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<インタビュー>みの(みのミュージック)が語る、文学の出会いと「体験することへの価値」とは【WITH BOOKS】

インタビューバナー

Interview & Text:黒田 隆憲

Photo:堀内 彩香


 Billboard JAPANは11月、日本初の総合書籍チャート“Billboard JAPAN Book Charts”を発表した。いま“読まれている本”が可視化されるこの新しい試みについて、さまざまな人物に話を聞いていくインタビュー。今回登場するのは、音楽を起点に独自の語り口で作品やカルチャーを紐解き、多くの視聴者の支持を集めるYouTubeチャンネル『みのミュージック』の、みの。ミュージシャン、批評家、語り手として多面的に活動する一方で、その創作や思考の“根”を支えてきたのは、実は長く続けてきた読書だという。

 文学との出会い、音楽から読書へとつながる入口、難解な作品との距離感、紙と電子それぞれの読書スタイル、そして「読む」という行為そのものに何を求めているのか──。本インタビューでは、彼の思考の背景に広がる読書の風景を丹念にたどりながら、その表現活動を支えるバックボーンに触れていく。

本から受け取る創作活動の核と、「読むこと」の楽しさ

――普段、みのさんはどんな本を読んでいますか?

みの:本来は文学が好きなのですが、職業柄どうしても音楽関連の専門書に偏りがちです。仕事として情報収集のために音楽書籍を読むので、活字を読む体力をそちらに使ってしまいますね。ここ数年は、腰を据えて文学作品を読む時間から少し遠ざかっていたところがあります。

――もともとは文学もお好きなのですね。特にどんな作家を読んでいましたか?

みの: 僕のYouTubeチャンネル『みのミュージック』で取り上げたこともあるのですが、僕自身の芸術観・音楽観の背骨になっているのは岡本太郎の『今日の芸術』です。あの本で語られる内容は、表現とは何か物の考え方をどうひっくり返すかといった創作の基本中の基本。ここを読んでおいてもらわないと始まらないというような核の部分が書かれていると感じますね。

――高校生でワイルドやバタイユはかなり早熟ですよね。これまで読んできた中で「すごく好きな本」を一冊挙げるとしたら?

みの:面白いと思ったら空き時間にいつでも読みたくなるので、移動中でも読むことがあります。休日に本を持ってカフェで読むこともありますし、もちろん家で読むこともありますが、自分は好きなことが多くて、映画鑑賞も好きだし、テレビドラマも観たいし、でも本も読みたい。最近は自分の中で優先順位をつけるのが難しくて、今何をするべきなのか勝手に争っています。本って、買った直後が一番読むモチベーションがあるんですよ。僕の中ではそこで100ページくらい読み進めることができれば、絶対最後まで読める。買ったらすぐ読むのが鉄則ですね。じゃないと気になっていた映画とかドラマを観ちゃうので......。

――おっしゃる通りです。

みの:もう何度読んだかわからないんですが、僕が持っている『今日の芸術』(著:岡本太郎)って、いつも新品みたいに綺麗なんですよ。というのも、若いクリエイターと仕事をする機会があると、現場で「これ、読んでみて」とそのままあげちゃうんです(笑)。そしてまた自分用に買い直す。それをずっと繰り返しているので、手元の本には全然風格が出ないんですよね。常に読みたての新品みたいな状態なんです。

――最近だと、「これ面白かったな」と思った本はありますか?

みの:ジョージ・オーウェルの作品を改めて読み直そうと思ったんですよ。オーウェルは、デヴィッド・ボウイの『Diamond Dogs』を通して世界観だけは知っていたのすが、実際に読んでみたら『動物農場』(著:ジョージ・オーウェル)にすっかりハマってしまって。出版が1945年だから、連合国がファシズムを打倒した直後にあの内容をオーウェルが書いていることに、まず驚かされます。来たるものを予見しているという意味でも本当にすごい。作中では、広場で演説する場面が繰り返し描かれますが、理解できない動物たちが騒ぎ出して議論が混乱し、結局何が正しいのか分からなくなる。これ、いまのSNSそのものなんですよ。

――そういった本は、みのさんが好きな音楽やアーティストの引用などから読書の入口につながることが多いんですか?

