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2021/06/15

<インタビュー>リナ・サワヤマはいかにしてポップス界に革命を起こし、急速にファンを増やしたか

 ジャンルにとらわれないサウンドと、人の心を掴むアイデンティティについての歌詞で、リナ・サワヤマはポップス界で最もエキサイティングなクイアの歌手の一人となった。今、彼女はアウトサイダーであると感じている人のための居場所を作っている。

 数年前、リナ・サワヤマはレコード会社と契約ができないのではないかと思い始めていた。レコード会社の幹部が陰で彼女のことを冗談で「Rina Wagamama(Wagamamaはイギリス・ロンドンを中心に世界各地でチェーンを広げる日本風料理店)」と呼んでいたことを知った時のように、何度も人種差別を受けていた。また、メジャーレーベルのA&R幹部が土壇場で契約を取り消し、彼女はアドバンス(前払金)で支払う予定だった弁護士費用を捻出するために奔走したこともあった。

 これは彼女が犯した間違いだったのだろうか。「STFU!」のデモは、もしジョジョがフレッド・ダーストだった場合に生まれていたであろうバージョンのリンプ・ビズキットのような、スラッシュ系のニュー・メタルがはしゃぎ回るサウンドのようだ。「Shut the fuck up」と羽毛のような歌声で何度も繰り返されるこの曲のコーラスは、不条理でありながら親しみを感じさせるもので、サワヤマの名前を日本食にインスパイアされたイギリスのレストランチェーンの名前に置き換えることを面白いと思っているような業界人に向けたものだった。レーベルの見方からだと、「STFU!」は2017年に発表したEP『RINA』のR&Bを取り入れたミニマリズムからあまりにもかけ離れていた。契約が頓挫した時、彼女は「打ちのめされた」気持ちになり、1か月間借りた米ロサンゼルスのアパートを見渡して、どうやってお金を払えばいいのか悩んだことを覚えている。しかし、彼女は自分のビジョンに疑問を持つことはなかった。

 グレーのパーカーというカジュアルな姿でロンドンの自宅からつい先日ズームで話したサワヤマは、「私からしたら、放っておいてって感じ」と当時を振り返り、歯の矯正を見せながら笑った。30歳になる彼女は、20代の頃、ロンドンのアンダーグラウンド・ミュージック・シーンで活動し、小さなクラブで演奏したり、彼女のポップ・ミュージックのスタイルの確立を試みたりしていた。レコード会社との契約を目指す頃には、彼女は何かを掴んでいることを実感していた。「長く待った甲斐があったと思います。もしもっと若ければ、“ああ、ダメだ。自分のサウンドを変えなければいけない”と思っていたかもしれません」と語った。

 イギリスの独立系レーベルであるダーティ・ヒットとミーティングしたサワヤマを、同レベル創業者のジェイミー・オーボーンは「STFU!」に笑いを堪えきれないと、これまでの人とは違う反応を示した。「あれは、クレイジーでしたね」とオーボーンは述べ、「異なる文化的要素やジャンルが衝突していたのです」と続けた。また、彼は誤解されてきたアーティストの育成についても熟知していた。2009年にダーティ・ヒットを設立した時、最初のバンドはポップ・ロックの大物The 1975で、「世界中のあらゆるレーベルが2度も(契約を)見送ったように思えた」と振り返る。2019年に同レーベルと契約したサワヤマは、ペール・ウェーヴス、ウルフ・アリス、ビーバドゥービーなどのロック寄りのアーティストがレーベルメイトの中で、ポップ・スターとして異彩を放っている。

 「私は、アーティストには二つのタイプがあるとよく言っています。アートを作ることが必然のアーティストとアートが作りたいと思っているアーティストです。そして、リナは前者です」とオーボーンは付け加え、「彼女はリナ・サワヤマ以外の何者にもなれないのです」と続けた。

