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<インタビュー>ヒロイズム(her0ism)が語る、名だたるアーティストの楽曲が生まれる現場のリアルと「J-POPのグローバル化」に向けて
Text & Interview: 柴那典
Photos: 辰巳隆二
Hair & Makeup: Belle 彩 ステファニー
世界の音楽業界の第一線で活躍するプロデューサー/ソングライターのヒロイズム(her0ism)への取材が実現した。2016年から米ロサンゼルスに拠点を置き、日本のみならず各国で数多くのヒット曲を生み出してきた彼は、最近ではXGや、BLACKPINKのLISAの最新アルバム『オルター・エゴ』(Billboard Top Album Salesで初登場1位、Billboard 200で初登場7位)収録の「ドリーム」のプロデュースに携わり、自身が主宰するクリエーターチーム、ever.yからも【グラミー】受賞プロデューサーを輩出した。
インタビューのテーマは「J-POPのグローバル化」。彼は今、【グラミー賞】に「アジアン・ミュージック・パフォーマンス賞」という新しい部門を立ち上げるべく動いているという。その背景や、K-POPの成功に学ぶべきポイントなど、興味深い話を聞くことができた。
──先日は【グラミー賞授賞式】の会場にいらっしゃったとのことですが、その体験はいかがでしたか?
ヒロイズム:今回、うちの事務所のever.yに所属するプロデューサーのPeyote Beatsが携わったドーチ(Doechii)のアルバム『Alligator Bites Never Heal』が〈最優秀ラップ・アルバム賞〉を受賞したんです。これまでも招待していただくことはあったのですが、ここまで近い距離で関わるのは初めてでした。〈最優秀ラップ・アルバム賞〉の発表は、夜の部の最初にされたのですが、Peyoteは初めての【グラミー】で、正直まだ心の準備もできていない状況で。そんな中、「ドーチ!」と呼ばれた瞬間、彼は大号泣。立ち上がって、抱き合って喜びました。もちろん自分が【グラミー賞】を取ることを目標にずっとやってきたんですけれど、それまではどこかテレビの中の世界のような距離感もあって。自分が育ててきた作家が受賞するというのは、なかなか現実味がなかったです。
──Peyote Beatsさんとはどのようにして出会ったんでしょうか?
ヒロイズム:共通の知り合いから「どうしても会ってほしい」と紹介されたのがきっかけです。僕がちょうど日本にいるタイミングだったんですが、スケジュールがかなりギチギチで、最初は断っていたんです。でも、彼が粘り強く誘ってくれて、最終的に指定されたスタジオに行ってみると、そこが千葉雄喜さんのスタジオだったんですよ。Peyoteは千葉雄喜さんをKOHH時代から手がけていて。そこで楽曲を一緒に作って、一気に意気投合しました。
──Peyote Beatsさんがプロデュースした千葉雄喜さんの「Jameson Ginger」は昭和歌謡とラップを融合させたような曲でしたね。
ヒロイズム:まさにそうですね。ミーガン・ザ・スタリオンの「Mamushi (feat. Yuki Chiba)」で注目を集めた後に、同じようなことをするんじゃなくて、彼自身のやりたいことをやった。その昭和歌謡のテイストを今っぽくしてないところも、攻めていて流石だなと思いました。
──Peyote Beatsさんのどんなところに魅力を感じましたか?
ヒロイズム:日本の音楽に対するリスペクトが深いところですね。彼は僕も懇意にさせていただいている(B’zの)Tak Matsumotoさんのソロアルバムを子供の頃に買っていて、日本の音楽をずっと聴いてきたんです。J-POPでもヒット曲を書きたいという思いがあったみたいで、マネジメントすることになりました。基本的にはライティングパートナーのような関係で、一緒に曲を書いたり、日本からアーティストが来たら一緒にセッションしたりしています。
──Peyote BeatsさんはLA出身でアルメニア系アメリカ人なんですよね。そんな彼がJ-POPに興味を持ったことも興味深いです。
ヒロイズム:彼の家族は移民で、辛い時代もあったと思うんです。決して明るい歴史ではなかったけれど、そこを乗り越えてアルメニア系として初めて【グラミー賞】のメインとなる賞を受賞している。アルメニアのメディアからインタビュー依頼も増え、ヒーローのような存在として扱われています。快挙だと思います。そういうバックグラウンドを持つ彼が、J-POPに興味を持っている点がおもしろいですよね。僕も不思議に思ったんですけど、やっぱりJ-POPのメロディーの部分に惹かれているのかなと。
──というのは?