みの:めちゃくちゃ多いです。ウィリアム・S・バロウズの『裸のランチ』を知ったのも音楽経由ですし、アレン・ギンズバーグのようなビート文学作家の本も、音楽と併走する感覚で読みました。

耽美主義・唯美主義的な作品にハマった時期もありました。今思えば高校生のときにワイルドや三島を読んでいたのも、ハマっていた60年代後半のロックに似た雰囲気を感じ取っていたんだと思います。その時代のミュージシャンや詩人って、若くして亡くなったり、自死を選んだりするケースも多いじゃないですか。そういう共通点のようなものが見えてきて、そっち側に惹かれていった……という流れもあります。ベタといえばベタなんですけど、本の話って照れくさいんですよね(笑)。

――よくわかります。レコード棚より本棚を見られる方が恥ずかしい。

みの:ですよね(笑)。スピリチュアル寄りの本に手を伸ばした時期もあって、細野晴臣さん経由でカルロス・カスタネダを読んだり、ティモシー・リアリーとラルフ・メツナーによる『チベット死者の書サイケデリック・バージョン』に手を出したり。オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』も読みましたね。

――名著ですよね。『2001年宇宙の旅』の原作者アーサー・C・クラークなどは?

みの:僕、SFはあまり強くなくて…理系の知識が必要なハードSFになると全然ついていけないんです(笑)。クラークがどこまでそうなのかは分からないんですが、あの派閥ありますよね。世界観として自分のフィールドから遠すぎて、「これはちょっと難しい……」と思って脱落しました。

――今挙げていただいた本の中にはかなり難解なものもあります。どうやって読み進めたんですか? 何度も読んで理解していく感じなんでしょうか。

みの:身も蓋もないですけど……「別に理解しなくていい本」ってあるじゃないですか(笑)。そういうフォルダに入れている作品が結構あります。「これ、本気で理解してる人いるの?」って思うような、フィーリングで読むような本は文脈とか、五感的な面白さとか、そういう部分を味わうものであって、真正面から読み解こうとすると逆に危ない扉を開いちゃう気がする。

――理解できない部分も含め、読む行為そのものが面白いというか。

みの:そうかもしれないですね。その感覚って、活字だけじゃなくて音楽や映画でもありますよね。高校時代に、キング・クリムゾンの『In the Court of the Crimson King』を聴いたんですよ。当時ビートルズに夢中だった自分にはハードル高いはずなのに「意外と聴けるぞ」と(笑)。ただ、「Moonchild (including "The Dream" and "The Illusion")」後半のアンビエント的な数分間だけは、本当に理解できなくて(笑)。でも、まさにそういうことだと思うんです。

本を読んでいる時も、理解不能な部分に対してわかるまで向き合う選択もあるけれど、「今じゃないんだな」と思って飛ばすこともある。あるいは「雰囲気は良かった」「ここは苦手だな」くらいで受け流すのも全然あり。そういう読み方のゆるさも含めて楽しんでいる気がします。

――音楽活動の際に、本から着想を得ることはありますか?

みの:それでいうと、文学が持っている象徴性の力って音楽にはない部分だと感じてすごく嫉妬するんです。最近読んだ純文学だと、川端康成『眠れる美女』。川端の後期には「魔界」と呼ばれる作品群があって、睡眠薬の影響もあるのか、かなりシュールで幻想的な世界観になっていく。ある意味バタイユ的というか、死とエロスが重なり合う領域なんです。その象徴性の高さ……いわゆる「子宮回帰願望」のような象徴が読めたりもする。

このレベルの象徴の展開って、音楽では絶対にできないんですよ。僕がそういう音楽を作ろうと思っているわけではないけど、文学にしか到達できない領域って確実にあるんです。

――音楽書も、お仕事でよく読まれていると思います。最近読んだ音楽書で、これは面白かった、というものはありますか?

みの:アーティストの伝記はこれまでもいろいろ読んできましたけど……面白さって、最後は題材となるミュージシャン本人のキャラクターに左右されるところが大きいじゃないですか。今日話してきた文脈でいくと、書き手がどう面白く書き切っているかが重要になると思うんです。その意味で、最近読んで面白かったのは伊福部昭『音楽入門:音楽鑑賞の立場』。「入門」と書いてあるけど、実際は作曲家としての哲学や芸術論が中心で、とても読み応えがありました。『今日の芸術』のように多くの人が共感できるタイプではなく、もっと尖った音楽観がしっかり書かれています。でも、その尖りが逆に良いというか、今はこういう視点で音楽を作っている人ってあまりいないんじゃないかな、と。読んでいてすごく刺激がありましたね。

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みのが考える本と音楽の共通点

――武満徹さんと小澤征爾さんの『音楽』は読みました?