 「STFU!」は2020年に発売されたサワヤマのデビュー・アルバム『Sawayama』のリード・シングルとなり、同年に最も批評家から称賛されたリリースの一つとなった(20以上のメディアが2020年のベスト作品のリストに挙げた)。臆することのないクイアであり、堂々とアジア人であり、ジャンルの慣習に全くとらわれない、新しいタイプのポップ・スターのスタンダードのように感じられた。彼女のアイデンティティは彼女の音楽にインスピレーションを与えるだけでなく、その音楽のDNAにまで浸透する。煌びやかなゴスペル調のバラード「Chosen Family」では、愛する人から拒絶された時に、クイアの友情に慰めを見出すことについて歌っている。「Tokyo Love Hotel」や「Akasaka Sad」などの革新的な曲では、彼女が5歳の時に家族と共に新潟からイギリスに移住した者として日本の文化を擁護すると同時に、切り離されていると感じる日本との関係を探っている。

 彼女の作品はしばしば暗く、深く個人的なものだが、『Sawayama』の各曲はポップ・ミュージックの華やかさで包まれている。サワヤマの長年のファンであり、4月には「Chosen Family」の新しいバージョンで彼女とデュエットした友人のエルトン・ジョンは、「リナはポップ・アートのカメレオンだ」と表現した。「彼女のデビュー・アルバムは、巧みで自信に満ちた万華鏡のような何度も変化する旅で、ポップ・ミュージックの様々なジャンルの中を移動する。彼女は曲ごとに大胆にギアを変え、リスナーに次は彼女はどこに行くのかを想像させ続けている」と述べた。

 ジャンルの流動性は最近では珍しくないことだが、サワヤマはこのコンセプトを目まぐるしい新境地へと導いているのだ。彼女は、音を混ぜるよりも、それぞれの音を極限まで高めることに関心がある。『Sawayama』を通して、彼女はニュー・ジャック・スイング、スタジアム・ロック、スリンキーなクラブ・ビートなどを自在に操る。MTVの『トータル・リクエスト・ライブ』でコーンとブリトニー・スピアーズがトップを争っていた2000年代の影響を受けており、「あの時代の混沌とした雰囲気が好きなんです」と語るサワヤマは、熱心で、すぐに笑うが、たいていは自分に対してである。このようなサウンドへの愛情は、決して皮肉ではないことを彼女は強調している。「私はいつも“今、誰を聴いている?”と尋ねられます。私は、“ケリー・クラークソンかな。あなたが彼女のことを知っているかどうかわかりませんが、じゃあ、ケイティ・ペリーのファースト・アルバムは?”という感じです」

 エヴァネッセンスにインスパイアされた世代間のトラウマを歌ったロック・アンセム「Dynasty」から、ブリトニー・スピアーズがザ・ネプチューンズとコラボした時のような、消費者主義を批判した粋な「XS」へと、彼女の曲が変化していくのを聞くと爽快な気分になる。才能がなければ、この変化は単なる模倣になってしまうだろう。しかし、サワヤマのアプローチは2種類の言語を使っているように感じられ、異なる文化のコミュニケーション・スタイルの間を行き来し、状況に応じてそのスタイルを変化させる。これは、多くのクイアな人々、特に有色人種のクイアがよく知っていることである。「リナの魅力のひとつは、彼女はすべてを繋ぎ合わせることができるということです」とダーティ・ヒットのA&Rマネジャーのクリス・フレイザーは言う。「彼女のアイデンティティがすべてをまとめるのです。彼女はメインストリームの世界にいたいと思っていますが、それは彼女の意思によるものです」と続けた。

 サワヤマはまだメジャーなヒット曲を出していないが、彼女の音楽はアンダーグラウンドのアーティストや、エルトン・ジョンやレディー・ガガのような大物スターにも同様に愛される極めて稀なアーティストになった。ガガは近々発売される『クロマティカ』のリミックス・アルバムでサワヤマの起用を予定している。サワヤマは、自分がどの曲に参加するか明かさないが、長年のガガの弟子として、こだわりはないと言う。「もし、アルバム1曲目のインストゥルメンタル曲の“クロマティカ Ⅰ”をカバーして欲しいと言われたら、“はい、やります!”と言います。オーケストラの演奏をダンダンダン、ダンダンダンと歌います」と述べた。

 ガガとリトルモンスター(ガガのファンの総称)のように、サワヤマはピクセルと呼び情熱的なファン層を意図的に育ててきた。2018年のツアーでは、一人で来た観客に特別なリストバンドを提供することで一人で来たファン同士がわかるようにし、コミュニティを築けるようにした。また、彼女はYouTubeに精通したクリエイターで、舞台裏やパフォーマンスだけでなく、ギターのレッスンやメイクアップのチュートリアルなどを投稿している。これらはすべて「RINA TV」というブランドで、「How to make a MUSIC VIDEO in 5 STEPS(ミュージック・ビデオを制作するための5ステップ)」のようにアルゴリズムに対応したブロガー風のタイトルが付けられている。

