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<インタビュー>Deep Sea Diving Club 谷颯太が語る自身のルーツ、ポップソングの難しさ



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福岡を拠点に活動する4人組バンド、Deep Sea Diving Clubによる新曲「Miragesong」が12月7日にデジタルリリースされた。土岐麻子をゲストボーカルに迎え、DSDC流のシティポップに挑戦した「Left Alone feat. 土岐麻子」に続く本作は、ボーカルの谷颯太曰く「バンド史上もっともポップでもっとも大衆的」なウィンターソング。これまでも数々のポップソングを作り上げてきたDSDC が、本気でポップミュージックに向き合った「新境地」ともいえる楽曲で、憧れの存在や見果てぬ夢を「mirage=蜃気楼、幻影」に喩えてみせた歌詞も印象的だ。

小さい頃から歌うことが大好きで、BUMP OF CHICKENやThe 1975との出会いによって自身のソングライティング能力を進化させてきたという谷に、その音楽性のルーツはどこにあるかじっくりと話を聞いた。(Interview & Text:黒田隆憲/Photo:堀内彩香)

175RからThe 1975へ――谷颯太の音楽遍歴

――まずは、音楽に目覚めたきっかけから教えてもらえますか?

:小さい頃からいつも周りに音楽があったんです。親父はメタリカやアンスラックス、ハロウィン、グリーン・デイといったスラッシュメタルやポップパンクをよく聴いていたので、僕も自然と好きになっていましたね。他にもGReeeeNや尾崎豊さん、THE BLUE HEARTS、母親はaikoさんや斉藤和義さん、サザンオールスターズ、スピッツなどを聴いていて、気づけば歌うのが大好きな子供になっていて、幼稚園の送迎バスの中ではずっと175Rを歌っていたみたいです(笑)。小学生の頃はコブクロが一番好きだったんですけど、中学に入ってBUMP OF CHICKENに出会ってバンドに目覚めました。

――物心ついた頃からずっと歌が好きだったのですね。

:自分で歌が上手いとかまったく思っていなかったんです。中学生の頃ってハモネプとかが流行っていて、みんなで集まって声を合わせたりしていた時に「もしかして俺って歌えるのかな?」と思うようになっていました。それでバンドを組むんですけど、ボーカルが3人くらいいたのでみんなでハモるっていう(笑)。最初はONE OK ROCKとかコピーしていましたね。そこからハードコアにハマっていき、一時はシャウトとかしていましたよ。

――それは意外です。シンガーで影響を受けた人、目標としている人はいますか?

:昔はandymoriが好きでした。まるで命を削っているような小山田壮平さんの歌い方に衝撃を受け、昔はよく彼らと似たようなコード進行を使って曲を作っていましたね。ハナレグミこと永積タカシさんも大好きで、歌の柔らかいニュアンスは永積さんから学んだと思っていますし、今でも大好きですね。そういう意味では、フォークミュージックは自分の中にルーツとしてあるんじゃないかと思います。


Photo:堀内彩香

――自分で楽器を弾くようになったタイミングは?

:バンドでは楽器を持たずに歌っていたのですが、メンバーと高校がバラバラになって一人になった時に、「俺、歌だけ歌っていても活動を続けていけないな」と気づいてそこからギターを始めました。1万円くらいの初心者ギターセットみたいなやつが家にあって、それを使って練習していましたね。僕以外のメンバーみたいに、楽器や音楽理論にそこまで興味があったわけではなくて。今も見よう見まねでやっていますし、曲を作る時にコードの展開方法などメンバーに助けてもらっています(笑)。

――曲を作るようになったのは、一人でギターを練習するようになってから?