みの:あれも面白いですよね。伊福部昭の『音楽入門』にも少し通じるところがあるというか。ジャンルは違いますが、同じ棚に入れていいタイプの本だと思います。けっこう重厚なんですよね。

――最近の本で、本屋やECサイトで「あ、これ気になるな」と思って買うこともあります?

みの:気になった本はいったんECサイトのカゴに入れてプールしておくんですよ。後でまとめて買う、みたいなスタイルです。ただ、最近は持っている本が収拾つかなくなってきて……。襖くらいのサイズの本棚が5つあるんですが、もう入りきらなくて一旦セーブしているところです。でも基本的には、家で晩酌しながらECサイトを眺めていて、気づいたら数日後に何冊か届いている、みたいな性格なんですよね。本屋でふらふら歩きながら偶然の出会いで本を買うのも大好きで、スペースさえ許すなら、ずっとやっていたいです。例えばユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』とかは、「読んでおかないとダメなんじゃないか」とアンテナが反応して買いましたね。

――今後の思考の「前提」になりそうな本というか。

みの: まさにそれです。イーロン・マスクの伝記(『イーロン・マスク』上下巻/著:ウォルター・アイザックソン)もそうで、これは読んでおかないとまずいなと思ったんです。想像以上に政治も含めて影響力が大きくなってきているし、ウクライナでのスターリンク衛星サービスを供与し始めた時点で「これは個人の影響力じゃないぞ」と。もう彼の動き次第で国家の命運まで左右されかねない。そういう人物は避けて通れないので、しっかり読んでおかなきゃいけないと思いました。

――みのさん、こんなにいろんな活動をされていて、本を読む時間はどう確保しているのですか?

みの:ありがたいことに、音楽の仕事をしていると「耳だけ使って目が空いている」時間が意外とあるんですよね。多少「ながら聞き」でもいいときって、目が開くので本が読めるんです。

――なるほど。そんな中でも「読書向けのBGM」ってありますか?

みの:すごくベタなんですけど、言語情報のないもの、インストやアンビエントが圧倒的に読みやすいんですよね。究極を言えば、本当は「無音」が一番いいとすら思います。職業柄、どうしても耳が音楽に反応しちゃうので。理想を言うと、ミヒャエル・エンデの『ネバーエンディング・ストーリー』で、主人公が大雨の中、本を夢中で読んでいるシーンがあるじゃないですか。ああいう環境音が一番しっくりくる。読書に寄り添う環境音って、すごく素敵だと思います。

――読書スタイルという意味では、紙と電子書籍はどちら派ですか?

みの:圧倒的に紙です。タブレットでもパソコンでも、横に少し動かすとSNSがあったりリンクが出てきたりするじゃないですか。あれが本当にしんどくて……集中が削がれるんです。電子書籍を最後まで集中して読み切れた体験が、自分の中でほとんどないんですよ。リンクを踏んでしまったり、そこからネットにつながってしまったりして。

それに、デザインがセクシーじゃない(笑)。UIが洗練されているのは分かるんですけど、本来こちらを別の世界へ誘ってくれる感じがちょっと足りない。紙の本って、開いた瞬間にもうどこかへ連れていってくれる。あれがやっぱり好きなんです。KindleはKindleで膨大な実験の末の最適解なんだと思いますが、僕はどうしてもハマれないんですよね…。

――紙の本の方が、章構成や流れを把握しやすいというのもありますよね。

みの:確かに。たとえばプリンスの『Lovesexy』ってアルバム、CDで全部の曲がシームレスにつながっているじゃないですか。あれってやっぱり聴きづらい作品だと思うんですよ。レコードは、盤を眺めれば溝で曲が区切られていて、次の曲は長いからちょっと体力いるな、みたいな可視化がある。本も同じで、紙だといま自分が短編のどこにいるのか、中編のどの辺かがフィジカルにわかる。でも電子書籍だとその感覚がほとんどなくて、無限に続く活字をずっと歩かされているような感じがして、すごく疲れるんですよね。

――それは、音楽との構造的な共通点がありますよね。

みの:そうなんですよ。この話で思い出したんですけど、活字の律動と音楽の律動って、逆なんじゃないか? と少し感じています。俳句や短歌にはリズムがありますよね。でも音楽的にはあまり感じない。むしろ邦楽史って、五七五の束縛からいかに離れ、そこからどうリズムを獲得するか、という外側へ向かう力が強かったじゃないですか。だから逆に、決まった律動がない文章の方が音楽的に感じられるのかな、と。

そのときぴったりだと思ったのが『春琴抄』(著:谷崎潤一郎)なんです。句読点がほとんどなく、「そして」などが延々とつながる。普通に読むとものすごく読みにくいんですけど、そのぶん音楽的な流れを感じるんです。

――あえて句読点を外すことで、文章のリズムを生み出している。

みの:そうなんです。谷崎は文体をリズムとして扱う感覚を持っていた気がします。音楽とは違うけれど、文章にもリズムは確かにあって、そこに共通点を感じるんですよね。

――みのさん自身が本を書くときも、リズムを意識されますか?