 「クリエイティブ・プロセスを見せることは、私のようにどうすればいいかわからなかった人にとって、とてもエキサイティングなことです」と彼女は言う。「インディ・アーティストとして活動してきた中で多くのことを学びましたが、もっと前から知っていればよかったと思っています。そうすれば多くの時間の節約になったでしょう」と述べた。

 クイアであることの意味、日本とイギリスという2つの母国の間で引き裂かれるように感じることの意味など、彼女が音楽の中で育ててきた会話は、スタジオの外でも続けている。2020年の夏、彼女はイギリス政府にLGBTQ+の若者に対するコンバージョン・セラピー(同性愛者や、両性愛者、トランスジェンダーに対し性的嗜好を異性愛に矯正または転換させるために行う一連の行為)を禁止するよう求める公開書簡に署名した。さらに、【ブリット・アワード】を含む表彰の必要条件にイギリスの市民権があることを批判したことがきっかけとなり、彼女のように人生の大半をイギリスで過ごしている移民のミュージシャンにもノミネートの機会が与えられる新しい選考規定ができた。

 サワヤマは、自分がアウトサイダーであることを感じ、権力と戦うことについての音楽を制作している。彼女はそれを音楽業界に向けて巧みに使い、その過程で他のアウトサイダーのための居場所を作り、彼女をエキサイティングな存在にさせる核心に切り込む。それは、サワヤマと白人男性のディナー(のシーン)から始まる「STFU!」のミュージック・ビデオにも表されている。彼は寿司を箸で刺しながら、彼女をアジア人の女優と比較したり、彼女が英語で歌っていることに驚いたり、様々な偏見を連発している。あるシーンでは、彼は「Wagamamaっていう、あの日本食のレストランに行ったことがあるかい?」と聞いている。MVで繰り広げられるどの発言も、サワヤマが実際のデートや見知らぬ人、あるいはレコード会社の幹部からこれまでに言われたことのあるものばかりだ。

 このような芸術面における判断を自由に行えることを、「100%自分を貫くことができて、本当に幸運」だとサワヤマは言う。「そうでなければ、今自分がいる状況を誇りに思うことができないから」と説明する。これはかなりユニークな立場である。彼女は最先端に根付いてる一種の文化評論家であり、彼女を型にはめようとする業界に歌姫の教科書を使って殴り込みをかけるポップスの学者でもあるのだ。

 この役割は、彼女のキャリアが次の段階に入り、ポップスの白熱した中心に向かって前進しているとしても、変わることはないだろう。現在、サワヤマはセカンド・アルバムの制作に取り組んでおり、過去数十年の音楽の影響の中からさらに突拍子もないことを仕掛けると約束している。秋には、延期されていたイギリスとアイルランドでのツアーがようやく始まり、都市によってはパンデミック前に予定されていた会場の2倍から3倍の大きさの会場に変更された。(当初今年の終わりに予定されていた北米ツアーは、他のヨーロッパの日程と合わせて来年の春に予定されている)

 「人々がコンサートに行って彼女をひとたび見れば、リナは爆発的に売れると思います」とオーボーンは言い、彼女の成功は、米ロサンゼルスと豪シドニーに新しいオフィスを設けるといったレーベルの最近の拡大に大いに貢献したと付け加えた。また、2022年には、キアヌ・リーブスと共演した映画『ジョン・ウィック: チャプター4』で長編映画のデビューを果たす。

 サワヤマの活躍は、「STFU!」を聴いた後に契約を取り消したA&Rの幹部など、当初彼女を理解できなかった関係者からの祝福の連絡をも促した彼女は「気分が良いこと」だと言うが、十分ではないようだ。「次に(契約を取り消した)彼に会った時は、あのお金を要求しようと思います」と笑いながら言った。