:バンドを組んでいる時もなんとなくやっていたんですけど、一人になった時にちょうどツイキャスをやっていて。友達が聞きに来るくらいのクオリティだったのですが、そこで弾き語りを披露している流れで作ったのは初めてですかね。高校生くらいの頃だったと思うんですけど。よく出てくるコード進行ってあるじゃないですか。響きが好きなやつを4つくらい並べて、順番を変えたりしてそこにメロディをつけるっていう。やり方としては今もそんなに変わってないですけど(笑)。


Photo:堀内彩香

――The 1975からの影響は、谷さんの中でかなり大きかったようですね。

:yonawoの荒谷(翔大)とは高校生の時にクラスが一緒で、よくCDを貸し借りしていたんです。僕はandymoriやドレスコーズなどを貸して、荒谷は主に洋楽を貸してくれていたんですよ。その時にアークティックモンキーズとThe 1975を教えてもらい、特にThe 1975にめちゃくちゃハマって。もともとオアシスとかUKロックが大好きだったんですけど、より知見が広まったというか。

――The 1975のどの辺りに惹かれたのですか?

:彼らはファーストの頃ってエモ系のギターロックだったんですけど。その後、エレクトロというか打ち込みを導入した時期があり、ゴスペルやジャズを経て一気にアンビエントにシフトしていくという、変遷の仕方にちょっと共感するところがあったんです。僕も、今のこういうジャンルにたどり着くまでにハードコアを好きになったりマスロックやエモに傾倒したり、大学ではシティポップの洗礼を受けたりっていうリスナー体験が、The 1975と似ているなと感じることがあって。他人事に思えないというか。それだけ紆余曲折しながらもブレない部分はずっとブレないところなど、常に指標にしています。

The 1975「Sincerity Is Scary」

――では、作詞に関してはどんなところから影響を受けましたか?

:最初はBUMP OF CHICKENです。まるで絵本を読んでいるような、独特のストーリーテリングには感銘を受けました。初期のDSDCの楽曲は、結構そういう感じだったと思います。歌詞はもう、自分たちの世代は影響を受けている人もかなり多いんじゃないかなと。バンドを組み出した頃は、ストーリーテリングからちょっと散文っぽい作り方に変わっていきましたが。

――例えば?

:僕はいつも、思いついたことを1行単位でスマホのメモなどに書きためておいて、後で曲のテーマやコンセプトが浮かんだときに、そこから広げていくやり方をしているんですけど、例えば「あくまとおどる」という曲は、書きためたメモをランダムに並べ替えて作っています。そうすると、作為的ではない文章になって自分で読んでいても面白いんですよね。

――結構、実験的な作り方ですね。

:ただ、人って面白くて、全く脈絡のない支離滅裂な文章でもそこに意味を見出したり行間を読んでくれたりするんですよ。以前だったら「この曲はこういうテーマで、こういう内容を歌っています」みたいにはっきり答えを明示していたんですけど、最近は聴いた人が各々自由に解釈してくれた方が曲の幅が広がるし、面白いと思えるようになりました。

――正反対の解釈をされたとしても、それはそれで構わないと思えるようになったわけですね。

:「違うよ」って訂正するのも違うじゃないかなと。例えば映画でも、思わせぶりな終わらせ方の方が好きなんですよ。『インセプション』の最後とか、主人公がまだ夢の中にいるのか、それとも現実に戻れたのか、はっきりとは分からない。そういう余白を自分の歌詞でも残したいなと今は思っていますね。

Deep Sea Diving Club「あくまとおどる」

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「みんなが理解できる表現」がどれだけ大変なことか

――歌詞を書く時に、映画や小説などからも影響を受けていますか?

:かなり受けています。そもそも、「物語」が大好きなんですよね。人の一生は一回ですけど、誰かが時間をかけて書いた物語を読むことで、様々な人の人生を疑似体験できるわけじゃないですか。それってすごく贅沢なことだと思う。

――好きな作家さんはいますか?

