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2019/06/29

自然の奏でる音色に耳を傾けて【世界音楽放浪記vol.54】

かつて、札幌で4年間、仕事をしていたことがある。札幌そのものは「リトル東京」の趣すらある大都市だが、一歩街の外に出ると、肥沃な大地がいまでも広がっている。私は、時間を見つけては、北海道各地を旅した。そこには、風や木々、波などが奏でる「自然の音色」が、譜面のない楽曲のように響き渡っていた。

札幌にはKitaraという素晴らしいコンサートホールがある。当時、クラシック音楽の番組制作を行っていた私は、札幌交響楽団やPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)などを収録するために、何度も足を運んだ。番組以外でのコンサートの演出や、CDを制作したのも、この会場が初めてだった。ベートーベンの「田園」をはじめ、クラシックの名曲の中には、アウトドアの情景からインスパイアされたものが少なくない。私は、楽曲をホールから外に持ち出してみたいと考え、北海道の自然の中で音楽を収録した。

「クラシック倶楽部 北海道フロンティア」と題されたシリーズには、趣意を快諾してくれた、当世一流の音楽家が続々と参加してくださった。

日高地方にあるJRAの牧場での収録のメンバーは、ギタリストの渡辺香津美さん、オーボエ奏者の古部賢一さん、チェリストの長谷川陽子さんだった。ファーストカット、私は、青空を30秒、フィックスで撮影した。クレーンダウンすると同時に渡辺さんがフレームインし、草原に置かれた椅子に向かう。軽くチューニングをして、演奏は始まる。この曲は、クレーンのワンカットだ。曲が変わると、カメラに向かって競走馬が歩いてくる、レールの上に載ったカメラは、3人の演奏者の元へとドリーしていく…

小樽運河では、アコーディオニストのcobaさんが演奏してくださった。ノスタルジーな趣の風景から聴こえてくるのは、cobaさんの楽器の音色だけ。画面には、奇跡のような映像と音世界が広がった。利尻島では、サクソフォニストの須川展也さん、ギタリストの鈴木大介さんと共に、特別な許可を得て、利尻空港を借り切った。1日1便しか飛行機が来ない空港。それだけで映画の題材になりそうだと感じた。タイトルバックは、あえて利尻水道の映像に風の音だけを載せた。

シリーズの最後は、イサム・ノグチが設計した、札幌郊外にあるモエレ沼公園のガラスのピラミッドで締めくくられた。出演してくださったのは、ピアニストで作曲家の高橋悠治さんだ。1曲目、カメラマンには、このように話をした。「木の葉が舞い降りるようにクレーンダウンして、最後はピアノと高橋さんの周りをゆっくりとカメラで踊ってほしい」。それからの数曲は、一転して、2台のカメラのフィックス映像だけで構成した。ディレクターも、カメラマンも、ついつい画像を動かしたがる。しかし、その中にいる人や音に力があれば、固定された映像をいくつか積み重ねる方が伝わってくるのではないかとも思ったからだ。

自然と共作し、1つ1つのカットが滋味深い、唯一無二のクラシック番組制作が繰り返された。他にはない体験に、出演者もスタッフも、みんな楽しんでくれて、いつしか、このチームは「原田組」と呼ばれるようになった。何よりも、視聴者の皆さんから温かな反響を得ることができたのが、心より嬉しいことだった。Text:原田悦志


原田悦志:NHK放送総局ラジオセンター チーフ・ディレクター、明治大学講師、慶大アートセンター訪問研究員。2018年5月まで日本の音楽を世界に伝える『J-MELO』(NHKワールドJAPAN)のプロデューサーを務めるなど、多数の音楽番組の制作に携わるかたわら、国内外で行われているイベントやフェスを通じ、多種多様な音楽に触れる機会多数。