 リナ・サワヤマは、10月に放送された『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジミー・ファロン』で米国のテレビ番組にデビューにするにあたり、二つの目標を掲げた。一つはスリル感を伝えることだ。パンデミックの中でのリモート・パフォーマンスは、ミュージック・ビデオのように巧妙に作られていることが多い。一方、彼女は数回のカメラカットで、視聴者が見続ければ何が起こってもおかしくないという感覚を表現するパフォーマンスをデザインした。「リナは“ライブでなければならない、本当の意味でのライブでないと意味がない”と言っていた。そして“ものすごく洗練されたものではなく、私のヴォーカルをしっかり聴かせなければならない”ともね」とダーティ・ヒットのプロダクト・マネジャーであるトム・コニックは述べた。

 彼女の二つ目のミッションは、「ストレートとローカルを狙う」、つまり大衆を味方につけることだったと彼女は振り返る。「それなのに、あんな服を着て出演したのよ」と彼女が指しているのは、赤いレザーのボディスとガーター式のハーネスに、オペラグローブと豪華なコスチューム・ジュエリーという、まるでマリー・アントワネットがフェティッシュ・ショップに行くような衣装のことだ。「私のチームみんなが“君はあらゆる意味で完璧だった”、“まさにハイ・ドラァグだよ”と言った」と彼女は述べた。ヴォーグ誌はそのルックスを「それ自体がパフォーマンス」と称した。

 ケンブリッジ大学のモードリン・カレッジで政治学、心理学、社会学を学びながら、Lazy Lionというヒップホップ・グループで歌っていたことが、サワヤマの演劇的センスの源になっている。「私たちはブラック・アイド・ピーズの再来だと思っていました」と彼女は振り返る。「私はファーギーほど象徴的な存在ではなかったですが、努力はしていました」と述べた。しかし、時に彼女はもがき苦しんでいた。彼女はケンブリッジ大学の文化を「恐ろしく男性上位」と言い、在学中のほとんどは、留学生として孤立し、既成概念にはめ込まれていると感じていた。しかし、最終学年の時、ドラァグ・バンドのDenimをはじめとするクイアなクリエイターたちと知り合い、それは彼女が必要とされているという相互信頼感を得ることができたようだ。鬱の経験を公表しているサワヤマは、このことに救われたと語っている。

 彼らのアカデミックなひねりが効いたキャンプな感性は、彼女の音楽を特徴づけるものとなっている。「私がドラァグにインスピレーションを受けているのは、人々がトラウマや不安を身にまとい、それを祝福したり、キャラクター化したりするからです。それが、私がアルバムで本当にやりたかったことです」と語った。「私を苦しめたこれらのことについて話したかったのです。この痛みと高額な治療費をポップ・ソングのようにして、人々が何度でも聞き返したくなるような曲にしたかったのです」と彼女は言う。

 卒業後、彼女は音楽活動の資金を稼ぐためにロンドンで、変わった仕事を時には2つ3つ掛け持ちしていた。友人のトラックでアイスクリームやサンドイッチを販売したり、高級サロンでネイル・テクニシャンとして働いたり、サムスンの広告モデルを務めていたことが理由で解雇されるまでアップルストアで数か月働いたりした。フルタイムで音楽を追求することは、しばしば遠い夢にように感じられた。「最初の頃は、“アーティストとはどのようなことをするのか?”といった感じで、どうやってリリースするのか、曲やアルバムをリリースすることがなぜ重要なのか全くわかっていませんでした」と彼女は言う。「私は音楽業界で育ったわけでもなく、コネもありませんでした」と続けた。

 写真家の友人が、音楽関係の広報をしていたウィル・フロストをサワヤマに紹介し、現在ではデイリー・マネジャーのキャスパー・ハーヴェイと共に彼女をマネジメントしている。当時、サワヤマはシングルをリリースするだけで満足していた。しかし、フロストはより大きな作品を企画し、長期的に考えることの重要性を強調した。

 「資金がを底をついても、私はリナの成功を確信していたので、そのまま独自の路線を貫き、正しいと思えないような決断はしないようにする必要がありました」とフロストは振り返る。「音楽における大胆さも、夢中になっている話題について積極的に発信することも、それは今、彼女のすべての行動に表れています。形成期とその中で彼女が培った逆境を乗り越える力がそれらを可能にしています」と説明した。

