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<インタビュー>LAVA、デビュー20周年を経て、これまでの軌跡とアニバーサリー・ライブ公演に向けて思いを語る

インタビューバナー

 ブラジリアンやラテンを取り入れたダンス・ミュージックのクリエイターとして知られるLAVAが、再びビルボードライブのステージに立つことが決まった。2001年のデビュー・アルバム『Aile Alegria』が国内だけでなくヨーロッパでも話題を呼んでから早20年強。その間、質の高い数枚のアルバムを発表し、クラブのフロアはもとより、レストランなど空間の音響デザインに至るまで、常に音楽が聞こえる“現場”を作り上げてきた。ここではそんなLAVAに、この20年を振り返りつつ、ビルボードライブ公演への意気込みを語ってもらった。(Interview & Text:栗本斉 / Photo: Yuma Totsuka)

LAVAの音楽活動や音作り

――LAVAさんはロンドンでDJ活動していたということですが、そもそもロンドンに行った経緯は何だったのでしょう。

LAVA:23、4歳の時に、バンドでメジャーデビューしているんですが、全然売れなかったんです。それでいじけて行ったようなものです。


――その時はすでにDJをやっていたというわけではなく。

LAVA:いや、まったく。そもそもクラブ・シーンなんて全然知らなくて、初めてロンドンに行ったときにすごく大きなクラブで人を集めてレコードをかけているっていう状況がよく理解できなかった。僕は歌って、作曲もして、楽器も弾いて、でもそれがまったく売れない。片やこの国に来てみたら、レコードをかけているだけのおじさんがものすごくみんなから人気があるっていうことに驚いたんです(笑)


――なるほど。

LAVA:それでDJをやりたくなって、現地で食らいつくようにしてDJを始めたんです。そしたら熱くてしつこい奴だと思われて、LAVAっていう変なニックネームを付けられました。英語で「溶岩」っていう意味です。「マウント・フジから流れてきた溶岩は日本に帰れ」みたいなね(笑)


――イギリスにいる間に作曲活動も始めたんですか。

LAVA:いえ、それは東京に帰ってきてからですね。最初は下北沢で「DJ募集」っていうビラを見つけて、雑居ビルの屋上みたいなところにあるお店でやりました。お客さんが2、3人で、自腹でご飯食べさせられたから逆にお金を払いました(笑)。それで、そんなことをやっていても仕方ないと思って、渋谷のVUENOS TOKYOっていうクラブで自分のイベントを始めました。DJだけじゃ面白くないなって思って、ファッションショーをやったりポエトリーリーディングをやったり。ちょっと実験的なパーティーで。


――それは面白そうですね。

LAVA:そうしたら、たまたま音源作ろうって話になって、僕もじゃあ音源作ったらまたロンドンに戻ってDJやろうか、とか考えていたのですが、時代が合ったんでしょうね。J-WAVEでパワープレイされたり、リミックスをやってくれないかっていう話が来たり、次から次へと依頼が舞い込んできたんです。だからイギリスへ行く暇もなく、逆にドイツのレーベルと契約してUK盤も発売されるなど不思議な日々が続きました。


――日本のクラブ・シーンでも、ブラジリアン・ジャズやラテン・ハウスなんかが流行っていた頃ですか。

LAVA:そうそう、渋谷とか青山界隈では生音メインのDJも結構活躍していた頃だから、僕のような生音と打ち込みを融合したようなサウンドでもしっかりとフロア対応できていたんです。あと、普通の流通を使わずに、カフェのカウンターに置いてもらったりして。ちょうどいろんなところにDJブースが置かれるようになっていった時期で、それこそカフェ・ブームなんかもそうですよね。だから、たまたま僕が作っている音楽が、時代の流れにフィットしたんですよね。決して狙ったわけではないんです。


――たしかに、LAVAさんの音楽はおしゃれなお店で流れていたという印象です。

LAVA:当時、そういったシーンに乗っかることができたので、CDショップを回って挨拶回りのキャンペーンみたいなこともやったんですよ。代官山にあるボンジュールレコードが新宿の伊勢丹地下にもショップを出していて、そこに行ったらみんなが僕のCDを買っていてびっくりしました。


――音作りはどういう手順で行うんですか。

LAVA:僕はまずメロディから作ります。ギターを弾きながら。僕は根本的にはメロディメイカーであって、トラックメイカーではないんです。メロディありきでサウンドが伴うので、そこからアレンジを呼び込むようにして、生演奏にしたり打ち込みにしたり、そのイメージに従って進めていきます。トラックはあくまでも洋服なので、メロディさえしっかりと作っておけば何を着ても似合うと思っています。


――すごく作り込まれているので、てっきりトラックから作るのかと思っていました。

LAVA:でもトラックもすごく入念に作るんですよ。性格的に凝り性なんですね。サンプリングの音ひとつ探し出すのに何時間もかけるし、ドラムの微妙なずれとかも作るので、例えばキックだけで1か月くらい作り続けたりしています。生音にしか聞こえないようなサウンドも、実はすべてサンプリングした音を組み合わせてリズムを構築していきますから。


――LAVAさんの音楽は打ち込みでも生っぽいというか、人間臭さを感じるんですがそこが秘密なんですね。

LAVA:MIDIで作っていないし、クォンタイズもしていないからです。でも生音っぽく聴かせるというよりも、実験的な要素が好きなんです。微妙にハイハットをずらすとかね。僕はバート・バカラックとマッシヴ・アタックが好きなんですが、彼らも非常に実験的なんですよ。バカラックはソウルや現代的な音楽をブレンドするし、マッシヴ・アタックもヒップホップを取り入れるような尖がった部分に惹かれます。


