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<わたしたちと音楽 Vol.13>仲條亮子(YouTube日本代表) 変革を加速させるために、私たちが考えるべきこと

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 米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”をフィーチャーした企画を発足し、その一環として女性たちにフォーカスしたインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。


 今回は、YouTube日本代表の仲條亮子をゲストに迎えた。学生時代に留学を経験し、テレビ局に入社したことからキャリアをスタート。「女性が留学するなんて」、「女性がニュースを読むなんて」といったジェンダーバイアスを乗り越え、自ら道を切り拓いて今のポストに就いた。そうしてクリエイターやアーティストが世界に向けて発信するプラットフォームの運営に携わる今、彼女が感じている希望と改善点とは。 (Interview & Text:Rio Hirai[SOW SWEET PUBLISHING] l Photo: Yu Inohara)

やりたいことを諦めないために、2年かけて周囲を説得した

――小さい頃に憧れていた女性像を教えてください。

仲條亮子:まずは、帰るといつも家にいる母の存在。自分の母がそういうタイプで、自分の世界を守ってくれているような感覚を受けて子供にとっては嬉しいものでした。もうひとつはニュースキャスターの女性たちです。私の幼少期に女性キャスターが登場し、ジャーナリストとして社会のために自分の言葉で発信する姿勢を見てとても素晴らしいと思いました。そして3つ目は、エンターテインメントの世界の人たち。私の時代には『ベストヒットUSA』が人気でした。憧れたのは、アーティストが表現する力。音楽だけでなく、使う言葉や表現方法にも惹かれていたんです。


――女性の様々な側面を見て、多面的に魅力を感じていたのですね。

仲條:そう言われてみると、そうですね。自分自身も何かを作ることが好きでした。だからこそ、アーティストやクリエイター、映画関係者など、何かを無から作り出せることを素晴らしいと感じていたんです。


――その理想の女性像は、歳を重ねることで変化しましたか。

仲條:表現をする人へのリスペクトは変わらないです。クリエイターでも、アーティストでも、様々な方々が苦労しながらも何かを作り出し、感動や明日への希望を与え、私自身も力をもらっていると感じます。それに加えて自分が経験を重ねて感じるようになったのは、表現者、ビジネスリーダー、ジャーナリスト、母親、どの様な立場の人でも社会やコミュニティに貢献している人たちだということ。あとは失敗は誰にでもあるものなので、失敗した時にも立ち上がってまた新しい何かを形にする人たちには、男女問わず力をいただきますね。


――経験を経て、リスペクトする対象が増えたのですね。YouTubeでは新しい表現者が次々と生まれていますが、注目している女性クリエイターはいますか。

仲條:国という枠組みを飛び越えて、様々な表現で世界に発信をしている人がYouTubeにたくさん現れています。昔はどうやったら海外に発信できるかというのが重要な課題だったはずですが、今となっては“YouTubeで発信すること=世界デビュー”。サロメ嬢こと壱百満天原サロメや、P丸様。の人気や波及力は凄まじいです。そういったクリエイターたちの多様な表現を見ていると、「自分らしさは自分で決めて良いのだ」と勇気をもらえます。


――小中学生だった頃の仲條さんは、どんな子供だったのですか?

仲條:最近、小学校の同級生に会ったときに、私に対して、昔から“自由を身に纏っている”という印象を持っていたと言われました。それを考えると、私は何かから解放されたいという気持ちがあったのかもしれません。当時は「女の子だからこうしなさい」と言われたり、女の子だからという理由で行動を制限されることが当たり前でした。例えば、女性がニュースを読むのは難しくて、天気予報が中心だったり、コーナー回しの仕事が多かったり……そんな世界が当たり前だったので、当時はその状況の中、どう自分がやりたいことをしていけるかを考えていました。諦められなかったんですね。


――やりたいことを諦めないために、どうしたのでしょうか。留学をし、キャスターという仕事を手に入れたのは何かから解放されたとも言えますが。

仲條:まずはなにより、周りを説得しなければいけなかったですね。留学がしたいと思っても、「なぜ女の子がこの町から出て留学するのか」、「この町や近所の学校ではだめなのか」という議論に、親だけでなくなぜか親戚や近所の人たちまでも加わってきました。一同に納得してもらうのに2年ほどかかったんです。でもそうやってみんなを説得したおかげか、出発の日には小中高それぞれの学校の先生や教頭先生、親戚、友人まで30人ほどが成田空港に見送りに来てくれました。今から考えると信じられない光景ですが、多分それなりに皆さんから愛情をいただいていたのだと思います。だからこそ、それをしっかりと社会や、自分の子供たちにも返すこと、また一緒に仕事しているチームにも返すことは当たり前だと思っています。