 フロストは、シンガーソング・ライターでプロデューサーのクラレンス・クラリティ(本名アダム・クリスプ)にサワヤマを紹介した。二人が意気投合するまで時間はかかったが、「“Alterlife”という彼が最初に作った曲に対し、“うわ!やりすぎ!”と思ったのを覚えている」と振り返った。クリスプによれば、彼の妥協を許さない傾向はパフォーマーとして「すべてを吹き飛ばしてしまう」サワヤマの才能に完璧にマッチした。最終的に彼は、『Sawayama』に収録された13曲のうち2曲を除くすべての曲を共同プロデュースした。「彼はいつも少しクールな音楽的な影響を持ってきます」とサワヤマは言う。「それはとても助かります。なぜなら、私が“アヴリル・ラヴィーンの4曲目を覚えている?”と聞くと、彼は“ああ。でも、あれはレディオヘッドのパクりって知ってる?”と返答するのです」と説明した。

 彼女が影響を受けたものを一つの整ったパッケージにまとめてしまうのではなく、クリスプはその対比を受け入れるよう手伝った。「あちこちに表れるギター・ソロや本当に大胆でばかばかしいキー・チェンジが、共通のテーマとして流れています」と彼は述べた。「そういうのが二人とも好きで、特にリナはそうでした。本来あるべきでない場所に色々置くことが好きなんです」と説明し、最後は「最もバカげたアイデアを採用する」と続けた。


 パンデミックの中で発売されたアルバムは、デュア・リパのディスコ・トリップ『フューチャー・ノスタルジア』や、ガガの活気あふれる『クロマティカ』など、クイアなダンス・パーティーを具現化したようなサウンドのものがたくさんあった。しかし、『Sawayama』は、最も純粋な共同体として感じられたアルバムだった。「Dynasty」でモッシュしたり、「Comme Des Garçons (Like the Boys)」で架空のランウェイを闊歩したり、「Chosen Family」で腕を組んで汗だくになって左右に揺れたり、クイアな身体が安全な空間に集うことができる様々な方法を祝うものだった。

 そのため、コンサートが開催できないことは、アーティストである彼女にとっても、コミュニティにとっても厳しいものとなっている。「私は、曲が演奏され、観客を通して自分にフィードバックされ、彼らが歌っているのを聞いた時に、その曲は完成すると考えています。まるで、コメディアンがネタを試すようなものですね」と彼女は言う。「私にとって、曲に合わせて人々の身体がどう動くかが重要なのです。なぜなら、 ポップスの書き手は基本的に人々を旅に連れて行くのですから」と説明した。

 しかし、サワヤマはアルバムの発売を延期することは考えなかった。そのため、ロックダウン中はソーシャル・メディアでのプロモーションに注力し、アルバム発売イベントを直前にYouTubeパーティーに変更したり、RINA TVの新エピソードを公開したりした。「アルバムが発売された時、私たちは非常に柔軟に対応しなければなりませんでした」とコニックは振り返る。「特に、ロックダウン中は、一夜にして多くのマーケティング案がお蔵入りになり、中止されました。そのため、私たちがしたいことは何なのか迅速に考えなければなりませんでした」と説明した。

 サワヤマは、ストリーミング時代に多くのポップ・スターが経験したことを学んだ。最大のインパクトを与えるアルバムとは、新しい命を吹き込み続けることができるものだということだ。12月、ライブ・バージョンやリミックス(ブラジルのドラァグ界のスーパースターであるパブロ・ヴィターとの共演を含む)、そしてドーパミンを分泌するようなダンス・ポップ・シングル「Lucid」を収録した『Sawayama』のデラックス盤をリリースした。4月にはアルバム発売一周年を記念して、エルトン・ジョンと一緒に「Chosen Family」の新バージョンをリリースした。「マネジャーのウィル(・フロスト)が“エルトンに声をかけよう”と言って、私は“あなた、正気じゃないわ”と言ったのを覚えている」とサワヤマは振り返る。同じ4月、米NPR『Tiny Desk Concert』にも出演した。このプログラムでは、『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジミー・ファロン』の大掛かりなパフォーマンスとは対照的に、彼女のオペラのような声をシンプルに披露した。

