Billboard JAPAN


History

100年以上にわたり、世界中で親しまれているBillboardの歴史

1890 1894.11.1
ビジネス向け月刊誌としてスタート Billboard History
誌名は「billboard advertising」。
記念すべき第一号は、一部10セント、8ページの仕様であった。
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1896.6
カーニバルやサーカスの告知と広告の掲載をスタート
1897.2
誌名を「billboard」に改名
フェスティバル関連の告知が大半を占めるようになってくる。
1900 1900.5
週刊での発行となり、アミューズメント業界告知専門誌としてリニューアル
アメリカの鉄道網の拡大に併せて、エンタテインメントビジネスは拡大し、多くのエンタテインメント情報はビルボード誌に掲載されることとなる。
同時にレターボックスの充実に努める。これはファンからの手紙をスターに渡すサービスで、出版と直接の関わりはなかったが、コミュニティとの深いつながりを形成する大きなきっかけとなった。
1904
総ページ40ページとなり、エンタテインメントの告知メディアとしての地位を確立
1902~
1905頃
エジソンの発明によるサイレントムービーの告知が増える一方、音楽に関するコラムやレポートも増えてくる。大衆向けとして最も親しまれている娯楽が映画となった。
1910 1914
今日の音楽チャートのもととなる、ポピュラーソングチャートを掲載
10セントの価格は保持したまま、ビルボード誌は38,000部の流通を誇っていた。新しい劇場、映画、イベント、サーカスの告知が大半を占めていた。
1916
レコード音楽が新たな娯楽の形式として認知され始める
ビルボード誌は15セント、236ページの体裁で52,000部を流通。
1920  
ラジオ放送の開始
レコード音楽ビジネスがラジオの登場で7,500万ドルの好況を呈する。当初ラジオが無料放送であることに懸念の声もあったが、ビルボード誌は1925年1月10日号で、「音楽出版社と関係が保持されればラジオ放送は音楽ビジネスの助けとなる」として擁護。ラジオとのコラボレーションページの作成も行った。
1930 1932
テレビのコラムが初めて掲載される
ラジオ面がラジオ&テレビ面とタイトルを変える。
1936
米国3大ラジオネットワークでもっとも多く放送された曲の「チャートライン」を掲載
 
世界的な不況のあおりを受けて、音楽ビジネスは5,500万ドルまで減少、ビルボード誌のページ数も60~90ページにまで落ち込んだが、ジュークボックスビジネスの活況がそれを救うこととなる。これを契機として、ビルボード誌は音楽ビジネスの動向を追う傾向が強まる。
1940 1940.7
現在のHOT100チャートのもととなるベストセールスチャートを掲載
初の第一位はトミー・ドーシー(フランク・シナトラがボーカル)の「I'll Never Smile Again」だった。

・・・ジュークボックス業界向けのチャートはすぐにラジオエアプレイチャートへ変更し、音楽チャートのメインになったが、ビルボード誌はすでに他ジャンルにも目を向けていた。
1942.10
初の黒人音楽のレコードセールスチャートを掲載
※1949年6月には「リズム&ブルース」チャートへ名称を変更
1944.1
カントリーミュージックチャートの掲載開始
※1949年には「カントリー&ウェスタン」チャートとしてジュークボックス、セールス、エアプレイの合算によるチャートとなる。