経験を経てからの妊娠・出産で感じたこと

――今は2人の息子の母親でもいらっしゃいますが、妊娠や出産はキャリアにどんな影響がありましたか。

仲條:私は結婚が早く、専業主婦だった母親の影響もあって長く働くつもりではなかったんです。26歳で結婚したのですが、すぐに子供を産んでしっかりとした母親になりたいと思っていました。でも、なかなか子供に恵まれず、10年以上が経ってしまったんですね。一時は、「私はこの人生で母親にはなれないのかな」とも考え、キャリアのビジョンを特段描くこともなく、目の前のキャリアの階段に挑戦しながら時間が過ぎていっていたと思います。一方、ある程度歳を重ねてから妊娠・出産を経験したことで良い面もありました。わけもわからず奔走していた時期とはまた違うフェーズで、仕事の仕方を理解した上で妊娠・出産を迎えたからこそ、なんとかなったと思うことがたくさんありました。何歳で産んでも、子育てってわからないことばかりでしょう。それに仕事も訳が分からない状態だと、子育ても仕事も混沌としてくるはず。その点、私の場合は昔から仕事をしながらNPOに関わったり、学校で教えたり、自分が学校に通ったり……意識的に、複数のことを並行して行ってきた経験がありました。複数の案件を同時に進めながら、長期的に取り組むことが日常でした。そうしてあるときやっと母親になることができ、これまでの並行してやってきた個人的なプロジェクト等のいくつかの時間やエネルギーを子育てにシフトできた。同時進行して得た学びを、子育てに活かし、双方からの学びを双方に生かすことができたのは、経験を経てから妊娠・出産・子育てに臨めたからだと思います。


――年齢を重ねてから妊娠・出産・子育てに挑もうとしている人にも勇気が出るお話かもしれませんね。それ以外に、社会システムの面で女性が働きやすくなるためには何が必要だとお考えでしょう。

仲條:私が20代、30代だった頃よりも、圧倒的に情報にはアクセスしやすくなりました。そのことによって時間を短縮でき、自分の日々を設計しやすくなった面はあると思います。一方でそういったテクノロジーで解決できない部分としては、社会システムの中の周囲や本人のマインドセットのあり方が重要です。仕組みがあったとしても、マインドセットが伴っていなければ多様性ある働き方は難しいと思います。


――例えば、マインドセットとは、具体的にどのようなものでしょうか。

仲條:社会や会社などの組織において、“自分が自分らしくいられる状態で、お互いをリスペクトして貢献し合える環境を作る”という基本的な部分をきちんとやっていくと、解決することは多いと思います。わかりやすく言えば、“心理的安全性”ですね。例えば、「子供の具合が悪いので、早退します」と会社に伝えづらいという親の話はよく聞きます。最近は改善されてきた部分もあるとは思いますが、まだまだ十分じゃない。個人がそれぞれ責任あるマイルールを持っていることを尊重するメリットを周知して、理解を進める必要があります。


――まさに今は価値観が大きく変容しているときだと思いますが、子育てにおいてジェンダーギャップについて気をつけていることはありますか。

仲條:むしろ、私が息子たちに指摘もされます。「お母さん、それはステレオタイプなんじゃない?」って。学校によるとは思うのですが、うちの子供が通っている学校はジェンダーギャップなど社会課題をテーマにしたディスカッションも積極的に行われているようです。なので、家族ではフラットにお互いの意見を話し合っており、私も彼らから日々学んでいます。


――学校で、ジェンダーバイアスをなくす取り組みがされているのは心強いですね。では、音楽やエンターテイメントの業界でジェンダーギャップを解消するには、何が必要だと思いますか。

仲條:変革の兆しは見えていると言ってもいいと私は思います。かつては“ミーティングに女性が私1人”という現場も多くありましたが、そういった光景を目にすることも減りつつあります。ましてや、女性には機会を与えられてこなかった意思決定の場でも女性の活躍を目にすることが多くなってきているのです。“理系”に置き換えてみるとわかりやすいかもしれません。今でこそジェンダーギャップの是正が謳われるようになりましたが、かつては、親や教師が「女子は文系で良い」と言うことが多くありました。そういった言葉は、頭の中に刷り込まれます。「女性は家庭に入るもの」といった考えはさすがに古いとされていますが、私自身が母親の影響を受けて若い頃には長く働く気がなかったわけですから、家庭や社会など環境による知らないうちに刷り込まれているマインドセットの影響は計り知れません。まだ解決されない問題は多々ありますが、私は希望を感じているのです。個々人の努力はもちろん、次世代の人たちの成長のためのプログラムがあったり、社会全体でのポジティブな働きかけがあったからだと思います。優秀な人材はジェンダーを問わないことも明らかです。私たちは希望を持ちながら、この変化を加速させるために何ができるかを考えるべきなのではないでしょうか。


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