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2019/12/14

シティ・ポップとカタカナカルチャー【世界音楽放浪記vol.77】

2019年のトピックの1つが「シティ・ポップ」、具体的には、1980年代前半の山下達郎さん、竹内まりやさんらの楽曲が、海外の一部の音楽ファンの間で、ネットを中心に盛り上がったことだ。私は、このムーブメントを同時代体験した。特に、「FOR YOU」(1982)など、山下達郎さんのアルバムはリアルタイムでLPを購入していた。中学3年生の時、原宿にあった予備校の授業に高校受験のために通っていた。段々と帰りは遅くなり、夏頃になると、深夜まで街角にいることもあった。ウォークマンで「シティ・ポップ」と呼ばれたアーティストの曲を聴くと、音楽が体に自然に沁みこんだ。

つい最近、この時代の音楽シーンを創造したプロデューサーの牧村憲一さんとチャットしている際に、当時、感じていたことを思い出した。日本語は4種類の文字で記述される。「漢字」「ひらがな」「カタカナ」「ローマ字」だ。ほとんど洋楽しか聴かなかった私は、日本の音楽のメインストリームであった演歌・歌謡曲を、そのジャンル名が示す通り、「漢字的な世界観」であるように感じていた。つまり、いささか堅苦しく思われ、共感出来なかったのだ。

日本のポップスを、改めて「文字」という視座で紐解いてみると、「漢字」から「ひらがな」への転換点は、「日本語のロック」の誕生だったと考える。「はっぴいえんど」が、Happy Endという英語表記を正式名称にすることなく、「ひらがな」で綴られたことが象徴的だ。その瞬間に、Rock’n Rollは、日本の音楽となった。「表意文字的な音楽」から「表音文字的な音楽」への転換とも言えるかもしれない。

はっぴいえんどの2枚目のアルバムタイトルは「風街ろまん」だ。風街とは、このバンドのドラマーであり作詞家の松本隆さんが青春時代を過ごした、青山、渋谷、麻布辺りをイメージして作られた言葉だ。その界隈からは、やがて、山下達郎さんや大貫妙子さんらが在籍したシュガー・ベイブが生まれ、彼らのソロ活動が引き金となり、「シティ・ポップ」へと発展していく。「日本語のロック」も「シティ・ポップ」も、東京都心の、限られたエリアが原風景なのだ。

「シティ・ポップ」は、「カタカナ」の時代と符合している。カタカナで描かれたものは、外国語を和訳することなく、そのまま日本語の中に入れ込んでいる。田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」(1981)が大ブームになったのもこの頃だ。欧米と同じではない、しかしながら、それまでの日本的なサウンドとは異なる「シティ・ポップ」は、洒脱な桃源郷の音楽だった。

Jポップは「ローマ字」だったと思う。バンドやメンバー名が、大文字だけで表記されることも多かった。カタカナとローマ字は、実はアプローチが正反対だ。カタカナは、先述の通り、外国語をそのまま日本語として文章化する。これに対し、日本人的な感覚で文字だけ西洋化するのが「ローマ字」だ。ローマ字はカタカナと違い、きわめて内向きなのだ。1990年代、Jポップが国内では大ヒットを連発したのに、欧米などでファンが増えることが少なかったのは、そのような側面もあるのかもしれない。

「シティ・ポップ」の中に、海外の音楽ファンは、日本化されたグローバル・ポップを見出したのだろう。だからこそ、「いま」の音楽として新発見したのではないだろうか。

余談だが、神奈川県で生まれ育った私は、国道246号線がお洒落な道とは思えなかった。なぜなら、厚木や秦野の辺りは、トラックが行き交う産業道路だからだ。東京から多摩川を越えると、「シティ・ポップ」はフィットしない。やはり、青山通りが似合うのだ。Text:原田悦志


原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。