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ビルボードヒストリー
ビルボードヒストリー

1894年来、Billboard Magazineはエンタテインメントビジネスの情報専門誌です。ビルボードに関する小史は以下の通りです

■ビルボードマガジンは、ビジネス向けの出版として、ウィリアムH.ドナルドソンおよび ジェームズH.ヘネガンによって1894年秋にスタート。「billboard advertising」と名づけられ、 記念すべき初号は1894年11月1日に発刊。一冊10セント、8ページの仕様であった。(毎月発刊)

■1896年6月より、カーニバルやサーカスの告知をスタート、それらの広告の掲載も始める。 1897年2月に「billboard advertising」は名前を「billboard」に改名。次第にフェスティバル関連の告知が 大半を占めるようになってくる。

■1900年5月5日、ビルボードは週刊となり、アミューズメント業界告知専門誌としてリニューアルする。 アメリカの鉄道網の拡大に併せて、エンタテインメントビジネスは拡大し、多くのエンタテインメントは ビルボード誌に掲載されることとなる。ビルボードは同時にレターボックスの充実に努める。これはファンからの手紙をスターに渡すサービスで、出版と直接の関わりはなかったが、コミュニティとの深いつながりを形成する大きなきっかけとなった。

■1904年、コミュニティにも浸透しだしたビルボード誌は、40ページになり、エンタテインメントの告知メディアとしての地位を確立することとなる。

■1902年から1905年にかけて、エジソンの発明によるサイレントムービーの告知が増える一方、 音楽に関するコラムやレポートも増えてくる。1909年には映画が大衆向け娯楽の最大の位置を 占めることが発表された。

■1914年には10セントの価格は保持したまま、ビルボード誌は38000部の流通を誇っていた。 新しい劇場、映画、イベント、サーカスの告知が大半を占めていたが、その中で当時から、今日の 音楽チャートの先駆である、ポピュラーソングチャートを掲載していた。

■1916年、ビルボード誌は15セント、236ページの体裁で52000部の流通を成していた。 その頃からレコード音楽は新たな娯楽の形式として認知され始めた。
 

■1920年代、レコード音楽ビジネスはラジオの登場で7500万ドルの好況を呈した。 当初、ラジオが無料放送であることに懸念の声もあったが、 ビルボードは1925年1月10日号で、「音楽出版社と関係が保持されればラジオ放送は音楽 ビジネスの助けとなる」として擁護。ラジオとのコラボレーション・ページの作成も行った。 1932年にはテレビのコラムが初めて掲載され、ラジオ面はラジオ&テレビ面とタイトルを変えた。

■1930年代の世界的な不況のあおりを受けて、音楽ビジネスは5500万ドルまで減少、ビル ボードのページ数も60〜90ページにまで落ち込んだが、ジュークボックスビジネスの活況が それを救うこととなる。

■これを契機として、ビルボードは音楽ビジネスの動向を追う傾向が強まり、1936年に初めて 3大ラジオネットワークでもっとも多く放送された曲の「チャートライン」を記事化する。そして 1940年7月27日号において、ビルボードは現在のHOT100の先駆であるベストセールス チャートを掲載。最初のチャート第一位はトミー・ドーシー(フランク・シナトラのボーカル) の「I'll Never Smile Again」でした。

■ジュークボックス業界向けのチャートはすぐにラジオエアプレイチャートへ変更し、音楽チャートの メインになったが、ビルボードはほかのジャンルにも目を向け、1942年10月24日号で初めて 黒人音楽のレコードセールスチャートを掲載、1949年6月には「リズム&ブルース」チャートと 名称を変更する。カントリーミュージックは1944年1月にチャートの掲載が始まり、1949年には 「カントリー&ウェスタン」チャートとしてジュークボックス、セールス、エアプレイの合計による チャートになった。

■1940年代にビルボードが音楽チャートに紙面を割くようになっていく中、戦争が始まる。 国威発揚にシフトしたものの、終戦後は150ページ以上ですぐに刊行再開、販売開始する。