・・・1940年代ビルボード誌が音楽チャートに紙面を割くようになっていく中、戦争が始まり、戦時中は一時国威発揚のため、大きく紙面内容を変更したものの、終戦後すぐに刊行/販売を再開する。
また40年代の終わりにはレコードが78回転に変わり、45回転シングルと12インチ33回転半LP盤レコードが発売され、音楽産業はAtlantic、Imperial、Mercury、Chess、Savoy、Elektra、Vanguard、Blue Note、Prestigeなど新しいレーベルが林立するブームが到来。
新しい音楽ビジネスが始まり、それはビルボードの未来を築くものとなった。
1950 1955.1 初めてエルビス・プレスリーを記事で取り上げ、その14ヵ月後プレスリーは「ハードブレイクホテル」で初のビルボード1位を獲得する。
それはロックの時代、そしてビルボードの新しい時代の始まりとなった。
1958.8
シングルチャート Hot100が誕生
レコードセールスとエアプレイを合算した初のチャートで、その記念すべき最初の1位は「Poor Little Fool」のリッキー・ネルソンであった。
1960 1961.1
ビルボード誌「アミューズメントビジネス」と「ビルボードミュージックウィーク」に分離
「アミューズメントビジネス」はフェスティバルやサーカスの告知を掲載、「ビルボードミュージックウィーク」は音楽業界のプロフェッショナル向け専門誌であった。
※「ビルボードミュージックウィーク」は2年後に再び誌名を「ビルボード」に戻し、50セントの価格で発売されることになる。
1963
アルバムチャート Top200が誕生
60年代初頭から始まっていたアルバムチャートのモノラルとステレオが合算され、200位までのチャートTop200が発表される。

・・・またこの60年代初頭には、全世界を巻き込んだ音楽革命が起こった。
イギリスのリバプール出身のビートルズの出現である。1964年の2月1日号で「I Want To Hold Your Hand」が1位を獲得。その年のビートルズの記録に未だ勝るものがなく、年間Hot100に30曲がチャートインし、うち6曲が第1位を獲得するという快挙を成し遂げた。以降、アーティストの成功の目安として、ビルボードのチャートが取上げられるようになっていった。
1970  
ディスコ時代到来、ビージーズの「Saturday Night Fever」など多数のヒット曲が生まれる。
アルバムセールスはより拡大し、ビルボードの紙面はそれを告知するレーベルやアーティストにとって最高のメディアとなり、80年代以降も、その時代を反映したカバーアートやチャートの提供を行った。
1980 1988 ブロードキャストデータシステム(BDS)を採用し、ラジオのエアプレイチャートの算定に新たなテクノロジーを導入した。
1990 1991.5 小売店舗の販売システムから正確なセールスデータを得るサウンドスキャンチャートを発表する。
1995
ビルボードオンライン(現ビルボード ドット コム)、スタート
ネームバリューとチャートの人気から、音楽ファンに有名なサイトとして認知を得た。スタートから10年を迎え、ビルボードオンラインは現在のビルボード ドット コムに変更、姉妹サイトのビルボードビズがビジネスニュース告知サイトとしてスタート。
2000 2008.9
ビルボード Hot 100が50周年アニバーサリーを迎え、50周年チャートが公表される
ビルボードHot 100の誕生50周年を記念して、50周年チャートが公表される。1960年にリリースされた、Chubby Checkerの“THE TWIST”が第一位を獲得。
・・・今日のビルボードのマガジンとサイトは、音楽を中心に置きながら、2005年5月、デジタルとモバイルのマーケットに照準を広げました。ビルボードは世界中の100以上の国々で読まれています。米国Billboard.comサイトは、毎月250万人以上のユニークユーザーがアクセスしています。

またビルボードミュージックアワードは、毎年恒例の音楽イベントのひとつです。ヒルボードの記事とチャートは、携帯電話を含むあらゆるメディアでライセンスされています。
100年以上の歴史を経て、ビルボードは盛隆の時を迎えています。
2009.8
ビルボード ドット コムの日本語版サイト、ついにスタート!

ビルボードはビルボードインフォメーショングループのフラッグシップです。(また、Billboard.biz、Billboard.com、Billboard Chart Alert、Billboard Information Network (BIN)、Billboard Directories、Billboard Licensing & Events and Billboard Radio Monitorから成ります)。 ビルボードの戦略的提携企業はFox-TV、Microsoft、mForma、Reuters、Sirius Satellite Radio、Telemundo、Univision Radio、ABC Radio Networks、Azteca Americaで、兄弟会社のNielsen Sound Scan、Nielsen Broadcast Data Systemsも含みます。