 しかし、彼女の願いがすべて変わったわけではない。ダーティ・ヒットとの最初のミーティングで、サワヤマは毎年アルバム一作品に与えられる名誉ある【マーキュリー賞】を受賞するのが夢だと語っていた。だが、2020年の夏、彼女は同賞とイギリスの【グラミー賞】に相当する【ブリット・アワード】の両方に資格がないことに気づいた。どちらの賞も英国レコード産業協会(BPI)が運営しており、当時はイギリスかアイルランドの国籍が必要条件だった。サワヤマは人生の大半をイギリスで過ごしているが、市民権はなく、代わりに永住権を取得している。永住権のようなビザを持っている人には市民権を得るための方法があるが、現在彼女の両親が住んでいる日本は二重国籍を認めていないため、イギリスの市民権を得るには日本国籍を放棄しなければならない。

 彼女がノミネートされる資格すらないことを知ることは、心が折れそうな出来事だった。「あなたが移民者の場合、誰もがあなたを歓迎してくれているわけではないという事実を覆い隠して人生を過ごしているようなものです」とサワヤマは言う。「そして、あれはその覆い隠された物が現れた瞬間でした」と述べた。

 「私は十分ではないのか?」、その言葉が彼女の頭の中にはずっとある。「何年もここに住み、ケンブリッジ大学に行き、税金を納めているのに、私はまだ十分ではないのか」とサワヤマは言ったが、モデル・マイノリティの神話に自分を閉じ込めてしまったことに気づいたかのように、「それなくしても、素晴らしい人になれるし、この国に属することもできる。でも、私は、それらを持っていないと価値がないと自分に言い聞かせてきたように思います。それが、私が一生懸命に働く理由です」と明確にした。

 彼女が本当に冷遇されたかどうか判断するのを待つ間、ヴァイス誌のインタビューで「もし私のアルバムの出来が悪くて、誰も私のことを話題にしてなかったら、私は“すいません、私はノミネートされるべきなのですが”なんて思うでしょうか?」と語り、彼女が芸術的な「国境管理」のフォームと名付けた対象条件に人々の関心を向けた。その記事が掲載された翌日、イギリスのTwitterでは#sawayamaisbritish(サワヤマは英国人)というハッシュタグがトレンド入りした。

 結局、BPI会長のゲド・ドハーティがサワヤマに連絡を取り、このルールがどれほど限定的か知らなかったと説明したと彼女は振り返った。(彼は「リナは素晴らしいアーティストであり、彼女が問題提起をしてくれたことに感謝しています」と米ビルボードへの声明で述べた)それから数か月後の2月、同団体はイギリスに少なくとも5年居住しているミュージシャンであれば選考対象になる変更を発表した。その直後、サワヤマは【ブリット・アワード2021】の<BRITsライジング・スター賞>の最終選考に残った。「(ノミネートされたことを)母に伝えることは、素晴らしいことでした」とノミネートされたことに涙ながらに語った。「母はとても誇りに思っていました」と続けた。

 残念ながら受賞にはならなかったが、同じテーブルにつくことそれ自体が勝利であった。4月、サワヤマはバルマンの紫のオート・クチュールのドレスに長いトレーンをつけた姿で出席し、まさに舞踏会の美女のようだった。彼女はTwitterにレッドカーペットでの自分の写真を投稿し、「正直、サワヤマはとても英国人らしく見える」とキャプションを添えた。


 『Sawayama』に収録された80年代風のクランチーなロック・ジャム「Who's Gonna Save U Now?」は、「Ri-na! Ri-na! Ri-na!」と彼女の名前を繰り返し叫ぶ観客の歓声で始まる。アルバムをリリースする前から、サワヤマは彼女のライブに壮大なビジョンを持っていた。2017年にリリースしたEPの発売を記念した彼女の最初の公式なコンサートは、イースト・ロンドンにあるThe Pickle Factoryという150人収容可能な会場で行われた。彼女の音楽に合わせて歌うファンの声を聞きながら、彼女は「文字通り、スタジアム一杯に観客が入っているのかと思った」と振り返る。

 フロストは、「彼女は大物ポップ・スターの視点でしか物事を考えられない。なぜなら、それが彼女が成長する過程で愛した世界だから」と言う。「彼女が300人の前で演奏した時は、いつも衣装替えや振り付け、ドラマがありました。私たちはこの小さな会場で、少ないファンに、アリーナにいるような気分にさせるにはどうすればいいか?」と続けた。