ヒロイズム:ヒップホップは基本的にトラック重視なんですが、彼の書く曲にはカウンターメロディーがあり、ギターや楽器が歌っていて、それはJ-POPのメロディックな要素の影響が大きい気がします。最近は、うちのスタジオで聴かせた藤井 風さんの音楽にハマってますね。この間、LAでライブがあった時に一緒に行ったんですけど、すごく好きだそうです。でも、彼に限らず、じわじわと今、J-POPがアメリカに広まりつつあるのを感じているので、今年がその“元年”かなって思ってます。
──J-POPがグローバルに注目を集めるようになっていると言われますが、この潮流の変化についてはどう捉えていますか?
ヒロイズム:アメリカにいて感じるのは、XGの人気の高さです。本当にすごいんですよ。彼女たちは「X-POP」というハイブリッドなジャンルを掲げていますが、K-POPがアメリカで作り上げた土壌の上に、J-POPのメロディックな部分がうまく入ってるんです。僕がプロデュースで参加した「IN THE RAIN」はR&Bなんですけど、メロディーが強調されていて、日本人が関わっているのが、わかる人にはわかる感じになってる。そういうものが受け入れられてきているように思いますね。この曲は、僕の相棒的な存在のShintaro Yasudaと一緒に作っているんですけれど、彼もヒップホップを作っていても飛び抜けたメロディーセンスがあるんですよね。
──Shintaro Yasudaさんとは、どんなふうにして出会ったんでしょうか?
ヒロイズム:数年前にビルボードの記事をチェックしていたら、ちょうどアリアナ・グランデのアルバム『ポジションズ』の記事が目に入ったんです。そこに「ロサンゼルスを拠点に活動するプロデューサー/DJのShintaro Yasudaがプロデュースに参加」と書かれていたのを読んで「日本人!?」と思って。普段こちらからDMを送ることはないんですけれど、「これはすごい」と思って彼にメッセージを送ったんです。その1週間後には、うちのスタジオに来てくれました。それ以来、よく一緒に仕事をするようになり、NEWSの楽曲を一緒にプロデュースしたり、J-POPも多く共作したりしています。かなり大きな転機でしたし、彼がJ-POPに与えている影響もとても大きいと思います。結局のところ、彼は日本人ではなかったんですけれど(笑)。
投票メンバーの内、アジア人は4%ほど
今年はまさに“スタートの年”
──ヒロイズムさんがLAでキャリアを重ねる中で、仕事のポジションはどう変わってきましたか?
ヒロイズム:サラリーマンじゃないので、わかりやすい立場の変化はないんですけど、「セッションをしたい」って言うと、どんな方もスタジオに来てくれるようになったのはありがたい話ですね。これだけ長い間アメリカで挑戦しているからか、名前の認知度は高くなってきていて、誰かしら僕のことを知ってくれている。それでチャンスができたり、お話をいただいたりすることが増えたと思います。ここ数年は、亀田誠治さんや世界中の数多くのアーティストがコライトセッションをしに来てくれていて、日本のアーティストがスタジオに来て、一緒にセッションできる環境も整っているので、日本のアーティストには、どんどん来てほしいですね。日本で曲を作ることだけが全てじゃないって伝えたいし、普段聴いてる音楽や夢見ている音楽の作られ方を、現場で体験することができますから。

──日本とLAの作曲環境の違いは大きいですか?
ヒロイズム:一番の違いはスピード感ですね。日本はじっくり考えるんですけど、LAだと瞬発力で出てくるメロディーが大事で。それは、日本にいてはなかなか鍛えられない筋肉なんですよ。あと、コミュニケーション能力も重要です。英語はもちろんできないと難しいです。ただ、ever.yでマネジメントしている佐々木“コジロー”貴之くんは、英語がペラペラではないんですけれど、ギターの演奏が抜群にうまいので、セッションに呼ばれたときに、ギターを弾けば現場が盛り上がってハッピーになる。それも瞬発力です。ずっと考えてリフを作るんじゃなくて、パッと弾けるスピード感とセンスが大事だと思います。
──BLACKPINKのLISAのソロ・デビュー・アルバム『オルター・エゴ』のプロジェクトにも関わっていらっしゃいますよね。具体的にどんな形で?