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20年のキャリアを振り返って


――この20年間のキャリアを振り返ってみて、感じることはありますか。

LAVA:アルバムを2001年から2004年まで立て続けに3枚リリースしたんですよ。3枚目のアルバム『Conexión』はスペインでレコーディングして、パリのクラブ「La Fabrique」でリリースパーティーをして。他にもコンピレーション・アルバムの制作や、オーディションをやって楽曲提供など、とにかくすごく波が来たんです。でもその時、急に突発性難聴になってしまって。きっと一気にいろんなことをやり過ぎたんでしょうね。それから自分の時間を作るようにしたんです。すでに40歳手前になっていましたし、これからのことを考えることも大事だった。


――分岐点になったというわけですね。

LAVA:それである日、年下のDJから「LAVAさんDJやってもらえませんか」って頼まれたので行ってみたら、丸の内のレストラン・ラウンジだったんです。DJはクラブだけでなく、こういう店もこれから来るんじゃないかって思ったんですよね。当時、パリではフーディングなんていうムーヴメントもあって、無理に踊るのではなく気軽に僕らのような音楽がレストランで聴けたり、ライヴをやっていたりと、そういったシーンが進むと感じました。それからチームを作って曜日ごとにDJを入れ替えるようなことをいくつかのレストランでやるようになって、そこから空間プロデュースやBGMを作るなど仕事の内容も変化していきました。


――これまで作られた楽曲の中で代表曲や思い入れがある曲は何ですか。

LAVA:うーん、難しい質問ですね。でも、2001年に起こった9.11のテロの影響は大きかったかもしれない。この時、「Don’t Stay Down」と「Diciembre」という2曲を作りました。「Don’t Stay Down」はショーン・アルトマンというニューヨークで活動しているシンガーに頼んだら、ものすごく長い詞を書いてきたんです。下を向くな、立ち止まらずもう少し前にっていう意味のことを訥々と歌っているんです。一方で、「Diciembre」はキューバ人のヘマというシンガーに歌詞を書いてもらいました。あのテロの後、故郷を捨てて亡命したキューバ人のヘマがどういう曲を作るのかって興味があって。でも、9.11の歌を書いてほしいと言ったのに、彼女はクリスマス・ソングの歌詞を書いてきたんですよ。「12月で人々が喜んでいる中、大好きなあなたがいなくて寂しいから今すぐ帰ってきて」という内容だった。キューバ人が9.11を受けて、個人的な恋愛の歌詞を書いて、しかも日本人である僕のアルバムで歌う。ワールドワイドに発信する僕の立場で、一曲を発表する大切さを身に染みて感じました。自分が表現することに対して、考え方が大きく変わった一曲だと思います。




――そういった社会の動きが、LAVAさんの音楽に反映されているんですね。

LAVA:東日本大震災もそうでした。Saigenjiくんに歌ってもらった「闇夜に放て」は、3.11の後すぐに作った曲なんですよ。これは自分で歌詞を書こう、それも日本語で書こうと思って、ベランダで空を見上げながら作りました。レコーディングにはラティール・シーというパーカッション奏者にジャンベで力強い音を入れて、敢えて揺れるようなサウンドにして。僕はダンス・ミュージックの作曲家でありプロデューサーだと思っていたのですが、こういった社会性のある音楽を作っているのが不思議だなって感じましたね。


――節目で、表現者としてのLAVAさんの個性が自然に出るんでしょうね。

LAVA:表現者って、目に見えないものをキャッチできる才能があると思っているんですよ。それは音楽に限らずキャッチできる人とできない人がいるんだろうけれど、僕はそれをキャッチできる魔法の運動神経を与えられたんだと思います。そうじゃなければ、大ヒットを出しているわけでも無いのに、20年以上も活動できているなんて普通じゃ考えられないですから。


――未来を見据えて何かやろうという展望はあるんですか。

LAVA:僕は常々、自分ひとりの力で活動しているわけではないと思っているんです。歌手だったときは自分だけで曲を作って歌って闘っていたという感覚だったんですが、LAVAという名前を付けられてからは、何かに生かされている、何か大きな力に包まれて音楽を表現しろと言われているような感覚です。『フィールド・オブ・ドリームス』という映画があるじゃないですか。あれは野球場を作る話で、自分は野球をしないんだけれど選手が集まってきて形になっていく。僕も音楽は作るんですが、いろんなDJやミュージシャンやプロデューサーが集まってきて、後ろ側に回っていくことが増えました。年齢的にもポジション的にも、こちらからいろんな人に声をかけてフィールドを耕していく。そんなことを続けられるといいなと思っています。例えば地方にもDJをやりたい若者もたくさんいるだろうし、そのために僕がフィールドを作ってグラウンド整備人として威力を発揮できればいいかなと。


――ビルボードライブ公演はどういう内容になりそうですか。

LAVA:まず、デビュー・アルバムから最近の作品まで全部網羅してやるだけのことはやろうと考えています。来てくれるお客さんは、コロナ禍でいろんなエピソードがあるはずなんです。仕事を失ったり、もしかしたら大切な人も失ったりしているかもしれない。でも、それぞれの事情があっても、こうやって音楽のある現場に来て、光にたどり着くわけですよね。だからとことん楽しませたい。ダンス・ミュージックの力によって、思いっきり楽しんでもらいたいですね。それと、バンド・メンバーも同じようにいろんな事情があるわけです。それこそライヴもできなくて辛かっただろうし。だから、今回はメンバーひとりひとりにスポットが当たるようなアレンジを考えています。だから、お客さんとメンバーを同時に輝かせるというのが、ビルボードライブのテーマになると思います。




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