 この秋のツアーで、サワヤマはアリーナではないが、彼女にとってこれまでで最大の会場で演奏する。彼女は、より大きなステージで得られるクリエイティブな機会を楽しみにしており、彼女のショーが様々なバックグラウンドを持つファン層にとって安全な空間を提供することを願っている。「私のコンサート・チームは全員がクイアだと思っています。それは、とても素敵なクイア・ファミリーのようなものです」とサワヤマは言う。今回のツアーのディレクターを務めるのは、彼女の友人であるチェスター・ロックハートで、彼はミュージシャン兼俳優である。また、彼はサワヤマが出演した米NPR『Tiny Desk Concert』のパフォーマンスの監督も務めた。「私とチェスターは、いつもコンサートの話をしています。2000年代のアイコン的なコンサートに夢中なんです」と語った。

 その間、サワヤマはクリスプと一緒にスタジオに戻ってセカンド・アルバムのレコーディングを行っており、90年代のレイブ・ミュージック、カーディガンズ、ノー・ダウト、ボン・ジョヴィや、2000年代以降に影響を受けた音楽を探求するようだ。彼女は、「90年代や2000年代の音楽の面白さは、その幅の広さにあると思います」と述べた。

 最初、新しい曲を制作するのは怖いと感じていたようだ。「私は“何も言うことがない、人生を生きたことがないし、人々に会ってもいない”と思っていました」と説明した。それに加え、「ファースト・アルバムを引っ提げてのツアーができなかったことも、次のアルバムのことを考え始めるのを難しくした」そうだ。「精神的にも、ソングライターとしても、それは難しいことです」と彼女は言う。「なぜなら、私の中にはまだアルバム『Sawayama』があるからです」と続けた。しかし、2021年の初めにクリスプとスタジオに入ってから、サワヤマは徐々に自分の声を取り戻したようだ。二人は2週間で14曲を完成され、米ロサンゼルスでの曲作りも予定している。

 ダーティ・ヒットのスタッフは、適切なタイミングとポジショニングができれば、次回のアルバムが彼女をメインストリームに押し上げることができると信じている。しかし、彼らは急いでいるわけではない。「私たちが、アメリカのラジオ局に何も持って行っていないのには理由があります。まず、私は確固たる基盤を築きたいのです」とオーボーンは言う。「それに近づきつつあると言って良いでしょう」と続けた。

 今のところ、レーベルのスタッフはサワヤマに率先させている。コニックは「彼女には是非メイン・ポップ・ガールになってもらいたいと思っています」と述べた。「とはいえ特定のモデルや既存の成功例にこだわりすぎず、18か月前と同じように、リナがリナであれるように手助けすることを心がけています」と続けた。この「リナがリナであれるようにする」というのが、彼女のチーム内での共通語であり、彼女の唯一無二の芸術性とダーティ・ヒットの一般基本戦略の両方を物語っている。オーボーンは、「私たちは音楽を売っているのではなく、アイデンティティを売っているのです」と語った。

 数年前、サワヤマはシンプルにリナという名前で活動をしようと考えていた。イギリスの学校に通っていた頃、学校のスタッフに名前の発音を間違えられたことを思い起こし、「私の苗字が不便だということを常に意識しています」と彼女は語った。「大泣きしてしまうこともありました。5歳の私にとって、誰かが私の苗字を言おうとする時の不安は、何よりも耐え難いものでした」と振り返る。

 結局、チームと話し合った結果、サワヤマの名前をそのまま残して音楽活動をすることにした。「日本人やアジア人の名前だとすぐわかるようにすることが重要だと思います」と彼女は言う。「将来、“もし”私が象徴的な存在になっても、この苗字を取り払うことは絶対にしないです」と続けた。サワヤマにとっての問題は、それが「もし」ではなく、「いつ」なのかもしれない。


Written by Mitchell Kuga
Rina Sawayama photographed by Zoe McConnell on May 10, 2021 at The White House London.

Styling by Jordan Kelsey. Hair by Tomomi Roppongi at Saint Luke Artists. Makeup by Ana Takahashi. Manicure by Lauren Michelle Pires. On-site production by Joel Gilgallon at JOON.

Andrea Brocca top and shoes, Wolford bottoms, FALKE tights, Harris Reed headpiece, Mugler earrings and bracelets, Pebble London rings.

Zoe McConnell

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