みの:めちゃくちゃ意識します。まず文末ですね。「〜した」「〜する」「〜だ」など、どこに着地させるかで読み口が変わる。文末が散らばっているとリズミカルになりますし、たまに体言止めで意表を突く、とか。それに、文豪の作品を読むと、三島由紀夫ですら「〜した」「〜した」「〜した」みたいに文末が連続することがあるし、句読点が急に多くなったりまったくなかったり、自分の基準では到底計れない魔術的な判断が行われている。ああいうのを見ると、「この人たちは本当に言葉の魔法を知っているんだな……」と感心しますね。

――その読みにくいリズムを解読していく感覚は、音楽の変拍子に慣れる感じにも近いですよね。

みの:まさにそれです。難解な文体を読む体験って、変拍子や複雑な構造を理解していく過程によく似ている。イレギュラーな句読点なんか、もう完全に変拍子ですよね(笑)。

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唯一無二の体験と創作への挑戦

――本を、仕事仲間や友人とシェアすることはありますか?

みの:そうですね……何かを人に勧めたとき、「たぶん読んでないんだろうな……」という気配を薄々感じてしまうのが、本の難しいところで(笑)。なので、一定の年齢からはあまり積極的に人に本を勧めなくなりました。岡本太郎の『今日の芸術』くらいですかね、例外は。

それ以外だと、細川周平先生の『近代日本の音楽百年』。4巻セットで1冊15,000円くらいするのですが、邦楽史の記述としては本当にエポックメイキングな内容で、自分が邦楽の歴史を書こうとして困っていた時期に読んで、「この本が出る以前と以後で、邦楽史の捉え方が変わる」と思ったほど衝撃でした。マニアックですが、ことあるごとに紹介しています。

――ところで、いつか小説などのフィクションを書いてみたいという気持ちはありますか?

みの:(しばらく迷ったあと)めちゃくちゃいい質問ですね(笑)! 具体的に「小説を書こう」と思ったことはないんですけど、こうして聞かれてみると、初めてどこかにそういう欲求が潜んでいるのかもしれないと感じました。もちろん、時間をどう確保するかなど現実的な問題はありますが、「いつか挑戦してみたい」という気持ちがふっと湧いてきましたね。

――みのさんにしか書けない文体や題材、きっとたくさんありそうです。

みの:どうなんでしょうね……。でも、しばらくは訓練や準備が必要だと思います。ただ、興味があるのは確かだと、今日初めて実感しました。

――本って読むのに時間がかかりますよね。便利なものが増える中であえて本を読むという行為は、ある意味とても非効率だとも思います。けれど、その面倒くささも含めて、今も読書が楽しい理由は何だと思いますか?

みの:世間的には「本の代わりになる体験は他の媒体でもできる」と思われがちですが、僕は全然そう思っていなくて。本で得られる体験って、本でしか得られない唯一無二のものだと思っているんです。

今はあらゆる情報が一瞬で手に入りますよね。でも結局、本当に重要な情報は本にしかないと僕は感じています。何かに詳しくなりたいなら、本を読む行為からは逃れられない。そこに近道はないんですよね。時間がかかろうが、結局それしかない。だから僕は読むし、「読むしかないんですよ」という感覚に近いです。

――時間をかけること自体が好き、という部分もありますか? 本の面倒くささを楽しんでいるというか。

みの:僕、性格的にはせっかちで、基本は近道をしたいタイプなんです。でも、勉強とか深い体験って、そもそも 近道が存在しない ものだと思っていて。1分の体験は1分の感動というか、その時間の積み重ねに価値が宿る。だから面倒くささも含めて、時間をかける行為に意味があるし、それを楽しんでいる自分がいます。読む人って、おそらくもっと「長くじっくり味わう体験」を求めているんじゃないですかね。悲しみでも喜びでも、長い時間をかけてじっくり受け取る体験をしたい──そんな人が本を手に取るんだろうなと感じています。

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