■40年代終わりには78回転レコードに変わり、45回転シングルと12インチ33回転半LP盤レコードが 発売され、音楽産業はAtlantic、Imperial、Mercury、Chess、Savoy、Elektra、Vanguard、Blue Note、 Prestigeなど新しいレーベルが林立するブームが到来する。新しい音楽ビジネスが始まり、 それはビルボードの未来を築くものとなった。

■1950年代、レーベル各社は競ってリリース広告を掲載。そんな中、1955年1月29日号で、初めて エルビス・プレスリーを取上げ、その14ヵ月後にプレスリーは「ハードブレイクホテル」で初のビルボード1位を獲得する。それはロックの時代、そしてビルボードの新しい時代の始まりとなった。

■1958年8月4日号でHOT100チャートは初めてレコードセールスとエアプレイを合算したチャートとなった。その記念すべき最初の1位は「Poor Little Fool」のリッキー・ネルソンであった。

■1961年1月9日号をもってビルボードはフェスティバルやサーカスの告知を掲載する新雑誌、 アミューズメントビジネスと、「音楽業界のプロフェッショナル向けに特化した専門誌」、ビルボード ミュージックウィークに分離する。ビルボードミュージックウィークは2年後にシンプルにビルボードに 名を戻し、50セントの価格として発売されることになりました。

■1963年に60年代初頭から始まっていたアルバムチャートのモノラルとステレオが合算され、 200位までのチャートが発表されるようになる。そして全世界を巻き込んだ音楽革命が起こった。イギリスのリバプール出身の ビートルズの出現である。1964年の2月1日号で「I Want To Hold Your Hand」が1位を獲得。その年の ビートルズの記録に未だ勝るものがなく、年間HOT100に30曲がチャートインし、うち6曲が第1位を獲得 するという快挙を成し遂げた。アーティストの成功の目安として、ビルボードのチャートが取上げられる ようになっていった。

■1970年代はディスコの時代、ビージーズの「Saturday Night Fever」の時代であった。 アルバムセールスはより拡大し、ビルボードの紙面はそれを告知するレーベルやアーティストに とって最高の場となった。

■80年代以降も、ビルボードはその時代に応じた装丁やチャートの提供を行った。1988年に、 ブロードキャストデータシステム(BDS)を獲得して、ラジオのエアプレイチャートの算定に新たな テクノロジーを導入することに成功。そして、1991年5月25日号において、ビルボードは 小売店舗の販売システムから正確なセールスデータを得るサウンドスキャンチャートを発表する。

■1995年ビルボードオンラインをインターネットでスタートさせ、ネームバリューとチャートの人気から、 音楽ファンに有名なサイトとして認知を得た。10年を越え、ビルボードオンラインはビルボード ドットコムに変わり、姉妹サイトのビルボードビズをビジネスニュース告知サイトとしてスタートさせた。

今日のビルボードのマガジンとサイトは、音楽を中心に置きながら、2005年5月、デジタルとモバイル のマーケットに照準を広げました。 ビルボードは世界中の100以上の国々で読まれています。ビルボードドットコムは、毎月250万人 以上の訪問者を迎えています。ビルボードミュージックアワードは、テレビの最も有名な毎年恒例 イベントのひとつです。ヒルボードの記事とチャートは、携帯電話を含むあらゆるメディアでライセンス されています。

112年を経て、ビルボードは盛隆の時を迎えています。
ビルボードはビルボードインフォメーショングループのフラッグシップです。(また、Billboard.biz、Billboard.com、Billboard Chart Alert、Billboard Information Network (BIN)、Billboard Directories、Billboard Licensing & Events and Billboard Radio Monitorから成ります)。 ビルボードの戦略的提携企業はFox-TV、Microsoft、mForma、Reuters、Sirius Satellite Radio、Telemundo、Univision Radio、ABC Radio Networks、Azteca Americaで、兄弟会社のNielsen Sound Scan、Nielsen Broadcast Data Systemsも含みます。

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