:小さい頃は、伊坂幸太郎さんが大好きでした。伏線をきれいに回収してくれる群像劇にカタルシスを覚えたというか。あと、ある小説のキャラが別の小説に出てきたりするのが胸熱で(笑)。
村上春樹さんは、『アフターダーク』の冒頭とか都会を生き物のように描写するところがあって、かなり影響を受けていると思いますね。あと「Goldfish」という曲は安部公房の『水中都市』からインスピレーションを受けています。

Deep Sea Diving Club「Goldfish」

――新曲についてもお聞かせください。「Miragesong」はドラムの出原さんが書いたそうですが、最初に聴いたときにどう思い、それをバンドでどうアレンジしようと思いました?

:前々作の「フーリッシュサマー」も、前作の「Left Alone feat. 土岐麻子」も、自分たちの中ではかなりポップに仕上げたつもりだったんですよ。ただ、ズレを感じたというか。「やっている人なんだな」というのはメンバー全員、その2作で強く意識したと思います。

――「やっている人」、ですか?

:「演者なんだな」って。まだ演奏的に難しいことをやろうとしているというふうに思う人が多かったのかなという手応えで。もっとポップな路線を突き詰めたいというか、そうした方がいいなと。やっぱり「いい曲」って、たくさんの人がそう思うから「いい曲」なわけじゃないですか。昔はそういうポップソングが大嫌いだったんですけど(笑)、母親に「みんながいいと言っている音楽と、ちゃんと向き合いもせずに文句を言っているだけなら誰でもできる」と真顔で言われたことがあって(笑)。小学生の子供にそれ言うんだ……って若干引いたんですけど。

――はははは。確かに、すごい英才教育ですね。

:よく考えてみれば母親の言う通りで、まず自分の腹に落とし込んでから良し悪しを判断しなきゃフェアじゃない。それは今も自分の価値観の根底にありますね。前作と前々作でポップな路線に振り切ってみて、それを再び思い知りました。「こういうコード進行を使ってみんなを感心させたい」とか「こういう歌い方でみんなを驚かせたい」とかよりも、「もっとたくさんの人に聞いてもらいたい」「より楽しんでもらいたい」という感情が、メンバー全員の中に湧いてきたと思うんです。それが、この「Miragesong」を作るときのスタートラインだったんです。
とにかく、一発で伝わってくるような説得力のあるメロディとオケだったから、そこに乗っける歌詞も強烈なものを作らなければという気持ちになりました。出原からも、「こういう歌詞にしてほしい」というリクエストがものすごい長文LINEで送られてきて(笑)。

――それはどんな内容だったんですか?

:例えば「難しい言葉、意味が分からない言い回しは使わないでほしい」とか。難しい言葉を使ってそれっぽいことを書くのは、確かにめちゃくちゃ簡単なんですよね。でもそれって相手も自分自身もケムに巻いているだけだと思うんです。シンプルな言葉を使って、誰にでも伝わる表現をするのは自分をさらけ出す行為だから覚悟が要る。真剣勝負ってそういうことなのだなと。正直に言うと、「みんなが理解できる表現ってこんな感じでしょ?」みたいな、ちょっと軽い感じで書き始めたんですけど、それがどれだけ大変なことかがようやくわかってきました。そこから先は、書けば書くほど歌詞がシンプルになり、自分の中のエゴというか濁った部分がかなり浄化された気がします。「この曲、作ってよかったなあ」と心から思っていますね。

――新たな到達点ともいえる新曲「Miragesong」をひっさげ、来年はどんな年にしていきたいですか?

:昔から「目標は日比谷野音」と言っていたんですけど、今は目標がもっと大きくなりました。もちろん野音は大好きですし、いつかやりたいと思っているんですけど、みんなで考えて一つの作品を作るような、いわゆる「ショー」をやりたくて仕方ないんです。これまでは、自分たちの声が届く範囲に届けばそれでいいと思っていたのですが、今はより幅広い層に届けたいという気持ちが強いです。そう思える境地にようやく立てたということなんですかね、ちょっと遅いですが(笑)。


Photo:堀内彩香

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