ヒロイズム:12曲目の「ドリーム」というバラード曲に携わりました。最初に送ったいくつかのトラックのうちの1曲を、すごく気に入ってもらったんです。もっとアップテンポのラップっぽい曲だったんですけれど、「サビはすごくいいけど、バース部分がもっとよくなるんじゃないか」ということで、そこからたくさんのバージョンを作りました。でも、結局「韓国のOST(オリジナル・サウンド・トラック)みたいな曲でアルバムを締めくくる、ミッドテンポの曲を代わりに作ってほしい」と……心が折れかけていたんですけれど、最後の力を振り絞って作りました。
──かなり大変な状況だったんですね。
ヒロイズム:アリアナのアルバムの時も同じような状況があり、最後のチャンスの時に悔しい思いをした経験があったので、「これは絶対にやらなきゃいけない」と思いましたね。うちのスタジオにあるウーリッツァーのエレクトリック・ピアノを弾きながら、15分ほどでイチからアイデアを作って、結果それが無事採用されました。
──ヒロイズムさんが現在取り組んでいる【グラミー賞】での活動について教えてください。新しい動きがあるそうですね。
ヒロイズム:今、【グラミー賞】の投票メンバーとして参加していますが、スクリーニングというジャンルの振り分けの責任者もやってます。最近、【グラミー賞】を主催するレコーディング・アカデミーからアジアの新しい部門を作らないかと打診されたんですよ。
──これはどういう経緯で声がかかったんですか?
ヒロイズム:【SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)】でパネリストをしたときに知り合った、ラルフというレコーディング・アカデミーの人にパーティーで「アジアの曲をこんなに作っているなら、なんでアジア部門を作らないの?」って言われたんです。僕からしたら「え、作れるの?」という感じだったんですけど。
──現時点では〈アジアン・ミュージック・パフォーマンス賞〉はないけれど、【グラミー】が将来的にその部門を設立する方向に向かっているということでしょうか?
ヒロイズム:そうですね。ラルフにその申請をしてほしいと言われ、申請するには投票メンバーになることが条件だったんです。去年、Project Asteriの加藤さんとその申請を出したんですけど、返ってきた答えはNOで。「頼まれて申請したのになんでNOなんだろう!」って内心思ったんですけど、ラルフとしては、レコーディング・アカデミー内に「こういうアクションがある」って知らせる必要があったみたいです。部門を作ったら審査する人が必要になるんですけれど、今の投票メンバーの内、アジア人は4%ほどしかいないんですよ。判断するプロフェッショナルが極端に少ないという現状があり、日本人の投票メンバーを増やさないといけないので、そのための普及活動もしなければいけないと思っています。

──日本人の音楽関係者が投票メンバーになれるんですか?
ヒロイズム:エントリーには条件、審査があって、英語でのコミュニケーションも必要ではあるのですが、日本に住んでいてもエントリーできます。とにかく【グラミー】に日本人がもっと関わる必要があると思っています。
──【グラミー】に〈アジアン・ミュージック・パフォーマンス賞〉が設立されたらすごく大きな変化が生まれそうな気がしますね。そこではJ-POPもK-POPも、インドネシアなど東南アジアも対象になる。中南米の音楽が「ラテン」というカテゴリになっているのと同じように、アジア全域の音楽シーンが「アジアン・ミュージック」というカテゴリとして扱われるようになる。
ヒロイズム:そうですね。奇しくも僕自身、LISAの曲を書いたり、XGがグローバルに広がったりしたこともあって、自分自身のキャリアにおいて、ようやく1ページ目に進んだ実感があるんです。音楽出版社との契約も変わりました。このタイミングに、J-POPがグローバルに広がっていくという話題があり、【グラミー賞】の話もあるので、今年はまさに“スタートの年”という感じがします。【MUSIC AWARDS JAPAN】という、日本の音楽をグローバルに発信するための新しいアワードもできる。すごくいいタイミングだと思います。
──契約が変わったというと?
