともすごくチャーミングな方だと思ったので、ちょっと可愛い曲を作りたいなと思いました。

並木葉子:令和三姉妹は3人ともそれぞれ個性があって、それが楽しいのよ!

令和三姉妹一同:ありがとうございます!

並木葉子:ぜひ一緒に興行やりましょうよ! 皆さんも綺麗だし、私たちもこんなド派手な格好で出ていくし、お客さんも喜ぶわよ。

間々田優:こまどり姉妹さんとの出逢いを生かして、令和三姉妹もどんどん大きくしていきたいです!

--今回の令和三姉妹の楽曲「みんなの旅☆みんなの歌」もいろんな音楽の在り方を示しながら、多くの人に元気を与える為に作られた曲じゃないですか。そこもこまどり姉妹さんと通ずる部分だと思うんですけど、この出逢いを経てどんな作品をこれから発信していきたいと思いますか?

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
▲令和三姉妹

間々田優:やっぱり曲を書いていると、そのときの想いとか不安みたいなモノが鏡のように映っていくと思うんですよね。なので、どうしてもコロナ禍みたいな状況下で曲を作ろうとするとネガティブな言葉が出てきたりする。でも、今日の対談を通して「いつかは必ず良いことがある、必ず光射す日がやってくる」ということを改めて感じたので、そういうポジティヴな力が与えられる音楽を作っていきたいですね。みんなが喜ぶエンターテインメントをもっと積極的に作っていきたいなと思いました。

並木葉子:みんなもそれを求めていると思うよ。私たちは年齢が年齢ですからいつ何があってもね、覚悟はしているんですけど、それでも小さい頃から今に至るまで一貫して決めていることがあって。「今日どんなにイヤなことや悲しいことがあっても、今日のことは今日で捨てる。明日に持ち込まない。明日は絶対に新しい朝が明けるんだ!」という想いで山谷時代から生きてきたの。そりゃ毎日のようにツラいことばっかりありますよ。でも決してめげずにね、前だけを向いて生きていく。そしたら必ず良い日がやってきますから!

--「必ず良い日がやってきますから」その言葉通りの情報が今スタッフさんから飛び込んできました。8月22日に池袋LIVE INN ROSAにて開催される【Again!!令和“歌唄い”三人旅グランドフィナーレ追加公演~僕たちの旅は続いてく~】、こちらのスペシャルゲストとしてこまどり姉妹さんの出演が決定したそうです!

令和三姉妹一同:えぇぇぇぇー!

並木栄子:あら、そうですか!

並木葉子:嬉しいわね。一緒にがんばりましょう!

こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー

Interviewer:平賀哲雄|Photo:A.Kawasaki

みんなの旅☆みんなの歌/令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)
インタビュー写真

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