ヒロイズム:ソニー・ミュージックパブリッシングLAという、アメリカのソニー・ミュージックパブリッシングと全世界契約をしたんです。今まで日本人はやってなかったことのようです。これまでオファーはいただいていても、日本と海外の出版のルールの違いがあって、なかなか進まなかったのですが、ようやく世界標準で戦うための基盤となる契約ができたので、それも含めて1ページ目という感じです。
日本もこれからだと思います
10年、15年かけた動きがここから
──K-POPがグローバルで成功した背景についてもお聞かせください。ヒロイズムさんは作家としてそこに関わっていたわけですが、その経緯をどう見てきましたか?
ヒロイズム:K-POPが成功した理由は、国を挙げてベットしたからだと思います。10年以上かけて、ようやく今の地位まで辿り着いたのですが、実はヨーロッパから始まっていたように感じます。そこで作家やプロデューサー陣を巻き込んで士気を高めたのが、最初の勝ちのポイントだったと思います。
──というと?
ヒロイズム:2010年くらいから、マゴノダイマデ・プロダクションの伊藤さん、サウンドグラフィックス中村さんの紹介でヨーロッパ各国のソングライティングキャンプに参加するようになったんですが、どの国のキャンプにも韓国のレーベルのA&Rが来ていて、K-POPの曲を集めていたんです。フィンランドのSong Castleというキャンプでは、「これから韓国の新しいボーイズグループがデビューします」ってプレゼンしてたんですよ。資料とともに大きなスクリーンでダンスビデオを見せられたんですけど、それが完璧で、予算もあり、まとまったお金がもらえるということで、プロデューサーたちが「これに向けて書くぞ!」となった。それが、その後アメリカに伝わったんです。

──アメリカでのK-POPの成功はどういうところにポイントがあったんでしょう。
ヒロイズム:2010年の頃はK-POPを書きたいアメリカ人プロデューサーはほとんどいなかったと思います。でも、ヨーロッパの作家はみんなLAに行くので、アメリカにもその熱が徐々に伝わっていきました。K-POPのアーティストも、アメリカ進出のためにLAを訪れますよね。そういうこともあって、当然のようにK-POPの曲を書く文化が広がっていきました。アメリカのAMP Entertainmentというマネジメント会社にお世話になってますが、LAで行われているセッションの9割ぐらいが、K-POPです。今、アメリカで「J-POPを書きましょう」と言っても作家はなかなか集まらない。「K-POPやろうよ」と言うのが日常です。
──作り手側から見たK-POPの歴史は、リスナーが見るものとはかなり違って、おもしろいですね。
ヒロイズム:僕は運良くその変遷をずっと見てきました。LAに移住後、PSYの「江南スタイル」が流行り、その後、BTSがアメリカのテレビで最初に歌うのも見て、「これは本当に起きていることなのか?」と思うような瞬間を目の当たりにしてきましたが、その前からライティングキャンプのプレゼンが効いてたんです。1年、2年じゃなくて、10年、15年のレベルで動いていました。だから、日本もこれからだと思います。来年とか再来年じゃなくて、10年、15年かけた動きが、ここから始まるってことですね。
──最後のこの先の展望を教えてください。どんな未来が訪れてほしいとお考えですか?
ヒロイズム:僕自身としては、まだ挑戦の途中だし、やっとスタートラインに立ったところだと思うんです。ここからアメリカのアーティスト、アジアのアーティストを隔たりなくプロデュースしていきたいですね。アメリカにいるからこそ、ほかのプロデューサーが持ってない何かを共有できる。日本にいないからこそできるJ-POPもあると思います。LISA側から「OSTみたいに」って言われた時点で、僕達にはチャンスがあったと思うんです。我々にはドラマ主題歌を何十曲も書いてきた経験があったので。日本人だからこそ求められることもこれから増えてくると思います。ここから10年は、それを積み重ねてページを進めていきたいですね。そこに後輩たちがついてくる環境作りも必要だと思っています。音楽を作ることが夢のある仕事だと示せるように、この先も夢を叶え続けていけたらと思います。